野尻湖ナウマンゾウ博物館

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学芸員の小部屋-3

昨日のスノボで膝を痛めてしまったのとジンワリとした筋肉痛がひどかったので、朝みんなを見送って、前から気になっていた野尻湖ナウマンゾウ博物館 に行ってきた。スキー場からは約10分ほどの距離。なんてラッキーなんだろう。

冬の野尻湖はシーズンオフのためか、周囲のお店も閑散としていて、湖面はしずかに波打っていた。

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長野県信濃町といえば“野尻湖”、野尻湖といえば“ナウマンゾウ”ということで、
やってきました野尻湖ナウマンゾウ博物館。

9時半開館と同時に入館したけど、お客は自分ひとり、しばらくして1組のご夫婦がやってきたけどすぐに帰っていって、マジマジと展示を見ていたら、東京の小学生が団体で入ってきた。

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学芸員さんの解説に聞き入る小学生。
ふだんこういう解説に慣れていらっしゃるのだと思うけど、ため息ができほど子供たちの心を掴むそのしゃべりに感心しきり。楽しそうにしゃべる、子供の目線でしゃべる、大きな声ではっきりとしゃべる、心躍るワードを散りばめる・・・当たり前のことだけど本当に勉強になった。

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↑ナウマンゾウの臼歯化石 

第一発見者が名づけた「湯たんぽの化石」で有名な、ナウマンゾウの臼歯化石はこれまで40個ほど見つかっているそうだ。人間でいえば「親知らず」にあたる第3大臼歯が多いので、壮獣か老獣を主に狩っていたのだという。
オーバーキル(狩り過ぎ)で絶滅したとの説もある。


これまで教科書などで野尻湖のナウマンゾウについて学んだことがあったけど、大きく誤解していた。
「氷河期、つまり旧石器時代に生きていたナウマンゾウという種類のゾウが日本にいて、現在は絶滅しているけど、野尻湖で化石が発掘されている」、というのが自分の認識。

野尻湖のナウマンゾウは、たしかに上記のとおりだけど、重要なポイントは旧石器時代の人類が使った道具も一緒に見つかっていること、そして骨がバラバラの状態で見つかっていることだ。

つまり、野尻湖は、旧石器人のキルサイト(狩猟解体遺跡)だというのだ。 初めて知った・・・。
ただの化石発掘地だと思っていた。恥ずかしや、恥ずかしや。


狩猟解体の場だけど、ナウマンゾウやオオツノジカの骨で作った骨器も見つかっている。

そして、その骨器は接合資料があったり、スパイラル剥片(骨を砕いたときにできる、らせん状の剥片)があることから、骨器の製作址であることもわかっている。骨器や石器を使って、たくみに解体作業をしていたそうだ。

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↑いわゆる「月と星

ナウマンゾウの牙が三日月で、オオツノジカのツノがお星さま。

この状態で発掘され、地元ではそう呼ばれているらしいが最初は何のことかサッパリわからんかった。あまりにバランスの良い配置なので、野尻湖旧石器人が意図的に置いたものか、なんて想像が書かれていた。でもそれは、ちょっと無理があるような・・・いやいや、夢のある話じゃありませんか。

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学芸員の小部屋-1

野尻湖では、全国の小中学生をはじめとする方々の手弁当によって発掘が行われてきた。
そして子供から大人まで任務を分担して発掘をする。その方式を「野尻湖方式」と呼ぶそうだ。

もっとも心を打たれたのは、野尻湖の発掘に携わってきた人々のエネルギーだ。

発電のため湖面水位が下がる3月の短い期間に、本当に多くの人々が全国から駆けつけ、移植ゴテとネジリ鎌を持って昼は発掘作業、夜は一日の発掘成果を確認するミーティングを行なう。みんな真剣そのものだ。発掘新聞は200号を超え、子供たちが近所に配達する。最後は、みんなで肩を組んでの大合唱。

今は、発掘といえば宝探しのように思われがちだが、野尻湖に集う人々が発掘に寄せる想いは、あくまでも純粋である。発掘とは、知の営みであり、知的生産活動であるという言葉が、思わず頭に浮かんだ。そう思わせるだけのエネルギーを、当時の人々の映像から感じられた。野尻湖の学術的価値は今後損なわれることはないと思うが、もっとも廃れてほしくないのは、発掘にたずさわった一人ひとりの想いだ。

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↑ナウマンゾウの牙で作られた「ヴィーナス

「ナウマンゾウ」は、ドイツ人地質学者、エドムント・ナウマン博士にちなんで命名されたもの。
学名は、パレオロクソドン・ナウマンニ(Palaoloxodon naumanni)。

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帰ろうと国道18号に出たら、なんとその信号の名が「ナウマンゾウ発掘地」

なんだか、すっごいネーミング!
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