お狐様の困りごと。

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銀杏やケヤキの落ち葉が甘い香りを縁側まで運んで来る風がそろそろ冷たくなってきた。茂平は囲炉裏にくべる薪を取りに外に出た。なんとも美しい月が今宵の空を照らしているのかと夜空を見上げそっと溜め息をついた。かがりはそろそろ本格的に身重になって、何をするにも大変そうで心配でならない。そんなことを夜空を見上げて考えていると、不意に閉ざした門扉を叩く音がした。 
「もぉし、お願いがあり夜分とは思いましたが参じました。茂平様、かがり様におりいってご相談がございます。」 
門の向こうの何某かはそう言うと扉が開くのを待っているようだった。 

扉を開けると、そこには白い狐の面をかぶった一人の侍が立っていた。茂平は慌てて侍を中に通すとかがりを呼んだ。
家人が足湯と手ぬぐいを差し出し、侍はそれに従い足を清めて座敷へ上がった。

侍は居ずまいを直すと畳に手をつき
「私は東の山に住まいます白狐様の使いで館川静之慎と申します。実は我らの山のその奥に住まう狸明神が白狐様の妖術よりもわれの方が上じゃと申されまして、腕くらべを持ちかけてまいりました。この勝負裏がありそうなのですがなかなか見抜けず、白狐様は勝負を受けることにいたしました。しかしながら勝敗を見極めるものは外部の者でなければなりません。白狐様がおっしゃるには『我が勝てば明神はへそを曲げ山を枯らすやもしれぬ。さりとて我が負ければこの山を盗ろうとするじゃろう。この勝負はついてはならぬと思うのじゃが、そのような采配をした時に明神が怒らぬ方法を考えてくれる者はおるまいか。』と頭を痛めておられるのです。どうかお二人にお力をお貸しいただきたく夜分とは思いましたが参りました次第でございます。」
静之慎は一息に話をすると少し安心したのか溜息をついた。
「もともと狸明神は何かと難癖をつけ我が白狐様を小馬鹿にし、陥れようと画策していて、一昨年は我が山を半分枯れさせていまいました。この時には白狐様がすぐに山を元に戻し、動物や木々はもとより山に入る人間に対しても負担にならぬように計らってくださったのですが、年々いたずらが度を越しもう笑って済まされる域を越してしまいました。」
「白狐様もなるべくならば事を大きくせず、その上で狸明神にこれから百年ほど大人しくするようにできる策はないかとお悩みでして。」
三人はしばらく黙りこんで、熱いお茶をすすりながら宙を見ていた。

茂平は湯呑みを両手で包みながら
「明神様は何がご不満でお稲荷様にそんな悪戯をなさるのでしょうか。何か思うところがおありなのだろうか。」
と、問うともなく口にした。
「わたくしども狐は長く生きると白尾になり稲荷として祀られます。ですが狸は古狸と馬鹿にされることが多く明神と祀られることもごくごく稀な話です。それゆえ古来より狸は我ら狐を目の敵としておりました。ところが奥山の古狸はあまりにも悪さの限りをつくすので人間がそれを収めるために明神として祀ったのです。それで収まれば良かったのですが、図に乗った明神は我らをからかい、しまいにはこんな騒ぎを起こしたというわけです。元々がただ悪戯が過ぎる狸ゆえ灸を据えたいのは山々ですが、怒らせれば災いが起き図に乗せればやりたい放題というのでは周りの者にも迷惑至極。白狐様が本気でお怒りになれば明神を消すこともできるのですが、遺恨は残ります。なかなか難しいのです。」
三人はまたも黙りこみ湯飲みのお茶が冷めていることにも気付かずただ空を見つめた。
「私ははこの通り、今は身重で動けません。ですから妹の婚家先の白蛇の箔泰様にお伺いを立ててみてはいかがでしょう。箔泰様ならば良いお知恵をお貸しくださるかもしれませんし、お手伝い下さると思うのです。」
かがりはお腹をさすりながらそう言い二人の顔を見た。
「おお。それは良い考えだ。箔泰様なら良いお知恵をお持ちだろうし、人間の私よりもずっとよい。」
茂平は自分が人間であるがゆえ明神様が納得いくとは到底思えなかったのだ。かがりがついてこられない今、自分だけでこれを収めるのはかなり難儀な話だ。箔泰様がおられればこれ以上に心強いものはない。
静之助はお茶を口に含むと少し考え
「白狐様にはそのようにお伝えいたします。どうか、お力をお貸しくださいませ。」
と頭を下げた。

夜が明けると茂平は箔泰のところに行き、昨夜のことを細かく話した。箔泰はしばらくは遠いところを見るように黙っていた。
「ふーむ。その狸喰ってしまうか。あやつ最近調子に乗っておったしの。古狸というものはたまに手に負えぬ時がある。わしのところで修行でもさせるかの。しかし、その勝負をせずしてそのように決めると狸めもへそを曲げるであろうのう。義兄上とわしで出向いて美しい紅葉と美味い菓子で宴を催す術を所望しよう。どちらがわしの気に入るかとな。」
箔泰は笑みを浮かべ、そのように書状を認めると白ガラスを呼び白狐と狸に渡すように言い山に放った。
「ところで義兄上、義姉うえの具合はいかがじゃな?そろそろみずほを手伝いに行かせようと思おておるのじゃが、長らく姉妹で話もしておらぬゆえそのような機会も楽しかろうと思うのじゃがどうじゃろうの?」
「おお!それはありがたいお言葉。かがりは少し不安なようで、私が出かけている間が心配でした。ぜひお願いしとうございます。」

さて、箔泰から書状の届いたお稲荷山と明神山はこの辺りを統べる白蛇様が我らの術を見てくださるというので上を下への大騒ぎ。やれ菓子は何を選ぶか、花はどうしたものか、女子はいたほうがいいのだろうかともうみんな口々にまくし立てた。

お稲荷山の白狐はそれでも少し落ち着いた様子で、
「われの術を見においでになるのだからそんなにお前たちが慌てることはないのだよ。何もない原っぱさえあればよいのだ。われが勝つか負けるかではない。後は箔泰様にお任せするしかない。」


そんな感じで慌しく幾日かが過ぎ、ついに妖術合戦の日を迎えた。
箔泰は人の姿に変化し白い装束を纏うと茂平とともに原っぱへとやって来た。
原っぱは誰の気配もなくただ風が吹くばかりで、二人は立ち尽くすかに見えた。すると西の方からお囃子が聞こえ大勢の人々が踊りながらこちらへ向かってきた。一番前の者が明神の印を描いた旗を掲げている。
そして人々が通った後には葉の落ちた木々に赤や黄色の紅葉が鮮やかに蘇った。人々は箔泰と茂平の周りを一周すると何処へともなく消えていゆき二人の周りにはススキに桔梗竜胆などが色とりどりに咲き乱れ、毛氈が敷かれ御酒やご馳走が並んでいた。
程なくして今度は東の方からしゃりりんしゃりりんと鈴の音が鳴り響き平安の頃の衣装を身に纏った一団がしずしずとこちらへやって来た。紅葉や銀杏の葉を敷き詰めた道が現れ赤や白、桃色の山茶花の花びらが降る中一行は二人の周りを一周するとまたどこかへ消えてしまった。そして後には山茶花や赤や黄色の木の実が周りを彩り金の屏風や腰掛けが現れ山海の珍味や菓子が置かれていた。
二人が腰掛けに腰を下ろすと稲荷山の白狐と明神山の古狸が現れ腰を下ろした。
「箔泰様、いかがですか。わしらの祭囃子や踊り子たちは威勢がよかったでしょう。わしらはこの妖術合戦が決まってから皆でたくさん練習をしましてな。箔泰様とお付きの者が喜んでくださるじゃろうと頑張ったのですよ。」
古狸は大声で笑うと自慢げに話し出したが、箔泰はきつい顔で睨みつけた。
「お前は何を言っておる。この方は我の義兄上様じゃ。付き人などと無礼な扱い許さぬぞ。」
古狸は驚いて箔泰を見ると
「で、でも、人間でございましょう?」と尋ねた。
「このお方はかがり様の旦那様ですよ、明神様。茂平様とおっしゃいましてね。この度お子もお生まれになる。めでたいことでございますなぁ。」
白狐はニヤリとしながらそう言った。実は箔泰が来ることしか明神には伝えていなかったのだ。
古狸は歯ぎしりをしたが
「申し訳ござりませぬ。知らなかったこととはいえご無礼をいたしました。」と頭を下げた。

そこへ女子たちが現れ皿にご馳走を取り分け御酒を注いぎ、その後ろではもみじの枝を手に笛や鼓に合わせて舞いが始まった。
あたりはさっきまでの肌寒さが嘘のように暖かな日差しが降り注ぎ、落ち葉や花びらがはらはらと散り、この世とは思えぬ景色に変わっていた。
ひとしきり女子たちが舞い踊ったと思ったら、今度は祭囃子に乗せて神輿が現れた。ふんどしに法被姿の男たちが威勢良く神輿を上へ下へと担ぎ上げ神輿の上では勢子が扇を振りながらはっぱをかける。周りの風景は稲刈りの終わった田んぼにスズメが落ち穂をついばむ姿が見え、子供達が飴や風車を手に神輿を見て手を叩いている。神輿が去ると辺りにあった田んぼはかき消えて、また色づいた木々が静かに佇んでいた。
ご馳走もなくなり、そろそろ宴もお開きとなる頃古狸が口を開いた。
「箔泰様。いかがでしょう。わしらの妖術の方が素晴らしかったと思いませぬか?あの威勢のいい神輿には惚れ惚れなさったでしょう。」
白狐はそんな風に擦り寄る明神を横目に何も言わずに箔泰よの様子を伺っていた。

「ふむ。どちらも趣向に富んでいて見ごたえがあったのう。」
箔泰はこう言うと少し間を置いた。
「しかしのぉ。どちらが上か下かと問われると難しい。引き分けにしてはどうじゃろう。お前たちには山が一つずつあるのじゃから、喧嘩などせず自分の山を大切に治めてはどうじゃろうのう。」
古狸は驚き後ずさると、
「なんと。我とこの狐めが同じ力と申されるか!ええい!悔しや!狐の山など燃やしてやる!村も田んぼもこれから百年草一本、生き物一つ育たぬ土地にしてくれるわ!」
と叫ぶと走り去ろうと立ち上がった。ところが立ち上がったまま体が動かなくなり、手下の狸たちもみるみるうちに一塊に網の中に封じ込められてしまった。
「ふむ。お前は勝っても負けても稲荷山を取り上げる算段でおったのじゃろう。そのようなことこの箔泰が見抜けぬと思うたか。お前がこれ以上悪さや悪戯をやめぬというのであればわしの住まう山の祠にこれより百年、いや、悟りを開く時まで出ることを許さぬ。覚悟せよ。それとも改心しこれからは自分の山を護ると誓うか。」

しばらくの間古狸は歯ぎしりをし、悪態を盛大についていたがそのうちに口を開くことも出来なくなり、体が石のように重く硬くなっていくのを感じて大慌てで声を振り絞り
「お許しくだされ!わしの山を護り納めると誓いまする。」
と約束をした。すると、今の今まで身体中がカチコチになっていたものがふんわりと解けていきまたいつもと同じに動ける様になった。
「ありがたや。」
古狸はそう言い、ホッとため息をついた。
「古狸、いや、明神よ。お前も村人から神と奉られたのじゃ。それがお前の悪戯をやめさせるためのものであったとしても、人々は信仰心を持ってお前を拝み、朝に夕に供物を捧げおるのじゃよ。人々の心をよく汲み取りこれからは精進せねばならぬ。しかしながらお前はまだ神になるには若輩すぎる。よって、我の山でしばらくの間修行を行うことを申し付ける。その間明神山と村人はわしが護ることを約束しよう。良いか、よくよく精進せねば食ってしもうてお前の手下の中からよくできるものを山を治める者に任命する。手下も全員ダメならばわしが責任を持って明神山を護ることとする。異存あるまいな?」
箔泰は答えを待つつもりはなかったらしく、手を自分の山の方に振り狸たちを飛ばしてしまった。
それから白狐の方に向き直ると
「お前も同じことじゃよ。精進し山を治めるのじゃ。まあ、仏に説法、解りきったことじゃろうがの。奴が戻ってきたときには色々と教えてやっておくれ。時の過ぎゆくのは驚くほど早いからの。頼んだぞ。」
そう言うと茂平を連れて帰って行った。

茂平は箔泰の、鮮やかなお裁きに関心しきりで帰りの雲の上でもずっと考えていた。そして、不意に口を開くと
「箔泰様、時の過ぎゆくのは早いとおっしゃいましたが、私はかがりと添い遂げる事ができましょうか。私の刻はかがりのものよりもきっと短い。かがりの悲しむ姿を見るのは私も心が痛みます。」と聞いてみた。
箔泰は優しく微笑むとこう言った。
「義兄上はもう我らの一員です。心配せずとも我らと同じだけ刻を過ごせる様にいたしますよ。義姉上が悲しむのは我も嫌ですからの。」

茂平が屋敷に戻るとなんとも賑やかに赤子の泣く声が響いていた。
「まあ、義兄上、おかえりなさいませ。男の子でございます。玉のように美しく元気な元気な男の子。鎮守の森のお遣いとしてきっとしっかりとした子に育ちますよ。」
みずほが部屋へと連れて行くとかがりが輝くような笑みを浮かべて赤子を抱いて待っていた。
「茂平様、乳をよう飲む元気な子ですよ。なんと名付けましょうか。ほんにかわいい。かがりはなぜか涙がこぼれて止まりませぬ。」
「名前か。考えてもおらなんだ。そうじゃな。龍巳。龍巳はどうじゃろう。龍のように気高く蛇本来の美しさと聡明さも持ち合わせる。」
「なんと。龍巳。美しいなでございますなぁ。」

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朱としずく

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これは、とある街にある小さな神社に祀られている龍神様のお話。ここには龍之介という神様と太郎という神様が住んでいる。二人は仙人や精霊や、もちろん神様たちが気軽に遊びに来られるようにお食事処を始めてみた。そんな小さな神社のたくさんの、おはなし。







蝉時雨が鎮守の杜に響き渡り、砂利道を焦がすような陽射しに打ち水を諦めてしまった午後。龍之介は洞穴の入り口に腰を下ろし陽炎のように揺らめくタバコの煙を眺めていた。すると若い娘に連れられてぐったりとした色黒の女の子がこちらに向かってやってきた。
「あのー、この子が時間を間違えてしまったようでこのままお日様に当たっていますと死んでしまいます。どうか日暮れまで休ませてはいただけませんでしょうか。」
娘はそう言うと日陰に身を寄せた。
「これはこれは、クマゼミのお嬢さん。奥は涼しいゆえ奥の座敷で少し休みなされ。この子は少しあわてんぼうなのかの?冷たい甘酒があるから飲んで涼みなされ。」
龍之介は奥の座敷に通すと女の子のためにい草の枕と敷物を用意して甘酒を2つ出してやった。
「私は朱と申します。この子はしずく。どうしたことかお日様がこんなに照らしているのに地面にフラフラと出てきてしまいました。出て来てすぐは驚いたのか話し通しだったのですがお日様が容赦なく照りつけるので夕方まで持つかどうかと心配しておりましたらカラスの六助さんがここを教えてくださいました。本当なら食べられてしまっても仕方がないのにこの近くまで送ってくださったのです。」
「六助はさっきまでここで川エビの佃煮やら蕎麦やらたくさんたべておったからのぉ。入り口まで送ってくれればいいのにの。あいつはあれで案外照れ屋じゃからの。それでは夕方まで少し眠りなさい。わしらはあっちにおるからの。」

洞穴の中でも座敷は使っていない時にはほの明るい光しか照らしておらず、岩に触れて冷やされた空気で満たされていた。

台所のそばのいつもの席で太郎とすごろくをしていた小沢の坊が小さな声で龍之介に尋ねてきた。
「あの子たちは精霊なの?その割には姿が儚げだけど、あんなのでずっと居られるかなぁ。」
小沢の坊は山の奥にある杉林の中を流れる小さな小さな沢の精霊だ。自分と同じ精霊ならあんなに影が薄くてはこの先大変なことになると心配になったのだ。
「うむ。あの子達は精霊にはならんの。多分ここに来るために仮の姿になったのだろう。朱はもうじき卵を産み命が燃え尽きる。しずくのことが気になり最後の力を振り絞ったのかのお。しずくはきっと訳も分からず変化しておるのだろう。夕方、表の松の木に留まらせてやれば一晩をかけて美しい姿になるだろうの。坊は見て行くかの?」
「おいらも居てもいいの?しずくが変化して行くの眺めてて、おこられないかなぁ」

そんな話をしている間しずくは甘酒を舐めながらゆっくりと殻を脱ぐ準備を始めていた。陽が傾き西の空が茜色から紫に、そして藍に変わり始めた頃には背中のむずがゆさがどうにもならなくなり松の幹に登ると大きな深呼吸を何度もして背中の筋に力を込めた。

空には美しい三日月が輝き、夜風がしずくの周りを優しく回り込むように吹いていた。
パチンと音がして背中が割れそこからゆっくりと時間をかけて、そろりそろりと大人のしずくが姿を現した。一度逆さまになり殻の外に出ると殻に捕まり翅を伸ばした。
息をのむほど美しい、まだ柔らかなその翅は薄緑の縁取りの透明なガラス細工のように月のかすかな光に呼応している。
坊は何度も何度も蝉の変化を見ていたけれど、今日は特別美しいと思った。しずくがまるで今壊れてしまいそうなほど儚くて胸が痛かった。
それから数時間みんなは黙ってしずくが色づくのを見守っていた。

明け方、龍之介の膝枕で居眠りをしていた坊にしずくが声かけた。
「おはよう。見守ってくれてありがとう。私ツクツクボウシなの。みなさんのおかげで大人になれました。坊がいてくれて本当に心強かったの。本当にありがとう。」
しずくは可愛らしい笑顔でお礼を言うと朱と二人で手をつなぎ明け始めた空に舞い上がった。
「さようなら。みなさんのことは忘れません。本当にありがとう。」
空の上からそんな声が聞こえたけれど、もう二人の姿は見えなくなっていた。

坊はまだ眠いのかあくびをしながら龍之介について中に入った。
「ねえ、龍之介さん朱やしずくは蝉だからすぐに死んでしまうのでしょう?蝉たちはかわいそうだなぁ。おいらたちの時間とは全然違う。人間よりもずっと短い。それでもあんな風に一瞬の美しさを見せてくれて、おいら嬉しかった。ずっとそばにいてくれたらいいのにって思っちゃったよ。」
坊は寂しそうにそう言うと目を拭い「あくびの涙だよ」と笑った。


蝉時雨がアブラゼミやクマゼミからツクツクボウシに変わりだして、街では地蔵盆がひらかれると子供達は宿題に追われ、夏も秋の気配に変わり始める。
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神通力と紫陽花の花。

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これは、とある街にある小さな神社に祀られている龍神様のお話。ここには龍之介という神様と太郎という神様が住んでいる。二人は仙人や精霊や、もちろん神様たちが気軽に遊びに来られるようにお食事処を始めてみた。そんな小さな神社のたくさんの、おはなし。




雨が何日も降り続き、紫陽花が美しい色を奏でるように花を咲かせていた。龍之介が三つ葉と川エビのかき揚げで冷たいそばもいいなぁと試作をしていた時だった。入り口からなかに向かって呼ばわる声がかすかに聞こえた気がした。かき揚げをザルの上に上げてしまって油の火を止めて前掛けで手を拭きながら外を覗きに行くと、そこには小さなカッパが困った顔をして蓮の葉を差しかけて立ちすくんでいた。
「おや、カッパどんどうしたね。中に入ってそばでも食わんか?落ち着いたら話を聴いてやるかやな。」
龍之介はカッパの子を奥に通すと座敷にすわらせた。カッパの子は行儀よく正座で座るとぺこりと頭を下げ、
「おいらはあの滝の上にある池に住んでいるカッパで湖二郎と申します。池なのに湖なんて字を付けたのは琵琶湖のカッパの親戚だからだと父が申しておりました。その父が、この長雨で池より上の水源あたりの木々が倒れて大きな水溜りのようになってしまっているのを発見いたしました。今は父の神通力と隙間から流れる水でなんとか持っていますが、このまま雨が降り続きますと欠壊をまぬがれますまい。山裾にはたくさんの人が住んでおります。それにこの山にはたくさんの精霊や仙人もおられます。どうか欠壊せぬようにお力をお貸しください。」
なんとも難題が持ち上がったわいと心でつぶやくとさっき揚がったばかりのかき揚げを添えてざるそばを湖二郎の前に出してやり
「とりあえずそれを食べなさい。どうするかのう。考えねばなるまいな。しかも早急にな。そのように怯えんでも大丈夫じゃ。よく噛んでお食べ。」

ふむ、どうしたものか。山椒魚の仙人に書状を送ろうか。本来ならば人にも知らせなければならぬところだが、今時御神託などを受け取れるものも居なければ信じる者もそうは居まい。我々でできる限りやってみて、ダメな時には決壊させて、再生を願うしかなかろう。
人は強い。精霊や仙人も住む地形が少し変わったところで日々の営みにはさして影響はない。それでもカッパの親父さんが力を使い果たす前になんとかしないと街が一つ水底に、土砂に埋もれてしまうかもしれない。龍之介は筆を取り、急ぎ書状を書き上げると、松の木の上に声をかけた。松の中腹の枝のわきには鳥の巣があり、そこからカササギが舞い降りた。
「すまぬがこの書状を椒太郎さんの所へ届けておくれ。手助けしてくれそうな者を何人かよこしてほしいとな。急を要すると釘を刺してな。頼んだぞ。」そう声をかけると、カササギはあい、わかったと飛び立っていってしまった。

中に戻るとソバを平らげた湖二郎は座敷で座布団に転がって眠っていた。緊張して疲れたのだろうと上掛けをかけてやると太郎を呼んでどうしたものかと話し合うことにした。

椒太郎は洞窟の奥でいつものように書物をしていた。この山で起きたことやこの辺りのことを日々書き留めるのが椒太郎の仕事なのだ。不意に入り口で声がしたのでよっこらしょっと立ち上がると、
「一体こんな雨の中を誰がわしなどの洞窟へやってくるのかの?」と声をかけた。
「龍之介様の使いの者にございます。書状をお持ちいたしました。使える者を何人か急ぎ寄越して欲しいとおっしゃっていましたが、私は内容を知りませぬゆえお読みになってカラスの六助に託けて下さりませ。それでは、これにて。」カササギはそう言い残すとまた飛び立って行ってしまった。

椒太郎はしばらく書状を読み返しながら考えにふけっていた。

確かに里に大水が出れば人の死は免れまい。人は強く勤勉ではあるが、元のように生活するには何年もの時を要する。わしらのように時の概念に疎いものであっても辛いのだから、時に縛られている者達にとって何年もの時間は命を縮め、心を疲弊させ病むことを避けるのは難しい。さりとてわしらは魔法を使えるわけではない。神通力で食い止める事とていっときの気休め。さてどうしたものか。山ねずみ達では溺れてしまう。わしらは山椒魚であっても木々をくぐり抜けて穴を開けるのはちと無理がある。ふぅむ。。。。これは龍之介さんと頭をしぼるしかなさそうじゃの。そうじゃ、しじみと木の芽の佃煮を持って行くかの。それに山猿の親父さんにもらった麩饅頭ももっていこう。では出掛けるとするかの。椒太郎は饅頭や佃煮を風呂敷に包むと肩に担げて洞窟を降りた。

湖二郎はいっときほど眠って眼が覚めるとここはどこかとあたりを見回した。すると奥から
「目覚めたかい?わしが作った水無月でも食べんか?お父さんが山にいる間家に誰かおられるのか?湖二郎が一人ではわしは気が気ではない。」そう言いながら熱いお茶と水無月を器に盛ったものを机に並べた。召し上がれと目で言うと湖二郎は自分の皿に水無月を取り大きくがぶりと噛り付いた。さっきまで心配顔で眠っていたのが嘘のように笑みがこぼれた。
「これは龍之介様がつくられたのですか?さっきのそばもこの水無月も本当に旨いです。おいらは母ちゃんが死んでからは池の魚と水草なんかを食べていて、たまに父ちゃんが取ってきてくれるキュウリを食べるのがご馳走なんです。でもキュウリは人間が丹精して作っているからほんの少し間引く程度に頂くだけなんです。ここに来たらいつでも龍之介様のご馳走がいただけるのですか?でも、高いですよね。おいら達には手が出ないかなぁ。」湖二郎はぺろりと食べ終わった指を舐めもう一つ食べたものか思案していた。
「おいおい、様なんか付けて呼ばれたら恥ずかしいわい。龍之介さんでいいんだよ。いかにもわしが作ったんじゃよ。わしは料理がすこぶる好きでな。太郎さんは大工仕事が楽しくて仕方ないらしい。最近は洞窟をいかに居心地よくするかをいつも考えておる。ここのお代は紅葉が二枚だ。冬の間も来たいなら早いうちに摘んで押葉にでもするがいい。そうすればいつでも遊びにこれよう。わしらは大歓迎じゃよ。いつでもおいで。」
そんな話をしていると入り口から椒太郎の声がした。
「龍之介さん。書状のやり取りは手間がかかるゆえ出向いてまいりました。これは土産のしじみと木の芽の佃煮ともらいものじゃが旨い麩饅頭です。あれ、旨そうな水無月ですな。わしにもいただけますかな?お前は上の池の湖二郎ではないか。久しぶりじゃのう。大きゅうなったのお。」そう言うと風呂敷から土産を出して龍之介にわたした。龍之介は椒太郎と自分のお茶を湯飲みに注ぐと土産の麩饅頭も器に盛り席に着いた。
「湖二郎好きなだけお食べ。わしらの話に入って構わぬから状況の細かいところを教えておくれ。」

「父の神通力もそう長くは保たないと思うのです。頑張って後5日かと。なのでお力のあるお二人にも力をおかしいただけないでしょうか。」
湖二郎は父がよほど心配なのだろう。そんなことを口にした。
「ふぅむ。湖太郎殿も確かに力を使い果たしてしまってはしばらくの間地中で眠り続けてしまいなさるだろう。しかしの、わしはもう老ぼれじゃからそんなに力を使うと命に関わる。龍之介さん、お力を貸しては下さらぬか。じゃがその前に段取りを決めねばの。どうじゃろう。道道考えておったのじゃか、こちらに流れて来れば里は壊滅してしまうが、向こうの尾根に流せばそのまま山中を通り残った水も川に出よう。あちら側から穴を掘り水を抜くという案は行けぬかのぉ。」
椒太郎は水無月を切りながらそう言った。
「ほほう。椒太郎さんは穴を掘ってくれるお人を集められるかね?」龍之介が聞くと
「うむ。わしらの仲間を集め、モグラ殿たちのお力を借りれば3日もあれば穴が掘れよう。さいごは水底からザリガニに開けて貰えばうまくいくとおもうのじゃ。3日、保ちますかな?」
「うむ。3日ならば訳もない。10日かかったとてわしは大丈夫じゃ。じゃが、この雨よ。こればかりはわしの力も及ばぬでな。わしが力を使えば、むしろ雨を呼んでしまいかねん。」
龍之介はそう言い、水無月をほうばると太郎の顔を見た。太郎は少し離れた椅子に座り様子を見ていたのだ。
「しばらく店はお休みですな。私では龍之介さんのようにそばも水無月もこしらえられぬ。じゃが、湖二郎をここで預かることは引き受けましょう。龍之介さんは湖太郎さんの所へ行って下さい。なあに、子守は心配いりませんよ。」
太郎はタバコに火を点けるとニコリとうなずいた。
龍之介は水無月を食べ終わると握り飯をこしらえ椒太郎が持ってきてくれた佃煮や卵焼き、たくあんを包むと肩に傾げて、
「さて、わしは行くかの。湖太郎さんが腹を空かせておるじゃろう。弁当を食べる時間ぐらいはわしにも作れる。もしも疲れたなら寝ることもできよう。椒太郎さん、後の段取りは頼みますよ。出来うる限り里に流れぬようにやってみましょう。」
そう言うと雨の中に出て行ってしまった。
椒太郎も水無月を平らげるとよっこらしょっと立ち上がり、
「太郎さん、湖二郎をお願いします。」と、洞窟を後にした。

椒太郎はその足で、まずはモグラの長老に会いに行った。話をすると長老は、「なるほど、確かにこちらに流れてきては山も荒れるしかなわぬのぉ。それでは急ぎ若い力のあるものを集めましょう。なぁに3日もあれば立派な穴が掘れましょう。しかしあちらの尾根の動物たちも困りますゆえ伝令にてこちら側に避難する旨鹿にお願いしますかな。」と言い筆を取ると二通の書状をしたためお使いのネズミに渡した。
椒太郎は洞窟に帰るとありったけのオオサンショウウオを集め、事の次第を説明した。異議のある者も数名はいたのだが賛同する者たちだけでもと、すぐに向こう側の尾根を目指した。
尾根に着くともうモグラたちが足場を作り穴を開け始めていた。モグラたちの頭らしき若者が椒太郎に挨拶にやってきた。
「この度は我らにご相談くださりお力をお貸しできればとやってまいりました。私は若頭の真生と申します。ここにいるものは若く力もありますので3日もあればあのため池の近くまで掘り進めるでしょう。サンショウウオさん達のお力をお貸しくだされば百人力です。こちら側の動物達には鹿殿とネズミ殿が伝令を回してくれています。サンショウウオさん達はあちら側の斜面から掘り進んでいただけますか。」
真生も椒太郎も二手に分かれると斜面の土を掘り始めた。

湖太郎は、降りしきる雨の中一心にため池を押さえ込んでいたが、後ろの方に人の気配がしたのでうっかり力を抜いてしまった。
「湖太郎さん、気にしなさんな。わしが後を引き継ぐゆえ一息つきなされ。握り飯を持ってきたよ。そちらの木陰ならば少しは雨も避けられるじゃろうて。」
龍之介はそう言うと弁当を湖太郎に渡し、雨の中ため池をひと睨みして一緒に木陰に腰掛けた。
「湖太郎さんすまなんだな。わしらがもっと早く対処していればこんな大事にはならなんだのに、近頃蕎麦打ちに精を出しすぎたかの。もう少し見回りをせねばならんのう。昔は山崩れだの山津波だのと人々も恐れ山を手入れし木々の根が張り巡るように知恵を絞っておったのじゃがな。近頃の人は地中の水源などおかまいなしじゃ。木々の根が如何に大切かなど露ほども知らぬ。わしらの力が及ばぬ事態も起きるやもしれぬのう。」
そう言うとまたため池を睨みつけ、タバコに火をつけた。
「湖太郎さん、飯が済んだら少し眠りなされ。わしが後は引き受ける。二人で交代すればなんという事もなかろう。こうしているうちにモグラ達とオオサンショウウオ達が向こうの尾根に穴を開けてくれるてはずじゃ。最後にザリガニどんに水の側から穴を貫通させれば里に流れる心配も無い。向こうの尾根の動物達にはしばらくこちらにて不自由をかけるが、夏が終わる頃には元どおりの生活になるじゃろう。」
そう言うとまたひと睨み睨みを効かせ煙をほぅっと吹き出した。
龍之介が来て今までの疲れが出たのか湖太郎は木の根方にごろりとなると頭が地面に着いた時にはもう夢の中に落ちてしまっていた。
龍之介はこの大事が済んだらどんなご馳走を作ろうか、などと考えながらも抜かりなくため池を睨み続けた。

雨は強くなり弱くなりと変化はしたが降り止むことは無かった。2日の間湖太郎と龍之介は池を睨み、そして崩れることの無いように見回った。3日目の明け方だった。モグラの若頭の真生が龍之介の足元にやってくると
「穴は大方出来上がりました。椒太郎さんが、今ザリガニたちを池に連れて行き池の中から穴を開けています。夕方までにはこの池の水も抜けましょう。この後はこの倒木をどけて穴を埋めれば、里は安全でしょう。湖太郎さんの住まいも元どおりになるまではまだ1週間はかかりましょうが、今しばらくご辛抱ください。」そう言うと足早にまた向こうの尾根に行ってしまった。

山の向こう側でどどどどどぉんと水が吹き出す音がしてしばらくは轟音が山々に鳴り響いた。そして、辺りは何事もなかったかのように静かになった。雨はパラパラと音をかすかに立てて色濃くなった紫陽花にしずくを作っていたが、空が明るくなり始め里の方に虹が架かっていた。

龍之介は湖太郎を伴い洞窟に帰ってきた。そこには椒太郎と湖二郎が太郎とともに待っていた。疲れが肩を伝って全身にじんわりと沁みてきた。すると外から可愛らしい声がして梅花姫と桜花姫が岩魚の塩焼きと握り飯、漬物や煮物を携えてやってきてくれた。そして、モグラの真生が葛餅を若い者幾人かと差し入れにやってきた。
「今回は皆のおかげで里に大水が出る事もなく山が荒れずに済みました。湖太郎さん本当にありがとう。わしらはこれからは2人交代で山をみまわらねばならんのう。向こうの尾根の動物たちにも不自由をかけるじゃろうが山神と話してこれからの事を考えて行くよ。本当にようやってくれた事をかんしゃする。」
龍之介はそう言うと座敷にご馳走をならべた。すると真生が「我らは葛餅を差し入れに参りましたまで、これにて失礼いたします。あまり地上にいるのは心地が悪うございますゆえ。」と頭を下げると帰って行ってしまった。

龍之介は洞窟の外に出て空を見上げた。夕陽に染まった雲がゆっくりと流れてゆく。葉っぱに残った雨粒に夕陽が反射して紫陽花の花にさよならを告げていた。そろそろ梅雨も終わりだな、そう思いながらタバコに火を点けた。薄紫の煙が空に祈りを込めるように昇っていった。






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