違うな。


その先を 知るためだ。


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私には愛した男(ひと)がいた。

ラステロ・フェニカ・アルニアームは、強く、深く、聡明で、少しだけ調子のいい人だった。

とても、勝手な人だった――

本文:◆「祈りの国に響く歌~闇~」

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2014年1月27日、永井一郎さんがお亡くなりになられました。普段は芸能的なニュースにはまったく関心を向けない自分ですが、こればかりはさすがにショックを受けました。こんな風に感じるんだなと驚くほど。なにか日常の中で当たり前にあったものが不意になくなったような感じがします。永井さんの存在はそれぐらい生活に浸透していたのだと思いました。
同時に、以前から気になっていた演技力の一端を、改めて考え直してみようという気になりました。なぜ永井さんの存在をこれほど大きく感じるのか、その理由にもなっていると思うので、よろしければおつきあいください。

永井一郎さんの代表的な役といえば、なんといっても「サザエさん」のお父さん・波兵でしょう。日曜夕方の顔、日本の親父といえば間違いなく五本の指に数えられる国民的お父さんだと思います。
最近の大きな役だと、HUNTER×HUNTERのネテロ会長、ハリーポッターのダンブルドア校長。古いところだとガンダムのナレーションなどもありますね。重要な役から裏方的な支えまで、実に幅広い芸風です。
他にも、気づけば居るなという印象の脇役も多い。パッと思いつくのはナウシカのミト爺やラピュタの将軍、はじめの一歩の猫田さんなんてのもあります。シリアスからコミカルまで、同じ作品の中ですら切り分けが難しい役を見事にこなされていました。
地味な脇役こそ作品の土台を作る。永井さんの演じられた役は、その役目を十二分に果たしていました。彼の演技があるだけで作品に芯が通るような気すらする。主張はせずとも確かな存在感を意識させる名演だったと思えます。

この印象がどこから来るのか。演技力の解析という意味合いで考えてみました。

まず、発声そのものが非常に分かりやすいという点があります。滑舌かつぜつがよく言葉の一つ一つがきちんと聞き取れる。声質として通りがよい。十二分な声量がある。これらは声優のみならず、演技者や声に関わる仕事の人にとって重要な基礎だと思えます。
もちろん人によって個性やクセはあるでしょうが、永井さんは自分の声の特性をきちんと理解し、その長短を自身で制御していたのではないでしょうか。ただ聞きやすい・分かりやすいだけでなく、自分の言葉を伝えるにはどのように行えばいいのか。その試行の果て、多くの人に共感させる演技に至ったのではないかと感じます。

上記のように発声そのものが魅力を有しているのですが、声質の幅としてはそれほど広い域ではないとも感じていました。声さえ聞けば永井さんだと分かる、よく言えば特徴のある、悪く言えば同じ声の演技。こういう評価の人もいるのではないかと思います。斯く言う自分が最初のころはそんな風に考えていましたので。
しかし、頻繁に聞く声だと意識するようになると、想像していた以上によく聞いている、だがまるで気にはしていなかったと、逆に驚かされました。同じ声であるはずで、気づけば確かにそうなのだけど、作品ごとの中で聞くとほとんどそれを意識させない。そんな違和感すら抱かせない自然さで、キャラクターの特徴を認識させてしまう。
これこそ演技力の最たるものではないかと、個人的には思うのです。

永井さんの名演は数えだすと切りがないのでしょうが、自分が個人的に印象に残っている場面は、ラピュタの将軍で天空の城に上陸した直後のシーンです。タイガーモス号が捕獲され、捕らえた海賊たちを前にイヤミたっぷりに宝を見せ付ける、あの場面。思い出せるでしょうか?
脚本的な秀逸さもありますが、あのシーンのなにがすごいかというと、時間にして一分もない場面の中で将軍のキャラクターすべてが演じられていると感じることです。兵士たちへの統率力、宝を目にした際の物欲、今まで苦渋を飲まされていた海賊に対する苛立ち、それを解消したことによる下衆な優越感、その後にはあっさり殺すと語る残酷性、上位思考、直後に残りの宝を独占しようとする愚かさ。少ない映像、小さな動き、その中でも確かな存在を、強調させすぎずに残している。こういった小さな積み重ねこそが世界を確立するのだと、個人的には考えています。

クライマックスや目立つシーンでキャラを特徴的に演じることは、ある意味で簡単なことでしょう。なにしろ作品そのものがその意図を描くために作られているのですから。見ている者にもっとも伝えたい部分で、これが伝わらないほうが問題です。
しかし、作品に土台の頑健さと奥深さを与えるものは、派手さのない地味な日常、シーンとシーンをつなぐ合間、キャラたちも素に戻る何気ない部分だと思います。普通なら気を抜いてしまう平坦な場面だからこそ、クライマックスと比較する差異の基盤となりうる。ここを意識し、しかし見ている者にはそうと感じさせない自然な、それでも特徴をしっかりと残す演技。この点において、永井さんは実にハイレベルな意識を有していたのではないかと思うのです。

たとえば、永井さんが演じられた数多くのキャラクターに「おはよう」と挨拶だけさせたとしても、ほとんどが聞き分けられるのではないでしょうか。波兵さんであれば明るく朗らかに、ネテロ会長であればややひょうきんに、ダンブルドア校長なら少しゆっくりと、ナウシカのミト爺なら厳格な、ラピュタの将軍であれば上からの、すべて別種の演技により表現してくれると、聞くまでもなく違いが現れると予感できます。
これらは技術的にも解析できるでしょう。声の高低、ビブラートやダミ声、リズムやイントネーションの違いなど、演じ分けの明確な手法は色々あると思います。
しかしその根底にあるのは、演じるキャラクターに対する演者自身の理解でしょう。それは作者の意図とも異なる、演者が伝えたいと思うキャラクター像です。求められる人物像はもちろんあるでしょうが、完璧に同じにはならない。演者の人間的な感性と経験が、求められる人物像の足りない部分を補完する・してしまう。
そして演じられるキャラクターは、もう「演者の作品」と言ってよい。作中において他のキャラクターや物語の流れといったものと互いに影響しあいながら、確かな個性として感じられる。これこそ評価されるべき「声優の演技力」なのではないかと、個人的には思うのです。

これらを学ぶため、永井さんの出演作は非常に優良な教材になるのではないかと感じます。声優を目指す人たちは教科書代わりにしてもよいのではないでしょうか。
声や演技のみに限りません。文章創作をしている自分自身、ずいぶん多くのことを学ばせていただいたような気がします。他の領分においても同様の考慮を見出すことができる。ただ声の演技だけから、実に多くのことを意識させていただけました。これからもさらに多くのことを発見できるでしょうし、していこうと思います。

永井一郎さん。おつかれさまでした。
そして、ありがとうございました。

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多くの人が集い生きる街に、木を生む森は欠かせない。建築や道具・祭器の材料を、暖や炉に焼(く)べる燃料を、家畜や子どもを育む命を、浄化をうながす清涼を、正しき森は供し、与えてくれる。

故(ゆえ)に人は木々を敬い、森を美しく整えてきた。神の庭として管理し、健やかな獣たちを住まわせながら、限られた者にのみ踏み入ることを許し、正しき域を広げんと努めた。

だが、木々の連なりが生む蔭は、同時に闇をも誘い、よどませる。歪んだ命をも呼びこみ、招き、へだてなき安息を与えもする。歪んだ樹の瘴気に毒されれば、健やかな木々も穢れに堕ちる。異形を膿み、育み、殺す、歪んだ森に姿を変える。

だからこそ、人は細心の注意を払い、正しき森を守りきた。深い祈りと優れた武を誇る戦士の中から森林衛士(フォレスト)を選び、広き森の隅から隅まで心を砕くまなざしを注ぎ、密かに這いよる穢れの欠片もわだかまらぬよう駆逐してきた。一度闇に侵されたが最後、森が清浄を戻すためには長い時を要するため、日々の守りは絶やされることがない。

……はず、なのだが。――

本文:◆「祈りの国に響く歌~闇~」

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10歳にして菓子に動かされ、
20歳にしては恋人に、
30歳にして快楽に、
40歳にしては野心に、
50歳にしては貪欲に動かされる。
いつになったら人間はただ知性のみを追って
進むようになるのであろうか。
byヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

たぶん死ぬ数秒前。 by野良


喜んで行ない、そして行ったことを喜べる人は幸福である。
byヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

どちらも苦痛にまみれています。
それでもやらずにはいられません。 by野良


活動的な馬鹿より恐ろしいものはない。
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活動しない馬鹿に存在意味がありますか? by野良


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人生の味はわからない。 byヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

二度と食いたくないね。 by野良


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人生において、万巻の書をよむより、
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