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2005-05-30 20:14:10

自己申告制のトラウマ

テーマ:書評

小さいときから血を見ると気分が悪くなる。だから極端な医者嫌いで健康診断で血を採られるのが苦手である。これはいまよく言われる「トラウマ」かもしれないが、その原因が思い当たらない。高橋秀美氏の「トラウマの国」を読んで、日本人がこのトラウマで悩んでいる事例に接しまず安心したことが初発の感想である。


高橋さんはまず、トラウマセラピーに参加した体験を通してトラウマの意味について書いているが、まずその意味の曖昧さにとまどう。一応は心的外傷というらしいが、個人差がありトラウマになるか否かはその人次第だそうだ。精神科医は「トラウマになると思われるような症状」があるからトラウマと考える。つまり「カゼをひいているのはカゼが原因」というような同語反復の世界であると述べている。誠に曖昧模糊とした精神世界であるが、私が「血をみると気分が悪くなる」ということはその原因はまったくわからないことを考えればなんとなく納得した気持ちになる。


高橋さんはこのような前提を踏まえて、平成日本の様々な精神性の世界にアプローチしている。 セラピーに通ってトラウマを見つけて安心する人たち、余裕のない生活で疲れている子供たち、ゆとり教育と学力向上の狭間で喘ぐ子供たち、資格試験に活路を見出そうと人たち、ユーモア学校に入ったのに余計に笑いを見失った人たち、過激なセックス本に狂奔する女性たち、ユートピアと信じて田舎暮らしを始めたがあてはずれの中高年、ビジネス英語に精を出す人たち、地域通貨に引き回される人たち、ドメスチックバイオレンスに悩む妻(夫)、日本共産党員の生きざま、自分史を書くために苦労する人たちと12の事例を面接や聞き取りを通して書いている。


その内容は結局「自分は何?」という生き方に疑問をもったりして生きている人たちのトラウマである。トラウマがないとと言う著者に「トラウマがないことがトラウマよ」という女性、「トラウマが治ったらどしようか」と真剣に悩む女性など笑いたくなるが笑えない現実を突きつけられ、その精神生活の複雑さに考えさせられてしまう。 著者は、トラウマの世界は自己申告制で、「本当の自分」を求めることは同時に「本当のトラウマ」を探すこと。いずれ「本当」であることを確認するには「偽り」も用意しておかなければならないという。トラウマは身近にあると実感した本であるが、つい自分のトラウマ?は考え込んでしまった。


高橋秀美著  トラウマの国  新潮社  2005年2月刊

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2005-05-29 19:16:46

戦場カメラマン沢田教一

テーマ:読書雑感

ベトナム戦争で活躍した報道カメラマン「沢田教一」写真展が先日横浜高島屋ギャラリーで開催され盛会裏に終わったようである。沢田が戦場で亡くなりもう35年も経っている。その月日の早いことに驚いている。沢田の生涯について描いた「ライカでグッドバイ」の著者青木富貴子さんは今日の毎日新聞のウィークリ文化の欄で「沢田教一とベトナム」と言う題で沢田が活躍したころの戦争報道と現在のそれを比較しながらその様変わりした様子について書いている。

青木さんの「ライカでグッドバイ」の中に「ベトナム戦争ほどジャーナリストにとって自由な戦争はなかった」と沢田の友人であったアメリカのベテラン記者のカイヤス・ビーチの話がでてくるが、戦場カメラマンたちが命をかけて「決定的瞬間」をねらい生々しい戦争報道をしたことを紹介している。ところが1990年の湾岸戦争以来報道規制が厳しくなり、沢田のカメラがとらえた生々しい写真のような映像は存在しなくなったと述べている。だから今回のイラク戦争でも部隊とともに行動しなければならない「エムベット(埋め込み)取材」という規制にしばられ,侵攻作戦は連日血も流れないクリーンなシーンが報道されたという。

沢田が撮った写真「安全への逃避」は橋に上から死に物狂いで川を渡って逃げてきたベトナム母子5人の姿にレンズを向けシャッターを切ったもので、この写真は報道写真で一番権威のあるピューリイツァー賞を得ている。沢田は写真を撮った後5人をを引き上げたがそのまま別れてしまった。青木さんの本では、沢田は賞を獲得後彼らを探し出し、その賞金の一部をお見舞いに渡そうとしたら、それはベトナム人にとって一生かかっても稼げない額で他に知れたら騒動が起きるという村長の忠告を受け、彼らが内職でくっていくためのミシンを送ったことを紹介している。沢田は戦争報道の「決定的瞬間」に命をかけながらもヒューマンな気持ちを忘れなかった戦場カメラマンであったのである。

1970年、沢田はカンボジア取材の途中ゲリラの殺害され、ベトナム戦争の終結を待たないで故人となっている。今年はベトナムのサイゴン陥落30年目である。青木さんは「沢田教一が生きていたらサイゴン陥落の日にどんな「決定的瞬間」をカメラに収めたのだろうか」と懐かしんでいる。そしてベトナムは戦争報道の最後の舞台になってしまったのだろうかと「今は昔 生々しい戦争報道」とその様変わりを感慨をこめて話している。

青木富貴子著  ライカでグッドバイ  文春文庫 1985年3月刊

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2005-05-28 21:10:36

旧日本兵と野火

テーマ:読書雑感

フィリピン南部のミンダナオ島で、旧日本軍の兵士と見られる2人が生存している可能性があることが26日、明らかになった。2人は80歳代と見られ、旧日本兵であることを示す所持品を持っているという。マニラの日本大使館の職員が27日、2人に面会して身元を確認し、第2次世界大戦の終戦を知らずに過ごしていたのか、現地で結婚するなど生活基盤を築いていないのかを含め、詳しい事情をくという。(Asahi com)

昨日このニュースが伝わり驚いたが今日も面会ができなかったようである。戦後60年たって未だ終戦をしらない(?)旧日本兵の方がいるとは驚きである。アジア太平洋戦争の戦場で、日本軍が最も多くの死者を出したのは50万人に上ったフィリピン戦線であった。この8割の40万人が餓死と推定される。特にミンダナオ島の第30師団は大戦末期に南の戦いに出動し、16000人のうち帰還したのは3000人ほどに過ぎず、この中で戦中はもちろん戦後においもよく現地で生き延びてきたものである。

フィリッピンのミンドロ島に従軍した作家、大岡昇平はその戦争体験を「俘虜記」や「野火」の作品にしている。大岡は「野火」を見て恐れおののきながら敗退するさまを次のように描いている。「歩哨の習慣を身につけていた私に、煙は開いた河原に姿を現わすのを躊躇わすのに十分であった。それが単なる野火であるにせよ、ないにせよ、その下の燃焼物とともに比島人がいるのは明瞭であった。それは我々にとって比島人はすべて実際は敵であった」と書いている。そして「愚劣な作戦の犠牲になって、一方的な米軍の砲火の前を虫けらののように逃げ惑う同胞の姿が、私はこの上なく滑稽に映った。彼らは殺される瞬間にも誰が自分の殺人者たであることを知らないでいる。」と戦争の本質に迫っている。

大岡ら捕虜になり生き延びたのと違い、今回の旧日本兵の方は比島人全部が敵の中でいかに適応して生きてきたのだろうか?聞けばミンダナオ島はフィリピンからの分離・独立を目指す武装組織モロ・イスラム解放戦線の活動地域だという。彼らの庇護なしに生きてこれなかったことが推測される。未だ独立の野火の狼煙をあげているミンダナオ島の中で彼らの無事を祈らずにいられない。

大岡昇平 著  野火 新潮文庫 1985/05出版

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2005-05-27 16:36:27

世間師とは?

テーマ:読書雑感

リタイアしても組織に中にいて束縛された頃の生活を思い出すことがある。しかし自由の身になっても世間のしがらみがあり結構不自由である。ところが江戸から明治にかけて結構自由気ままな生活をしていた人たちがいたことを民俗学者、宮本常一の著した本から知った。彼らは「世間師」と呼ばれ、奔放な旅をしながら仕事を見つけ最後は村に帰り文化の伝達者の役割を果たしている。宮本はこれらの人を訪ねて聞き取りをして紹介している。

長州の宮本伊太郎という人の遍歴は幕末の戦争参加、木挽き、大工と職業を転々としながら、旅を重ねている。その中には故郷に妻がいながら旅の仕事先で村長の仲人ですてきな娘と結婚、家のほうでも2年経っても帰ってこのいので調べたらこの有様、ようやく連れ戻されたそうである。現在では重婚騒ぎでとんでもない野郎ということになるが、大した騒ぎにならならずその後九州、台湾と遍歴している。いわば出稼ぎの気ままな人生といえるが、その先々で経験をいかした仕事をして役に立っている。

また河内長野の左近熊太という人は、妻に先だたれ、56歳で気ままな旅に出かけている。そして旅先で知り合った易者と一緒に旅をしながら見聞を広めている。旅先でたまに女にも手を出したりした気楽な旅であったが、時代の動きを敏感に察知する能力もあり旅先で多くの知識を学んでいる。

紹介した二人の世間師はその立場、体験は違うが、何故村人が彼らを「世間師」と呼んだのかに興味がある。彼らは村や旅先でそれまでの体験、見聞したことを伝達している。いわば「世間学」の師であったわけである。宮本は「明治から大正、昭和の前半にいわる間、どの村にもこのような「世間師」が少せけんなからずいた。それが村を新しくしていくためのささやかな方向づけをしたことはみのがせない。いずれもそうゆう役を買って出る。政府や学校が指導したものではなかった」とその役割を評価している。

気ままな旅をしながら、村人から人生の師と崇められた「世間師」は今の社会にはいないタイプの人たちである。宮本は日本の文化を陰ながら築き支えてきた伝承者たちを「忘れられた日本人」として一冊の本にして紹介している。この本は偏狭な地に黙々と生きた日本人を歴史の舞台に登場させた宮本民俗学の代表作と言われている。

宮本常一著  忘れられた日本人  岩波文庫 1983年5月刊

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2005-05-25 17:40:44

忘れられないアフガン

テーマ:書評

本年度の「大宅壮一ノンフィクション賞」の高木徹著「 大仏破壊 バーミアン遺跡はなぜ破壊されたか」をようやく読み終えたところである。我々の注目は既にアフガニスタンからイラクに移っているが、タリバンとビンラディンのアルカイダの動きを通してアフガニスタンが破滅に向かう様子は色々な意味で参考になる。

純朴な改革運動として出発したタリバンが権力を握ると厳格なイスラム主義を強制する政権へと変貌していく過程が克明に描かれているが、当初タリバンは凝り固まったイスラム原理主義者ばかりでなく、柔軟な思考をもつ改良穏健主義者もいたことに注目する必要がある。文化遺産(仏像)保存、女性の立場尊重など国際的に認められようと開明政策への努力があったことを知ることができる。

しかし、それがリーダーのオマルの周囲に「勧善懲悪省」なるアルカイダの影響を受けた連中が跋扈し、豊富な戦闘物資と先鋭的な兵士支援をするビンラデインから離れられなくなる。唯一のアラーの神を信奉し大仏を破壊しようとした背後のこのようなアルカイダの周到な計画に踊らされたことが分かる。


著者はこのような穏健改良主義者に焦点を当て、インタビューを通して彼らの行動を調べ、それをかなり評価しているように思える。又彼らに協力した海外の外交官(仏、米、日)などの協力にも触れている。しかし、彼らの努力にもに関わらず大仏破壊を許し、それが9.11に結びつきアメリカのアフガン攻撃を招く結果になってしまったのは何故か?穏健主義者のリーダーは高学歴で教養と知性に溢れた人々である。彼らは海外の協力を得ようとしたが、底辺に這い回るアフガンの一般庶民の接点は残念ながらこの著書からは見出すことができない。

結局アフガニスタンを苦境に陥らせた元凶はオマンとビンラデンということになるが、「ソ連がいなくなったあと、アフガニスタンにしっかりした政治的解決をもたらす努力なしにアメリカやヨーロッパ、そして世界中がアフガニスタンに対する興味を失ったことが、こういう結果を招いたのです」と国連アフガニスタン特別コミッショナー、ベンドレル代表の言葉を紹介し、国際的な責任問題にも触れている。

著者はNHKのデレクターとして、これを映像化しているが残念ながら見ることができなかった。NHKの中にも事件の真実を探る優れたデレクターがいたことを知ったのも収穫であった。

高木徹 大仏破壊 バーミアン遺跡はなぜ破壊されたか 文芸春秋社 2004年12月刊

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2005-05-23 18:27:25

大江光さんの新しい音楽

テーマ:読書雑感

毎日新聞が「帰ってきた大江光」の題で光さんが7年ぶりの新作CDを出したことを次のように報じている。聴いていると心が透きとおるあの不思議な「幸せ」が戻ってきた。しばらく作曲から離れていた大江光さんが再び創作に入り、その新作を集めた7年ぶりのCD「もう一度denouveau大江光」が発売される。父の作家・大江健三郎氏は、「大きくなって帰ってきたのを、驚きと喜びで迎えた」と述べている。(毎日新聞5月11日夕刊)

かって、大江さんは知的障害者の光さんが音楽と出会ったことについて次のように述べている。「光のこれまでの31年間について駆け足でふりかえると、最初は鳥の声だけを聞いていました。そのうちにそんことが音楽を聞くことにつながり、さらに自分で音楽をつくるようになった。それは幼いながら芸術家のものである心の内側からうながされていった。光は音楽をつくることで、大きな悲しみを自分で発見したけれども、同時にそれは当の悲しみから癒され回復することでもあった。」(「(新しい光の音楽について」(あいまいな日本の私所収)

それが今回どのように変化したのかを大江さんは、「光は作曲をするかわりに、音楽を調べるようになった。音楽をきちんと和声の基本から習うことで、自分の曲の欠点が分かり、言葉で自分の音楽を説明できるようになった。今までは音だけの世界だったところに言葉が入ってきたのです。光は感覚、ひらめきで音楽から、今度は形式がある音楽に変わってきている。光は今回の新しい音楽を通して、形式を発見したのだと思います」と分析している。

このCD題名「denouveau=もう一度」という意味について「新しいという言葉が含まれている。もう一度帰ってきたということと、新しくなったというふたつの意味が表現されている。光がもう一度作曲に帰ってきた、それが非常に新しくなっている、というふたつの意味が僕の心をとらえたのです」と大江さんは述べている。

残念ながら光さんの音楽は未だ聞いたことがない。しかし、大江さんが息子の光さんの音楽の変化をきちんと受け止め、この7年間「光さんが音楽の勉強をしている横で、僕も音楽の勉強をした」といういう姿勢に息子を思う気持ちがにじみでいる。

大江健三郎著 あいまいな日本の私 岩波新書    1995年1月刊

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2005-05-21 15:55:08

明日ありて

テーマ:読書雑感

先日、歌人道浦母都子さんの「道浦母都子全歌集」 の「全歌集を祝う会」が開かれたことが報道されていた。この会に歌人ばかりでなく作家の津島佑子さん、立松和平さん、吉岡忍さん、歌手の都はるみさんら「団塊の世代」がかけつけたという。

道浦さんの歌集「無援の抒情」が1980年(昭和55年)雁書館から出版されたが、あれから25年経つ。しばらくしてからこの歌集を読む機会があり、60年安保で傷ついた道浦さんの歌に惹きつられた記憶が残っている。

私はこれより10年早く学生時代を送っている。いわゆる「全学連」勃興の時期で、後に180度転回した全学連委員長K氏のアジ演説に鼓舞され、杜の都で学生運動の末端にいたが、その後全学連幹部は前衛政党から除名される騒動が起き、嫌気がさして止めてしまった。我々が卒業してから起きたのが全共闘運動である。所謂、現在「団塊の世代」の方々である。勤めてから日大の秋田明大、東大の山本義隆などの活動ぶりをまぶしく見ていたことを思い出す。

しかし、道浦さんの歌を読むとやはりこの世代も傷ついていたのである。「明日ありと信じてきたる屋上に旗となるまで立ちつくすべし」はこの歌集の代表作として知られているが、むしろ逮捕されて苦しむ歌のほうが私には心に響く。

調べより疲れ重くたく戻る真夜 怒りのごとく生理はじける
たまらなく寂しき夜は仰向きて 苦しさまでに人を想いぬ
釈放されて帰りし我の頬を打つ 父よあなたこそ起たねばならぬ

「青春の総括として、自分だけのために出した最初はわずか500部の歌集でした。歌をやめるか引き受けるか。あの時代の青春を生きていてよかったと思える生き方をしようと、歌を続けてきました。あの歌集のレッテルが私には重かったが、いまやっと自由に、自縛から放たれた気がします」と道浦さんは述べている。その後の歌もよいが、この「無援の抒情」に未だ惹きつけられる。

「あの世代の人たちの奇妙な沈黙が続いています。いまの社会がこのままでいいはずはありません。リタイアなどといわずに、それぞれの分野でもう一度、再出発をしてほしい」と道浦さんはとエールを送っている。全共闘世代の活動は無謀な面もあったが、私たちの世代よりはるかにエネルギーがあった。まもなく定年の迎える彼らの充実した生き方を見たい。


道浦母都子著 無援の抒情 岩波現代文庫 2000年7月刊日

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2005-05-20 21:01:13

17歳を撮る

テーマ:読書雑感

今日の新聞(WEB)をみると17歳の少年の犯罪や被害が多いのに驚く。「17歳少女を丸1日監禁」「17歳少女を自宅などで手錠拘束」「ハンマー殴打事件、17歳に刑事処分相当」などなどが載っている。

橋口譲二は長い間全国の「17歳の少年・少女」を撮り続けてきた写真家である。1998年に出版された「17歳」(17歳の地図)は、全国を旅しながら多くにの17歳の少年を撮っている。彼は「17歳を訪ねる旅は、他者の存在を知る旅だった。自分の存在を大切にし、他者の存在に敬意を払うこと。自分を殺さず、他人も殺さずに済む方法を考えてみないか」と言う問題意識で撮ったと述べている。そして「17歳」だった彼らが10年間に「育んできた時間と、失ったいくつかのこと」を知るために10年後に訪ねる旅に出て写したのが「17歳の軌跡」である。

さらに現在は、岩波書店の総合月刊誌「世界」のグラビアに毎月「17歳」の写真を載せている。その写真は最初と変わらず、被写体となる少年が暮らしている風景を背景に全身を写し、いくつかの質問をした内容を写真の横に書いているものである。最初見たときはその表情は硬くこれといった感慨がなかったが、全国のさまざまな17歳を見ながらその生態?をしることが出来た気がする。

橋口は「僕の仕事の意味は、普通の人達をちゃんと撮り記録して残すことだと思っています。写真だけではなく同時に言葉も記録しています」というように、17歳の少年たちの歴史を残そうとしているのかもしれない。

「世界」6月号の「17歳」は秋田県の少年であった。ずんぐりと体躯からは東北の純朴さが伺われる。そして「父と同じ運送の運転手になり、いまつきあっている彼女と結婚して、ふるさとを離れないで暮らしたい」というコメントがあった。野暮くさいが足が地に着いた17歳がそこにいた。橋口はこの少年を記録し、少年はこの記録を大切に生きていくのかもしれない。

とすれば冒頭にあげた問題を起こした少年たちは過去の歴史は消せない。これからどんな歴史をつくれるのか、橋口の描いた少年たちを見ながら考え込んでしまった。

橋口譲二著  17歳  角川書店 1998/04出版

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2005-05-19 19:16:35

6000度の愛

テーマ:書評

第18回三島由紀夫賞に鹿島田真希さんの「6000度の愛」(「新潮」05年2月号)に決まったことが報じられている。鹿島田さんのこの小説をを読んでいたのでその受賞を祝いたい。今日の毎日新聞の「ひと」欄でも彼女が紹介されているが、この小説は「夫も息子もいる私が一人で長崎に出かけ、魂の彷徨と原子爆弾の悲惨を重層的に描く」と解説されていた。

日常ありふれた生活をしていた主婦が警報の音に触発され、「子どもを預けて一人荷造りをする。女は旅たった。女の脳裏にはゆったりとした揺れながら広がっていくキノコ雲があった」というように、この小説を暗示する描写が最初にでてくる。

しかし、そこに描かれるのは長崎で出会った一青年の愛、性交渉の描写が続く。また母親、兄の回想も伏線として描かれている。彼女はフランスの作家M・デュラスの「ヒロシマ・モナムール」に影響を受けたと言っている。この本を読んでいないので具体的にわからないが、むしろデュラスの年下の愛人との、狂おしい愛の軌跡を描いた「愛人/ラマン」を思い起こす描写である。

この青年との狂気ともいうべきふれあいの中から、長崎の原子爆弾のに執心する主人公(女)の描写はさすがである。「青年はいう、だけどあなたは長崎にやってきたと、と。そうね。表面化したのはあの瞬間だったわ、女は答える。大きな音だったわ。確かにあれは・・・非常ベルよ。私はとうとう思い出してしまったのね。あのキノコ雲を」

「原爆という、あまりに大きすぎて消化、分析しきれない公の事件を、私たちがどう受け止めていくか。そのことを描きたかった」と彼女は述べているが、著者はこの青年との行きずりの恋を描きながらも、長崎の原爆をそれとなく語っている。「顔、顔、顔、焼け野原の中で、人々は皆同じ顔をしている。もっと正確にいうなら顔は存在しない。(中略)女は泣けてくる。涙は侮辱だ。6000度の惨劇は涙では表せない。女は泣けてくる。」

主人公は長崎での奇妙な青年との日々を終え自宅に帰り、また日常生活にもどる。特になにも変わらない中で、「女は長崎での、他者と過ごした思い出についていつか泣くだろう」と長崎に行ったことの意味を確かめているのが印象的である。評論家の福田和也氏は「虚無の向こうにもう一つの世界を作ろうとしている」と評価しているが、彼女の意図を理解するにはかなり読み込まなければならない小説である。いずれ単行本が出ると思う。

鹿島田真希著  6000度の愛  新潮2月号

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2005-05-18 20:59:43

監獄の言葉が生きていた!

テーマ:時評

今日の新聞に寄れば、明治以来、97年間続いてきた監獄法を抜本的に改めた「刑事施設・受刑者処遇法」が18日、参院本会議で可決、成立したことが報道されている。「監獄」という言葉は死語と思っていたが、今まで法律用語として生きていたとは驚きであった。今後は「監獄」の名称は消え、刑事施設」に変わるようである。

改正点はAsahi・Comによると、受刑者は最低でも月2回の面会と月4回の信書のやりとりを保障される。原則として親族のみだった面会は弁護士や友人などにも広げられる。また社会復帰を促すため、模範囚には職員が付き添わない外部通勤や最長7日の外泊を認めるなどである。現在の刑法でも「仮出獄」が認められている。第28条には「懲役又は禁錮に処せられた者に改悛の状があるときは、有期刑についてはその刑期の3分の1を、無期刑については10年を経過した後、行政官庁の処分によって仮に出獄を許すことができる」とある。

確かに受刑者の社会復帰は大切であり、その権利保障を手厚くすることは必要なことである。しかし彼らが世の中に出た場合の心理はどうなのだろうか。というのは、吉村昭の小説「仮釈放」を以前読み、複雑な思いにかられてたことがあるからである。

浮気した妻の現場に踏み込み殺害し火をつけ、浮気相手の母まで焼死させた主人公が仮釈放で社会復帰し、再び殺人を犯すという物語である。保護司や勤め先の温情の雰囲気の中でまじめに仕事をし、、再婚を勧められ結婚した相手が、彼の心の中にまで入って来た時再び悲劇が起こる。その妻は主人公を恩赦によって自由の身にするために、かって焼死させた人の位牌を作り拝むことを強要する。現状のままでいたい。改悛の情があるかどうかよく分からないときに強要されたことへの怒りが爆発する。

吉村昭の小説は、この主人公の陰に潜む非人間性、つまり本当は心から改悛していない男を描きだし、「罪と罰」のテーマに挑んだ作品といわれている。しかし私には、他人(この場合は妻)の余計なお節介が、なんとか生き延びようとしている主人公の心を逆なでし、彼を爆発させたのではないかと思えてならない。今回の権利保障も結構であるが、受刑者をそっとしてあげるのも必要ではないかとこの「仮釈放」を読んで感じたことを思い出している。「心の監獄」の解放は難しい。


吉村昭著   仮釈放  新潮文庫  1991年11月刊

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