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2005-11-29 21:51:05

あの夏少年がいた(書評)

テーマ:書評

まずこの本の内容である。Ashi comが要領よくまとめているので、その文章を借用して紹介する。「ひと夏だけの教育実習(奈良女子高等師範学校)にやってきた年上の女性に思慕の念を抱き、忘れ得なかった当時九歳の少年が、五十九年後、偶然に視た古いテレビ番組の再放送でその名に思い当たる。「もしや」と書き送ったことで始まった二人の往復書簡と、やりとりを見守る友人知人たちのエールで構成された、情感あふれる読み物だ。」

岩佐寿弥さん(70歳)は映画作家として今でも活躍されている方である。(岩佐の作品は次のようなものがある。http://movie.goo.ne.jp/cast/104780/ .。またこの本にも出てくるモゥモ チェンガ は最近の作品である。)また川口汐子さん(旧姓雪山(80歳)は歌人であり、児童文学者として知られている方である。(エッセイ集花逍遥 、歌集たゆらきの山 、童話「二つのハーモニカ(絶版)」がある。) その二人が60年前の昭和19年の夏の出会いを、昨日のことのように手紙で語り合うその内容に感動する。

二人の文章もみずみずしく、60年前のできごとを再現している。最初唐突に手紙を出した岩佐さんに川口さんは「・・・昭和19年忘れられない年です。さまざまな場面が浮びます。・・木造二階建てのあの学校に教生として通った夏はたとえようになく輝く夏でした。その夏を、私はきっと、岩佐クンとおりおり呼びかけ、時と場所を同じくしていたのですね」と返事を書く。これに対して岩佐さんは「読んでいる間中、当時の学校の教室や木目にいたるまで目に浮ぶようでした。手紙の文面から聞こえてくる息遣いが、そのまま当時の雪山先生の息遣いとなって聞こえてくるようでした。」と二人の心が通じ合い、交流が始まる。


二人の交流は川口さんが当時の教育実習ノートを発見したことからさらに思い出が豊かになっていく。初授業をしての歌もかかれており、「わきたちて一斉にあげる子らの手やわれにむかひてかくも直ぐなる」とその授業振りが想像出来る。またこのノートには当時の女高師の学生であった川口さんの時代観も伺え興味ある。警報発令が鳴り、ある先生が「走れ、走れ、それでも国民か!」と子供たちに気合をかけていることに、「そんな言葉をきくと胸が痛くなる。誰が国民でない人がありませう。サイパンはおもはしかず、皇国の行く手はきびしい。四男(担当の4年男子組)の君達たちの育って行く道は私たちがより一しほきびしかろう事を身にしみて思う」と述べその時代を確に見ているのが印象的である。

圧巻は二人が姫路で出会う場面である。二人に話は数字間に及んだという。岩佐さんはその出会いを川口さんへ「先生は実人生も人々に美しいものをふりまき、また実人生の苦しみから珠玉の虚構(児童文学)を生み出し、不特定の人にそれを与えてきたのです。昭和19年そんな先生と出会えた少年の幸せ、60年後忘却の彼方から突如呼び戻された奇跡、この二つの時点を繋いだのは何者でしょうか」と手紙を送っている。

この二人の関係はある人は少年の年上の女性への憧憬という。しかし私は戦争を通じて共有した二人の豊かな学び屋の風景に映る。しかも非常時体制のなかにかくもゆたかな教師(卵)と児童の人間関係が構築されたことは驚くべきことである。まさに「あの夏少年がいた」風景である。同世代を過ごした私にとってこんな豊かな体験と過去の風景がないことはさびしい限りである。

川口汐子・岩佐寿弥著  あの夏少年がいた れんが書房新社 2005年9月第2版

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2005-11-26 16:14:26

知のネットワーク先駆者・平田篤胤

テーマ:読書雑感

先日秋田の千秋公園を散策した。園内に「彌高神社」があった。この神社は幕末の秋田出身の国学者、平田篤胤、江戸の博物学者佐藤信淵を祀った神社である。その縁起には「明治14年小谷部甚左ェ門他門人有志にて八橋に平田神社を創建、後秋田県教育委員会これが崇敬者となり、明治42年元の秋田図書館跡地にありたる旧県社八幡神社社殿を購入修理し、平田神社をここに奉遷、同時に佐藤信淵大人命を合祀し、社名を旧藩主佐竹義和公書明徳館題額「仰之彌高」に因んで彌高神社と改称せり」とあった。

平田篤胤は幕末の国学者でとして、国学の宗教的側面、すなわち神道へ最終的に辿りついたのは古代の「自然な流れ」であるとして、日本の神道界に大きな影響を与え、近代になっても最上の神の子孫である天皇に絶対的忠誠を誓うという思想は昭和の軍国主義にまで影響を与えたといわれている。

個人的には好きではかったが、島崎藤村の「夜明け前」を読み、主人公・青山半蔵がこの平田篤胤の思想の心酔したことを知った。藤村は特に半蔵が明治維新に期待したのは、「維新によって古代のに帰ること即ち自然に帰ることであり、自然に帰ることは新しき古(いにしえ)発見することである。中世を捨て権力の万能を捨て近代を迎えなければならぬ。しかし、明治政府は「新しい古を」ではなく、国家権力を強化して「古き古」に戻った」と落胆し狂乱する様を描いている。

最近、平田篤胤は宗教改革と古典文化復興を通じて近代日本をの夜明け前を切り開いた先駆者であったと評価する動きもあるようだ。昨年、平凡社の別冊太陽は「知のネットワークの先駆者 平田篤胤」を特集している。そのなかで平田神道の第6代宗家を継ぐ米田勝安氏と作家の荒俣宏氏の対談「いまよみがえる平田篤胤」では、神道、国学を超えた幅広い「知」が4000人以上もの門弟たちのネットワークを築いたことを語っている。

またこの対談者で神秘学、妖怪の研究者でもある荒俣宏氏は平田の著書「稲生物怪録 」を通して彼が妖怪奇譚にも造詣が深かったことを紹介している。しかし、平田篤胤の博物的な知識、情報収集能力は群を抜いていたことが分かるが、彼を神として祀るのにはどうしても抵抗を感じてしまう。

米田勝安・荒俣宏編  知のネットワーク平田篤胤  別冊太陽 平凡社 2004年5月刊

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2005-11-24 21:06:30

網野善彦氏批判

テーマ:読書雑感

11月22日の毎日新聞「記者の目」は「歴史家・網野善彦氏が残したもの」という題で栗原俊雄(学芸部)記者が書いている。それによると、「取材で知ったのは、網野氏に対して冷淡な研究者が多いということだ。ある教授は「大学院生には、少なくとも今は、網野さんの引用はやめた方がいい、と言っています。それだけで妙な先入観を持たれますから」。網野氏のもともとの専門は中世だったが、古代から近現代まで幅広く発言し、論述するようになるにつれ、批判も多く受けた。「実証性が乏しい」「空想的浪漫主義」とさえ断じた研究者もいる。」というのである。

故網野さんが異端視されていたことは知っていたが、今もって批判されているとは意外であった。特に彼の代表的な研究「無縁・公界・楽」を読んだときの衝撃は忘れられない。小生も、書評 のなかで、「網野さんの考え、いわゆる「網野史観」は今まで歴史の前面に出なかった人間に焦点をあて、中世にも「自由」があったという点で画期的であるが、やや理念的であることに、他の歴史学者の反論があった。その意味では孤独な研究であったようだ。しかし、彼は組織を組む訳ではなく、最後まで自分の考えを貫いた点は評価する方も多い。」と書いた。

「無縁」とは,既存の社会秩序から切り離された自由な領域であり、それは古代社会において存在した避難所(アジ―ル)概念に通じその例として江戸時代まで残っていた「駆け込み寺」があげられる.また「公界(くがい)は、能役者や占い師あるいは、白拍子(遊女)などで、公界往来人とは,特殊な職能を認められて,手形や通行証なしに自由に各地を歩きまわれる人びとを指す。「楽(らく)」とは戦国時代の「楽市・楽座」が示すように、諸規制から解放された「自由」の意味があり中世の自由都市と言われた「堺」はそのような状態であったというのである。

網野さんはこのように従来の中世の日本のイメージを変えてしまった。栗原記者が最後に「学問を深化させるためには、先行研究を批判的にみることが必要だ。しかし批判に力を込めるあまり、大事なものを見失うことはないだろうか。網野氏は多くの研究業績を残した。それはもとより、教育者として学問の成果を社会に、歴史に疎い素人にも還元しようとした姿勢もまた、私たち後に続く者が継承すべきものだろう」という意見を謙虚に受け止めるべきである。

網野善彦著  無縁・公界:楽  平凡社 1996年6月刊

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2005-11-22 22:50:58

野球復活の思い出

テーマ:読書雑感

今日の毎日新聞は戦後プロ野球の歴史を大きく載せている。「野球復活への思い熱く焼け野原に響く歓声」という見出しで1945年11月23日戦後初のプロ野球試合「東西対抗戦」記事を載せている。そのメンバーに懐かしい選手の名前が浮かぶ。

東軍             

中堅手  古川清蔵(名古屋)     
中堅手  呉 昌征(阪神)
遊撃手  金山次郎(名古屋)      
二塁手  千葉茂 (巨人)      
三塁手  鶴岡一人 (近畿)
右翼手  大下弘 (セネタース)    
捕手   楠木安夫(巨人)      
一塁手  飯島滋弥(セネタース)    
三塁手  三好主 (巨人)      
投手   藤本英雄(巨人)  

西軍
中堅手 呉 昌征 (阪神)
遊撃手 上田藤夫 (阪急) 
二塁手 藤村冨美男(阪神)
三塁手 鶴岡一人 (近畿)
一塁手 野口 明 (阪急)
捕手  土井垣武 (阪神)
右翼手 岡村俊昭 (近畿)
左翼手 下社邦男 (阪急)
投手  笠松 実  (阪急)
    

その日戦後初めてプロ野球を実況放送した、元NHKアナウンサー志村正順(現92歳)の「久しぶりに、本当に久しぶりに、職業野球の実況中継を送ります」の声が流れたという。巨人の川上哲冶は未だ復帰していないが、彼のライバル大下弘の青バットが忘れられない。大下はセネタースから東急フライヤーズ、西鉄ライオンズと奔放な野球人生を送っている。作家逸見じゅんは「大下弘 虹の生涯」という本を著し、廃墟の空に虹のようなアーチを架けた彼の生涯を描いている。

彼は学徒動員で戦争に赴いている。今日の新聞にも元西鉄の名遊撃手豊田泰光さんが「大下弘に戦争を見た」いう題で西鉄時代、よく大下さんは若い選手を食事につれて歩き、陸軍航空隊時代の写真を見せた」ことを書いている。そして「亡くなった隊員の年頃が私ら若い選手と同じくらいでダブって見えたのだろう」と、常に戦争を引きずっていたと語っている。

西鉄時代確執のあった名監督三原修は大下が死去した時、「日本の野球の打撃人を5人上げるとすれば、川上、大下、中西、長嶋、王。3人絞るとすれば、大下、中西、長嶋。そしてたった1人選ぶとすれば。大下弘」と語ったことを結びとして逸見の作品は終わっている。我々野球少年に夢を与えてくれた大下弘のことを思い出した。

逸見じゅん 大下弘 虹の生涯 新潮文庫1995年4月刊

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2005-11-20 18:10:11

ファーブル昆虫記発刊に寄せて

テーマ:本の紹介

集英社創業80周年記念企画として奥本大三郎の完訳のファ-ブル昆虫記 、全20冊が11月から順次出版されることになった。ファーブル昆虫記の邦訳の最初は大正時代の無政府主義者大杉栄であるが、完訳版は岩波版で山田吉彦・林達夫訳が昭和25年(1950)岩波文庫として全10巻刊行されている。

山田は前年に「ファーブル記 」(岩波新書)を著し、山村の農家に生まれたアンリ・ファーブルの,93年に及ぶ生涯を描き、彼の学問はほとんど独学であったが,貧窮や困難と戦いつつ切り開き古典的名著『昆虫記』を残したことを紹介している。これから判断して山田吉彦が日本におけるファーブルの紹介者であったことが分かる。

しかし、日本ではファーブルはすごく有名であるが、フランスでは殆ど知られていないようだ。英語の本でファーブルの本を探そうとしてもオックスフォード大学の「世界人名辞典」には彼の名前はなく、彼が独学のせいもあるが他の国では科学者と思われていない節がある。

そのようなファーブルに目を向けた山田吉彦も面白い人生を送っている。実は彼は戦後「きだみのる」のペンネームで日本各地を放浪し、「部落」の生活を通して日本人の本質を探つたルポルタージュ『氣違ひ部落周游紀行』を發表したことでも知られている。

彼の晩年は永井荷風の農村版のような放浪生活を送り、その肩書きは「放浪作家」になっている。彼が連れてきた未就学の子供を預かって育てたのが岩手在住の教師で、後に作家になった三好京三である。三好はそのいきさつを「子育てごっこ」の題名で小説を発表し直木賞を受賞している。その単行本の後半に「親もどき 小説きだみのる」ではその奇行ぶりにあきれながら書いている。きだみのるは、山田吉彦としてパリに留学中にファーブルの生き方に共鳴し、もともとは社会学者なのに、科学と文学の最高の結合を示す古典的名著『昆虫記』を訳したものと思われる。

フランス文学者であり、昆虫研究者の奥本大三郎訳の「ファーブル昆虫記」は多くの資料の詳細なイラストを掲載。昆虫写真家・海野和男、今森光彦の貴重な写真も加え、ヴィジュアルも充実。詳細な脚注・訳注で昆虫の世界とともに、当時の風俗や時代背景もわかりやすく解説。ファーブル以降100年の最新昆虫学の成果もフォローされているという。

アンリ・ファ-ブル ;奥本大三郎 完訳 ファ-ブル昆虫記 集英社 2005年11月より順次刊行

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2005-11-19 18:20:07

岡崎玲子とチョムスキー

テーマ:書評

アメリカの超名門プレップスクール、チョート校へ、史上最年少で英検1級を取得し、難関を突破して入学した岡崎玲子 は、16歳の時、チョート校の楽しい寮生活や優れた教育方法を紹介した「レイコ@チョート校」を著しで話題を呼び、さらに昨年は9.11のころ留学中に体験した彼女が「9・11ジェネレーション ―米国留学中の女子高生が学んだ戦争」」を書き、第3回黒田清ジャーナリスト会議新人賞受賞作している。

その彼女が最近、痛烈なアメリカの文明批判をしているアメリカの哲学者ノーム・チョムスキーにインタビューした「チョムスキー 民意と人権を語る」が出版された。率直に言って彼女の問題意識に鋭い点も見られるが、突っ込みに欠ける嫌いがある。これも50歳の年齢差を超えた対談でやむを得ないのかもしれない。これだけではページが足りず、後半は「アメリカによる力の支配」の翻訳を載せている。

しかし、岡崎の質問に懇切丁寧に説明するチョムスキーの誠実さが伺える。「軍事介入」の正当性について、コソボやルアンダの例を出して丁寧に説明し、「端的にいえば、軍事介入への異常な執着はもし火星人が現状を観察していたならば、ただの偽善だと言い切るでしょう。」と彼らしい比喩に富んだ話があり理解しやすい。

その他、北朝鮮の問題、イラクへの制裁、安保理の拒否権、東アジアの未来などを質問しているが、特にアメリカのイラク侵攻が「核による抑止力を手に入れなければ攻撃される」という教訓をを残したという話が目を惹いた。イランや北朝鮮が「核」という自衛の手段があるため攻撃されなかったというような鋭い指摘があちこちに目に付く。

岡崎はインタビュー後「愛国者チョムスキー」という題で感想を述べている。「チョムスキー教授を非国民扱いにする論者にしても、彼の文章を注意深く読みさえすれば、ここまでアメリカを支持する人物も珍しいという点に気づくのではないだろうか。権力によって都合よく捻じ曲げられる「アメリカン・デモクラシー」といったレトリックではなく、アメリカを構成している人々を信じる気持ち、それは偏狭な愛国心とは無関係であり、全ての人間への深い愛情に基づいている」という彼女のチョムスキー観はさすがである。やはりうら若きこの20歳の女性は只者ではない。

ノーム・チョムスキー(聞き手岡崎玲子)チョムスキー人権と民意を語る 集英社 2005年11月刊

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2005-11-17 20:41:33

懐郷(書評)

テーマ:書評

昨年「邂逅の森」で直木賞を受賞した熊谷達也氏の7つの短編集である。彼はマタギなど東北の民俗を描いている作家とばかり思っていたが、この短編では昭和30年代の安保闘争、集団就職、村の過疎化を背景に主として東北の地で生きた女性を主人公を描いている。

夫を支えアワビを採る海女、離島でたくましく生きる「オヨネン婆」、基地が撤退しても消せない米兵への恋慕に生きるパンパンガール、教師の妻として僻村で土に溶け込む女性、学生運動の挫折を山と対峙し生き方を見出す女、集団就職した教え子に思いを寄せる女教師、封建遺制の村に嫁ぎあがきながら夫に愛情を寄せる妻、とひたむきに生きた東北の女たちの姿に目を向けている。

その中で離島で生きる女たちを描いた「磯笛の島」が印象に残る。愛する海女の妻を自分の過失で失い都会に出た男が呼び戻され、また海女と再婚し、つつましく生きる姿が感銘を呼ぶ。海で先妻の亡霊におびえ、妻に先妻が忘れられないと告白。しかし、それを素直に受け止める妻久子。『「それでもいいがか」こくりと妙子は頷いた。そっと手を伸ばし、自分の指を妻の手に絡ませた。妙子は強く握り返してきた。妻の手をしっかり握ったまま、真っ赤に燃える海を背に歩き出す。ひゅう。ひときわ澄ん音色の磯笛が、夕暮れの海に向かって一直線に駆けていった。』夫婦の心の交流と磯笛の聞こえる海の風景がマッチした描写にその心象風景を思い浮かべた。

また教師の夫にしたがい、仙台から夫の郷里のきたが言葉が通じずなじめないでいる妻の姿を描いた「お狐さま」も、ユーモラスな中にも村の暖かさを感じる好編である。お稲荷様に行き狐を見て、いつも油揚げを上げに出かける妻が村中で狐に憑かれたと評判になり、拝み屋に憑きを下ろしてもらう場面がある。狐の憑いた妻は今までどれだけ土地になじもうとしたかをしゃべりだす。これを聞いていた村のうるさ型のキク婆さんをはじめ村人が嗚咽を漏らす。村の民俗的な風習をとりいれながら、村に適応しようとする都会の女性を描いた点が面白い。

「邂逅の森」では東北の厳しい自然と風土の中であらぶる男たちの集団マタギの世界を描いた熊谷さんが、昭和30年代の未だ残る因習を背負いながらもたくましく生きている女性の姿を描いている内容に惹かれる。しかし、都会で自立して生きようした内容の短編がそれほど胸に響かなかったのはなぜだろうか。やや観念的でそのような女性を描ききっていないように思われる。

熊谷達也著  懐郷   新潮社  2005年9月刊

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2005-11-15 18:47:16

蘇我入鹿邸跡発見に思う

テーマ:読書雑感

各新聞は、13日奈良文化財研究所が7世紀前半に権勢をふるった蘇我蝦夷・入鹿親子の邸宅があったと推定されている甘樫丘(あまかしのおか)東麓遺跡(奈良県明日香村)で、谷を整地した上に建てられた建物跡や焼け土などが見つかったことを伝えている。整地は7世紀前半に行われた可能性が高く、遺跡内で建物跡が確認されたのは初めて。

日本書紀によると蝦夷・入鹿親子は644年、甘樫丘に家を建て並べ、蝦夷の家を「上の宮門」、入鹿の家を「谷(はさま)の宮門」と呼ばせた記録があるが、大化の改新(645年)の始まりとされるクーデター(乙巳の変)で入鹿が暗殺された後、蝦夷が火を放ったとされる邸宅の存在がより現実的になり、地形的な特徴から「谷の宮門」の一部との見方が有力になっているようだ。

このクーデターは蘇我氏の専制にたいする大和政権内部に鬱屈した不満を爆発させ中大兄皇子や中臣鎌足らが天皇中心の律令国家建設のために蘇我氏を倒したのが通説である。しかし、歴史学者の遠山美都男氏はその著書「大化改新 六四五年六月の宮廷革命』(中公新書)で違った見方をしていたことが記憶にある。

当時の女帝、皇極天皇(中大兄の母)の弟の軽皇子(かるのみこ)が天皇中心の体制をつくるために中大兄皇子や中臣鎌足らを実行部隊としてクーデーターを起したというのである。(蘇我氏は馬子の娘、法堤郎女の子である古人皇子を担いでいた)さらに遠山氏は昨年のNHK「そのとき歴史は動いた」にも出演し皇極・軽皇子共謀説を唱えている。要するに中大兄皇子らの首謀説の否定である。

古代史の本を多く著した黒岩重吾は、その著書「中大兄皇子」の中で皇極天皇は当日のクーデターを目の当たりして驚愕し衝撃から立ち直るために時間がかかった書いているが、それが真実でなかろうか。(余談であるが、黒岩は入鹿と皇極天皇の間に一時期男女の関係があったと書いている)確かにこの変の後、軽皇子は孝徳天皇に即位している。中大兄はまだ20歳と年が若く要職につかなかったが、中臣鎌足を内臣にするなど腹心を権力の中枢で固め、実質的に権力を掌握し改革の推進を図ろうとしている。後に天智天皇となる下地ができあがたのである。

それにしても蘇我入鹿邸跡が発見されたとは!入鹿がクーデターにあった乙巳の変を思い起こした次第である。何か新しい発見があることを期待している。

遠山美都男著 大化改新 六四五年六月の宮廷革命  中公新書 1993/02出版

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2005-11-13 15:46:01

老年格差社会

テーマ:時評

先日のNHK夜の連続ドラマ「理想の生活」を興味深く見た。定年退職した会社員の男(堺正明)とその家族のこれからの生き方を描いたホームコメディードラマである。このドラマで家族の問題はさておき、定年者の仲間が町おこしの一環としてお祭りをたちあげる場面がある。今までの会社人間がはじめて地域の人間として生きがいを見出すのシーンである。

月刊「中央公論」11月号は特集として「団塊世代の老年格差社会」を特集している。その趣旨として「日本社会は団塊世代の定年後を「弱者」として支えることができるのか。社会的残余として切り捨てられるのか、生涯現役として活躍できるのか。2010年台は年功序列・終身雇用に甘やかされる会社人間では生き残れない厳しい老年格差社会がおとずれる」と書いている。

その上の世代として既に定年を迎えている者にとっていささかどきつい文章である。この特集の中で堺屋太一(作家)と松原隆一郎(東大教授)は「団塊の老後はバラ色か悲惨か」について対談をしている。その中で、松原は定年後は再就職しても「職縁社会」には戻れず、商店街のような地域コミュニティーが楽しみの場所になるのではないかと述べ、堺屋は俳句が好き、旅行が好きとか好みで結ばれる「好縁社会」が生まれることを予言している。そして「日本全体が変わるには団塊の世代が変わらなければならない。この人たちが職縁社会から好むと好まざるをにかかわらず外れることによって、日本全体が職縁社会ではなくなり、新しい好縁社会ができると思う」と述べている。

この堺屋の「好縁社会」の考えに惹かれる。先のドラマでの「街のお祭り」計画も定年者の「好縁社会」であったからできたものである。作家、重松清の小説「定年ゴジラ」の中に、雑誌の依頼で定年者が多く住んでいるニュータウンを調べた学者の談として「一丁目、二丁目では定年を迎えた世帯主が増えている。仕事を追われ街や家庭を顧みる余裕のなかった父親たちが、この街で自分の居場所を見つけ、老後をどう過ごしていくのか若い世代にとっても、それはニュータウンでの老い方のお手本もしくは反面教師になるだろう」と書いているのを思い出した。

地域の中で中高年者がどう生活するのか。特に団塊の世代が定年退職する時期が迫っているだけに、「社会的残余」として切り捨てられないために堺屋のいう「好縁社会」について考える必要がある。


重松清著  定年ゴジラ  講談社文庫 2001年2月刊

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2005-11-11 18:30:45

ネット言論

テーマ:時評

昨日の地元新聞の夕刊に泉あいさんのニュースブログ「Grip Blog-私が見た事実」 が「身の回りの話題や評論の多いブログに中で、一次情報にこだわるという姿勢が読者を広げている」と紹介されていた。

その目的、内容についてはブログで明確にしているので参照されたい。要するに自分の足で現場を取材し、主観的に記事を書き読者から感想をもらうというブログの特性である双方向の性格のものである。

先に私は自分のブログに、新しいジャーナリズム という題で東大の水越助教授の考えを載せたが、彼はジャーナリズムの階層として(1)ルポルタージュのようなプロが長文で突っ込んで取材したもの(2)新聞・NHKなどの全国ニュース(3)市民メディアやオルタナティブメディア(4)地域のコミュニケーション活動の4つをあげている。泉さんのブログはさしずめ3に分類されるものであろう。特に期待されるのは大新聞社や放送局に取材できない内容を我々に届けてくれることである。

岩波の総合雑誌「世界11月号」で斉藤貴男(ジャーナリスト)と大塚将司(日本経済研究センター)が「ジャーナリストは再生できるか」というテーマでメディアの危機について対談している。

フリーの斉藤の舌鋒は鋭く「読売は思想というより、単に権力にすり寄れば何でもいいという感じで、産経はわりとピュアな右翼。で、日経は一般企業のエリートサラリーマンと同じ感覚の新自由主義。その後を追いかけて、朝日が日経に近づいている。毎日、東京も危うい」そして今回の選挙報道に関連して「日本のジャーナリズムとはすなわち権力のプロパガンダ機構。世界でもっとも蔑まれるべき職業だといわれても返す言葉がありません」と切り捨てている。

随分と日本の大新聞もなめられたものであるが、一面の真理を突いているようにも思える。我々は報道の真実を知るために、特に水越さんが主張するブログが市民とジャーナリストの双方向交流の接点をつなぐものとして期待をかけたい。その意味で泉さんのGrip Blogは日常の細かいことではあるがそのルポに注目したい。

なお「世界」には新聞記者の団藤康晴氏の「ブログ時評」 が連載されているが、ここでも泉さんが紹介されている。

斉藤貴男×大塚将司  ジャーナリズムは再生できるか  世界11月号

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