いてふの実

宮澤賢治「いてふの実」

そらのてっぺんなんか 冷たくて冷たくて
まるでカチカチの灼きをかけた鋼です。
そして星が一杯です・・

講座「お話を聞いて絵を描こう!」
対象 小学校1,2年生 絵画教室(講師 Chihiro Kasuga) にて
宮沢賢治 作 「いてふの実」を朗読して、それを聞いて子供達が絵を描きました。
その翌日、自宅で録音したものです。
こどもたちに朗読した時の、こどもたちの真剣なまなざしを忘れないうちに・・と、録音しました。

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宮澤賢治 「ざしき童子のはなし」
自宅録音です。
今ならもう少し、渡しのおじさんの言葉も変えられるでしょうが・・
「ああ、もうちょっとなんとか・・」
と思いながら、こんな風に読んでいました。

この年の10月の、最初の朗読コンサート、ピアノサロンパッサージュで朗読した演目のうちのひとつ。
この時が、音楽とのコラボレーション企画
「Another World」シリーズの始まりでした☆

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最初の朗読コンサート「Another World へようこそ!」~即興ピアノとともに~
が2010年10月で、
京都でゴーシュ、は、その前だったような気がしていたのですが・・

2011年(5年前)の五月でした。

葵祭りと京都府立植物園と鴨川沿いの散歩
2011年、5月に京都で朗読した「セロ弾きのゴーシュ」です。

荒っぽくて間違いも多かったけど、勢いがあっていちばん好きなゴーシュです。
またどこかでやれますように。

当時の日記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1722817498&owner_id=21947730

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2011/02/05 にアップロード

始めて宮島さんにお会いした時に、この絵を見つけました。
赤の色がとても素敵で、思わず詩画集を買ってしまいました。

「朗読してるんです。この詩、読ませて頂いてよろしいでしょうか!」
で、快く許可して頂きました。


「妙な絵物語」絵・文 宮島永太良 より
「何が本当の恵みなのか、今はわからないのだから」
川の流れに揺られながら、
今日も舟を漕ぐ音が聞こえる。
わたしたちは知らない間に舟に乗せられ、
自然のままに漕ぎ続けていた。
本当に降りたい所に到着するまでは、
どこまでも進まざるを得ない。
その間には腹も減るし、疲れもする。
そんな時天を見上げれば、いつでも恵みの玉が
希望の糧を与えてくれていた。

時には他者を犠牲にしながら、
先を急がねばならないこともある。
そんなことにふと気づくと、
自分を責めたい時もある。
しかしどんなことがあろうと、
舟を漕ぐことを忘れなければ、
その手を止めることをしなければ、
きっと救いの手が差し伸べられるはずだ。
止めてしまえば、行き先もわからなくなるだろう。
恵みの玉も見えなくなってしまうだろう。

目の前に与えられた希望の糧に、
今はただ頼って動き続けるしかないのだ。
何が本当の恵みなのか、
今はわからないのだから。

2016/07/18 に公開

岩手県花巻市にある、
高村光太郎記念館に行ってきました。
光太郎翁が昔住まっていた庵が、
今でも大切に保存されていました。
宮沢賢治の父征次郎が招いたそうです。

高校生のころ愛読していた「智恵子抄」を懐かしく思い出しました。今、初めから読み返しています。 kaki☆

PCを変えたため、アップロードする動画が短くなってしまいました。
後半だけ入れてあります。

樹下の二人
――みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ――

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。

あなたは不思議な仙丹(せんたん)を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉とらへがたい
妙に変幻するものですね。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。 (高村光太郎作 「智恵子抄」より)


2014/07/11 に公開

とても好きな詩です。
蕗の花が咲く 6月の
やさしい やわらかな風景画

宮澤賢治 詩集『春と修羅』 「グランド電柱」より 「林と思想」

「林と思想」
そら ね ごらん
むかふに霧にぬれている
茸のかたちのちひさな林があるだらう
あすこのとこへ
わたしのかんがへが
ずゐぶんはやく流れて行って
みんな
溶け込んでゐるのだよ
ここいらはふきの花でいっぱいだ (1922.6.4)

2012/11/19 に公開

中原中也の「在りし日の歌」より。

一つのメルヘン

秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。

陽といつても、まるで硅石(けいせき)か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました......
中原中也 作「在りし日の歌」より(青空文庫から)

ここのところ、詩をずっと読んで録音しています。
宮沢賢治の詩をしばらく読んでいましたが、なかなか難しく、
中原中也の詩と萩原朔太郎の詩を、読んでみようと思いたち、
まずは「在りし日の歌」から数編選んで読んでみました。

詩の朗読の練習・・という意味もありましたが、
やってみると、思いの外、詩というのは作者の息づかいが出るものなのだ・・
ということがわかりました。
どちらかというと、台詞の練習に近い部分があるのかもしれません。

「在りし日の歌」のなかの詩には、幼くしてなくなった愛児文也への作者の思いが、言葉の端々にうかがわれます。

秋の夜思うのは
小石ばかりの河原。
そこは、どんな場所なのでしょうか。
消えた蝶は、どうなったのでしょうか。

「湖上」と同じく、とても好きな詩です。

詩 竹 萩原朔太郎

テーマ:
2012/11/17 に公開


光る地面に竹が生え
青竹が生え
地下には竹の根が生え
根がしだいにほそらみ
根の先より繊毛が生え
かすかにけぶる繊毛が生え
かすかにふるえ。

かたき地面に竹が生え
地上にするどく竹が生え
まっしぐらに竹が生え
凍れる節節りんりんと
青空のもとに竹が生え
竹 竹 竹が生え。
萩原朔太郎 作

2012/11/01 に公開

北の海

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。

曇つた北海の空の下、
浪はところどころ歯をむいて、
空を呪(のろ)つてゐるのです。
いつはてるとも知れない呪。

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。
中原中也 作「在りし日の歌」より(青空文庫から)