ひい爺ちゃん

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ウチの母方の曾祖父(ひい爺ちゃん)が、人形浄瑠璃の三味線のお師匠さんだったというのは母親から聞いて知っていた。

先日あらためて調べてみたら、コトババンクにも載っているその当時では有名な三味線方だったらしい。

中井庄吉とう人で、五世 豊澤仙糸(トヨザワセンシ)を襲名している。

当時のレコードの音源が残っているのだけど、歴史的音源として、国立国会図書館に保管されているみたい。
ひい爺ちゃんスゲ〜〜ϵ( 'Θ' )϶

ラジオ番組の人形浄瑠璃の歴史を伝える番組の書き起こしのページがあって、それを読んでたら当時の曾祖父の生い立ちや数々のエピソードが書いてあってあらためて面白かった。


明治から昭和の終戦の時代に生きた人なので、敗戦後の日本にあって、人形浄瑠璃などという文化を楽しむ余裕は人々には無く、その当時の文楽関係者は軒並み酷い最後を遂げたとある。

ひい爺ちゃんも例外では無く、最後は独居老人としてひっそりと亡くなって、後に有志の集まりで改めてちゃんとした葬儀をしたのは七回忌の頃。

そもそもとても偏屈な人だったらしい。

腕はあるが気に入らない義太夫には弾かないし、自分の演奏も曲げなかった。お弟子さんを取っても見込みのない人には、時間の無駄と言って稽古もつけない、見込みがあればビシビシやり過ぎて半年も持たずみんな逃げだすらしい。家族とも疎遠になって、結果的に孤独な晩年を過ごした。

けど、本人はお金も人も要らなかったんちゃうかな?
関東のあるお金持ちが、大金を積んでお抱えで三味線方に呼んだが、「あんなヘタクソな義太夫と弾けまっかいな」と言ってとっとと大阪へ帰って来たり、三味線を教えれば当時はかなり稼げたそうだが、それもせずにひたすら自分の芸能を磨く事に専念したとある。結果的にとても貧乏して死んだ。

最後の晴れ舞台としてのエピソードが、昭和20年の京都の某料亭で古靱太夫を聞く会が開かれた折に仙糸が三味線を弾いた。

あの空襲下にあって大広間がいつの間にか 芸道に飢えてゐる熱心な聴衆で一杯になっていたとある。
皆浄瑠璃を愛好し 心を浄められようとする美しい集ひで 奈良大阪は勿論 遠く姫路からも このことを伝へ聞いてかけつけた。
語る中に古靱も仙糸も戦争の恐怖など眼中になく 私ども聴衆もいつしか空襲のサイレンも気にならず このままどかんとやられても 本望だとまで聴き入っていた。

この部分を読んで、なんとも羨ましい幸せな人だと思った。

最後まで自分の芸能を極めた人だったのだろうなぁ。

会ったことも無いひい爺ちゃんの事なんて、あんまりピンと来なかったのだけど、こうやってひとつひとつ当時言ったことととか、やってたことなんてのが活字て残っていてそれを読むとひい爺ちゃんの人物像が生き生きとして浮かぶ。

愛すべき偏屈爺さんだったのだね〜( ´ ▽ ` )

会ってみたかったよ。

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