Sun, May 03, 2015

検討問題:氣と磁気:原点MP(Media Point)は虚軸即非実軸であり、日光と作業仮説する

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合
先に、氣哲理学の陰陽方程式凸i*凹i⇒±1において、電気と磁気が区別がつかないと述べた。
 否、正確に言えば、電荷は±1で説明できるが、磁気はいまだ説明できていないということである。
 ここで思いつきを言えば、氣の凸i陽と凹i陰が、磁気に関係しているのではないかということである。
 問題は原点のMP(Media Point)である。
 凸i*凹i⇒±1の陰陽方程式において、次元転換点であるMPの様態が問題なのである。
 ⇒±1は、いわば、結果を示している。
そして、先に、電子から電磁波を発生を考えた。
 そのときは、電気から電磁波が生まれることになる。
 ⇒+1(電子)に垂直に磁気(磁場)が生じる。
 ここで、以前に述べた、氣が実軸においても生起していることを確認したい。
 つまり、原点MPは虚軸と実軸との即非様態なのである。虚軸即非実軸がMPにおいて成り立つのである。(追記:即非とは、仏教学者、鈴木大拙の独創的用語で、A=B且つA≠Bという矛盾律が成り立つ論理を意味する。)
 つまり、氣即非量子(ミクロ)なのである。言い換えれば、氣的量子、氣的原子、氣的原子核、氣的電子、等々である。
 問題は量子領域における氣と磁気の関係である。
 両者は当然異なる。
 しかし、なにか似ている。
 電流と垂直に磁気、磁場が生じる。そして、氣は実軸とは垂直の虚軸に本来、存する。
 もちろん、磁気は現象界に帰属し、氣は(いわば)虚界に存する。しかし、氣は現象界にも貫入・浸透している。
 さて、ここで作業仮説であるが、虚性と実性の結合した存在を磁気ではないかと考えたいのである。
 原点MPにおいて、虚軸と実軸が即非的に結合している。ここにおいて、磁気が生起しているのではないだろうか。
 つまり、磁気は実は、電気以前の存在であるということである。
 つまり、氣⇒磁気⇒電気である。
 先には、電子から磁気を考えたが、それは、根源(MPにおける虚性+実性)からの派生と見るのである。
 いわば、亜氣、準氣としての磁気である。
 つまり、磁気的存在としてのMPである。
 そして、磁気から電子が生まれ、また、電子は磁気を派生するということになるのである。
 しかし、これは、かなりの矛盾だろう。
 虚性+実性としてのMPであるが、それは、果たして、磁気と言っていいのだろうか。
 思うに、それは、電磁波ではないだろうか。
 つまり、氣⇒電磁波である。
 MPに存するのは、電磁波ではないだろうか。
 そして、⇒±1とは、電子でもあるし、磁気でもあるということではないだろうか。
 つまり、氣⇒(⇨電磁波)±1(電子、磁気)ではないだろうか。
端的に言えば、原点MPに存するのは光ではないだろうか。
つまり、氣⇒(⇨光)±1(電子・磁気)である。
 そうならば、これまでの見方を大幅に変えなくてはならなくなる。
 しかし、原点MPを光とするのは、実は、整合的なのである。なぜなら、MPは精神的には「こころ」(kokoro;kkr)であり、それは、光だからである。
 しかし、実際のところ、このようにしても、実は「大幅」には変わらないのである。
 作図する。MPの光とは正しくは、日光、陽光である。


            凸i陽(原光:自我)
                 |
                 |
  第二象限(重力)     |   第一象限(光)
                 |
-1(原子核)_____MP(日光)_____+1(電子
                 |
  第三象限(暗黒物質)   |    第四象限(氣)
                 |
                 |
            凹i陰(原闇:感性体)
    
          陰陽ガウス平面図


以下は磁気NSを加えた作図である。

             凸i陽(原光:自我)
                 |
                 |
 第二象限(重力)      |  N   第一象限(光)
                 |
-1(原子核)_____MP(日光)_____+1(電子
                
               S 
 第三象限
(暗黒物質)    |       第四象限(氣)
                 |
            凹i陰(原闇:感性体)
    
          陰陽ガウス平面図


第一象限の光であるが、これは、電磁波にした方がいいかもしれない。そして、MPの日光を光とする。

            凸i陽(原光:自我)
                 |
                 |
 第二象限(重力)      |  N   第一象限(電磁波)
                 |
-1(原子核)_____MP()_____+1(電子
                
               S 
 第三象限
(暗黒物質)    |       第四象限(氣)
                 |
            凹i陰(原闇:感性体)
    
          陰陽ガウス平面図


追記:上記は、MPの扱いがこれまでとは異なる。
 MPを光にすると、重力と光の対がなくなってしまい、不均衡が生じる。
 しかし、ココロは光という考えは適切だと思っている。だから、やはり、MP=ココロ=光となるだろう。
 そして、重力と対になるのは、上記では、電磁波である。
 これはおいておこう。
 問題は光から原子核と電子、つまり、水素原子が生まれるということである。
 敷延すれば、光から森羅万象が生まれるということになる。
 「光あれ!」である。
 これは、マニ教的でもある。
 しかし、MPは陰陽共振と陰陽非共振がある。
 光とそれはどう関係するのか。
 光も二種類なのか。
 陰陽共振の光と陰陽非共振の、二つの光があるのか?
 どうも違うように思う。
 本稿は検討し直さないといけない。

追記2:思うに、光が分化して、原子核と電子になると見ればいいのではないだろうか。
 そう、光であるが、これは、虚軸のMPにおいては、unseen light, invisible light, dark lightである。これは、D. H. ロレンスのdark sun あるいは、シュタイナーの霊的太陽に通じよう。
 つまり、光、日光、陽光は背後があるのである。氣的太陽である。氣日である。
 そう、若い頃見た、海辺での真夏の太陽の空は、闇が広がっていた。闇の日光、闇の太陽である。

追記3:MPを光にするとやはり、不具合が生じる。
果たして、光が物質を創るとしていいのだろうか。
氣が物質を創るのは正しいが。
 私は陰陽共振を肯定的に捉え、陰陽非共振を否定的に捉えているが、それは間違いではないだろうか。
 確かに、自我は陰陽非共振であるが、必要なものだろう。
陰陽非共振がなければ、知覚が生まれないのではないだろうか。なぜなら、陰陽共振は調和であり、一体化であるからである。それは、対象と一であり、知覚はないだろう。
 そう考えると、ココロとは、陰陽非共振と陰陽共振の対のものである。知覚と一体的感覚が共生しているものということになる。
 それは正しいだろう。
 光も、日光もそのようなものとして見ていいのだろう。
 光は観ると同時に、観られるものということになる。
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