neppu.com -2ページ目

その男㊾

49度目の更新。

 

一度の更新に最短で1時間かかるとすると

 

49時間。

 

随分とタイピングし続けたものだ。

 

このホテル生活の2週間の練習時間が49時間でなく、パソコンに向かい続けたのが49時間というのだから、おかしな話だ。

 

オーベストドルフにいた時にはこんな生活になるなど想像できなかった。

 

だが、充実していたようだ、「その男」は。

 

終わってみるとだが、あっという間に2週間たっているのだから。

 

良い時間の過ごし方をした。

 

静かだった生活も、明日からはにぎやかになるんだろうな。

 

落ち着いていた生活も、バタバタな日々になるんだろうな。

 

過去を振り返りながら、最後の一人の時間を楽しみたいようだ。

 

 

 

全てが懐かしかった。

 

ビブを受け取るのも。

 

トランスポンダーをつけるのも。

 

スタートに向かう選手の列も。

 

とんでもない緊張感も。

 

ただ違和感もあった。

 

観客からの声援が聞こえてこないことを。

 

残念ながらこのレースは無観客レースとなってしまったのだ。

 

スタンドの観客で盛り上がるあの雰囲気が大好きな「その男」には残念に思えた。

 

そこに「その男」を応援してくれる誰かがいないのが寂しかった。

 

ここは世界最高峰の舞台。

 

世界選手権。

 

全日本選手権ではない。

 

スタート直後からスピードが全く違う。

 

全日本選手権と同じように、宇田と「その男」は一緒にいた。

 

ただ大きく違うのは、トップ集団ではなく、遥か後方で、もがくように。

 

初戦にして違いを見せつけられた。

 

結果は35位。

 

5分近く遅れた。

 

この結果で、こんなことを言ったら怒られるかもしれないが・・・

 

それでも何か充実感のようなものを感じていた。

 

 

「またこの場所で走ることができた」

 

 

と。

 

やっぱり違うんだ、世界の舞台で走ることは。

 

毎年のように走り、それに慣れてしまっていた時には忘れてしまっていたのかもしれないが。

 

世界を舞台に走ることは特別なことなんだ。

 

34歳にして、改めて思い出した。

 

20代前半の時の気持ちを。

 

 

 

2021年3月3日。

 

15㎞スケーティング。

 

44位。

 

トップから3分26秒。

 

時間が経てば経つほど、雪の条件が悪くなる。

 

つい10数分前まで、同じ場所を滑っていたとは思えないほどだ。

 

朝はアイスバーンでガチガチ。

 

しかし、時間が経ち、日が当たるようになると、一気にコースは緩み春のような雪質に。

 

場所によってはゴールデンウィークで行う残雪合宿の時の雪質のようなところもあった。

 

ポイントが悪い選手は、シード選手の間に挟まれてスタートをすると書いたのを覚えているだろうか?

 

SKI TOUR 2020で「その男」はシード選手の間に挟まれてスタートをしてた。

 

このレース、「その男」のスタート位置はシード選手が全員スタートした後だった。

 

それは、シード選手に挟まれてスタートする選手よりも、さらにポイントが悪い選手がスタートする位置だ。

 

そこまで「その男」のランキングは落ちていたのだ。

 

ランキングが落ちていることは全く気にしなかったが。

 

「その程度」のことは受け入れていた。

 

落ち込む時間がばかばかしい。

 

 

・・・ここにきてよく言うようになってきたな、「その男」よ。

 

 

もう一度言う。

 

忘れたのか、あんなに苦しんで、落ち込んでいた日々を。

 

残念ながら特筆することがないレースとなってしまった。

 

 

「いや、マジきつくね?最後の一周やばくね?」

 

 

レース後、いつものヘラヘラモードになっていた。

 

それは何かを隠すため・・・ではなかった。

 

この時は。

 

純粋に共有したかったようだ、その厳しさを。

 

ヘラヘラモードと言えば聞こえは悪いが、それでも悔しさは感じていたし、反省もしっかりしていたようだ。

 

反省後に、鏡の前と階段をのぼるときにエアースケーティングをすることも継続されていた。

 

 

「HOLUNDのゴール前、横で戦っているところテレビに映ってたよ」

 

 

「その嫁」に連絡をしたときに言われた。

 

馬鹿野郎。

 

あれは戦っていたとは言えない。

 

一瞬で抜き去られたんだから。

 

 

「この初心者が」

 

 

スキーの話をするとき、「その男」が「その嫁」に昔から言っているその言葉を、いつものようにまた言った。

 

 

 

2021年3月5日

 

リレー10㎞x4

 

9位

 

世界選手権で男子リレーが出場するのは、2015年のファールン以来だ。

 

レンティング、「その男」、宇田、宮沢の走順だったはずだ。

 

この世界選手権の走順は

 

 

馬場、宮沢、宇田、「その男」だ。

 

 

リレー前日。

 

「その嫁」にリレーの走順を伝えた。

 

 

「さて問題。アンカーを走る「その男」だが、それは何を意味するでしょうか?」

 

 

聞いてみた。

 

 

あいまいな返答が変えてきた気がして、なんといったかは思い出せない。

 

 

正解は

 

 

「チーム内で一番遅い」

 

 

ということ。

 

事実そうだった。

 

15㎞スケーティングでは、4人出場した日本人の中で4番目。

 

日本チーム内で3番手だった宮沢にも30秒近く負けている。

 

ノルウェーやロシア、ヨーロッパの強豪国といった層が厚く、さらに個々のレベルが高いチームは戦略として色々なオーダーの組み方があるだろう。

 

しかし日本チームの戦力では、速い選手から出していき、何とか集団で粘るというのがセオリーとなる。

 

今シーズン実績のある馬場、宮沢。

 

15㎞スケーティングでチーム二番手に付けた宇田。

 

この三人が「その男」の前を走るのは妥当だ。

 

しかし、天候やコース状況によってそれが変わることがあると追記しておきたい。

 

例えばこのリレーの日のように、雪が降り続けるときなどには・・・・

 

 

朝から雪が降り続けていた。

 

つい数日前までの猛烈に暑い日が嘘かのように。

 

いきなり時間が一カ月くらい戻った感じだ。

 

マススタートとなるリレー。

 

ぶっちぎったロシア以外の選手は大集団だ。

 

馬場もしっかりついていっている。

 

誰も前に出たくないため、集団のペースは非常に遅かった。

 

一人で抜けて、後ろの集団で牽制している姿は、まるでいつかの全日本を見ているかのようだった。

 

さすがに後半ペースの上がった集団だが、やや遅れて馬場が宮沢にタッチ。

 

宮沢のパートは本当にしんどそうだった。

 

集団がばらけており、集団の前の方の選手はロシア目がけて一気にペースを上げた。

 

宮沢は後方の集団から前を狙っていたが、なかなか追いつくことができず集団からも離れてしまった。

 

12位で3走の宇田にタッチ。

 

単独で走ることとなった宇田はかなりしんどそうだった。

 

それでも1チーム抜いて会場に戻ってきた。

 

11位で「その男」にタッチ。

 

タッチ直前の最後の直線。

 

彼の必死の形相が印象的だった。

 

アンカーの「その男」も単独走となった。

 

「その男」の一分ほど前を4人集団が走っている。

 

 

「あそこで走れたらな・・・・」

 

 

そう思いながらスタートした。

 

集団で走るほうが有利なため、やはり差がなかなか縮まらない。

 

コーチからタイム差を聞くと、広がっているわけではなさそうだ。

 

1周目は差が縮まらなかった。

 

2周目になってもタイム差が縮まらない。

 

「その男」は前を目指すしかない。

 

そのため入りからペースは速かったのでなかなかきつかった。

 

 

「前と58秒」

 

 

ん?

 

 

「前と50秒」

 

 

ん?ん?

 

いきなり縮まり始めた。

 

どうやら4人のうち2人が脱落し始めたようだ。

 

こうなると俄然やる気が出る。

 

ラスト一周となる3周目に入るときには、目に見えて距離が縮まっているのが分かった。

 

 

「前と40秒」

 

 

そんなわけがない。

 

絶対にもっと近い。

 

 

「あれ、前の選手めちゃめちゃ遅くね?随分とばててないか?」

 

 

ドンドン近づいて来るのだ。

 

練習とレースくらいスピードが違っていたと思う。

 

チェコを一気に抜き去った。

 

その15秒ほど前にいるのがカナダ。

 

カナダの選手もバテているのが目に見えてわかる。

 

だが、距離は残り2㎞ほど。

 

距離を縮められる上りもわずかとなっていた。

 

「何とかして抜きたい」

 

無理やり体を動かした。

 

差は縮まったが、下りパートに入ってしまった。

 

下りに入る前に加速することをいつも以上に意識した。

 

伸びが違う。

 

案の定、バテているカナダの選手とは下りの勢いが違い、追いつくことができた。

 

下りの勢いで一気に抜いた。

 

必死に最後の上りを進み、そのままゴール。

 

9位だ。

 

過去には6位、8位に入っている。

 

それに比べると劣ってしまう順位だ。

 

しかし、一桁順位に入れたことには一定の評価はできるのではないか?

 

それが最後に自分が抜いてとなると、正直気持ちよさはあったようだ。

 

最終的にはカナダに12秒勝った。

 

だが。

 

もしあと7~8秒遅れて宇田からバトンを受け取ったらカナダを抜くことはできなかったと思う。

 

一人2~3秒遅れるだけでだ。

 

リレーには勢いが大切だ。

 

流れがある。

 

わずかな差が大差となる。

 

一人10秒早くできれば40秒の短縮。

 

しかし流れに、勢いに乗ればそれ以上のタイムを縮めることができると思う。

 

それもリレーの醍醐味だ。

 

リレーが終わり残すは1レースとなった。

 

 

「2021年3月7日」

 

「50㎞クラシカル」

 

いよいよ世界選手権の最終日を迎える。

その男㊽

ここにきて、宣言しておくようだ。

 

「その男㊿で「その男」が過去を振り返るのは終わりだ」

 

ということを。

 

これを含めて残り3度の更新となるようだ。

 

随分と区切り良く終わるのは、狙ったわけではなく偶然だ。

 

まさかここまで長くなるとは思っていなかったようだ「その男」は。

 

ホテル生活終了間近となって、更新頻度が一気に高くなったことがそれを証明している。

 

振り返り始めは、一日一回しか更新していなかったくらいだ。

 

これでも書きたいことを削っている。

 

まだまだ書きたいことはあるが、うまく書ける自信も、時間もないため、やめておくようだ。

 

「その男」の振り返りの時期が、一カ月前まで迫っている。

 

現在に迫ってきている。

 

ゴールは間近だ。

 

 

 

久しぶりの海外遠征だ。

 

しかし一年前と状況はあまりにも変わっていた。

 

スムーズに海外へいけない。

 

PCR検査、陰性証明、入国に必要な書類、FISへ健康報告するための登録。

 

いままでやったことのない準備が多々あった。

 

すごいストレスだ。

 

移動中は常に不安がまとわりつく。

 

PCRの陰性証明を提示しなければいけなかったからだ。

 

幸い、思ったよりもスムーズに入ることができ、練習をした。

 

しかし、現地についてからも大きな問題が起きた。

 

「その男」が世界選手権前に合宿をしていたオーストリアのゼーフェルト。

 

ゼーフェルトはチロル地方にある。

 

「その男」が滞在中、チロル地方が変異株の感染拡大危険地域に指定された。

 

すぐに移動をしなければ、チロル地方から違う地域に言った場合、隔離期間が発生するようだ。

 

今の「その男」のような状態になるのだ。

 

すぐに移動する必要があった。

 

練習環境なども加味し、2度移動する必要があった。

 

現地入りする前から落ち着かない日々が続いた。

 

 

いつも以上に重みを感じた。

 

用意されたジャパンのウェアに袖を通す時だ。

 

もちろん重量ではない。

 

日本を代表のマークを背負うことにだ。

 

しばらくチームを離れていたからだろう。

 

誇らしくも思った。

 

もう一度袖を通すチャンスを得たことに。

 

「その男」は昨シーズンもジャパンを着てレースに出ている。

 

しかし、同様に世界選手権から代表入りした宇田は実に6年ぶりの代表となる。

 

「おい宇田、お前引退したんだろ?なんでここにいるんだ?引退選手が何でここまで来ちまうんだ?」

 

からかった。

 

あまり知られていないかもしれないが、宇田と「その男」は数年一緒の所属先で競技をしている。

 

その時は練習パートナーとして共に汗を流した。

 

そんなこともあり、一緒に来られたことがうれしかったようだ、「その男」は。

 

 

会場に行った初日。

 

ニヤニヤが止まらなかったようだ。

 

何度も一人でつぶやいた。

 

 

「いやー最高。やっぱりこれだよ。やっぱりここだよ。」

 

 

つぶやいたというレベルの声の大きさではなかったようだ。

 

久しぶりに会う海外選手、海外コーチも喜んでくれる。

 

何度ハグをしただろうか。

 

 

「シーズンインからずっと日本で退屈だった。やっとここに帰ってこられたよ!」

 

 

退屈?

 

 

どの口が言う。

 

 

あれだけ苦しんだ日々を忘れたのか、「その男」

 

天気が良く、気温が高かったこと、レースまでまだ時間があるということで、会場のムードもどこかのんびりしている。

 

その流れに、「その男」も身を任せた。

 

以前とはちょっと違う感覚だった。

 

周りの空気に身を任せるだなんて。

 

少なからず、周りの景色を楽しむことすらできなかった去年とは違いを感じていた。

 

 

 

そうだ。

 

忘れていた。

 

今大会のメンバーを。

 

 

宮沢、馬場、宇田、「その男」

 

 

2015年世界選手権は宮沢、宇田、レンティング、「その男」

 

6年前のレンティングが馬場に変わった形だ。

 

2019年は宮沢、馬場、カイチ君、「その男」

 

カイチ君と宇田が変わった形だ。

 

改めてメンバーを振り返っても、宇田が入ることで随分と不思議な構造になる。

 

前回初選出されたカイチ君がそうだった。

 

 

「続けることでチャンスが巡ってくる。」

 

 

いや、違うか。

 

 

「「真摯に」続けることでチャンスが巡ってくる」

 

 

かな?

 

今回の宇田もそうだろう。

 

そのチャンスを彼自身の力で勝ち取ったのだ。

 

 

「その男」にとって6度目の世界選手権となる。

 

今回は特別な世界選手権と感じているようだ。

 

過去5回の世界選手権は、ワールドカップの成績で権利を獲得していた。

 

ワールドカップで良い成績を取りたいと思う過程で、ワールドカップポイントを獲得していた。

 

それにより、気が付けば基準をクリアしていたような感じだ。

 

しかし、今回は全く違う。

 

 

「何が何でも全日本選手権で優勝して、世界選手権に出場する」

 

 

と決め、予選会からの出場で勝ち取った権利だ。

 

出場までの過程があまりにも違いすぎる。

 

故に、特別に思っていたようだ。

 

特別に感じているのにも関わらず、緊張をいつもよりも感じられない。

 

ここに来る前にイメージしていた姿とは全く別物だ。

 

なぜなのかは、なんとなくわかる気がする、「その男」には。

 

 

「以前よりもやる気がない、気持ちが入っていない」

 

 

というわけではないということだけは断っておく。

 

 

2021年2月27日。

 

いよいよ「その男」にとって、特別な世界選手権の初戦が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

その男㊼

 

 

一月下旬。

 

全日本選手権が開催される。

 

 

「全日本選手権で上位2名」

 

上位2名に与えられる権利。

 

それが

 

 

「世界選手権出場権」

 

 

だ。

 

「その男」が今シーズン、もう一度世界の舞台で戦うことのできる唯一のチャンスが世界選手権だ。

 

絶対に外すことができない。

 

這いつくばってでも世界選手権の権利を取らなければいけない。

 

 

「全日本選手権までには・・・」

 

 

シーズン中に何度も発したワードだ。

 

ここで世界選手権の出場権をとらないと、なにも始まらない。

 

シーズンが始まってからは、まずはこの大会を目標に集中した。

 

ポイントもランキングも関係のない、順位ですべてが決まる。

 

誰にでもあるこのチャンスをつかむべく、「その男」以外のそれぞれの選手もいつも以上に気合が入っていたのでは。

 

 

初日 スケーティングスプリント。

 

2日目 10㎞クラシカル マススタート

 

3日目 15㎞スケーティング パシュートスタート。

 

 

三日間の総合タイムで争う、ミニツール形式で行われた。

 

優勝するためには、上位2名に入るには1レースも外すことができない。

 

それが致命傷となる。

 

十日町はワックスの選択が非常に難しいコースだ。

 

気温が上がるとクリスター。

 

雪が降ればルービング。

 

雪の量が多ければボックス。

 

「その男」が十日町に入ってからは、連日の高温。

 

スピード練習をすると汗が流れた。

 

 

しかし

 

 

大会当日は3日とも猛烈な雪と風になった。

 

さすがは豪雪地帯の十日町だ。

 

雪の降り方のレベルが北海道と違う。

 

雪質もだ。

 

 

大会の日に限っていきなり天気が変わることがよくある。

 

なぜなんだろう、大会の日に限って天気が変わることがよくあるのは・・・

 

 

初日 スプリントスケーティング。

 

予選は4位で通過した。

 

日本のレースだと、まだ上位でスプリントの予選は通過できるようだ。

 

決勝に向け、力を温存しながら準々決勝、準決勝を勝ち上がった。

 

決勝戦。

 

世界選手権の2枠を争うことになるだろうと思っていた、藤ノ木と山下も順調に勝ち上がっていた。

 

カイチ君、トモキさん、蛯名、マサト。

 

大会前はこれらの選手で上位2名を争うと予想していたようだ。

 

スプリントにはボーナスタイムが発生する。

 

優勝者は30秒、2位27秒、3位24秒・・・といったように上位30位まで与えられることとなっている。

 

その与えられたタイムが所要タイムからマイナスされるのだ。

 

優勝者が予選を3分で走っていたとしたら、そこからマイナス30秒。

 

1レース目のスプリントが終わったときの所要時間は2分30秒となるのだ。

 

予選で3分1秒で走った選手が2位となると、そこからマイナス27秒。

 

2分34秒が初日のタイムだ。

 

 

ボーナスタイムは非常に重要となる。

 

「その男」が優勝し、決勝で走る6人のうち、5位、6位に山下が入るのが理想だ。

 

しかしそうはいかない。

 

藤ノ木が引っ張った。

 

山下がついていく。

 

その後ろに「その男」

 

その隊列はゴールまで乱れなかった。

 

そのままゴール。

 

3位で終わった。

 

藤ノ木の地元優勝だ。

 

地元優勝のうれしさは「その男」も何度も経験している。

 

うれしかっただろうな。

 

 

二日目。

 

10㎞クラシカル マススタート。

 

結果から言いたいようだ。

 

優勝した。

 

このレースで「その男」の世界選手権出場はほとんど決まったといってよい。

 

もう一人のある選手が上位2名にはいることもかなり濃厚となった。

 

 

藤ノ木か?

 

 

山下か?

 

 

蛯名か?

 

 

いや

 

 

「宇田」だ。

 

 

猛烈に降る雪と風は、二日目も変わらなかった。

 

何度も書くように、マススタートで天気が荒れた時は、後ろを滑る選手は余裕をもって走ることができる。

 

この日もまさにそれだ。

 

ピストルがなり、スタートした。

 

3~4分後くらいだろうか?

 

 

1㎞過ぎで勝負が決まった。

 

 

この時のレーススタイルから、その後「人工圧雪車」と「その男」に名付けられた男。

 

 

「宇田」がでた。

 

 

決してスタート位置が良くなかった彼が、いきなり飛び出してきた。

 

選手の後ろを走りたいため、必然的に集団は一列になる。

 

その長い列の横を宇田が一気に来たのだ。

 

前日のスプリント。

 

ポイントが悪いため、スタートが最後の方だった宇田だが、予選を通過。

 

その後も勝ち進み7位になっていた。

 

そして今日。

 

勢いよく突っ込んできた。

 

 

「調子がよさそうだ。これは利用したほうがいい」

 

 

そう判断して、宇田の後ろにすぐついた。

 

これが1㎞過ぎ地点での出来事。

 

宇田が先頭、「その男」がぴたりと2番手。

 

そのまま平地を進み、長い上りを終えた。

 

 

驚いた。

 

 

そこで後ろを振り向いたときには、もう集団が離れていたのだ。

 

 

「宇田、いける?後ろ離れてるから、このまま引っ張ってもらったらありがたい」

 

 

宇田の返事はイエス。

 

そのまま彼の後ろにつかせてもらった。

 

その二人よりも、後ろの集団の方が間違いなく楽だ。

 

宇田と「その男」が走ったレーンを行けば楽をできるのだから。

 

それでも全く追いついて来ない。

 

一方的に離れていった。

 

何度も宇田に尋ねた。

 

 

「まだいける?後ろつかせてもらっていい?」

 

 

宇田の答えはいつもイエス。

 

「任せてください、いけるところまで行きます。」

 

「だって面白くないじゃないですか?天気が悪いからって誰も前に行かないで、集団で走っていたら。」

 

そんなことをレース中に彼は言った。

 

 

5㎞で30秒。

 

2周目に入るとさすがにきつそうな宇田。

 

 

「まだいけるか?」

 

 

いつも答えはイエス。

 

レース中に何度も感謝の言葉を口にした。

 

「ありがとう宇田。本当にありがとう。一緒に世界選手権行くぞ」

 

 

オフシーズンに捨てることができていなかった「その男」のプライドはなくなっていた。

 

この時の「その男」には文字通り失うものはない。

 

世界選手権に行けるのなら、何でもする。

 

「その男」の目の前にいるのは、ワールドカップでトップ10に入ったことがなければ、オリンピックに出場したことがある選手でもない。

 

ワールドカップでポイントをとったことのある選手でもない。

 

宇田の後ろにいる「その男」のように。

 

しかし、「その男」は宇田にお願いし続け、感謝し続けた。

 

絶対に世界選手権に出なければいけなかったのだから。

 

前を走ってくれとお願いしてたにも関わらず卑怯だが、利用できるところまで利用させてもらって、ラストの上りで引き離した。

 

宇田とは約5秒。

 

後ろの集団とは約1分。

 

最終日を前に、2位までの二人と、3位以降には決定的な差がついた。

 

ゴール後、何度も頭を下げた。

 

 

「使わせてもらって悪かった。前を引っ張る力がなかった。本当にありがとう」

 

 

何度も、何度も深々と頭を下げた。

 

その時にはプライドなどなかったんだ、そのオリンピアンには。

 

ワールドカップでトップ10に入ったことのあるその選手には。

 

その後このレースを宇田を含めて数人で振り返る機会があった。

 

出た答えの一つが

 

 

「残念だ。レベルを物語っている」

 

 

「その男」は是が非でも世界選手権に出たかったので、宇田に頭を下げ続けた。

 

守るものもプライドもなかった。

 

やるしかなかったのだ、行くしかなかったのだ。

 

だが後ろの集団。

 

 

誰もついて来なかったのだ。

 

あの吹雪のコンディションで、1㎞過ぎからついて来られないなんてことがあるだろうか。

 

一緒に走っているのは世界のトップ選手ではない。

 

ワールドカップではないのだ、全日本選手権なのだ。

 

絶対についていくという意思はないのか。

 

そこまで世界選手権にでたいと思っていなかったのか。

 

仮に宇田の入りに反応できなかったとしても、集団の中から飛び出して、前を狙う姿勢はなかったのか。

 

周回に行くとき集団が見えたが、高校生が引っ張っていたように見えた。

 

何かを守りたかったか。

 

失いたくなかったのか。

 

もしそうなら、君たちが失うものは何だ?

 

得たくないのか、世界選手権の切符を。

 

「その男」は得たかったようだぞ、絶対に世界選手権の切符を。

 

残念だったと思ったのは、実力の事じゃない。

 

低いと思ったのは、世界選手権に対する思い、意識だ。

 

世界を舞台にしたいという意識のレベルだ。

 

 

最終日。

 

「最後までしっかり見てください。」

 

 

小池先生に伝えた。

 

 

「ゴールまで見てくれ。」

 

 

ワックスマンとして来ていて、数年前にワンツーをしたノブヒトに伝えた。

 

 

「最後までしっかりやるぞ」

 

 

蛯名に伝えた。

 

パシュートスタート。

 

1番スタートがその男。

 

スタート直前は会場が静まる。

 

静かな会場に響き渡る「その男」の声。

 

何年振りだろうか?

 

スタート前に気合を入れるために叫んだのは。

 

「その男」は逃げ切った、宇田から。

 

 

優勝だ。

 

 

最後の直線、力なんて入れることができなかった。

 

オフシーズンからここに至るまでの事を思い出すと。

 

涙が止まらなかった。

 

観客なんて全く気にならなかった。

 

馬鹿みたいに声を出して泣きながらゴールに向かっても。

 

 

 

こんな幸せなことがあるか?

 

小池先生がゴールで待っていてくれた。

 

約束通り、ゴールまでしっかり見てくれた。

 

ゴール脇で「その男」を受け止めてくれた。

 

ノブヒトもだ。

 

ゴールするまでしっかり見てくれていた。

 

蛯名がゴールした。

 

「勝ちましたか?」

 

と聞かれた蛯名に

 

「当たり前だ、誰だとおもってる」

 

久しぶりに都合よく出た強気。

 

「良かったです。」

 

喜んでくれた。

 

すぐに電話をした。

 

「その嫁」に。

 

 

「どうだった?」

 

 

と聞かれた。

 

 

おかしい。

 

 

昨日、ユーチューブで生配信されていることは教えたはずだ。

 

優勝したことを伝えた。

 

「よかった、見たかったけど怖くてレースが見られなかった。オフシーズンから悩み続けている姿を見てきたから、本当に良かった」

 

泣いて喜んでくれた。

 

本当に、心からの感謝を伝えたい時には、余計な言葉は出てこないんだと、改めて知った。

 

 

「ありがとう」

 

 

しかいうことができないということを。

 

それ以外の言葉が見当たらなかった。

 

一緒に泣くことができて良かった。

 

「悔しさ」ではなく「喜び」の感情を持って。

 

 

レース前。

 

会場に到着してワックステントの中へ入ったとき。

 

ワックスマンが曲を流しているスピーカーから、聞き覚えのあるメロディーが聞こえてきた。

 

グッときた。

 

ワックスマンがいるのを全く気にせず、一人で歌った。

 

 

 

「傷つきうちのめされても這い上がる力が欲しい」

 

 

 

から始まるその曲。

 

長渕剛の

 

 

「HOLD YOUR LAST CHANCE」

 

 

これは絶対に偶然じゃない。

 

 

その歌の終わりの歌詞はこうだ。

 

 

「二度と走れぬ坂道を上ったら HOLD YOUR LAST CHANCE」