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Mon, May 05, 2014

旧PS理論の視点から:エネルギーと物質:media pointの非可逆性:脱西欧・MPエポック

テーマ:media point
約2年半前は以下のようなことを述べていた。しかし、冒頭の「PS理論では、宇宙は凹(-1)が起源であり、そこから陰陽エネルギー(氣)が創出されると考える。」は今では誤りである。
 しかし、陰陽エネルギー=氣が根源エネルギーという視点は今でも通じる。

追記:現在のPS陰陽論との別の違いは、以下には、生命有機体の視点が欠落していることにある(追記:これは間違いである。生命有機体と物質を区別している。)。
 物質と生命有機体は明らかにことなるのである。陰陽エネルギーは生命有機体を形成するし、一般には自然を形成する。純粋物質、例えば、放射能は自然有機体の破壊ののちに生起すると考えるのである。
 今は詳述できない。

2011年11月01日

エネルギーと物質:media pointの非可逆性:脱西欧・media point epoch

PS理論では、宇宙は凹(-1)が起源であり、そこから陰陽エネルギー(氣)が創出されると考える。
 そして、陰陽エネルギー(以下、エネルギーと簡略化)は、media point変換によって、物質を発生させる。
 問題はmedia pointの物質発出機構、物質発出メカニズムである。
 エネルギーはmedia pointの実軸において、量子化されると考えられる。そう、ここに量子力学の領域があるだろう。
  問題はエネルギーとこの量子メカニズムの関係である。これは⇒の起点と終点で把捉できるだろう。先に指摘したように起点と終点は不連続であり、非可逆的で ある。ここに、宇宙創造の一つのエッセンスがあると言えよう。エネルギー⇒物質である。(E⇒mc^2であり、E=mc^2は誤りだ。思うに、ここに後の 量子力学の壮大な誤謬の原点がある。)
 問題は量子メカニズムである。そのエネルギー/物質変換メカニズムにおいて、量子とはいったい何であるか。
 そう、量子とはエネルギーの物質的投影である。(あえて言えば、幻影、仮象、仮構である。)つまり、量子メカニズムはエネルギー機序の物質的仮構である。
 量子メカニズムを応用することは、宇宙創造の機序・秩序に介入することになる。言い換えると、量子力学以前において存在した宇宙創造の機序・秩序(「コスモス」)とは別の機制をもたらすことになるのである。
 ある意味で脱自然化である。人工的「自然」創造である。先に述べたように、有機体的宇宙・自然創造とは異質な「創造」が加わったのである。人類は第二の創造神になったと言ってもいい。
 しかしながら、この第二の創造は大根源(大母源)から発していないので、無機的なのである。一般的には有機体的宇宙・自然とは相容れない。端的に、それに対して破壊的だ。
  また、その操作が利己主義、自我中心主義に基づくならば、当然、悪魔的なものとなるのである。そして、それが現代において現実化したのである。(思うに、 量子力学の誕生をもって、あるいは、20世紀初期ないし前期をもって脱近代の時代、トランス・モダンの時代の始まりと見るべきだろう。あるいは、ポスト・ ヒューマンの時代の。別の命名もあるが。)
 そして、原発爆発による放射能汚染はその帰結である。
 問題は第二の創造のテクノロジーをもった人類の知性にある。知性が利己主義、自我中心主義に基づくならば、これによる悪魔的破壊は拡大して、人類は滅びるだろう。
 知性が凹iをベースとする精神性に基づくならば、第二の創造は積極的なものとなる。ここが核心的ポイントである。
 このような視点から、飯山一郎氏が提唱する、光合成細菌による放射能汚染の浄化作用とは何を意味するのだろうか。(参照:『光合成細菌』で放射能浄化!  http://grnba.com/iiyama/hikari.html )一般的には、自然、人間とは相容れない人工的な放射能であるが、自然の、原始的細菌がそれと適合して、放射能を無害に変換するのである。
 ここには放射能、正確には、放射線存在の問題がある。飯山氏が説くように、原始的には、光合成細菌が放射線を吸収する宇宙・自然のメカニズムがあったのである。光合成細菌にとっては、放射線は異質なものではないのである。
 故に、ここで上述の脱自然の視点は変更されなくてはならない。確かに、第二の創造は一般的には脱自然化であるが、原始的な光合成細菌にとってはそうではないのである。「自然」に適合するのである。
 ここで自然とは何かの問題が提起される。あるいは自然的進化、宇宙的進化の問題。
  そう、進化が正確な問題である。即ち、地球の原始的状態においては、生命体と放射能とは適合していた。しかし、その後の進化過程へ経て、高度な生命体は放 射能とは不適応になっていったのである。言い換えると、光合成細菌のレベルを「脱ぎ捨てて」進化が進展したのである。(進化を低レベルを脱ぎ捨てるプロセ スと見ることができよう。超剋である。)
 だから、進化の絶対的差異があるのであり、進化は非連続的段階をもつ。(プロセスという用語はあまり適切ではない。)だから、この点から上記の脱自然化は説くことができるのである。
  結局、量子力学的変革によって、人類は脱近代化、脱自然化したのであり、それまでの進化が終わったと言えるのである。そして、進化の初期段階に戻らないといけないような事態が生じたのである。生命体的にはそうなのである。
 しかしながら、知性においては、上述したように、精神の進展が必要になるのである。利己主義、自我中心主義となった知性を乗り越える精神的知性の陶冶・涵養が必要になったのである。
 これは取りも直さず、東洋的知性ないしは非西洋文明的知性への回帰を意味するのである。
 西洋文明、とりわけ、近代西洋文明は利己主義、自我中心主義へと強く傾斜して、その物質文明をもって悪魔的に破壊的になったのである。
 霊学のシュタイナーは「自我」ichの重要性を説くが、実は、問題は個、差異、絶対的他者、絶対的差異である。
 イタリア・ルネサンスはその発芽であると考えられる。しかしながら、西欧(追記:西洋では間違いなので、上述の西洋云々は訂正されなくてはならない)は自我、凸iに傾斜しているために、個=差異が利己主義、自我中心主義へと発展したのである。
 (だから、以前提唱したトランス・モダンという視点はあえて言えば、間違いなのである。モダンは二種類あったのであり、それが混淆・混合されて、曖昧になってしまったのが実態である。そう、トランス西欧というのが的確である。トランス・ウェストである。脱西欧である。)
 結局、知性の東洋回帰、精神化とは脱西欧化ということになる。脱欧入亜である。
 最後に、脱西欧化と量子力学の「脱近代」の関係をさらに考えると、結局、共通点はmedia pointであるのが了解される。
 西欧は知性のmedia pointを喪失したのであり、また、量子力学は自然におけるmedia pointのエネルギー様態の発見であるから、脱西欧と量子力学的「脱近代」は共通するのである。
 だから、今日、現代はmedia pointの時代、エポックと言えるのである。それは同時に、マニ教新時代でもある。
http://platonicsynergy.seesaa.net/article/233067136.html

Japonesian Archive


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Sat, May 19, 2012

虚軸Media Point(MP1)と実軸Media Point(MP2):Neo-PS理論から

テーマ:media point
私は今は超越軸z軸をもつNeo-PS理論によって考察を続けているが、以前のポイントである虚軸Media Point(MP1)と実軸Media Point(MP2)について全く看過していることに気づいたので、ここで、簡単に検討したい。
 虚軸Media Point(MP1)とは凸iと凹iとが共振する交叉点であると考えたのであったが、差異共振は凹i主導によって起るのであるから、それは、虚軸Media Point(MP2)に起点があるとは言えないのである。
 そして、実軸Media Point(MP2)であるが、同一性主導の物質形成は、凸i主導に拠るのであり、実軸Media Point(MP2)に同一性的物質形成の起点があるとは言えないのである。
 以上から、以前のMP1とMP2の考察は誤りであり、ここでお詫びし、訂正する次第である。
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Thu, May 03, 2012

差異共振の比率が黄金比ではないのか:精神の物質に対する比:原形としてのペンタクル

テーマ:media point
「闇」が「光」と共振するとき、「光」による物質を巻き込むが、その物質形態の比率が黄金比になるのではないだろうか。
 言い換えると、超光(霊光)が「光」の物質体を組織・秩序(コスモス)化するとき、発生するのが黄金比ではないのか。簡単に言えば、精神の物質に対する比率が黄金比ではないのか。そして、ピュタゴラス派がペンタクル(五芒星形)を最重要視したのは、黄金比を形成する象徴的な、典型的な図形だからと考えられる。
 そう、ペンタクルは、形態的には、精神の物質に対する、言うならば、プロト・パターン、原形、そう、根源的フラクタルと考えられるだろう。
 後で更に検討したい。

黄金比

http://gakuen.gifu-net.ed.jp/~contents/museum/golden/page62.html

gakuen.gifu-net.ed.jp/~contents/museum/.../page62.html - キャッシュ 類似ページ
gakuen.gifu-net.ed.jp の結果をすべてブロック
縦と横の比率が最も均斉のとれた長方形を想像してみて下さい。それは人によって様々かもしれませんが,黄金比と呼ばれる比が最も美しいと言われています。ところで,どうしてその比率がバランスよく見えるのでしょうか。もしかしたら,その中に何か神秘的な ...
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Thu, May 03, 2012

現象太陽とdark sunの交差するmedia point:超越軸と虚軸と実軸の交差するMP

テーマ:media point
先に、凸iを現象太陽、凹iをdark sunとし、両者の共振から超光(霊光)が生まれると作業仮説した。
 そうすると、現象太陽とdark sunの発生が問題となる。しかしながら、既に、超越軸(ガウス平面に直交する軸)を想定している。それが、凸iと凹iを発生させると作業仮説したのである。
思考実験:光の問題:光と物質:視覚とは何か:視覚としてのmedia point (04/18) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1810.html)
即ち、超越軸に凸jと凹jを置き、

凸j*凹j⇒凹i+凸(+1)  ・・・・・Ⅰ
凸j*凹凹j⇒凸i+凹(-1) ・・・・・Ⅱ

という方程式を作業仮説したのである。
 だから、現象太陽凸iはⅡ式から、生まれるのであり、dark sunは、Ⅰ式から生まれるのである。即ち、超越的極性において、同一性力学から現象太陽凸iが、差異共振力学からdark sun凹iが誕生すると考えられるのである。
 以上のように仮説すると、media pointは超越軸とy軸(虚軸)とx軸(実軸)との三者交差が重要になる。
 とまれ、現象太陽とdark sunの交差におけるmedia pointを考えると、やはり、当然、同一性力学と差異共振力学があり、いわば、現象太陽とdark sunが「渦巻いている」と思われる。これは、比喩である。
 具体的に考えると、例えば、渦巻き星雲であるが、それは、dark sun主導の差異共振力学の螺旋的運動によって、現象太陽が巻き込まれて取る形態・形象ではないのか。(複数の現象太陽、複数のdark sunを一応想定する。しかし、dark sunは一つかもしれないが。)
そう、それは、弦巻植物の螺旋とフラクタルな関係が考えられる。
 差異共振力学とはdark energyに拠ると考えられるので、渦巻き星雲は超越的にdark energyを内在していると考えられる。
 これは、直観では、Vector Modeに関係すると思われるのである。
つまり、物質的平面に現象太陽の渦巻き(渦巻星雲)を現象化させるのであるが、精神的超越的内面において、dark sun主導の差異共振のdark energyが(直線的に)力動していると考えられるのである。つまり、現象太陽凸iとdark sun凹iの差異共振によるdark energyが超光を形成しているのである。そう、超光はdark lightと言ってもいいだろう。
 とまれ、現代物質宇宙科学は、dark sunを導入することで、進化するだろう。現象光だけでなく、不可視の闇の存在を肯定することで、進化するのである。そう、唯物論的科学は、精神的物質科学となるだろう。

追記:先にdark matterは存しないのではないのかと述べたが、dark sunを考えると存するのではないのか。つまり、現象太陽凸iは物質体をもっているのであるから、dark sunもそれに応ずる「体」をもっていると思われる。それが、dark matterではないのか。
 それとも、凸(+1)の超光をdark matterと見るのか。後で更に検討したい。

追記2:現象太陽凸iが電磁波ならば、dark sun凹iは対応するに何であろうか。重力波であろうか。もしそう仮説するならば、ブラック・ホールは、ここに位置するのかもしれない。とまれ、思考実験である。

参照:
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Mon, April 02, 2012

光と闇

テーマ:media point
以下のモーツァルトのシンフォニーを聴いていると、media pointの問題が出てくる。
 同一性と差異共振の同時生起様態が浮ぶのである。物質(超越闇)と超越光の同時生起様態。
 直観では、形式は前者であり、精神は後者である。あるいは、形は前者であり、精神は後者である。あるいは、感性身体は前者であり、精神は後者である。
 モーツァルトの音楽は差異共振が見事であり、前者の美に、後者の美が見えなくなる恐れがある。
 今思ったが、モーツァルトの音楽はz軸が源泉である。おそらく、z軸はイデア界である。そのイデアから虚軸の陰陽力学をもたらし、同一性と差異共振(氣)の音楽様態をもたらしているように思えるのである。
 ところで、差異共振という用語があいまいになっている。整理する必要がある。media pointは同一性と差異共振を生むが、その事象を差異共振と呼んでいるからである。古い差異共振と新しい差異共振がある。モーツァルトの音楽は後者である。それは、同一性主義ではなく、差異共振主義である。
 つまり、物質ではなく、光の音楽である。そう、指揮・演奏のとき、凸iが主導すると、同一性が出現するのである。
 モーツァルトの音楽は、典型的な

凸i*凹i⇒凸(+1)

の音楽と考えられる。
 ということで、最初に述べたことは勘違いであり、取り消す。
 結局、光(凸i)と闇(凹i)の純粋な差異共振がモーツァルトの音楽である。それは、超越光凸(+1)を創出するのである。
 最後に検討課題であるが、現象光は、光と超越光のどちらに属するのかである。
 今の時点では、現象光は凸iだと思う。凸(+1)は超越光、精神光だと思う。
 今はここで留める。

追記:凸iはカント哲学の外官であり、凹iは内官に相当すると思われる。言い換えると、空間と時間である。
 
Mozart - Symphony No. 35 in D Major "Haffner" - Mov. 1/4
HARMONICO101


Mozart - Symphony No. 35 in D Major "Haffner" - Mov. 2/4


Mozart - Symphony No. 35 in D Major "Haffner" - Mov. 3&4/4


おまけ:これはポリーニの最高の演奏ではないだろうか。ポリーニもアバドも若く、みずみずしい。

Maurizio Pollini - Claudio Abbado - Brahms: Piano Concerto No.2 - Wiener Philharmoniker
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Tue, March 20, 2012

差異共振精神の形成の様態

テーマ:media point
どうして、人間によって、道徳・倫理の有無が生じるのか。
 差異共振精神は真善美をもたらすものであるが、精神的感情は、スピノザが説いたように、歓喜になると思われる。
 例えば、モーツァルトの音楽を聴いたとき、この歓喜の情が生起する。
 だから、差異共振精神形成のためには、すぐれた芸術体験が必要であり、また、自然体験も必要である。また、知性を確立させないと、感情中心になり、ロマン主義的になる。(もっとも、ロマン主義が悪いというのではなく、感情中心主義になることを問題視しているのである。)
 悪的傾向をもつ人間は、この差異共振精神形成が為されなかったと考えられる。歓喜の精神が欠落しているのである。
 思うに、今日、うつ病やその他の心の病等は、この問題に関係していよう。差異共振精神の欠落があると考えられるのである。
 今はざっと指摘するに留める。
 
追記:差異共振精神とは光の精神である。即ち、

凸i*凹i⇒凸(+1)

である。右辺が光(光子)である。左辺の双極子から差異共振によって、右辺の歓喜である光が誕生するのである。
 それに対して、差異共振のない、連続的同一性の自我は、闇、無明である。

凸i*凹凹i⇒凹(-1)

である。内的他者凹iを否定して、闇である自我凹(-1)が生まれるのである。
 ここで、純粋自我凸iと連続的自我凹(-1)を峻別する必要がある。前者はきわめて重要なものである。純粋悟性を内在していると考えられる。
 では、差異共振によって誕生した光は、何であるのか。現象光なのかマニ教の光なのか。
 直観では同じである。現象の光とは本来、精神の光であるが、それを連続的自我凹(-1)は物質的、同一性的に視ているのである。
 そう、凸i*凹凹i⇒凹(-1)の右辺は物質的光とも言えるように思える。凸(+1)が精神的光であるのと対照的に。
 E=mc^2とは、思うに、物質的光の公式ではないだろうか。差異共振エネルギー(差異共振光)は、E = hνの方に近いのではないだろうか。
 即ち、E=h(凸i*凹i)である。
 とまれ、二つの光がある。闇(物質、同一性)である光(凹、-1)と純粋な(精神、差異である)光(凸、+1)である。
 尚、本追記は、思考実験である。

追記2:キリストが言った二種類の人間は以上の区別で説明できよう。この世の人間は凹(-1)の人間であり、地の塩である人間は凸(+1)の人間である。闇の人間と光の人間である。前者は後者が見えないのである。
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Fri, March 02, 2012

男性が女性を見ると?!?!、女性が男性を見ると!?!?:男性は凸i優位、女性は凹i優位

テーマ:media point
男性は女性の言動を見ると、不合理、異常、病的に思うことがあるが、女性が男性を見ると、馬鹿と思うのではないだろうか。
 結局、昔から言われていることは間違ってはいない。
 女性は凹iの感性感情欲望が優位なのであり、男性は凸iの原自我、同一性志向が優位であると考えれば、簡単に解明・解決できる。(尚、本稿では、後期PS理論に基づいている。Neo-PS理論の場合は三次元になるが、後期PS理論はガウス平面が知的インフラである。)
 だから、女性はその意味で不合理の塊と言えようし、男性は直観力の乏しい愚物である。
 凸iと凹iは互いに絶対的差異であり、絶対的矛盾である。これは、そのままでは、コミュニケーションは不可能である。
 しかしながら、PS理論はこれを差異共振、media pointによって簡単に解決するのである。
 そう、母権と父権の相克していたD. H. ロレンスは、晩年の『逃げた雄鶏(死んだ男)』で、この矛盾をPS理論を先取りするように解決したのである。
 女性は知性や理性の存在ではなく、感性、感情、直観の存在であり、男性は同一性的知性の存在である。共役不可能(通約不可能性 - Wikipedia )な存在であるが、PS理論がこの問題を解決・解明したのである。

追記:上述のことは実はそれほど重要なことではない。ある意味で陳腐な真理である。
 実はそこからの発展が実に重大なのである。
 即ち、私が先に自我について問題にしたが、実は同一性主義の根因は凸iではなく、凹iではないかと思われるのである。つまり、単に凸iが優位ならば、それは、悟性を意味するので、同一性を志向しても、同一性主義、同一性中心主義にはならないと考えられる。
 凹i優位があるために、それが同一性に感情固着をもたらして、同一性主義、同一性中心主義になると思われるのである。
 つまり、連続性が生起する時、精神的フィルターによって、同一性化が生じるが、そのとき、凸iに凹iが連続化、接着化して、凹iのもつ感情性が同一性に加わり、同一性主義、同一性中心主義になると考えられる。
 ここで、飛躍して言うと、日本文化は母権主義と父権主義の結合から生まれたとこれまで述べてきたが、思うに、前者は凹i主義で、後者は凸i主義である。両者のバランスが優れた日本文化を生んできたと考えられる。そう、古代ギリシア的である。
 そして、これまで、明治維新以降の近代日本、現代日本は、父権主義に傾斜してしまい、母権主義を喪失したと述べたが、本稿の視点からするとそれは、間違いである。
 明治維新は一見父権主義的だが、本稿の視点から見ると、実は、ベースの凹iが強く作用して、同一性主義、同一性中心主義を生んだと考えなくてはならない。
 つまり、明治維新は母権主義的なのである。これまでの考えと真逆である。
 実は父権、凸iが足りないのである。そのために、凹iに支配された同一性主義が近代日本、現代日本に支配的になったのである。これで日本人の没思考性、没個性等が説明できる。
 この視点をさらに敷延すると、一神教の謎も解明できる。実はルドルフ・シュタイナーがヤハウェは「キリスト」がいわば、陰化したものであると述べているを以前から不思議な考えと思っていたのであるが、本稿の凹i支配の同一性主義の視点からすると、ヤハウェの基盤は凹iに存するのであり、それが、連続化によって、同一性主義、同一性中心主義になったと考えられるのである。
 つまり、ヤハウェの本性は光(陽、凸i)ではなく、闇(陰、凹i)なのである。それが、凸iと連続化して、同一性的神、唯一神を産んだと考えられるのである。
 つまり、ヤハウェは母権的なのである。女性的なのである。「我は嫉妬深い神である。」「復讐するは吾にあり。」
 そして、イエス・キリストとはその連続的同一性を切断する不連続性の神であると考えられる。
 つまり、凹iと凸iの癒着を断ち切ったと考えられるのである。
 それは実際どういうことなのだろうか。連続的同一性の自我感情を否定して、他者への共感を説いたのである。そう、他者主義を説いたのである。
 この場合、凹i-1を説いたと考えられる。第三象限である。
 核心は思うに凸iによる認識を介して、他者凹iの発見することである。それまで、凹iは同一性化されて、他者ではなく、自我化されていたと考えられる。
 これは、正に、差異共振、精神的差異共振、自己差異共振である。
 だから、その意味では、PS理論の先駆者はイエス・キリストであると言うことが可能である。
 とまれ、重要なポイントはヤハウェ(「父」)は、凹iに存するであるが、キリスト(「子」)は、人間的差異共振原理を覚醒させたと言えよう。それは、media pointの新生である。
 つまり、ヤハウェは凹iに基づく、同一性原理をもたらした。それに対して、キリストは凹i☯凸i⇒凹(-1)の差異共振原理をもたらしたということになる。ヤハウェの同一性、連続性原理に対して、キリストは差異・他者原理をもたらしたということになる。
 ヤハウェが母権原理ならば、キリストは父権原理を強化して、母権原理の差異・他者性の発見を説いたと思われるのである。言い換えると、父権と母権の均衡を説いたのである。だから、その意味で、キリストとは古代ギリシアの延長であると言えよう。
 とまれ、今はここで留める。
 
追記:「聖霊」について述べていなかったが、それはどう定式化されるだろうか。
 キリストが他者原理凹i⇒凹(-1)ないし凹i-1を説いたとすれば、「聖霊」は既述したように、やはり、media pointである。そう、media pointの新生的覚醒である。
 Neo-PS理論で言えば、3D media pointの開花である。このとき、精神と自然と人間が融合し調和するのである。
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Fri, March 02, 2012

自我(凸又は+1)の他者排除性と人間認識図

テーマ:media point
本件は検討問題ということにしておく。
 一つは自我の他者排除主義について、再考したい。これは、自我、自己同一性によって簡単に説明できるが、一体、自我に拠る他者排除の意味を考えたいのである。
 もう一つは、人間認識図において、自我的様態をどう位置付けることができるのかという問題である。
 生成門氏のa+biの考え方に、先に疑問符を付けたが、今の感じでは、π/2回転やπ回転以外にも、自我的様態がありえそうである。
 とまれ、自我は、凸i⇒凸(+1)である。凸iが原自我であり、凸(+1)が自我である。(尚、今の段階では、Neo-PS理論ではなく、ガウス平面を基盤としたPS理論を使用するが自我は凸又は+1とする。)
 とまれ、凸i⇒凸(+1)はもっともタイトな自我様態である。(これを1で問題にすることになるのである。)
 実際は緩い自我が一般的である。心的緩さとは、つまり、media pointないし凹iが意識的にしろ、無意識的にしろ、活動しているということである。
 つまり、凸iの強度と凹iの強度が併存しているのであるが、一般的には凸iが主導的である。
 だから、自我一般方程式はa凸i*b凹i⇒Ego Modeとなるのではないだろうか。つまり、二つの虚数、凸iと凹iが、自我的様態を数式化するとき必要なのである。(先には、精神は双極子であると述べたが、それは、二つ虚数が必要ということと同じ事柄である。)
 そのように定式化したとき、問題は、オイラーの公式との関係である。
 これは難しい問題だと思う。例えば、

a凸i⇒cosθ+i・sinθ

となるように、aを工夫する必要があるだろう。端的に計算すれば、

a=(cosθ+i・sinθ)/凸i=cosθ/凸i+sinθ/凸

=cosθ/凸i+sinθ

となるのではないだろうか。この妥当性は今は問わないでおく。
 次に、b凹iであるが、これは、

b凹i⇒cosθ-i・sinθ

と見ていいだろうか。これだとb凹iは共役複素数になる。それでいいのだろうか。
 私の先の直観では、凹iは凸iを反時計回りに、π/2回転させたものであるから、b凹iもなんらか、π/2回転と関係しそうなのである。
 だから、仮定として、b凹iはa凸iを反時計回りにπ/2回転した位置にあるとする。
 そうすると、

b凹i⇒cos(θ+π/2)+i・sin(θ+π/2)

ということになる。
 共役複素数がいいのか、それともπ/2回転した双極子と見た方がいいのか、それとも、別の考え(不明)がいいのだろうか。
 今は問題提起だけに留める。
 
 
 
 
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Mon, February 27, 2012

3D media pointの混融性:3D media point complex

テーマ:media point
今は一言言うだけだが、三次元のmedia point(3D media point)の意義は計り知れない。
 凸j*凹j⇒凸(+1)であるが、実は、3D media point(z軸とy軸とx軸が交差する原点)では、凸j*凹j⇒凸iというような混合的融合が生じていると思われるのである。
 また、易であるが、その2^6=64の卦であるが、それも、
3D media pointを考えると納得できるように思う。
 つまり、凸j*凸i*凸*凹j*凹i*凹が3D media pointで生じ、それぞれの要素は凸凹(±)の転換が可能であると考えられるのである。詳細は後で検討したい。
 また、英語では9という数字が一種の完全数であるが、それも、易の上部の3項と下部の3項の積であるように思える。
 今は直観的指摘(思いつき)のみである。

追記:凸j*凸i*凸*凹j*凹i*凹はまた八卦と見ることができように思える。
 完全数9であるが、それは、z軸の三元性(三位一体、三つ巴)とy軸の三元性(三位一体、三つ巴)の積、三元性×三元性=九元性ということを意味するのかもしれない。
 

参考:

八卦 - Wikipedia

八卦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内 , 検索
八卦
後天図
Trigramme2634 ☴.svg
Trigramme2632 ☲.svg
Trigramme2637 ☷.svg
Trigramme2633 ☳.svg
  Trigramme2631 ☱.svg
Trigramme2636 ☶.svg
Trigramme2635 ☵.svg
Trigramme2630 ☰.svg
先天図
Trigramme2631 ☱.svg
Trigramme2630 ☰.svg
Trigramme2634 ☴.svg
Trigramme2632 ☲.svg
  Trigramme2635 ☵.svg
Trigramme2633 ☳.svg
Trigramme2637 ☷.svg
Trigramme2636 ☶.svg
六十四卦
上経(1-30
下経(31-64

八卦(はっけ、はっか)は、古代中国 から伝わる における8つの基本図像。すなわち、

  • Ken.png
  • Da .png
  • Ri .png
  • Shin.png
  • Xun.png
  • Kan.png
  • Gon.png
  • Kon.png

の八つ。

と呼ばれる記号を3つ組み合わた三爻によりできたものである。爻には─陽(剛)と--陰(柔)の2種類があり、組み合わせにより八卦ができる。なお八爻の順位は下から上で、下爻・中爻・上爻の順である。また八卦を2つずつ組み合わせることにより六十四卦 が作られる。



六十四卦 - Wikipedia

六十四卦(ろくじゅうしけ、ろくじゅうしか)は、占い のひとつで儒教 の基本経典でもある で用いられる基本図象。 より基本的な図象である八卦 を二つ重ねたもので、それぞれの組み合わせには、一つ一つ占いの文句が付せられ、それが卦辞として書かれている。さらに各卦の6 、一つ一つにも占いの文句が爻辞としてつけられており、『易経 』には全部で64の卦辞、384の爻辞が設けられている。

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Sat, February 25, 2012

差異1*差異2*差異3・・・差異nの連結

テーマ:media point
不連続的差異論からPS理論(ガウス平面的複素数精神理論)に移行したとき、本件の多重差異の連結の様態が見落とされるような印象をもった。
 もっとも、media resonanceの概念でそれは説明できるように感じたが。
 とは言え、少し、多重差異の問題を少し考えたい。直観では、これこそ、双極子としての多重差異の問題ではないだろうか。
 cosθk+i*sinθkとcos(θ+π)k+i*sin(θ+π)kの双極子において、多重化が生じるのではないだろうか。
 すなわち、

{cosθ1+i*sinθ1, cos(θ1+π)+i*sin(θ1 +π}*{cosθ2+i*sinθ2, con(θ2+π)+i*sin(θ2+π}*
・・・・・{cosθn+i*sinθn, cos(θn+π)+i*sin(θn+π}

となるのではないだろうか。
 どうも、これが有機体や生命体を形成する要素ではないだろうか。
 今は提起だけである。 
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