Tue, March 13, 2012

母権的自我と父権的自我について再考

テーマ:自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1)
後で検討したい。
 ところで、PS理論であるが、私は先にNeo-PS理論を唱えたが、それまでのPS理論(後期PS理論)で十分対応できるので、一種のコンパクト化ということで、従来のPS理論、即ち、オイラーの公式を組み込んだガウス平面上の数学・哲学を継続したい。
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Thu, March 08, 2012

自我とは何か:自我は凸iである。純粋悟性である。

テーマ:自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1)
後で述べたいが、自我は凸iに存すると思う。ルドルフ・シュタイナーが「わたしich」の重要性を説いていたが、ようやく、それがわかった。人間の本質は凸iに存するのである。
 では、自己とは何かというと、凹iと差異共振している凸iである。それが、また、個である。
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Wed, March 07, 2012

自我に関する整合的視点:父権的自我と母権的自我

テーマ:自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1)
自我の捉え方が、あいまいになっているので、ここで整理したい。
 凸iは原自我であり、超越論的同一性認識(主に悟性、言語能力)をもつ。外的な志向をもつ。外的感覚(五感)をもつようになると考えられる。
 凹iは内的他者、感情感性欲望である。これは内的志向をもっている。内面に関係する。
 問題は、連続化である。

1)先ず、父権主義化以前の母権主義における連続化を見ると、原初差異共振と連続的同一性(自我)の形成がある。前者が精神的認識であり、後者が自我的同一性的認識である。しかし、両者は連続的な関係となるだろう。言い換えると、未分化的な結合関係である。原初差異共振が弱化すると、凹iの感情・欲望が強化されて、連続的同一性(自我)は同一性主義へと向うと考えられる。

2)父権主義化したときは、つまり、凸iが主導的になったときは、凹iが否定される。凸iの悟性文化、文字言語文化が創造される。いわゆる、文明が生起する。
 問題は凸i主導性と自我の関係である。凸i主導の自我が生起すると考えられる。これは、母権主義における自我とは様態が異なると考えられる。何故なら、母権主義においては、凹iと凸iとの連続性が強いからであるのに対して、父権主義では、凸i主導で、凹iを否定する方向で作用するからである。(もっとも、古代ギリシア文化のように、基底の母権主義に対して、上層の父権主義がいわば、融合する形をとり、初めて差異共振文化が生まれたと考えられる。)
 
1と2から、二つの自我、母権的自我と父権的自我が存することがわかった。
 先に自我方程式は凸i・凹i=+1としたが、こうすると、二つの自我の区別できないことになる。
 二つの自我の様態について、その力学の細部を検討したい。
 自己認識方程式凸i*凹i⇒凸(+1)であるが、このときは、凸iが自身を凹iに反射させて、凹iを同一性化すると考えたのである。このとき、凸iが主導的であり、凹iは受動的であり、凸iの同一性化を受けているのである。
 この凸i主導は父権的自我を形成すると考えられる。つまり、凸iが支配的であり、凹i(差異、他者)が否定されるのである。
 では、それに対して、母権的自我とはどういう様態なのだろうか。
 母権的自我とは言え、人間は外界の認識のために、なんらかの連続的自我を形成する。それは、凸i主導の自我である。だから、これは、原父権的自我と言うことができよう。
 しかし、母権的自我の場合、凹iの主導性があるのであるから、単純な原父権的自我ではない。
 凹iの「感性」(ここには、精神、感情、欲望が入る)が作用した自我である。
 だから母権的連続的自我とは原父権的自我が凹i主導性を帯びているということになる。
 これは一種の分裂した自我である。父権的同一性はあるものの、それに対する母権的主導性が根強く作用しているのである。一言で言えば、感情作用が強いのである。
 故に、凸iの形成する同一性であるが、それは、感情負荷が強いのである。
 これが先に述べた同一性主義、同一性中心主義の基盤と考えられるのである。
 それに対して、父権的同一性は二項対立的な同一性であり、超越論的である。
 簡単にまとめると、父権的自我は自己認識方程式凸i*凹i⇒凸(+1)において、凸i主導で凹iを同一性化する力学において生起する凸i+1の自我である。
 それに対して、母権的自我は連続的自我=原父権的自我(凸i+1)に対して、凹i主導の「感性」の負荷強度が高い自我であり、両者の両面性、二面性、二重性のある、分裂的な自我ということになる。
 西洋人の自我は一般に前者であり、日本人の自我は後者であると言えよう。
 (自我から自己・個への変容力学については既述してあるが、後で簡単に述べる。)
 日本人が建前と本音を使い分けるのは、母権的自我で説明ができると言えよう。即ち、世間的には凸i+1の同一性自己を言うが、本心は凹i+1(物質的欲望)に存するのである。
 また、これは凸iのもつ悟性を否定するので、思考の一貫性が欠落することになるのである。没論理的な日本人。
 とは言え、果たして、日本人の自我を母権的自我としてだけ捉えいいのだろうか。
 ある種の父権主義があるのはわかるだろう。それは、母権的自我をベースにした同一性主義による父権主義である。これは、感情色が強いので、独善的な父権主義である。つまり、同一性知性=悟性に基づくのではなく、同一性主義、同一性中心主義の独善に基づくのである。これが、日本の上層部に支配的であり、正確な真理を認識することなく、同一性主義の疑似父権的自我の思い込みが主導するのである。狂信、盲信、妄想等に陥りやすいのである。
 さて、最後に母権的自我から自己・個へと変容するための方向性を書いてみよう。
 この点では、近代科学や現代科学を学習することはいいことである。それは、父権的自我に拠るものだから、凸iが独立するのである。
 さらには、哲学や数学を学ぶのがより重要である。なぜなら、哲学は凸iを介して、凹i主導のカオスに凸iの知のコントロールをもたらすと考えられるからである。
 数学は凸iの超越論的知性が思考をいわば、純粋知性へと変換させて、凹iのカオスを秩序化するように思えるのである。
 また、すぐれた芸術を通して、凹iが潜在する精神性へと向うことも必要である。もっとも、宗教・神話に触れることも重要である。
 とまれ、一言で言うならば、凸iの知性の強化が必要である。ただし、哲学、数学的知性ももつ必要がある。
 最後に一言言うと、また、直観力を形成することが必要である。
 これは、凸i☯凹i⇒凹(-1)の差異共振から生まれるものと考えられる。人間認識図では第三象限に存する。

追記:直観は原初差異共振能力に潜んでいる。これは、賦活させる必要があるのである。凹i☯凸i⇒凹(-1)である。
 母権的自我の凹iは凸i+1と癒着していて、原初差異共振性、凹iと凸iとの共振性を退化させているのである。
 先に述べたように、凸i指導によって、凹iを独自に認識する必要がある。他者としての凹iを認識する必要があるのである。これはまったき他者である。肚である。また、コスモスである。ミクロコスモスである。新たな差異共振の開化(開花)である。


参考:人間認識図

ガウス平面で表した人間認識の図

ガウス平面で表した人間認識の図

original concept picture of kaisetsu

(海舌が考えた人間認識世界の概念図)

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Tue, November 29, 2011

「わたしich」とは何か

テーマ:自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1)
シュタイナーの霊学を読むと、結局、「わたし」ichとは何かが究極の問題であるのがわかる。
 先に、アストラル体は凹i、エーテル体は凸iではないかと示唆した。問題は「わたし」である。
 今想起したのは、以前、Kaisetsu氏が説いた分数公理である。

凹(-1)⇔凸i/凹i

が成立するのではないだろうか。というか、これを作業仮説としよう。
 思うに、これが「わたし」、ich、I である。あえて言えば、右辺である。
 そして、重要なポイントは凹i(陰)である。これがベースである。
 とまれ、これが意味するのは、「わたし」(自己)が根源から発生する最初期の存在であり、アストラル体(凹i)とエーテル体(凸i)はそれの派生であるということ、ないしは、同時期であるということである。
 また、思うに、これこそ、ウパニシャッド哲学の「汝はそれなり」を意味するのではないだろうか。即ち、汝は凸i/凹iであり、それが凹である。
 今はここで留める。

追記:

凹(-1)⇔凸i/凹i

ではなく、

凹(-1)⇒凸i/凹i

の方が正確ではないだろうか。「わたしich」は超越的存在凹(-1)を感じるが、それは、D. H. ロレンスが言うように、正に、Unknown Godであろう。凹(-1)は不可知であると言うべきだろう。
 とまれ、右辺の「自己」は第三象限に属すと考えられる。

参考:

《ガウス平面で表した人間認識の図》

ガウス平面で表した人間認識の図

ガウス平面で表した人間認識の図
original concept picture of kaisetsu

(海舌が考えた人間認識世界の概念図)

http://photozou.jp/photo/show/240326/40644208
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Tue, September 27, 2011

「天」の方向は第一象限で、「地」の方向は第三象限ではないか

テーマ:自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1)
天と地の方向について検討中で、最初は天は凸(+1)の方向、地はmedia point への方向とした。その後凸iが天、凹iが地ではないかと述べた。
 今、天は第一象限で地は第三象限ではないかと閃いた。後で検討したい。
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Fri, September 02, 2011

検討問題:光自己認識方程式と生命体:光と闇への螺旋的回帰:光・父と闇・母の対称的一致

テーマ:自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1)

Kaisetsu氏は以下のように定式化した。

凸光の自己認識方程式
(+1)i/i(i/1)*(1/i)(+1)

私が、今日ふと思ったのは、植物の種子形成はi/1ではないかということである。生成門氏はi/1を子母と説明した。そして、1/iが母子である。
 植物の生長は初期、前期は1/iが主導的であり、蕾をつけ、花を開き、結実する後期の過程は、i/1が主導的ではないかと思うのである。つまり、生長前期は母⇒子の過程が主導・優位的であり、生長後期は子⇒母の過程が主導・優位的になるということである。

言い換えると、種子とは次世代を生む物質体であり、それは、根源への回帰と考えられるので、上記のように考えたのである。すなわち、前期プロセスが精神⇒物質であり、後期プロセスは物質⇒精神ということである。

この二重螺旋の様態を植物ないし生命体の螺旋的回帰と呼んでもいいだろう。母への回帰、あるいは、精神(霊)的回帰である。つまり、種子の中に遺伝子として、精神(霊)的情報が形成されるということである。(思うに、獲得遺伝というはある。個体は「経験」をmedia pointに「スキャン」していると思われるのである。この点は既述した。遺伝子情報とはi*(i)media point recordではないだろうか。)

さて、そのように考えると、問題は、螺旋的回帰、精神(霊)的回帰とは、精神としての光へと回帰であることをどう考えるのかということである。

当然ながら、この場合、回帰は母への回帰であるが、iへの回帰は母ではなく、父である。この齟齬をどう解消するのか。

ここで単純素朴な事実に即して、考えてみよう。結実した実・果実は、そのままにしておけが、当然ながら、地上へと落下・降下するのである。それは、←の方向、重力の方向である。

つまり、⇒が天への方向ならば、←は地への方向であり、それは、凹(-1)を志向しているのではないだろうか。あるいは、media pointである。

直観で言うと、光の自己認識方程式は、闇の自己認識方程式を示唆しているのである。精神としての光は父であるが、螺旋的回帰は母への回帰であり、それは-iを示唆するのである。

思考実験ないし作業仮説であるが、i/1は-i/iを示唆しているのである。そして、

 

i/ii/(-i)⇒凹(-1)

 

となる。

 とまれ、単純に考えれば、精神としての光i(陽:光と陽を今は同一視している。後で再考したい)は、当然、陰陽体から母としての闇-iを対極的に帯びているのである。

だから、光の自己認識方程式とは実質的に闇の自己認識方程式を内包していると言えるのではないだろうか。先に、その点について言及したのであるが。(参照:http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11002414895.html

言い換えると、光は同時に闇を形成しているのである。光と闇は一体であるということである。思うに、一種の「鏡の国」がそこにはあると考えられる。否、「不思議の国」かもしれない。

問題は上下(天地)反転と左右反転の問題に関係してくると考えられる。⇒凸を天の方向とすれば、←は地の方向であるから、それは、上下(天地)反転となる。しかしながら、PS理論が薄平面では、左右反転となるのである。

また、上記で、iを光と呼んだことも関係している。すなわち、iを天=父、-iを地=母と上記では直観されているのであるから、結局、天地は実軸なのか、虚軸なのか、それとも両方なのか。それとも、両方以外なのか。

どうも発想の転換が必要のようである。ここでも思考実験であるが、iへの回帰とは、反時計回りπ/4回転ではないだろうか。そうならば、天は⇒の実軸から虚軸へと変換すると考えられるのである。そして、また、同時に、-iも喚起されているから、時計回りπ/4回転も生起していると推察できるのである。

そうならば、結局、天地は垂直に捩れるのである。そう、垂直の捩れが端的に、天の方向ではないだろうか。同時に、地もそうである。

そう見ると、これまで、iを陽とし、凸(+1)を光と峻別したが、iが光に生成することはまったく問題がないことになる。すなわち、陽⇒光⇒陽であり、陰⇒闇⇒陰である。端的に、

 

i⇒凸⇒i

 

i⇒凹⇒-i

 

である。

 今はここで留めておく。

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Fri, September 02, 2011

生成門氏によるさらなる展開

テーマ:自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1)
キアスム則(四つの象限の相互作用) (0)

イメージ
キアスム則(四つの象限の相互作用)
<光の自己認識の応用練習>

シムダンス「四次元能」


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Thu, September 01, 2011

生成門氏の光自己認識方程式の展開

テーマ:自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1)
生成門の展開である。後で考察してみたい。

凸光と凹光の自己認識方程式 (0)

イメージ

http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100105652181
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Tue, August 30, 2011

検討問題:光自己認識方程式と闇自己認識方程式?

テーマ:自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1)
検討問題:光自己認識方程式と闇自己認識方程式

1)materialityとphysicalityは同じものか:直観では異なる。前者は同一性としての体bodyであり、後者は差異としての体bodyである。

2)光的自己認識方程式は絵画だけではなく、音楽にも、とりわけ、バッハのフーガに適用できるだろう。一般には、ポリフォニーの解明がそれでできるだろう。【予備考察:(1/i)*(i/1)は例えば、主旋律をiとすれば、副旋律が1となるだろう。しかし、副旋律1は逆に主となり、主旋律iを指し示すのである。バッハのフーガは正に、ルネ・マグリットのような陰陽的絵画に似ていると考えられる。】

3)i/iとは思うに、media pointの差異共振様態を示しているのではないのか。私はi/-i⇒-1になることに注意した。これをKaisetsu氏の新しい分数理論(哲学)に拠って考えれば、-iが分母でiが分子だから、ベクトルの根元が-iで先端がiである。これは、陰から陽へと向かうことで、即非差異共振様態をもたらすのである。それは、-i/iとは正反対である。それは、父権的ないし近代的連続的自己様態をもたらすのである。しかし、それも⇒-1になる。しかしながら、それは、第二象限的-1であろう。それに対して、i/-iの場合は、第三象限的-1を意味しよう。
 ここで変形して考えてみよう。

(-i/i)*(i/-i)⇒+1

言い換えると、

(陽⇒陰)*(陰⇒陽)⇒+1(物質現象、自我現象)

あるいは、

第二象限*第三象限⇒第一象限(*第四象限?)

である。
 これは人類の精神の脱物質化ないし脱自我化への至難の業を提示しているのではないだろうか。なぜなら、超越性(-1)への志向性が存しても、陰陽力学によって、+1(物質、自我)へと絡めとられてしまうことを意味すると考えられるからである。
 問題は積ないし精神的フィルターの作用である連続的同一性に拠ると言えよう。思うに、宗教が権威化、権力化するのは、ここの起因があるのではないだろうか。超越性凹(-1)は直観しているのに、現象化して、物質化、自我かしてしまうからである。
 不連続化とは、-i/iの作用を停止、静止させることではないだろうか。そうすると、

(-i/i)*(i/-i)⇒i*(i/-i)⇒-i

となるだろう。つまり、これが瞑想の作用ではないだろうか。精神は-iになるのである。そして、i/-i⇒-1を付加すると、-1-iである。これは正に第三象限である。
 ここで付加(加算)とは何かを考えるべきである。それは、

複素数様態=実数様態(存在様態)+虚数様態(精神様態)

ということではないだろうか。瞑想ないし空様態とは、精神を負の虚数精神様態+負の実数存在様態になるということではないだろうか。
 今はここで留める。

追記:闇または陰陽自己認識方程式?

凹(-1)⇒i/(-i)⇒(i/1)*(1/-i)⇒-〔(-i/1)*(1/i)〕⇒-凸(+1)

i/1は1⇒iだから、物質から陽への志向、1/-iは陰から物質への志向性。前者はわかりやすいが、後者が何を意味するのか難しい。今、当てずっぽうで言えば、前者は頭脳であり、後者は肚ではないのか。言い換えると、上丹田と下丹田である。つまり、差異即非共振のmedia pointではないのか。中丹田の均衡調和である。
 しかし、興味深いのは光と闇は符号が違うだけで形式は同じであることである。ここで、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』を想起する。
 ところで、上下反転と左右反転は意味合いが違うのではないだろうか。上下反転はやはり、上に優位性があり、下が劣位ではないだろうか。それに対して、左右反転の場合はどうだろうか。優劣があったとしても、上下反転ほどではないだろう。果たして、左右は優劣があるのか。西洋では、右が優位であり、左が劣位である。rightは正義であり、左はsinistraからわかるように悪である。
 普通、鏡で見てもそれほど違和感はないが、上下反転は違和感がある。明らかにヒエラルキーがあるのであるし、上意下達である。
 とまれ、上(天)は、⇒ではないだろうか。下(地)は←ではないだろうか。180度回転、i^2回転である。そう、思うに、『不思議の国のアリス』のオリジナルは『地下の国のアリス』であった。地下への落下を意味する。それは、-1の世界への降下では。
 PS理論ガウス平面では、上下が実軸になるのか。それとも、虚軸なのか。
 いろいろ検討したいことはあるが、今はここで留める。

 
参考:

『指し示し分割と「指し示し分数」概念の提示』

通常、分数は、スカラー量として把握されるが、

海舌(明日野)は、分数に、方向性、矢印を持ち込む。

 つまり、

分数表記に、「分子が矢印の先で分母が矢印の根元、というような関係」を持ち込むのである。

量としての、分数の機能も保持する。
http://blog.kaisetsu.org/?eid=813125


『【凸光の一般自己認識方程式】 認識対象の回転と凸光自己認識の差異認識』


凸光の自己認識方程式
凸(+1)⇒i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒凸(+1)

を、より、一般化する必要がある。

i=e^i(1/2π)

であり、iとなるのは、θがπ/2などの特別な数値の場合のみであるから、

一般化すると、

Q(θ) = q = e^iθ

である。ここで、Q(θ) = q はθの関数である。

一般化しても、凸光の自己認識方程式
凸(+1)⇒i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒凸(+1)

は成立する。
http://blog.kaisetsu.org/?eid=813123

『海舌』 the Sea Tongue @ Kaisetsu with Archaic smile



参聴:
Bach - The Art of Fugue, BWV 1080 [complete on Organ]
Herbert Tachezi, organ
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Tue, August 30, 2011

検討問題:光自己認識方程式は音自己認識方程式になるだろう

テーマ:自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1)

検討問題

 

1)materialityphysicalityは同じものか:直観では異なる。前者は同一性としての体bodyであり、後者は差異としての体bodyである。


2)光的自己認識方程式は絵画だけではなく、音楽にも、とりわけ、バッハのフーガに適用できるだろう。一般には、ポリフォニーの解明がそれでできるだろう。【予備考察:(1/i)*(i/1)は例えば、主旋律をiとすれば、副旋律が1となるだろう。しかし、副旋律1は逆に主となり、主旋律iを指し示すのである。バッハのフーガは正に、ルネ・マグリットのような陰陽的絵画に似ていると考えられる。】


3)i/iとは思うに、media pointの差異共振様態を示しているのではないのか。



指し示し分割と「指し示し分数」概念の提示

【凸光の一般自己認識方程式】 認識対象の回転と凸光自己認識の差異認識

『海舌』 the Sea Tongue @ Kaisetsu with Archaic smile


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