えー
本日ワタクシ



派手にぶっ転びまして、、、

激しく負傷しております不安




お昼、仕事に行こうかと思ったら
キッチン改造計画の業者さんが来まして


色々とキッチンで話していて

あ!全部書いた物がバッグにある!
と走って居間まで(数歩の距離)
取りに行ったら、、、、



カーペットの端に足を取られ

床にダーイブ驚き驚き驚き




腕が変に曲がったまま
ワタクシの全体重を乗せてしまい




見事に負傷、、、えーん
(肋骨も)




え?今?

腕は伸ばせず曲げれず
激痛と戦っております





折れてはいない
ヒビも入っていないと思われる


寝て治らないようなら
明日、病院へ行ってきます



お母さん!
なんで助けてくれないのさー笑い泣き




足腰を鍛えなければなのだ


顔は洗えるだろうか、、、悲しい
ま、いっかーキメてる


それにしても痛いぜぃ






にゃんこです
元気です
最近喉が赤ちゃんで
すぐにむせます
気を付けないと~



母の事、書きましたが
ちょこっと補足





最初の頃は咳がひどくて
腹筋やら肋骨やらも痛くなって大変でした


咳き込むと止まらなくて

母と二人して
「咳め!こんちきしょー!」言ってました



ですが、1月15日頃から
咳はピタッと止まりました


咳止めも飲まなくても大丈夫でした



肺がんはとても苦しいと言われましたが
咳が止まったのは幸いでした



それよりも
肝臓が大変だったんだけどね



だけれども
これも
幸いにも痛みがほぼ無かったの



少し痛い時は
カロナールを飲んだら治るし




地元の主治医には
緩和ケアの話をされた



痛みが強くなった場合は
モルヒネで、、、って



でもその場合は
意識が朦朧とするから
会話は出来ないでしょう、、、って


だけど痛いのは辛いから
きっと最後はモルヒネだろうな
って思ってました





だけれど、必要なかったの





病気は
恐ろしい早さで進行したけれど



こう言ってはなんだけど
そのスピードと共に

脳にアンモニアが上がっていったから
痛みを感じなかったらしい




全身の怠さだけは
どうすることもできなかったけれど。




最後は
肺よりも肝転移が原因



親戚の看護師曰く
肝臓なのに顔色もかわりなく
とても綺麗だと言っていた



「死に化粧は頼むね」って言われていて
「今使っている口紅は赤すぎるから
少しティッシュで押さえてよ」

なんて事まで言われていた



母は自分の遺影は去年の5月の
父の葬儀の時から決めていたので

「わかってるよ、引き出しにある
あの写真でしょ」


54歳の時の写真ねぇニヤリ





狭い町

父がアルツハイマーになってから
母は出歩くのを止めた

あんなにみんなで騒ぐのが大好きな母が

あれこれと言われるのが嫌で、、、


そして父を入院させてからは
より一層
遊びに行かなくなった



「なんて言われるかわからないから」って



田舎はほんと怖いのよぉ






母が着ていたフリース
もう20年くらい着てるフリース
捨てるに捨てられず

ソファーに横になる時の
枕カバーにしてみた照れ


そして袖口で
私の愛車のエンジンスターター入れを
作ってみた


持っているとなんとなく
ホッとするニコニコ


ソファーはミウに占領されてるけどね爆笑




大晦日台所に立つ可愛い母





2023年12月5日
肺がんの疑い

2023年12月13日
肺がん告知 肝臓に無数の転移
首のリンパ転移

2023年12月23日
PETCT

2023年12月26日
小細胞肺がん確定
骨転移3ヵ所
脳転移は無し

2024年1月10日
地元の病院へ紹介状を貰う
無治療



※記事を読んで私がとても献身に思えるかもしれないけど、そんなことありません

一時間おきに起こされた日々は
苛立ってしまう事もあったし
態度が悪くなる事もあった



やれることはやった?

ぜんぜん

私は未熟すぎます

でもね、キャパオーバーだったんだ

ごめんね

私の性格わかってるよね

許してね






2024年2月2日 午後

訪問看護師さんが来てくれた



母はいつもは薄いスパッツで寝ていたけれど、お腹がぱんぱんだからと
普通のパジャマに変えていた私


看護師さんに相談したら
裾捌きが邪魔になると思いますって


スパッツのウエストを確認してもらい
お墨付きをもらって履き替える事にした





管の心配を伝えると
確認して
綺麗に洗ってくれた


母はとても喜んでいた
良かった




寝返りとか、ベッドに座らせるのとか

今までは抱きついてもらってから
持ち上げてたんだけど

抱きつく力がなく
私の力では
とても困難だった



そしてベッドに座らせても
手を離してくれなくて




後に兄ジャと話したんだけど

あんなに母と密着したことなんて
元気な頃にはなかったよね、、って。




訪問看護ではバイタルは問題なし

安心安心




そしてーー!
夕方、兄ジャが
なんとーなんとなんと


折ウニを買ってきてくれた!



兄ジャは毎日スーパーや魚屋で
ウニ探しをしてくれてて
やっと売ってた!って!




2月2日   18時50分
お楽しみのウニおねがい

スプーンで掬って口に運ぶ


これなーんだ?って聞いたら

「たらこ?」だってーーー笑い泣き



おいおい、ウニだぜぃ



ウニだよって教えたら

折の3分の2をペロッと食べたニコニコ


やっぱり高い食べ物は食べるんだねキメてる


夕べの残りのハマチは
いらないと言った
すげーな指差し





2024年2月3日  0時
様子がおかしいので兄ジャを呼ぶ



救急車を呼ぶと言ったら
絶対に病院へは行かない!と



そして

今日死ぬ


と言った








聞き間違え?


でも、そう聞こえた




病院へ着き

主治医の話では
あと1週間くらいなので
会いたい人がいたら
会わせてあげて下さい



なんせ田舎なもので

母は病気を知られるのを嫌がった


いつも元気な事が
トレードマークだった人だから
弱っている姿は見られたくないのだろう



でも意識がはっきりしたら
会いたい人を聞こうと思っていた







2024年2月3日  10時35分
母  永眠








待っててって言ったら
うんってかすかに言ったのに
待っててくれなかった





バタバタと月日は経ち
初七日


初七日は皮肉にも
母の誕生日

喜寿



近所の商店に行ったら

たくさんのホタテを貰った



クタクタの私は
泣きながら殻を剥く



あーーー、今じゃないってーーー
いらないってーーーー



でも
みんな気にしてくれて
ありがたい



介護中は
友達に
泣きながら電話したり


ばったり会った仲好しのお客さんに
話して泣いてしまったり


仲好しのブロ友さん(心の友)に
聞いてもらったり


いっぱい助けて貰いました




私は元気です



ニャンのミウもご飯を食べなくなったけど
やっと普通に食べてくれるようになりました

ただ、私が夜に泣いている時は
じーーーっと私を見つめてる


大丈夫



全然実感無いし
でも母がいないのは本当で




明日は四十九日

たくさんのお花を用意した


酒のつまみと
大好きなコンビニサンドイッチと
スィーツと、たーくさん!






私の気持ちの整理の為の記事に
最後までお付き合い下さって
ありがとうございます




でもさー
最後の晩餐がウニなんて
スゴくない?
そんな人、めったにいないってー

さすが母だ!









父と楽しそうな可愛い母
ん?あんま可愛くない!笑
天国で仲良くしてるかなぁ



おしまい



2023年12月5日
肺がんの疑い

2023年12月13日
肺がん告知 肝臓に無数の転移
首のリンパ転移

2023年12月23日
PETCT

2023年12月26日
小細胞肺がん確定
骨転移3ヵ所
脳転移は無し

2024年1月10日
地元の病院へ紹介状を貰う
無治療








2024年1月29日
退院したらなんだか元気になった

やっぱり家がいいよね‼️



私も2日間しっかり寝たから
体力回復ニコニコ




相変わらず便が出ない母

その事をずーーっと気にしてる


腸は動いてるから大丈夫だよ!



医者から怖いことばかり言われてるから
不安でいっぱいだよね、、、





1月30日 7時
呼ばれて行くと

おっぱいにしこりがある と、不安がる

触ってみると
、、、、、骨だよぉ

もともと痩せている母
なのにまた痩せたから骨が出ちゃったね



「お母さん、骨だよ
しこりなんて無いから大丈夫だよ」



怖いよね
不安だらけだよね

突然のがん告知が
ステージIVだなんて
怖くてたまらないよね
私も怖いけど
お母さんはどんなに恐怖だろう、、、





なだめたら
安心したみたいで
朝ごはんはちゃんと食べた

ロールケーキとカフェオレウインク
オシャレじゃないかー




お昼ごはんはほぼ食べれず

お粥も飲み込みにくくなった




夕食はお粥をミキサーにかけ
レトルトの介護食にしてみた

完食!
ウィダーも飲む



ドライシャンプーと身体拭き

気持ちいいと喜んでくれた



でも確実に状態は悪くなっている


こわい、こわいと言う
※こわいと言うのは身体がダルいとか
しんどいという意味の方言



1月31日17時
息が苦しそう
ずっとベッドにいるから
ベッドの沈み具合とか、身体は辛いよね


ソファーに行きたいと言うので
連れてくると
「楽だーーーー」とそのままぐっすり寝た



兄ジャの帰りを待って
母のベッドを上下ひっくり返す


食事はシャーベットとウィダー、OS-1のみ

手に力が入らずスプーンを落とす






2月1日 0時30分

身体がこわいよーと呼ぶ


隣に横になって話しながら身体を撫でると少し眠る




夢で起こす

女の人がずっと床に座って
見ていると言う


姉ちゃんか母さんが迎えに来たと言う




2月1日  8時30分


栄養食ムース完食!

普通のご飯が食べたいと言う
「ムースはもう嫌だ」ってさショボーン



10時30分
リンゴ食べる?って聞くと
食べる!って

すりおろさずに薄く小さく切ってあげたら、シャリシャリと
美味しそうに食べた


今日は食欲があるみたい

良かった



その後プリンも少し


そして
異例の早さで届いた車椅子に乗ってみる


楽そうだ!


17時30分
お腹が痛いという

レベルは5~6
たまに痛い



ムースが嫌だという母に
何を食べさせようか考えて


!!!!!
そうだ!ハマチの刺身なら
口の中で溶けるよね!

と思い兄ジャにお魚屋さんで買ってきてもらった



少ししか食べなかったけど
固形物だぜ!


本当はウニを食べさせたいのだけれど
ここのところ折ウニは売っていない


食べさせたいなぁ





20年くらい前
母とお上りさん
東京にすぐ順応した可愛い母


この記事の時の写真です↓


2023年12月5日
肺がんの疑い

2023年12月13日
肺がん告知 肝臓に無数の転移
首のリンパ転移

2023年12月23日
PETCT

2023年12月26日
小細胞肺がん確定
骨転移3ヵ所
脳転移は無し

2024年1月10日
地元の病院へ紹介状を貰う
無治療





母が入院して
久々に自分のベッドでぐっすり寝た

ゆっくり起きて朝ごはんを食べて
6日ぶりのシャワー


体も頭も痒くてー


一応スマホを持ってのシャワー




スッキリして、さて上がるか!と
思ったらスマホが鳴った



恐々とスマホの番号を見て
すぐにわかった


病院だ、、、

とたんに足が震える
足ってこんなにあからさまに震えるんだな、、、





とにかく電話に出る

やっぱり病院だ

覚悟した





「お母さんが退院したいと言ってます」


私「、、、、え?」




病状は安定してるらしい

そして、とにかく母が
家に帰りたいと言っているとびっくり




医者も、病院で出きることは
もう無いから少しでも家で過ごした方がいいでしょうと。



「あ、それとシャーベットが食べたいと言っているので持ってきてください」
だってー



あー、まだ足がガクガクしてるよ



お昼
シャーベットを持って病院へ



少しは元気かな?と思って
病室に入って愕然とした




意識がほぼ無い

ベッドから半分落ちそうな状態で
虚ろ、、、、、




え?なに?
悪化してない?



声をかけても会話が成立しない

まずは体勢を戻してあげて
身体を楽な姿勢にした




医者が来た

「お母さんは精神的な面が大きいみたいなので鬱の薬を飲ませました」


私「、、、、、、鬱?」



医者曰く
病状よりも精神面の方が大きいと
まだそこまでの病状ではないと


腑に落ちない


色々話したが
翌日、退院させることにした


兄と相談して
鬱の薬はやめてもらうようにした



後に医者は言っていた
鬱の薬は一番弱くしたらしいが
肝臓が弱っているので
効きすぎてしまったと

ばーーーか!





母は、お腹が痛い痛いと言う

鮑や肉や美味しいものをたくさん食べたから、、、と


朦朧としているから
旅行の中にいるんだね





2024年1月29日
退院は16時

兄の仕事が一段落してからにした


13時
荷物をまとめるのに病室へ


まだ少し朦朧としてるけど
昨日よりは全然いい




ベッドに座らせ
シャーベット、ウィダー


身体を触ると、右背中が腫れていた
撫でながら、家に帰ったら
全部良くなるからね と声をかける




しょんべん管のレクチャーを受け
無事に退院





夕食は茶碗蒸しを完食してくれた

歯磨きも顔拭きもちゃんと出来た



そして、背中の腫れが無くなった!
痛みも無くなった!



お母さん、すごいね!
絶対大丈夫だよ!




明日はケアマネさんがくるよ
車椅子を借りられるよ



夜におしっこがしたいと言う



管入ってるから
全部袋に入るから大丈夫なんだよ
と説明して


母の顔を手でぐちゃっとしたら
可愛く笑った


愛おしく思った





スタイリッシュな可愛い母