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2005-04-30 09:28:53

桜ソメイヨシノはクーロン

テーマ:書評

東北の地にもようやく桜の季節が訪れた。西行法師が東北・平泉にきて、束稲山を歌った有名な和歌 「聞きもせず束稲山の桜花 吉野のほかにかかるべしとは」の桜花は佐藤俊樹氏が著した「桜が創った日本」によると、その時期から考えて[カスミザクラ」ではないか、山形・山寺にも赴いて歌った「たぐひなき思ひではの桜かな 薄紅の花のにほいは」は色と場所からみて「オオヤマザクラ」だろうと述べている。


このように桜には多くの種類があり、大別すると「ヤマザクラ群」「エドヒガン群」「まメザクラ群」、「カンヒザクラ群」に大別できるが、我々がいつも見ている桜はソメイヨシノ(染井吉野)で現在の日本の桜の90%を占めているという説もある。


佐藤さんはこの本で特にソメイヨシノの起源、歴史、現状に触れている。その歴史は浅く「染井」と「吉野」の二つの地名から来ているが、染井は染井村(現在の東京都豊島区駒込)、この地は江戸後期から明治にかけて園芸業の一大拠点であったという。吉野は桜の名所として名高い「吉野山」である。これを命名したのは藤野寄命と言う学者で、この地の桜を調査中、分類学上知られいない桜の樹をみつけ、真の吉野桜と区別して1890年(明治22年)「ソメイヨシノ」と命名したといわれている。


この桜はオオシマザクラとエドヒガンの交配でできたと考えられるが、種子からは育たず、すべて接木、挿し木によるものだという。その意味でソメイヨシノは全て栄養繁殖すなわちクーロンであるという。クーロンというと丈夫な感じがするが、意外と寿命が短く20年で花盛りを迎え、50年で衰えはじめ70年で枯れて行くといわれる。


ソメイヨシノには普及した現在でも種子から増えずしかも枯れ易いために、人工的で不自然というイメージがつきまとう。しかし日本桜の大部分をを占めている。これについて佐藤さんは「ソメイヨシノの普及に人間が深く関わっているというより、本当ははソメイヨシノが人間をうまく使って繁栄してきたのではないか」その意味で、「ソメイヨシノは不自然ではなく、人間という環境ににうまくて適応した点できわめて強い生物である」という見方をしている。「ヤマザクラに「自然」「多神教」を見て、ソメイヨシノに「人工」や「一神教」を見る視線こそ「西欧的な頭の影響」で「人間による自然征服の自己満足」であるという鋭い指摘に成る程と思う。



佐藤俊樹著  桜が創った「日本」-ソメイヨシノ起源への旅ー 岩波新書 2005年2月刊

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2005-04-29 13:38:22

小林一茶の子づくり作戦

テーマ:書評

小林一茶(1763―1827)の生涯に惹かれ、彼が48歳から56歳までの9年間にわたる句日記である「七番日記」を図書館から借り読んでいる。一茶は15歳で江戸に出る。その間、父の死で遺産問題で故郷に一時帰っているが、この問題は長引き足掛け7年を通やしようやく解決し、51歳で故郷信州に帰っている。


故郷に帰った一茶は52歳で菊(28歳)と結婚(初婚)している。「七番日記」はこの時期のものである。一茶は早く子供がほしかったらしく、子づくりに励む様子がこの日記に書かれている。「八月十日 晴 妻二用アリ 黄散 」。これは「黄散」という強精剤を服用し、妻と交わったという記録で、50歳を過ぎての子づくりに励む一茶の悲愴感が伝わってくる。この強精剤を飲んだ記録が日記の中にしばしば出てくる。


またこんなことも日記に記録している。「八日 晴 菊女帰ル 夜五交合」「十二日晴 夜三交」「十五日 晴 婦夫月見三交」「十六日 晴る・・三交」「十七日墓参夜三交」「十八日晴 夜三交」「十九日 晴 三交」「二十日 三交」「二十一日 雨乞い四交」。三交とは夫婦の交わりが3回あったということであり、一晩で5回もあった夜もあり驚く。彼の日記は夫婦生活の有様を几帳面につけている。誇張ではあるまい。


一茶は妻との交合(セックス)に情熱をもやして、子つくりに精を出し、幸福感を味わおうとしたのかもしれない。晩婚の彼のあせりみたいなものも感じる。しかし、妻、菊が懐妊してからも度重なる交合を繰り返しているから、子づくりの他に、50歳にして女体に接し性欲をみたす快楽的追求もあったと思われる。


その努力の結果(?)、一茶夫婦の間に4人の子供が生まれているがどの子供も夭折しているのは何故だろうか。妻、菊も37歳で短い生涯を閉じている。この「七番日記」から一茶の几帳面さと同時に人間臭さも感じられる。しかし、一茶の要求(欲求)を満たすためにそれに応じた菊の生涯は哀れな気もする。


小林一茶著 七番日記(上・下)岩波文庫 2003年11月刊

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2005-04-28 18:03:41

詩はいじめへの復讐

テーマ:読書雑感

第10回「中原中也賞贈呈式」と中原中也生誕祭「空の下の朗読会」が、それぞれ29日(祝)中也の生地山口県湯田温泉で開かれる。今回の受賞は三角みづ紀さんの「オウバアキル 」である。すなわち「overkill」で過剰殺傷力の意味である。三角さんは小中学校時代いじめにあい、現在難病「全身性エリテマトーデス」に苦しんでいる大学生である。昨年は「第42回現代詩手帳賞」を受賞しての連続の受賞である。その彼女がある新聞のインタビューに「詩を書くのはいじめへの復讐です」と答えているのに彼女過去の体験が重くのしかかっていると感じた。


彼女にはBLOG「ニンゲンイジョウ」があり、その2月21日の日記に「中原中也賞をいただいてから3日…なんだか実感がわかない…4月には山口県で授賞式がある。それまでには痩せねばならぬ。昨年度受賞の久谷雉くんも呼ばれているらしいから安心。300分の1の確率でもらえた賞。これから忙しくなるぞ」とその喜びを語っている。


この詩集には28編収められ、ある新聞には「いじめや暴力、自傷行為、クスリ、自殺願望などそれらかを凝視した作品世界から聞こえてくるのは、現代の若者がもつ不安、痛み、SOSの声です」と紹介されている。しかし彼女は病気を克服しながら「生きている/生きている/感謝しよう/全てのものに」と生への渇望っをうたい、「オウバアキリル」の詩集の「あとがき」の最後の言葉、「大丈夫私は元気です。」の言葉に厭世的ならずに生きていこうとする姿勢を感じる。


その彼女が昨日の日記に「病んでます。昨夜から吐きまくり。歩くと気持ち悪くなる、熱がでる。あげく、じんましんがひどくて普段はでない顔にめちゃめちゃでて、新しい妖怪発見。これはヤバいと病院へ。点滴うたれました。でも病状の原因不明。こんなんで明日からの山口行き大丈夫だろうか」と云っていることが気にかかる。29日の授賞式に無事行けることを祈っている。なお彼女の詩はHPオウバアキル社から読むことが出来る。


ブログ ニンゲンイジョウhttp://blog.livedoor.jp/misukimiduki/

HPオウバウキル社http://k.fc2.com/cgi-bin/hp.cgi/ouva_akilu



三角みづ紀著  オウバアキル 思潮社2004.10 刊

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2005-04-27 21:14:21

いろはカルタ

テーマ:読書雑感

JR脱線事故の死者95人になり 1両目になお約20人が閉じ込められ死者は100人を超す恐れも出てきたという。その事故のひどさに驚いている。「いろはカルタに」「今日は人の身、明日は我が身」とい言葉があるが、人の運命は予測できないものだ。このことばは古くからあり鎌倉時代の平治物語にも「今日は人の上、明日はわが身の上」などと言い表されていたようであるが、カルタに登場するのは比較的新しいという。


カルタという言葉は手紙、証文なの意でポルトガル語のcarta(英語のcard)に由来し、1543年(室町時代)にポルトガル人がを乗せた船が種子島に漂着したのが契機となり交易が行われるようになり、その品物の中にカルタがあったのが始まりという。最初は内容は和歌などを取り入れた「歌カルタ」が諺やたとえを取り入れた「たとえカルタ」なり、さらに江戸中期からは「いろはカルタ」が出てきたことを「いろはカルタ辞典」で知った。


「いろはカルタ」の定義は(1)47字に「京」を加えて、48字のそれぞれに首字にしたことわざを表したもの。(2)その内容は絵と字で表した札を一対する。(3)江戸後期に上方から始まり、江戸のものが続いている。(4)主に子供向けである。といわれている。


この本をみると、古くからの言葉、最近の言葉、外国の言葉(中国、西洋ことわざ)が日本のカルタにも使われているなど、時代とともに変化してきていることがわかる。面白いと思ったのは「溺れる者は藁をもつかむ」はこれは日本のものでなく西洋の「A drowning man will catch at straw]を翻訳したものでカルタに採用されたのは戦後であるいう。


カルタには教訓的な内容が多く鼻につく場合もあるが、参考になるものも多い。最近は川柳も盛んであるが、今一度カルタの内容に目を通すのも一興である。さて、今界の脱線事故の原因が次第に分かってきたようであるが、最初は置石とかJRの責任を逃れるための動きもあったようだ。そこで「いろはかるた」から一つ。「臭い物に蓋」。関係者はくれぐも不都合なことを隠さないよう願いたい。


時田正瑞著 岩波いろはカルタ辞典 岩波書店 2004年11月刊

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2005-04-26 20:05:31

最後の瞽女、小林ハルさん逝く

テーマ:読書雑感

昨日、最後の越後瞽女(ごぜ)といわれた小林ルさんが、老衰のため入居先の新潟県黒川村の特別養護老人ホーム「第二胎内やすらぎの家」で105歳で死去した。瞽女の歴史は古く室町時代、目の不自由な鼓打ちの女性を瞽女と呼んだことから始まり、旅をしながら「門付け」をして三味線に合わせて民謡、端唄などを歌いお金をや米をもらって歩いた女性たちをいう。


ハルさんの逝去から、水上勉が描いた「はなれ瞽女おりん」を思い出した。水上さんが描くこの小説は若狭の片田舎に生まれ、3歳で盲目になった「りん」は、越後、高田の瞽女屋敷に引き取られ芸を仕込まれるが、ある祭りの夜、若い衆に手込めにされ、掟に従い「はなれ瞽女」となり、途中危険な目に会いシベリア出兵を拒否し脱走兵だった平太郎に助けてもらい2人で旅を続けるというストーリーである。


この小説は映画、演劇にもなり話題を呼んだ作品で、水上さんは当時の日本のシベリア出兵、米騒動を背景に底辺に生きる二人を描いている。平太郎が「三才から世の中に放り出された女を、この国は面倒をみたことがあったか。その国に奉公なぞなぜできる」と云う場面に水上さん思いが込められている。


ハルさんも生まれてすぐ白内障により両目の光を失い2歳で父を亡くし、母とも11歳で死別。それからは彼女は苦難の歴史であったといわれる。5歳で瞽女の親方に弟子入り9歳から北陸や東北地方の農山村を70年近く巡り歩き、最後の越後瞽女として知られていた。昭和53年、「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」の技芸者と認定され、54年には黄綬褒章受章している。ハルさんは長い歴史のある瞽女の文化を継承してきたわけである。


ハルさんはある時「生きているかぎり全部修行だと思ってきましたが、今度生まれて来るときはたとえ虫でもいい、目だけは明るい目を貰いたいもんだ」と述べたそうである。彼女の生涯の思いが伝わってくる言葉である。


小林ハルさん、105歳で長寿を全うす。  合掌。


水上勉著  越後つついし親不知・はなれ瞽女おりん  新潮文庫

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2005-04-25 17:52:56

散歩唱歌

テーマ:読書雑感

私の町は昔から藤の名所である。以前、藤を歌った詩があることを知人から教えられ、メモしていたが誰がつくったのかずっと分からないでいた。

 

あの藤ほしや いかにせん
あおげば 岸はいと高し
招くに似たる 紫の
房は松よりまがりたり

 

今日、偶然に「日本唱歌集」を見ていてそれが明治34年にできた散歩唱歌」</a>の歌詞の一部であることを発見した。作詞者は大和田建樹(たけき)で、有名な「鉄道唱歌」の作詞者でもあることがわかった。「鉄道唱歌」も長いが、この「散歩唱歌」も春夏秋冬ごとに季節やその風景に合わせて、春15、夏10、秋15、冬10と50番まであることには驚いた。私が教えられた「藤」の歌詞は春の12番目にあった。

 

大和田建樹(1857~1910)は愛媛県宇和島出身、国文学者・歌人で東京高師、女高師の教授を務め、唱歌の作詞を始めた。彼の作詞した唱歌は「鉄道唱歌」や「散歩唱歌」の他に「旅泊」 「故郷の空」などよく歌ったものもあり懐かしく感じた。

 

  旅泊

1 磯(いそ)の火ほそりて 更(ふ)くる夜半(よわ)に
岩うつ波音(なみおと) ひとりたかし
かかれる友舟(ともぶね) ひとは寝(ね)たり
たれかに かたらん 旅の心

2 月影(つきかげ)かくれて からすなきぬ
年(とし)なす長夜(ながよ)も あけにちかし
おきよや舟人(ふなびと) おちの山に
横雲(よこぐも)なびきて 今日(きょう)ものどか

 

故郷の空

 

1 夕空(ゆうぞら)はれて あきかぜふき
つきかげ落ちて 鈴虫(すずむし)なく
おもえば遠し 故郷(こきょう)のそら
ああわが父母(ちちはは) いかにおわす
 
2 すみゆく水に 秋萩(あきはぎ)たれ
玉(たま)なす露(つゆ)は すすきにみつ
おもえば似たり 故郷の野辺(のべ)
ああわが兄弟(はらから) たれと遊ぶ

 

それにしても、なぜ「鉄道唱歌」や「散歩唱歌」のような長い歌を作ったのだろうか。「鉄道唱歌」は地理教育に役立ちそうだが、「散歩唱歌」はその季節、風景に合わせて歌うとすれば誠にロマンチックではないか。明治の人々は味なことをする。

 

*散歩唱歌http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/sanposhouka.html

 

堀内敬三・井上武士編 日本唱歌集 岩波ワイド文庫  1991年6月刊

 

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2005-04-24 18:25:01

芭蕉の名句「馬の尿」の読み方

テーマ:本の紹介

一昨年、松尾芭蕉が「奥の細道」で泊まったいう「封人の家」を訪ねたことがある。芭蕉は平泉、岩出山、鳴子を経て仙台領,尿前(しとまえ)の関を越え出羽路の旅を急いだが、「此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。大山をのぼつて日既暮ければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。」と書き記し、次の句を残している。

 蚤虱 馬の尿する 枕もと

ここに出てくる「封人の家」とは新庄領堺田村の庄屋有路家の住宅(現山形県最上町堺田)で現在国の重要文化財として保存されている。芭蕉は天気が悪くてここで2,3日滞在したことが分かる。この地は馬産地だったので建物中には立派な馬小屋があり、芭蕉の句の中の「馬の尿する」もこの馬産地が背景にあると言われている。

さて、この「尿」は「しと」と読むのが普通であるが「ばり」と読む説がある。最近、歌人の佐佐木幸綱氏が写真家、稲越功一とのコラボレーションで「芭蕉の言葉」―『おくのほそ道』をたどる を出版した。この本は「300年以上経った現在もなお褪せることのない「おくのほそ道」の旅の魅力と芭蕉像を分かりやすい文章と美しい写真で芭蕉伝えます。旅、俳句、人物、景色と様々な角度から芭蕉、そして「おくのほそ道」を味わうことができる一冊」と帯に書いている。

その中で佐佐木さんはこの「尿」を「ばり」と読む説を支持していることを今日の毎日新聞書評「今週の本棚」で紹介されていた。佐々木さんは芭蕉が言った「事は鄙俗の上に及ぶとも、懐かしくいひとるべし」(去来抄)を掲げて「何が俗かを決めるのは人間の側だと言う意味でしょう」述べている。この地方には「馬のいばり」などの言葉もあり、芭蕉は方言を大切にした句もこの地で詠んでおり、やはり「ばり」の方が適当かもしれない。

今年は松尾芭蕉生誕360周年、写真家の稲越さんも先日「芭蕉の風景の写真展」を開いたばかりである。早速この本を注文したが、これを携え宮城、山形 秋田の芭蕉が歩いた道を辿ってみたい。

佐佐木幸綱/文 , 稲越功一/写真  芭蕉の言葉:〈おくのほそ道〉をたどる 淡交社 2005年3月刊

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2005-04-23 19:01:52

ポール牧さんが書いた自叙伝

テーマ:読書雑感

今日の新聞に喜劇役者・ポール牧さんが飛び降り自殺した記事が載っていた。牧さんは、北海道天塩郡出身。上京後の65年、漫才コンビ「ラッキーセブン」を結成し、その後は役者としても活躍した。“指パッチン”の芸で人気を博したとある。

 

実はポール牧さんに「笑わせ者たちの伝説」という著書がある。以前に読んだ記憶があり書架から取り出し読み返したところである。北海道から上京とあるが、秋田でお寺に預けられた後に上京、ヌード劇場の司会コメデアンをしている。この本はその時の様子を描いた牧さんの自叙伝というべき本である。

 

彼はその本の扉に「この書は昭和30年代から昭和40年代にかけてヌード劇場で生きていた、ストリッパーという心優しき天使たちと、コメディアンという笑わせ者たちに、限りない愛と友情を込めて捧げる。」と書いている。この本では、彼は忠太の名前でドサ周りをしながらのストリッパーたちとの生活、観客とのふれあい、師匠、銀平さんからのコメデアンの指導を受けたことなどが書かれている。その中で「歩き3年、転びは5年ズッコケできて丸10年」と客を納得させるためのコメデアンの修行の難しさを語っている。

 

そして、北海道の港町で彼は叫ぶ「この町の一部の人がクラシックや新劇のみを文化と呼ぶとしたら、ヌードショーを見るためにわざわざこの街はずれまで、厳しい労働によってえた金銭を払って訪れる人々が存在することに、「ヌードは文化でない」と誰が言えるであろうか。人々が演じ、人々がそれを見ることによって、ひと時であれ労働の苦しみを忘れ、人間として生きる上での辛さ、悲しさから解き放たれたとしたら、表現手段の差こそあれそれは立派な文化ではないだろうか」

 

このように「人を笑わせる」ことに生きがいを感じ生きてきたあなたが、最後は人を悲しませるなんて、寂しすぎるよ、牧さん。あなたの愛するフランスの劇作家、マルセル・パニヨルのことば「工場から油にまみれて家路に急ぐ人たち、親兄弟、子供に先立たれた人たち、災害で家を失なった人たち・・・・そういう人たちにたとえひと時でも、やすらぎ与えられる者たちのことを喜劇役者といい、そう呼ばれる権利がある。」を口癖のように云っていたではありませんか。

 

わが愛する喜劇役者、ポール牧さん安からかにお眠りください。合掌

 

ポール牧著 笑わせ者たちの伝説  現代書林  1987年2月刊

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2005-04-22 15:29:21

中国の反日デモ

テーマ:時評

中国の反日デモについては色々な人が批判あるいは分析しており、それを私なりに整理してみた。これを考えるのに2つの視点があると思う。一つは中国の人々(主に若者)がなぜあのような暴動を起こしたのか。もう一つは中国政府はなぜあの暴動をすぐ止めなかったのかということである。

第1の視点では中国の愛国教育を説く人が多いが、私は王敏(わんみん)聖徳大教授(日中比較研究)の見方が参考になった。その著書、「ほんとうは日本に憧れる中国人」で「反日感情」の深層分析をしている。中国の若者は日本留学熱も盛んで日本に憧れている者が多い反面、なぜ日本が過去の歴史を反省せず、靖国参拝するのかに疑問をもっている。つまり「中国人の心には憧れと憎悪の二重性がある」と分析する。だから日本に不信感があるのは逆に関心があるという証拠にもなるという。

第2の視点では、デモは中国共産党(政府)の「自作自演説」や「当事者能力喪失」論などが多いが、どうもその真意がよくわからない。すぐ抑えると火の粉が自分たち政府にかかってくる。また放置しておくとの天安門事件の二の舞になるという危機意識があるのは事実と思う。それにしても破壊行為を謝罪しない姿勢はおかしい。

気になったことが一つある。今回の事件が「義和団事件」での中国人の破壊活動と類似しているという考え方である。今日の毎日新聞で 金子秀敏論説委員が「反日に義和団のDNA」というコラムで、「中国人は体内にある排外主義のDNAを「義和団コンプレックス」と呼んで、実はとても気にしている。世界から「中国にはまだ義和団のような暴徒がいる」と思われたくないのだ。」と述べている箇所である。

義和団事件では確かに外国人を襲ったが、当時の中国情勢は列国の進出で反植民地化になる危険性があった。歴史学者によっては義和団は単なる暴徒ではなく反帝国主義に向けて闘った者もいると評価している方もいる。もう少し過去の歴史は多面的に見る必要があるのではないか。

結論として、毎日新聞の山田孝夫編集員が云った「戦争を忘れ、矛盾を簡単に乗り越えられると割り切った日本人のごう慢--に対する隣国の批判を謙虚に受け止めよう。だが、この局面で重要なのは、日本大使館襲撃の責任を追及し、扇動では動かない日本社会の成熟と、駆け引きを拒絶する国民の結束を示すことだ」(4月18日発信箱)の考えかたに基本的に賛成である。

ほんとうは日本に憧れる中国人 「反日感情」の深層分析  PHP研究所  2005/01出版

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2005-04-21 15:07:38

明治から何を学ぶか

テーマ:読書雑感

司馬遼太郎の奥様、福田みどりさんが書いた「司馬さんは夢の中」に、昭和45年(1970年)司馬さんは産経新聞に「坂の上の雲」、朝日新聞に「花神」、週刊朝日に「世に棲む日々」、週刊新潮に「覇王の家」の連載に追われていたことを書いている。

 

「坂の上の雲」は日露戦争(正岡子規、秋山好古、真之)を、「花神」は大村益次郎を、「世に棲む日々」は吉田松蔭 高杉晋作を、「覇王の家」は徳川家康を描いている。どれも力作である。新聞や雑誌への連載だから、期限に追われながら夫々の資料に当たり,書くのだから普通の人にはできない芸当である。みどりさんも「あのころの司馬さんを思うとあれでよかったのだろうかと、自らを省みて胸が痛みます」と書いている。

 

それにしても「覇王の家」を除いて司馬さんの作品が幕末明治に集中しているのはどうしてだろうか。司馬さんは「明治というのはあらゆる面で不思議で大きくて、いろんな欠点がありますが、偉大でしたね。ただ明治時代という時代区分で話さずに、”明治国家”という地球上の,地図の上にない、1868年から44,5年続いた国家がこの世にあって、人類の中にあって、それは、どういう国でしたかということを今日のひとびとに、できれば他の国のひとびとにも知って欲しいというか、聞いてほしい」と述べている。(明治という国家 NHK出版)上記の小説は歴史上、日の当たらなかった人物を司馬さんが掘り起こして語った彼の明治観ともいえる。

 

最近NHKがスペシャルシリーズ明治(5回シリーズ)を放映中である。「明治の日本はなぜ成功したのか。また、何を課題として積み残したのか。 今、曲がり角に立つ現代の日本に、新たな国づくりの示唆を得るため、明治の人びとの声に耳を傾け、その歩みを見つめなおす」という趣旨で明治にアプローチしている。

 

明治の日本は全て成功とは思わないが、昨今の日本の政治を見るにつけ、明治を振り返り、参考にすることは必要である。司馬さんの「坂の上の雲」の7割くらいは日露戦争の記述で、もし映画化、TV化すると殆ど戦争場面になることを危惧して許可しなかたといわれる。明治の何を学ぶといっても都合のよい点だけを利用する換骨奪胎は戒めなければならない。NHKは「坂の上の雲」の映像化の許可を福田みどりさんからとり、平成19年完成するという。さてどんな作品になるのか?

 

福田みどり著 司馬さんは夢の中 中央公論社 2004年10月刊

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