「 名選手、名監督にあらず 」の意味を都合よく解釈してないか!? | サラリーマンの副業+在宅×必要悪ソフト

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人様から、お金を貰って提供できるだけの何かを形にするためには、最低でも10年は必要。確固とした専門スキルを持たぬ者が「大事なのはお客様」などと主張するのは持たざる者の言いわけ。それを、いかにして成すかを理解せぬ者が、何をするかだけを決めるのは間違いのもと。

前回の記事は、こちら─、
『 自分より優秀な人間は採用しない、ある開発部長の話 』



その先輩の言葉を拡大解釈するなら、
開発部に配属されなかった私もまた、それだけ優秀なのだという、



先輩なりの誉め言葉でもあったのかも知れないが、



しかし─、



確かに、その先輩と S 部長との間には、
常に冷ややかな空気が流れていたのも事実のように思える。



そんな新卒時代から、はや十数年。
私も、その後、人並みに(!?)、



社内での軋轢や不当と思えるような評価、
組織の崩壊、二度の転職。



そして─、



時には、分不相応とも思えるような、
高評価なども経験して来た。



そんな実体験から一言述べておくなら、
ことソフトウェア会社の開発現場において、



専門スキルの劣る上司と、
それに勝る部下とが、時間を共有した場合、



お互いにとって幸せな結果が、おとずれることは稀だ。



やはり─、



そこは、お互い技術屋である以上、上司の側にも、
まずは尊敬できるだけの専門スキルがあってこその求心力であり、



最低でも、お互いが認め合えるだけの、
レベル同士であることが必要だ。



そこに、プラスαの管理能力 、求められるというわけである。



そういう意味では─、



「 名選手、名監督にあらず 」という言葉も、
選手、( 必ずしも、) 監督にあらず 」という話であり、



たとえ、凡監督でしかなかったとしても、



一軍にまで昇りつめて来た選手達を統率するのは、
やはり、元一軍選手でもあるわけだ。



要するに─、



大半の人間にとっては、自分に当てはめて論じることなど、
おこがましい、無縁の世界の話であり、



このことを曲解し─、



技術や専門知識に劣る上司が、自分に勝るスキルを持つ、
部下を批判するための口実に利用するなどというのは、



言語道断と言える。



ましてや─、



いちエンジニアとして、パッとしなかった者が、
管理者としては一流になれるなどと、



本気で考えているのだとしたら、
おめでたいにも程があると言うものだ。


( 次回へつづく... )
『 部下の発言力が上司を上回る時 』