ねこたより

ねこ・音楽・旅を綴ります


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あめ爺のトレードマークは首輪と鈴。


まぁ…ちいポンもそうだけど、特にあめ爺の場合、外猫だった時は首輪は飼い猫である証として必需品だった。

 

 

 

あめ爺とちいぽんは、自分たちの鈴の音を「チリン、チリン」と得意げに鳴らしていた。

当人たちはわりと鈴が気に入っていたと思う。

 

 

 

家猫時代・16歳の頃

 

 

 

私たちも、鈴をつけているとねこたちの存在が近くに感じられて、ちいポンやあめ爺の鳴らす鈴の音は大好きだった。

 

 

 

外猫だった若き頃の雨は、自分の縄張りを守るために毎日外で闘っていた。


 

 

 

去勢した雄であっても外猫として生きると、外ではスプレーをすることもある。

私は雨が家の周りのあちこちにスプレーをしているところを何度か見た事がある。

家の中ではすることはなかった。

 

 

 

外猫時代の雨・2階リビングにて撮影

(参照記事 → Eye of the Tiger♪

 

 

 

ただ、一度だけ家の中で派手にスプレーしたことがあった。

野良の雌猫に家の中まで追入られ怖くなって、雨は自分の縄張りを主張して部屋の障子一面にスプレーをした。


 

 

 

困惑し、途方に暮れたのだろう。

あの雨でも女には弱かった…

 

 

 

流れ者の野良の雄たちと、毎日のように渡りあってた。

追っかけたり、追っかけられたり、他の猫に傷つけられて尻尾に凄く深い傷を負って帰ってきたこともある。

 

 

 

外猫時代の雨・裏庭の縁側にて撮影

 

 

 


私がたまに外で雨を見かけても、目をキリッとさせて「俺は今忙しい」

と飼い主には目もくれず、縄張りの警戒にあたっていた。

 

 

 


私から見て、あの頃が一番雨が生き生きとしていたと感じる。

 

 

 

家猫になった当時撮影

 

 

 

 

14歳の頃から、我が家の様々な事情により、雨は完全な家猫となった。

雨の慢性腎不全を疑うようになったのは、亡くなる4年前、約16歳位の頃からです。

 

 

 


多飲多尿傾向を感じてすぐに獣医さんに連れていった。

慢性腎不全という診断でした。

 

 

その時から慢性腎不全について調べ考え、
様々な療養食を試しました。

ある療養食は普通に食べてくれたので、その療養食による食事療法をすることにした。

 

 

 

雨と療養食・その当時の写真

 

 

 

食事療法が効いたのか、それから3年は何も変わりなく普通のねことして生活していました。

 

 

 


まだ足腰も強く、高い場所もあまり苦としてなかった。

しぐれやみぞれが寝ている、リビングの高さある食器棚にもひょいっと軽々ジャンプすることができていた。

 

 

 

家猫時代・慢性腎不全前15歳の頃

 

 

 

19歳の春になってガタッと体調が崩れた。


夏のように暑い日なのに、とても寒がって部屋の奥の暖かい場所を探したりして、自分の体温調節がうまくいかなくなったように見えた。

 

 

 

そして私たちは雨がその夏を越えられるのか不安を感じていた。

 

 

 

家猫時代・慢性腎不全前14歳の頃

 

 

 

それから慢性腎不全を示す数値がかなり悪化し、夏前から3、4日に1回位のペースで獣医さんでの輸液を始めた。

 

 

 


夏には食事が自力で摂れなくなり、強制給餌を始めた。


その時には、雨はもう高い場所には上がれなかったけれど、強制給餌と輸液をする以外は、ほぼ普通に過ごした。

 

 

 

家猫時代・慢性腎不全前に撮影

 

 

 

その秋から、彼が大好きだったきびなごを焼いてあげて毎日食べさせました。

きみなごだけは、少量でも自分の意思で食べようとしてくれた。

 

 

 

きみなごを食べる雨・その当時撮影

 

 

 

その冬までは自力で歩いてトイレで用を足しましたが、

冬からは歩くことも満足にできなくなり、常習的に妻(Nekotayori.B)の布団にオネショするようになった。

 

 

 


その冬は今年のようにとても寒い冬だったため、羽毛かけ布団とタオルケットを二つ折りに半分に折り(タオルケットとかけ布団の隙間にペットシートを何枚も挟み)その間で雨に寝てもらった。

 

 

 

ホットカーペットや暖房機、湯たんぽを使うと雨は、はってそこから逃げてしまったので、私たちはそうするより他に考えられなかった。

ただ、それが正しかったのか今でも分からない。

 

 

 

家猫時代・慢性腎不全前に撮影

 

 


それまで猫と一緒に生活するということで大変だと感じたことは、殆どありませんでした。

 

 

 

毎日
療養食をミキサーにかけ、かなり長い時間をかけて強制給餌をし、

3日に1回獣医さんへ輸液に行き、布団を洗い、

そして毎日タオルケットを洗うのはとても大変だった。

 

 

 

お正月に、私が早起きしリビングで朝から一人お酒を飲んでいたら、それまで殆ど歩けなかった雨がやってきました。

私はびっくりしながら、彼といくらや蒲鉾を分け合って食べた。

 

 

 

それが私と雨との最後の良い想い出です。

お正月の軌跡。

 

 

 

雨はイクラや蒲鉾を喜んで食べた。

もうその頃は、普段なら猫にあげないような食べ物であっても、欲しがるものなら何でもあげました。

 

 

 

2011年正月過ぎに撮影

 


 


正月を過ぎてから、もう長くはないことははっきり感じていました。

私たちには、雨の生きる力を全く感じなかった。

 

 

 

下の写真は、2011年1月28日に雨が日光浴をしている姿です。

 

 

 

ほぼ寝たきりの雨が、私たちが気づかないうちに彼の寝室から自力で窓辺まで歩いてきて、いつも間にか日光浴をしていた。

おそらく這うように窓辺まで来たのだと思う…

 

 

 

 

2011年1月28日撮影

 

 

 

しぐれが日光浴しているあの窓辺です。

 

 

 

翌日の早朝、妻の号泣で私は目が覚めた。

私には雨が逝ったことはすぐに分かった。

 

 

 

その日は土曜日だったので、その翌日、雨を動物たちを焼いてくれるお寺に連れて行きました。

 

 

 

そして、雨を焼いていただいた。

 

 

 

 

 

Set Fire to the Rain
Adel Adkins,Fraser T Smith
Adel
 
 
 
雨には感謝の気持ちしかない。
 
 
 
この曲の歌詞の内容は、私の気持ちには合っていないかもしれない…。
今回の記事は、曲題にだけのせました。
あしからず。
 
 
 
カヴァーを探して、たくさんのこの曲のカヴァー動画を見ました。
皆さんが、アデルさんへのリスペクトと供に、高く険しい山のような彼女に立ち向かっていく姿は、みんなとても勇ましく格好よかった。
 
 
 

(2013年1月29日ブログねこたより掲載・改題加筆)

日光浴・参照記事 → イパネバの娘♪

         → Here comes the Sun♪

         → With A Little Help From My Friends♪

    

 

 

 

                      

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