2012-02-16 23:06:04
鷲爪伝 185 暗闘(9)
テーマ:鷲爪伝
猟師道か獣道か――道とも呼べぬほどの小道を、両手足を使って探るようにして進む。その前を、蓮次と同じ黒装束に身を包んだ数人の男たちが、野生動物のような 軽捷さですいすいと山肌を登ってゆく。蓮次はそれについてゆくのが精一杯であった。
大狩山の南麓に並ぶ尾根をひとつ越え、谷をひとつ下った。
目指す松尾城は、山肌をさらに登り、尾根伝いに南に下ったところにある。時おり木々の切れ間から、遠い稜線上にちらほらと火が見えた。
雑木を伝うようにしてさらに急斜面を登る。汗が滝のように流れ、息があがった。
尾根に出たところで、黒装束の男たちが足を止めた。
やや遅れた蓮次が彼らに追いつくと、
「我らの脚について来なさるとは、たいしたものじゃ」
頭格の男―― 土山ノ 蟇目と名乗った――が、感心したように蓮次を褒めた。
「必死だったよ。あんたたちゃ凄ぇな」
皮肉でなくそう返した。蓮次も足腰には相当の自信を持っていたが、上には上があったらしい。男たちには息を乱したような様子もなかった。
一行の到着を待っていたかのように、ぽつぽつと小雨が落ち始めた。
足元の遥か先に、松尾城の篝火が燃えている。
「お前さまはこのあたりまででよろしかろう。ここより先は足手まといでござるゆえな」
「あぁ、俺も血生臭いのは御免だ。ここから見物せてもらうとするよ」
「仕留めても仕損じても、事が終われば我らはそれぞれ散り、ここには戻って来ませぬぞ。明日の夜、三国山の荒れ寺にて落ち合いましょう」
「承知した。仕事はしっかり頼むぜ」
「ご念には及ばぬ」
蓮次が雑木の根方に腰を下ろすと、男たちは無言のまま森の闇に消えた。
――あれが 化生ってヤツか・・・・。
蓮次の胸にあるのは、掛け値ない感嘆と畏敬の念であった。
この年の春のことである。
蓮次は出雲に呼び返され、月山富田城の鉢屋 平という曲輪の組屋敷まで上がるよう命じられた。蓮次のような下っ端の諜者には異例なことである。
行商人の姿で城にのぼった蓮次は、下士に案内されて屋敷の庭に通された。
白洲に座って待っていると、現れたのは見知った組頭でさえなく、なんと鉢屋衆の棟梁である鉢屋弥之三郎であった。これも極めて異例なことで、戦陣で諜報の報告をする以外では、蓮次は弥之三郎とは直接口を利いたこともない。
濡れ縁に座った弥之三郎は蓮次を見下ろし、前置きもなく、
「高橋久光を 仕物に掛ける」
と言った。
暗殺、あるいは謀殺する、という意味である。
「お前は高橋の領地に明るかろう。手と知恵を貸せ」
蓮次は慌てた。
「やつがれは夜盗の真似はできますが、刃物 三昧は不得手でございまして――」
弥之三郎は下等動物でも見下すような目をし、冷笑した。
「何も仕手を務めよと申しておるわけではないわ。討ち手は別に用意した」
「は。それは――」
「世に名高い甲賀の忍び武者どもよ」
蓮次のような裏の世界に生きる人間で、甲賀忍者の名を知らぬ者はない。
――あの『 鈎の陣』の甲賀者か・・・・。
声に出さずに呟いた。
鈎の陣とは、三十年ほど前、時の将軍・足利 義尚が、南近江の六角 高頼を攻めたときの事件である。八千の幕府軍の陣容を見た六角高頼は防戦を諦め、近江南端の甲賀郡へと退却し、幕府軍はそれを追って甲賀郡へ侵入、 鈎という地に陣を敷いた。
六角高頼は、甲賀郡の地侍たちを使ってゲリラ戦を展開した。甲賀者たちは幕府軍を山中に誘い込み、地の利を生かしてさまざまな奇襲をかけ、夜ごと幕府方大名の陣地を次々と焼いた。幕府軍の陣屋では火事が続発し、朝が来るたびに雑兵の死体があちこちで発見された。さらに総大将である足利義尚の陣所が夜襲を受け、義尚自身は逃げ延びたものの、本陣が焼かれ、側近衆も逃げ惑うという大失態を演じた。わずか四百人ばかりの甲賀衆が、八千の幕府軍をさんざんに悩ませたのである。
将軍・足利義尚はさらに二度にわたって南近江を攻めたが、六角高頼はそのたびに甲賀郡へ 遁れた。甲賀攻めは足掛け三年にも及んだが、幕府軍は甲賀衆のゲリラ戦術に手を焼き、戦果らしい戦果を挙げることができなかった。しかも悪いことに、総大将である足利義尚が陣中で病没してしまったため、幕府方の武士たちは動揺し、「公方さまは甲賀衆に毒殺されたのだ」とする雑説がまことしやかに囁かれるようになった。
甲賀衆は夜の闇に乗じて魔物のように 跳梁する。神出鬼没のゲリラ戦術とその火術は諸国の武士たちを驚かせ、「甲賀者は魔法を用いる」とまで評された。このことによって甲賀武者――いわゆる甲賀忍者の噂は、天下に響き渡ったのである。
以来、諸国の大名や大商人の間では、甲賀者を密かに雇い入れ、情報収集や裏の仕事に用いるという例が少なくなかった。蓮次の表の顔は堺の売薬商人であり、そういった噂は色々と漏れ聞いていた。
大狩山の南麓に並ぶ尾根をひとつ越え、谷をひとつ下った。
目指す松尾城は、山肌をさらに登り、尾根伝いに南に下ったところにある。時おり木々の切れ間から、遠い稜線上にちらほらと火が見えた。
雑木を伝うようにしてさらに急斜面を登る。汗が滝のように流れ、息があがった。
尾根に出たところで、黒装束の男たちが足を止めた。
やや遅れた蓮次が彼らに追いつくと、
「我らの脚について来なさるとは、たいしたものじゃ」
頭格の男――
「必死だったよ。あんたたちゃ凄ぇな」
皮肉でなくそう返した。蓮次も足腰には相当の自信を持っていたが、上には上があったらしい。男たちには息を乱したような様子もなかった。
一行の到着を待っていたかのように、ぽつぽつと小雨が落ち始めた。
足元の遥か先に、松尾城の篝火が燃えている。
「お前さまはこのあたりまででよろしかろう。ここより先は足手まといでござるゆえな」
「あぁ、俺も血生臭いのは御免だ。ここから見物せてもらうとするよ」
「仕留めても仕損じても、事が終われば我らはそれぞれ散り、ここには戻って来ませぬぞ。明日の夜、三国山の荒れ寺にて落ち合いましょう」
「承知した。仕事はしっかり頼むぜ」
「ご念には及ばぬ」
蓮次が雑木の根方に腰を下ろすと、男たちは無言のまま森の闇に消えた。
――あれが
蓮次の胸にあるのは、掛け値ない感嘆と畏敬の念であった。
この年の春のことである。
蓮次は出雲に呼び返され、月山富田城の鉢屋
行商人の姿で城にのぼった蓮次は、下士に案内されて屋敷の庭に通された。
白洲に座って待っていると、現れたのは見知った組頭でさえなく、なんと鉢屋衆の棟梁である鉢屋弥之三郎であった。これも極めて異例なことで、戦陣で諜報の報告をする以外では、蓮次は弥之三郎とは直接口を利いたこともない。
濡れ縁に座った弥之三郎は蓮次を見下ろし、前置きもなく、
「高橋久光を
と言った。
暗殺、あるいは謀殺する、という意味である。
「お前は高橋の領地に明るかろう。手と知恵を貸せ」
蓮次は慌てた。
「やつがれは夜盗の真似はできますが、刃物
弥之三郎は下等動物でも見下すような目をし、冷笑した。
「何も仕手を務めよと申しておるわけではないわ。討ち手は別に用意した」
「は。それは――」
「世に名高い甲賀の忍び武者どもよ」
蓮次のような裏の世界に生きる人間で、甲賀忍者の名を知らぬ者はない。
――あの『
声に出さずに呟いた。
鈎の陣とは、三十年ほど前、時の将軍・足利
六角高頼は、甲賀郡の地侍たちを使ってゲリラ戦を展開した。甲賀者たちは幕府軍を山中に誘い込み、地の利を生かしてさまざまな奇襲をかけ、夜ごと幕府方大名の陣地を次々と焼いた。幕府軍の陣屋では火事が続発し、朝が来るたびに雑兵の死体があちこちで発見された。さらに総大将である足利義尚の陣所が夜襲を受け、義尚自身は逃げ延びたものの、本陣が焼かれ、側近衆も逃げ惑うという大失態を演じた。わずか四百人ばかりの甲賀衆が、八千の幕府軍をさんざんに悩ませたのである。
将軍・足利義尚はさらに二度にわたって南近江を攻めたが、六角高頼はそのたびに甲賀郡へ
甲賀衆は夜の闇に乗じて魔物のように
以来、諸国の大名や大商人の間では、甲賀者を密かに雇い入れ、情報収集や裏の仕事に用いるという例が少なくなかった。蓮次の表の顔は堺の売薬商人であり、そういった噂は色々と漏れ聞いていた。






