日々是ねこパト (sakki が繋ぐ地域猫活動)

野良猫1匹を巡って、いろんな人が関わっている。
それを繋げていくと、町がそのまま「形のないシェルター」になるよ。
小さな町で、sakkiが紡いだ“猫を巡るコミュニティ”のお話

2009年5月。 14年間住んだ町を離れて東京へ。

ここにもやっぱり、野良猫がたくさん。 住宅密集地で逞しく生きていました。

その姿を追いかけて、またもや始めてしまった猫パトロール。

そしてやっぱり、踏み入れてしまった 「猫つながり」 の道。

 

~私にできることは何だろう? 町の人と一緒なら、もっといろんなことができるはず~



「日々是ねこパト」 は、私が猫に導かれて歩いた町で、猫と人とが紡いだ物語の記録です。

どのお話も、ほんとうにあったお話です。 どこからお読みになっても大丈夫。



どうぞゆっくり、お楽しみください。   by sakki




「日々是ねこパト」 は、町に住む野良猫を通じて町の人々が繋がっていくために、

sakki がどんな風に考え、働きかけをしたのかの記録です。 「地域猫は楽しい」 と私が思う理由。


お時間がありましたら、ぜひ最初から通してお読みください。    sakki





追記として~(2013.7)

地域猫活動は今まで通り続けていますが、

現在事情がありまして、エネルギーを他のことに向けていて更新が不定期になっています。

不思議なもので、猫神様から「今はそちらに専念しなさい」と言われているような気がしています。


なかなか更新できないブログに遊びに来て下さる皆様に、心から感謝申し上げます。


古い記事であっても、コメントを頂けばすぐにわかります。

お返事する作業で、日々是~を徹夜で書いていた頃の気持ちに戻ることができ、幸せを感じます。

これからも、どうぞ気楽にコメントをお寄せください。 お待ちしていま~す。      sakki


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晴れ先週、思いがけないご縁からN子さんという女性と知り合い、こんなお話を聞きました。


九州の地方都市で暮らして居た頃、近くにねこ屋敷があったそうです。

毎年、子猫がどんどん湧いて来る。その、あまりに悲惨な状態を見るに見かねて、彼女は10匹近い猫を自分の家に入れたそうです。


ところがその後、こんなことがあったのです。

山道をバイクで走っていたら、道の真ん中に何やら変なものがある。毛むくじゃらの塊です。一体何!?とギョッとしました。

恐る恐る近寄ると、それは猫でした。それも、4匹ショック!ビックリマーク

互いにかばい合うように入り組んで抱き合っていたために、塊のように見えていたのです。


どう見ても「轢いて下さい」と言わんばかりの危険な場所です。

あ~、また猫か、参ったな…えっ と思いつつ、せめて安全な場所へ移動させておこうと、近寄ってしゃがみ込んだ途端、

1匹がいきなり彼女にしがみついてきて、あっという間に胸元を駆けあがり、首の後ろにかじり着いてしまいましたドンッ

焦ったN子さん。後ろ手に何とか猫を引きはがすと、今度は別の猫がするすると這い上がって、また首の後ろにしがみつきます。

引きはがしても、引きはがしても、4匹は諦めることなく、代わる代わる背中にはい登って来ます。

イタチごっこならぬ、ネコごっこでしたガーンあせる


結局、彼女はその4匹を全部、家に連れて帰ったそうです。ねこ屋敷出身の猫がいるのに…。

こうして、さらに4匹が上乗せされてしまいましたダウン


「まるで詐欺ですよ。やられました。友達に話したら、”それ、飼え飼え詐欺だよ”って言われるし。泣き笑いでした」

N子さんの言い方に、私は噴き出してしまいました。



山の中の一本道で、4匹の猫を次々と振り払い、またしがみつかれて、泣きそうな顔をしている様子が目に浮かびました。

「お願い。ここに置いて行かないで。連れて行ってにゃーあせる」 

猫たちの必死の訴えがジンジン伝わって来て、ついに屈して連れ帰ってしまったN子さんの気持ちが、私にも分かりました。

猫たちの鋭い嗅覚は、N子さんが心の中にひっそり隠している、観音様のような部分を、見逃さなかったのです。

そしてこの「飼え飼え詐欺」という面白い言葉が、妙にストンと私の腑に落ちたのでした。



           マルメロ通りの繁殖現場である路地裏に、さび子を見に行った時の写真。

           さび子はあっという間に私の肩に駆けのぼり、コートに爪を立てて、降りるもんかとばかり、背中にしがみついた。
           その可愛らしい行動に虚をつかれて私は一発でさび子にメロメロになった。

           さび子はこの時、「アタシをここから連れて行ってちょうだい」とアピールしていたのだ。              

           この時路地裏には9匹の子猫がいた。その中からまずさび子を里子に出そうと思ったのは、

           知らず、「飼え飼え詐欺」に私も引っかかっていたのだろう

実は私も以前、1匹の猫に首根っこにしがみつかれたことがありました。

さび子と言う子猫でした。このところの日々是~に続けて登場している、モナカの最後の子猫です。


2010年、子猫だらけになった猫崎町の路地裏で、私は初めてさび子に会いました。

生後半年は過ぎているはずなのに、育ちが悪くて、猫風邪の影響で左右大きさの違う黒い瞳が、何とも印象的な子猫でした。


おいで」としゃがみ込むと、さび子は疑う素振りもなく真っ直ぐ私に向かってきて、

するするっと私の膝から胸元へ上がったかと思うと、肩伝いに、首の後ろにへばりついてしまったのです。

まあ、ビックリするやら嬉しいやら。なんて可愛い子だろうビックリマークと思いました。


それこそまさしく、「飼え飼え詐欺」の巧妙な手口だったのだと、6年経ちN子さんの話を聞いて初めて、思い当たったのです。



けれども私は、さび子の仕掛けた手口には引っかかりませんでした。

私は当時も今も、「猫を保護することができない」、しがない外猫ボラでした。


その代わりに、私はさび子の里親さんを探そうと奔走しました。

そして、小学校の行き帰りに路地裏に寄っては、同じくさび子によじ登られていた男の子が、

さび子のこの可愛らしい詐欺行為に、引っかかってくれたのでした。


彼の家には若い先住犬がいましたし、さび子の健康面には不安材料がありました。

それでもさび子が良い、あの子が欲しいという彼の思いは家族を動かし、

さび子はとてもとても温かいファミリーの一員となるべく、路地裏を卒業して行ったのですクラッカー



路地裏のさび子、さび猫館に入る 」という、その時の記録を読み直すと、

さび子は黒い瞳をまっすぐ向けて、「連れて行ってくれないの? あたしはずっとここに居るの?」と訴えていた、と私は書いています。


あのヨダレが垂れそうに可愛らしい肩乗り行為の意味には気づきませんでしたが、

さび子が「ここから出たい」と全身で訴えているのを、私はちゃんと感じ取っていたのです。


我ながら、まあまあだったんだなと、今さらですがちょっと嬉しくなりました。



                相棒幸女さんが初めて「自分の猫」に迎えた、カンペイ

                穏やかで人懐こい性格で、飲屋街で焼き鳥や天ぷらなどを貰って生きていた。

N子さんから聞いた話を、私は相棒・幸女さんにも話して聞かせました。


すると、「 えっ!! カンペイと初めて会った時、あの子も私の背中に這い登って来たのよ!

あれって、”飼え飼え詐欺”だったんだビックリマーク なるほどね。 ああ、納得したニコニコ と、幸女さんは嬉しそうに言いました。

 

幸女さんは小柄な人です。犬みたいに大きなオス猫だったというカンペイがいきなり首根っこに這い上がったのですから、

私はかなり面白い絵柄を想像して、クスクス笑いましたにひひ

出会いは2001年だったそうです。その事件の後、幸女さんは一大決心でカンペイを家に迎え、初めて猫と暮らすことになりました。


しかし、広島の繁華街の人気者から、ついに家猫になったカンペイは、すでにFIP(猫伝染性腹膜炎)を発症していて、

たった51日間の家猫生活を、幸女さんに愛されながら終えたそうです。

幸女さんはもしかしたら、カンペイの意思に関わりなく家に連れて来てしまったと思っていたかもしれませんが、

本当はカンペイ本人が、「どうか、ボクを連れて行って」と幸女さんを選んでいたのです。

カンペイが幸女さんの細い肩に這い登ったという15年前の事実が、

やっと発見された遺書のように、彼の本当の気持ちを伝えてくれました。


私の周りは、あっちも、こっちも、飼え飼え詐欺に騙された面々ばかりでした。

そういう人の数だけ、観音様はいたのです。




      2014年9月、我が家に逗留した時の小春(キジ猫)と我が家のトミ黒(サバ猫)。2匹は猫崎公園の顔馴染。

      小春は堂々と密閉空間で過ごしたが、唯一、トイレをちゃんと使えなかった。

      下の写真、トミ黒のいるキャットタワーのてっぺんから左側のクローゼットに飛び移って、小春はそこでウンチをしていた。

      「あのさあ、いい加減にしたら?あんまりおばちゃんを困らせるなよプンプン」と小春に苦言を呈して道を譲ろうとしないトミ黒。

      この写真を撮りながら、そんな会話が確かに聞こえた気がしたニコニコ


動物は言葉を発しません。だから本当の気持ちをわかってやれていないのかも?と思うことが度々あります。

ですが、実はかなりの精度で、私たちは彼らの気持ちを読み取っているような気もします。


我が家で療養中のモナカが、ケージを小さなものに変えたせいで使いにくくなったのか、自分用のトイレを使わなくなりました。

昨日から、ウンチもオシッコもしていない。あ~心配だ~ガーンダウンと思っていたら、明け方、勢い込んでケージを出る気配がしました。


そして、「あうっビックリマークあうっビックリマークあうっビックリマークと強く短い声で鳴きながら窓際をするするっと移動したかと思うと、

トミ黒の大きなトイレに飛び込んで、あっという間にウンチをしたのです。

あ、この声ビックリマーク あの時の小春とおんなじ声だ!! と思いました。


2014年9月、猫崎公園のシニア猫・小春を、我が家で6日間療養させたことがありました。

小春はそれなりの順応性を示しましたが、残念なことに最後までトイレを使えず、

クローゼットの天板などに隠れるようにウンチをして、私を泣かせましたショック!


その時、あうっ!あうっ!という強い声で鳴きながら、ずっと猫部屋を徘徊し続ける小春を見て、

「アタシはこの部屋ではしたくない爆弾  アタシのトイレはどこ?どこですればイイのプンプン」と言っていたのかもしれないと

私は申し訳ない気持ちを記録しています(→「たった6日間の保護猫 」)。


トイレを探すモナカの声が小春の声と全く同じで、そうだ、あの時小春は本当にそう言っていたんだと、今頃確信できたのです。



ポーカーフェイスで、呼んでも来ない・目も合せない、食べたらサッサと帰って行って、一体何を考えているのやらはてなマーク

そう思いながら外猫たちに振り回される毎日ではありますが、

丁寧な観察とケアを何年も続けているうちに、彼らは結構、ストレートに私たちに気持ちを見せているのかも。

そして私たちは、結構正確に、彼らの気持ちを読めているのかも…。最近、そう思うようになりました。


毎日のねこパトで、ささやかながらキラキラした発見が積み上げられて行きます。

猫たちと静かに心を交わしていると実感できることが、私には宝物のように思われるのでした。



もしまた、「連れて行ってくれ~」と首根っこにかじり付かれたらどうしようはてなマークガーンあせる


まあ、その時はその時だ、できることをやるっきゃない、街の皆さんの力を借りて。

~と、思うことにしています。







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晴れ新年早々、マルメロ通りの地域猫・モナカを保護、退院後療養のために我が家へ迎えてから2週間になりました。


先住猫のトミ黒がストレスから軟便気味になるなど、お決まりの一通りのハードルもありましたが、

モナカもトミ黒も、今はとても落ち着いて過ごしています。



                   モナカ(左)とトミ黒。

                   トミ黒は腎臓療法食、モナカは高栄養食と食べる物が違う。

                   相手の食べてるものが美味しそうで気になって仕方ないお子様のふたり。

                   割って入るのも、私の楽しみのひとつだ音譜


「きっとこの子はそうだろう」と思っていた通り、モナカは私との暮らしにすんなり馴染みました。

でもその理由は、モナカの順応性が高かったということではないように思います。

ひとことで言えば、モナカは「幸せ」に対して欲がない。

置かれた環境がどんなものであっても、恨まず、腐らず、とにかくその中で何とか生き延びることが大事。

彼女独特のそういった処世術が、閉ざされた室内で、私と、会ったこともないオス猫と一緒に暮らすことになっても、

拒否反応を引き起こさなかったのです。


モナカは、今までそうやって生きて来たんでしょう。しみじみとそう感じました。

思えば、私を含めて地域の誰もが、本当のモナカに気づいていなかったのです。


知らなかったモナカ。まだ開花していない本当のモナカ。いつかその花を、心おきなく咲かせてやりたい。

今はそれだけを願って、日々奮闘しています(2匹になると手間は3倍ショック!あせる


良くお読みになれば、私のモナカ保護が喝采などに値しない、遅すぎたものだったことが分かるでしょう。

でも、停滞期にあり、宮ちゃんと言う公園猫を見失って初めて、そのタイミングが訪れたのです。

いつか「そんな日もあったね」と笑って思い出せるように、今回の一気呵成の保護劇を正直に記録しておきたいと思います。


         相棒から提供されたお宝画像。2010年12月のもの。右はモナカ、左の2匹がモナカ最後の子供たち。

         さび猫は、知り合って間もない相棒に頼んで40日間預かって貰い、里子に出てサビーになって、

         幸せに暮らしている(→「路地裏のさび子、サビ猫館に入る 」)。

         白黒猫のパルは、幸楽さんの出入り自由の飼い猫に昇進しつつある。膿胸に続き、去年膀胱結石を克服。

         現場を作るのは一気呵成でも、その後は長い長い維持が課題となる。

         いざという時は選択肢を示して地域をリードするのが、コーディネータの役目だと思う


モナカの本当の年を、誰も知りません。


2010年、私はマルメロ通りでモナカ含む19匹の一斉TNRをしたのですが、

「三毛猫が何匹も居たから、わからない」大野晶子さんに言われました。

モナカと2匹の子供たちは人馴れしていましたから、晶子さんにとっては特別なファミリーだったはずです。

それでもモナカがいつ、誰から生まれたのか分からない…。多頭現場独特の悲しさを感じました。


毎年雪の中を、お腹の大きな三毛猫がトボトボ歩いていて、見ているのが辛かった、とご近所から聞きました。

それがきっとモナカで、過去数回は出産していたのでしょう。



多分子猫時代に患った猫風邪から慢性副鼻腔炎を引き起こしたのでしょう、モナカの鼻は、常にズコズコ言っていました。

歩き方も四肢がパタパタ動いて、なめらかではありません。筋力が弱いのでしょう。

それでも、公認餌場ができ、地域容認の猫になったモナカは、

相葉さんのベランダで夜を明かし、出勤前の幸楽さんの玄関前で朝ごはんを頂き、大野さんや桜井さんでおやつを頂き…と、

皆さんに見守られながら、マルメロで穏やかに過ごしていました。


携帯モナカが死にそうだ」と連絡が入ったのは、去年の10月でした。


数日前からベランダでぐったりしているモナカを、相葉さんは見過ごせなくなったのです。

クリニックへ駆け込み応急処置してもらいましたが、体重はわずか2.88キロ。

左下の歯肉が赤く腫れていて、そのせいで食べられなくなって体力が落ち、衰弱したのだろうと診断されました。

でも、血液検査の結果は白血球数を除いて立派なものでした。

5月に行方不明になっていますから(→「迷子札をした地域猫 」)、エイズ・白血病も検査しましたが、感染はありませんでした。


リリース後、ステロイドを毎朝飲ませてもらうと、劇的に効いて、モナカは回復しました。



この時の状態を基準に、様子がおかしい時は通報してほしいと頼んでいましたが、その後どこからも連絡はありませんでした。

その代わり、「地域猫に延命をしてもね…むっという、悲しいささやきが耳に入りました。


パルを膿胸から生還させた時、大歓声を上げた地域でしたが(→「膿胸になった飼い主のいない猫 」)、

体力がなく、どう見てもシニアで、老い先短いであろうモナカに、どう対応したら良いのだろう?

それは、批判と言うより、弱りつつあるモナカを見ながらどうしてよいのかわからないという、地域の皆さんの本音でした。


      1月8日、保護直前のモナカ。相葉さんのベランダで。の頃毎晩マルメロへ通い、密かにモナカに給餌していた。
      モナカは足腰が弱っていたのか高いベランダの塀を降りられず、抱っこして降ろしてやることもあった

      11日に旅行から帰ったら、すぐに迎えに行こうと決めていた



私は猫崎公園の行き帰りに、モナカの様子を見に行くようになりました。

モナカは私を見ると、公認餌場までついて来ました。高栄養のフードをあてがうと、懸命に食べました。

やはり、口が痛んで一度に充分食べられなくなって、飢えていたのです。


足元で首を振りながら懸命に食べるモナカを見下ろしていると、6年間の付き合いが思い出されました

いつだって分をわきまえて、高望みせず、静かに生きている地味なモナカが大好きでした。

私の心の中で、誰かが、「このままでいいのはてなマーク」 と、問いかけていました。



晴れ年が明けてすぐのことです。ねこパト中、「60を過ぎても、猫が欲しい 」に登場した波平さんにお会いしました。

犬ぞりよろしく波平さんとすれ違い様、「sakki さん、三毛猫が欲しいって人がいるんだけど。知らないはてなマークと聞かれました。


私は保護ボラではないから、信用できる譲渡会の情報を調べてメモにして渡しますね」と約束した別れ際、

ふと、モナカのことを思い出したのです。
「この通りにも三毛猫がいるんですよ。年だし、少し弱って来ているけど」

「ああ~、あの子ね。あの子は性格が良いからね。変な顔してるけどね。うん、あの子はどうか、ちょっと聞いてみるよニコニコチョキ


ひらめき電球その瞬間でした。 私の中で、考えもしていなかった答えがはっきり出たのですアップ


モナカを保護して療養させ、家猫として誰かに託す。  


そんなこと、今まで考えたこともありませんでした。

弱々しく、とても健康とは言えないモナカ。子猫でもないモナカ。本当に、そんなモナカを希望する人などいるでしょうか?


でも、それをやってのけられるのは、この現場を作った私だけです。

そしてもしそれができれば、弱って行くモナカを見て地域の人が心を痛めることもなければ、

何より、モナカを生殺しの状態から救い出してやれるんだ!!と思いました。


考え始めたら、その夜は眠れませんでした。


雪1月12日。小雪舞う朝、私はモナカをキャリーに入れ、波平さんから紹介された病院へ連れて行きました。

モナカの猫生は、こうして動き始めたのです。アップ



         モナカの口の中。

         犬歯の右側に大きなピンク色の肉腫が見える。上顎に灰色に見える臼歯が、その肉腫にいつも当たっていた。

         患部に触ると、じっとしていたモナカが飛び上がって痛がった



予め電話で相談していたので、診察はスムーズでした。しかも、波平さんご推薦の女医さん・R先生は、素晴らしい感性の持ち主でした。


モナカの体重は2.44キロ。体温は37度4分しかありませんでした。

先生は一通り全身をチェックしてから、もの凄い異臭を放っていた口の中を診ました。

「ごめんね、ごめんね。痛いよね、ちょっとだけ見せてね」と言いながら、そうっと口を開けようとしました。


途端に、電気に打たれたように、モナカが飛び上がりました爆弾

大きくてぶよぶよした肉腫が見えました。10月に赤く腫れていたところが3倍も大きくなっているのを見て、私は絶句しました叫び

その肉腫の真上に、歯石で灰色になった前臼歯があるのです。これが、ナイフのように患部を苛めていました。

モナカは、飛び上がるような痛みを我慢しながら、生きるために必死で食べていたのです。


先生は、一旦モナカをキャリーに戻すよう指示してから、私に向き合いました。

「この子は痩せていますが、骨格はしっかりしています。尻尾を見ると、恐らく洋猫が入っているんでしょう。

心音も、呼吸音も綺麗です。この状態でも生きてこられたのは、とても免疫力が高く、基礎体力に恵まれているんでしょう。

何歳なんでしょうね?6年前に不妊して、その前に何回か出産しているとすれば、8歳くらいでしょうかね」と言いました。


私は驚きました。何年もの間「虚弱なモナカ・おばあちゃんのモナカ」と思い込んでいたのです。地域の誰もがそう思っていました。

人並み外れた体力の持ち主!? それが本当のモナカだったとすれば、私たちはネグレクトという、とんでもない過ちをして、

モナカに長い長い死への苦しみを課す所だったのですガーン


「保定が要らないくらい大人しいですね。彼女は観念してるんでしょう。

きっとそうやって、置かれた場所に合わせてやってきた。モナカちゃんはそうやって、自分の生きる隙間を見つけて来たんでしょう」と、

R先生は労わるように言いました。


慢性の副鼻腔炎があるところへ歯槽膿漏から炎症が起きて肉腫ができ、それが2ヶ月で3倍の大きさになった。

歯が患部に当たり食べられず体力が落ち、さらに副鼻腔炎が悪化。負の連鎖が衰弱を引き起こしたとR先生は見立てました。


「こいつが、一番のワル者です。でも、悪性腫瘍には見えません。多分肉芽腫でしょう。

こいつをぶった切ってやりましょう。そして歯を抜いてあげれば、きっと食べられるようになると思います。

あとはモナカちゃんの体力に賭けましょう。

どうしますか?入院させて体力を付けてから手術するか、それともすぐに手術しますか?」


私はきっぱり答えました。

「今まで散々、痛みに耐えて来たのです。もう1分でも長く痛い思いをさせたくありません。

できれば即刻、切除してやってください」と言うと、

「わかりました。全身麻酔への耐性だけ調べさせてもらい、今日これからやりましょう。

体重は減っていますが、多分大丈夫。ギリギリ間に合ったというか、良いタイミングだった気がします。

ところで、この後、モナカちゃんをどうしますか?」


「私は、もうモナカを現場に戻すことは考えていません。

まず痛みから解放して、食べられるようにして、それから我が家でゆっくり療養させます。

我が家にも問題山積ですから、できる限り里親さんを探します。

これからはモナカに、心から甘えたり、遊んだりさせてやりたいんです。青春を取り戻させてやりたい。

長い付き合いですし、まだ、たったの8歳ですからにひひと言うと、

「それは私としても嬉しいです。そうなるためにも、精一杯やらせて頂きますグッド!」と、R先生もきっぱり言ってくれました。

        ベランダで日向ぼっこするモナカ。

        トミ黒用の脱走防止策を、細いモナカがくぐり抜けるのではないかとヒヤヒヤする。今の所、セーフ合格

晴れ全身麻酔下による肉腫切除・全抜歯の手術は、その日のうちに行われました。


夕方、「電話モナカちゃん麻酔から覚めました。驚いたことに、もう食べています。たいしたものですニコニコ」とR先生が知らせてくれました。


その後3日間の入院の間に、モナカの体重は200gも増えましたアップ

「食べたい」という欲求の強さには驚きました。今彼女は、長く居座っていたワル者から解放され、爆発的な喜びを感じているでしょう。

犬歯2本を含む全抜歯をしたにも関わらず、R先生の投薬の塩梅は絶妙で、モナカは痛みを訴えませんでした。

かつて同じ手術をして高熱を発し、再入院し、耐性菌まで出して苦しんだトミ黒とは、大きな違いでした。

「術後3日が勝負です。石橋を叩いて渡るように、投薬を加減します」と宣言しその通りにしてくれたR先生に、感謝しました。


口内の細菌をやっつけるために、R先生はセファレキシンを選びました。

今後の猫生でモナカが強い抗生剤を必要としたときに、耐性を持たせないでおきたい、という配慮でした。

モナカは我が家にやって来ても良く食べましたが、2分に1回はくしゃみをし、トミ黒への影響が気になりました。

相談すると、R先生はセファレキシンを切り上げ、6日目からビブラマイシンに切り替えました。


9日目に、くしゃみをしなくなったことに気づきました。ビブラマイシンが効いたのです。ウソのようでした。

5日間集中投与をして、R先生はきっぱり、抗生剤を切り上げました。再発した時に、同じ薬が効くように、

感受性の余地を残そうとしたのです。

それはこの後、誰の管理の元でモナカが生きて行くことになったとしても、投薬の選択肢を狭めないでおく方策でもありました。


私は、11月末の猫崎ペットクリニック閉院以来かかりつけを失っていましたから(→「病院が、なくなる 」)、

こういう考え方をするR先生と巡り会えて、雲の間からやっと太陽が顔を出したような気がしました。



           猫ジャラシの行方を凝視するモナカ。

           横からの力がかかるとフラフラしていた足腰もしっかりして、自由自在に猫ジャラシを追い掛けるようになった

           この猫が、あのマルメロに居たモナカなのか?と思ったり、

           間違いなくモナカであって、その過去ともども、抱きしめたくなったりする。

           モナカのこんな姿を、私は見たかったのだ

しかし、術後1週間目の診察で意外なことが発覚しました。切除した肉芽腫がまた大きくなっていたのですメラメラ

鼻の閉塞音も相変わらずで、モナカが部屋のどこに隠れていても、耳を澄ませばバレバレでしたべーっだ!


「これは万々歳とはいきませんでしたね。

でもこの後、たとえ肉芽腫が大きくなっても刺激になる歯はありませんから、すぐに痛みは出ないハズです。

食べて体力がついたら、肉芽腫の成長も、副鼻腔炎も、おのずと治まって行く可能性もあります。


高いお金を掛けて、痛い思い、怖い想いをさせて、あれこれと検査するより、不完全であっても一応食べられれば良しとする。

それも、大事な考え方だと思うんです。

食べられていて体力さえあれば、肉芽腫と共生する道も、再び切除する道も、どちらも選択できるでしょう。
そういう意味で、
モナカちゃんは確実にワンステップ、階段を上がれたと思いますよとR先生は言いました。


R先生の言うことは、トミ黒と一日でも長く居たいがために、お金を掛け痛い思いもさせて、結果を追求し続けていた私に、

匂いの違う風を吹き込んでくれたのでした。




星空外暮らしの長かったトミ黒も、モナカも、夜11時頃がもっとも活発です。

猫ジャラシを振ると、モナカは「何これ?初めて見るにゃビックリマーク」と思わずケージを飛び出してしまうのです。

その姿はまるで、出産と子育てに追われて失った、青春を取り戻すかのように見えます。


白いヒゲをまぁるくして、ワンテンポ遅れて懸命に猫ジャラシを追い掛ける子猫のように小さなモナカを見ていると、

あの日、あなたを拉致して本当に良かった、と思います。


そして、「モナちゃん。今、しあわせ?」 と、心の中で聞きたくなるのです。






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雪暖冬一転、身を切るような寒波が日本列島を覆っています。

だいぶご無沙汰しておりましたが、皆様、元気でお過ごしでしょうか?


例年、年の終わりと初めには、ささやかながら感謝の記事をUPしていたのですが、

去年は「塞がれなかった猫窓 」を最後に、記事を更新できませんでした。

新しい年がスタートしても「猫窓」のままの日々是~に、「sakki 、いよいよダメかむっはてなマークと思われた方もいらっしゃったかと…。


半分、アタリでしたよにひひあせる 去年の12月位からこの方、何とも得体の知れない停滞感に引きずり込まれていたのでしたダウン



            
         秩父宝登山にて菊バウワーする娘晴れ
     今年も成人の日の連休を利用して、年に一度の1泊温泉旅行へ行った。

                      秩父は例年なら2月が見頃のロウバイがすでに満開で、

                      娘は坂道を懸命に登り、身体一杯に良い空気を吸い込み充電。

                      その途中、参加しなかった息子からSOSの電話。

                      夫が対応してくれありがたかった。

                      東京へ帰った翌日、間髪入れずに、私はモナカの保護を決行した


思えば、暗転は11月末位から始まったのでした。


猫絡みでいろいろな事件が起こり、多分、この件はこうなるだろう」と読んで、いつものように静観していたのですが、

ことごとく、その通りにはなりませんでした爆弾

その背景を深読みしてしまい、人間不信にも陥りそうでした。私としては珍しいことです。

敬愛する知人の訃報が続けざまに届いたのも、ちょうどこの頃でした。しょぼん汗



家庭内にも、激しい浮き沈みがありました。

健康状態や精神状態が乱高下しても、娘も息子も精一杯やっているのです。それを信じて、ドンと構えていれば良いのに、

その時の私には、それができませんでした。

解決してやれない焦りと苛立ちに捕われた上に、自由を拘束されたような被害者意識を顔に出して、子供たちを苦しめていたでしょう。

まったく、母親失格でしたNG


こういう時、脳のアンテナは過敏になるようです。

見るもの聞くもの全てから、負の情報ばかり集まりました。頭の中でそれらが勝手にリンクして、渦を巻いているようでしたむっ



         宮ちゃん

         猫崎公園イチの美人猫。2004年生まれ(推定)のシニアで、私たちは丁寧にケアしていた。

         痩せていたが毎回しっかりした足取りでやって来て、他の猫と身体をすり合わせて挨拶する。

         「歓迎の舞い」と呼んでいたこの光景の中心が、宮ちゃんだった。

         思えば変調は急激だった。デリにやって来ても一口も食べようとせず、各所のハウスに籠った後、姿を消した。

         保護することもできただろうに、自信喪失中だった私は判断を誤り、その機会を逸した。



12月23日のことです。猫崎公園の私たちの大事な宮ちゃんが、姿を消しました。

後から分かったのは、宮ちゃんがあちこちお礼参りに歩いた末、意志的に公園を離れて行ったという痕跡でした。


相棒は、「希望を捨てない」と言いましたが、すでにどこかで天に召されていると私は感じていましたしょぼん


手を差し伸べるチャンスはあったのです。

私はそれをみすみす逃し、結局、遺体を回収してやれなかったことを、引きずり続けました。



鉄の女sakki はすっかりなりを潜めてしまいました。 この停滞感は、いつか晴れるのでしょうか?

何をしても安息を得られず、やる気も起きず、運気に見放されたような自分を持て余し、私はため息ばかりついていましたガーンDASH!


         クーちゃん

         飼い主Rさんが仕事に行っている間、外でお留守番するクーちゃんをご近所の皆さんは可愛がっていた。

         公園デリにもよくやって来たので、私たちはRさんから預かった「クーちゃんスペシャル(療法食)」を出し、

         目の周りを拭き、本日のクーちゃんメール」をRさんへ送った。楽しかった音譜

         Rさんと私たちの繋がりは理想的で、飼い主ひとりではなく、猫繋がりによって猫を守るという、

         猫崎町独特のアイディアを、私にもたらしてくれた



そんな中にも、救われることがありました。


1月13日、猫崎公園によく遊びに来ていた飼い猫クーちゃんが、老衰で亡くなりました。

お仕事と、ご両親の介護と、老猫の看取りが重なって憔悴し切っていた飼い主のRさんを、公園仲間はみんなで支えました。

今思えば、あの日私の方が、Rさんとクーちゃんに救い出された気がします。

みんなで真心を込めてクーちゃんを送り出す作業をしたことで、荒れていた気持ちが安らぎました。


重苦しいひと月半でしたが、私は猫繋がりのおかげで引きこもらずに済んだのです。

ありがたいことでした。


                     昨年11月15日、雨上がりの砂利道を、クーちゃんと連れ立って家に帰るRさん。

                     この日が、クーちゃんが外に出た最後の日だったそうだ。

                     寒さと体力の衰えを自覚していたのだろう。賢い猫だった。

                     Rさんとクーちゃんの絆が見えるようで咄嗟に撮った写真。

                     これを見るたびに、いろんな思い出が蘇る



情けない日々でしたが、ひとつだけ、腹を括って実行したことがありました。

マルメロ通りの三毛猫・モナカを我が家へ入れたのです。


(モナカは「迷子札を付けた地域猫」 に登場していますのでお読み下さい)


野良猫だらけのマルメロ通りを地域猫の現場に変えようと、モナカたちに一斉TNRをしたのは2010年でした。

以来長い付き合いになりましたが、どこか薄幸の雰囲気を漂わせるモナカを、私はいつも気にしていました。


年末に通りかかると、モナカが私を追って公認餌場へ来るようになりました。

ご飯はあちこちで頂いているはずです。なのに何故かお腹を空かせていて、歩き方もふわふわしていました。

食べ終わると相葉さん(仮名)のベランダに戻って、一日中じっとしていました。


モナカには持病の鼻炎があって、10月にも通院させていました。

その時の状態を基準にして、同じ状態になる前に再通院させようと、相葉さんと申し合わせていましたが、

まだあの時ほどではないと地域の誰もが思っていて、連絡はありませんでした。


私はその頃、猫崎公園で宮ちゃんを見失ったまま逝かせてしまったことを、忘れることができませんでした。

もしモナカが同じように姿を消してしまったら、この停滞期です。立ち直れない気がしました。



雪1月12日朝。秩父から帰った翌日に、私は考えていたことを決行しました。

モナカを捕まえて、初めての病院へ自転車で走ったのです。ずっと気になっていたので、やると決めたら一気呵成でした。


その朝、東京に初雪が舞いました。

以来、遅れてやって来た冬将軍はどっかりと列島に居座ってしまい、最低気温はどんどん下がり、

18日には、あの全国的な大寒波が訪れました。

もしあの朝、モナカの保護をためらっていたら、重篤な病変を抱え2.4キロまで体重が落ちていたモナカは、死んでいたでしょう。


運が無いなんて、ほざいているヒマは無かったのです。ギリギリ、間に合いました。モナカは助かりました合格


我が家で充分療養させ、体力が戻ったら、里親さんを見つけてやりたいと思っています。


        我が家のベランダで日向ぼっこするモナカ。右はトミ黒。

        保護にあたり不安材料はたくさんあったが、一念発起してやってみれば、たいていのことはできるものだ。

        そうやって動くことで、私自身も活力で満たされるのだから、人間は不思議だ


一昨日、バッタリと友人に会いました。

私と、彼女と、公園の相棒・幸女さんとは、その順番でGW生まれのトリオで、3人とも猫に関わっていました。
「なんだかねえ、このところうまく行かなくない?」と聞くと、


「占いの先生がね、5月生まれは今、全然ダメなんだって。節分過ぎまでは続くって。じっと耐えるしかないって言われたよ」 

と言うではありませんか!!


なるほど~ やっぱりそうだったんですねえっ。 ならばジタバタしたって自分の首を絞めるだけです。


でも、何もしないで世の中を恨んでいては、心の中が澱みます。

待ったなし!という時にごちゃごちゃ考えずに挑めば、垂れこめた雲もおのずと開かれて行くのでしょう。

その辺の出し入れができるしぶとさを、我々5月生まれは持っていますニコニコグー


「節分までね~ビックリマーク 何とか生きて抜けようねチョキ」  と、笑って別れたのでした。



停滞しながら見送った2015年、迎えた2016年でしたが、

「ささやかでも自分の務めをきっちり果たし、地域と猫たちと家族に還元すべし」と、遅ればせながら今年の抱負を決めたのでした。

毎年、同じなんですけどねべーっだ!あせる



晴れそういうわけでしたので、皆様、この1年もどうぞ、よろしくお付き合い下さいませ。             sakki (皐月)






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晴れ年の瀬が迫って、皆さんお忙しいことでしょう。


私もいろいろあった1年でしたが、昔交流があった餌やりさんの1人が亡くなっていたと知った時は、堪えました。

亡くなったのは、去年の11月だったそうです。その死を、私は1年も知らずにいたのでした。…痛恨でした。


タバコ屋のおじさん…。


俺は昭和8年生まれだ」と言っていましたから、享年は80でいらしたと思います。

今思えば、私はその最晩年に、猫に導かれるように彼の前に現れたことになります。

そして多分、私は彼にとって数少ない友人のひとりだったのではないかと感じています。


おじさんと私とのあれこれを思い出し、文字にすることで、改めてご冥福をお祈りしたいと思います。



           変形五差路に立つタバコ屋さん。

           奥のシャッターを開けるとカウンターがあり、おじさんはコタツに座ってタバコを売っていた。

           茶トラ猫がしゃがみ込む手前の自販機の裏に、こっそり猫窓が開けられている
                          「だから東京が好き!街のねこたちより転載 (2007年の写真)


晴れ猫崎町の駅向こうに、変な形をした五差路があります。4方向から車が行き交う、とても危ない場所です。

その交差点に面して、小さなタバコ屋さんがありました。店舗兼自宅の木造建築で、おじさんと奥さん、息子さんが暮らしていました。

奥さんはお勤めに出ていたので、おじさんは日中、たった1人でタバコ屋の店番をしていました。


店頭に並ぶ自販機の裏側のサッシに、道路側から見えないように、15センチ四方の穴がこっそり空けてありました。

そう、それは猫窓でした。


何十年も店番をしながら、無聊をかこって野良猫に餌をやるようになり、

その猫がいつでも入って来られるように、思い切ってサッシにカッターを入れたのは、おじさんでした。

猫窓をくぐった先には、山盛りのカリカリと、干からびかけたウェットを入れたお皿が並んでいて、

大量の猫缶の買い置きが、タバコより先に目に飛び込んでくるのでした。


おじさんは、鳥にも餌をやっていました。

車が通らないのを見計らって、車道にパンやお米をばら撒くと、鳩やスズメやカラスが集まってきました。

そこへ車が通り掛かり一斉に飛び立つ様子は、見ていてハラハラしました。


猫窓から車道を横切ろうとして、車に轢かれて何匹も猫が死んだそうです。

するとおじさんはすぐに、店の電話で清掃局を呼びます。そして当たり前のようにお財布を出して、遺体処置代を払うのです。

店の引出しには、何十年分かの領収書の束が、大切にしまってありました。


保健所にはたびたび苦情が入り、保健所は明らかにここを、ブラックスポットと認定していました。

職員さんが時間を作って指導に行くと、おじさんは、

鳩だって野良猫だって、必死に生きてるんだビックリマーク多少食べさせて何が悪いビックリマーク この、薄情者プンプン爆弾逆切れして、

一向に改めようとしませんでした。

周りの壁には遠慮がちに、鳩に餌をやらないでください」とか「ここで猫に餌付けしないでください」と紙が貼られていましたが、

おじさんは意に介しませんでした。


おじさんは、矛盾に満ちていました。


小さな命を愛しく思う優しさと、自己満足とが、ごっちゃになっていました。

わざわざこんな危険な場所に、餌で猫や鳩を集めておいて、事故が起きると罪滅ぼしのように自分の懐を痛めるのです。

まるで、墓守(はかもり)のようだガーン と、私は思いました。

自分の矛盾に付けこまれないように、おじさんは頑なに地域に背を向けました。一度も地域のお役を引き受けたことがないそうです。

無謀な餌やりを何度もとがめられるうちに、地域から浮いてしまったのでしょう。

もはや、やり直しや後戻りをする柔軟性もない。俺はこれで良いんだとどこかで開き直って、

その心の穴を、猫や鳩への餌やりで埋めていたのでしょう。

なんとも、寂しい心象風景でした。



               店の前で。2匹の黒猫が寛ぐすぐそばを、自転車や車がよけるように過ぎて行


晴れ2011年のことです。

一人の女性が通りがかりに猫窓に入って行く猫を目撃し、勇気を出しておじさんに話しかけました。

猫に餌をやるだけだと増えてしまいますよ、手術はしてるんですか?と聞くと、

「手術なんて不自然なことをする必要はない。野良猫は野生なんだから、生まれようが死のうが俺には関係ないビックリマーク」 と、

追い返されたそうです。


ところが、その時猫窓に入った若い黒猫が、初産で子猫を6匹も産んで、

件の猫窓から子猫を1匹ずつ店内に咥え込んで、ファミリーで玄関に住み付いてしまったのですショック!爆弾


そうなってみて初めて、おじさんは慌てました。

あろうことか彼女に電話してSOSを求めました。頼れる人が他に思い当たらなかったのでしょう。

でも、彼女は遠くに住んで居て細やかに対応できません。そこで彼女が私に、協力を打診してきたのです。


こうして、私とタバコ屋のおじさんは巡り合ったのでした。


訪ねていくと、おじさんは待っていたとばかり私にすがってきました。

私はおじさんの噂を知ってはいましたが、一切意見したり批判したりはせず、辛抱強くおじさんの言い分を聞きました。


「困っちゃったんだよ。子猫が迷い込んで来たから餌をやっていたら、子供を産んで、店に連れて来ちゃったんだよガーン汗

何十年も猫に餌をやって来たが、こんなことは初めてだ。

子供は夜になると店の中を走り回っている。ノミでもいるのか痒くてたまらない。

この子らがまた子供を産んだら、大変なことになる。俺もこの年だから全部は面倒見切れない。

奥さん、すみませんが何とかしてやってください」と、あの時女性に言われた意味を、やっと理解したようでしたダウン


ノミがいると聞いて少しひるみましたが、靴を脱いで室内に上がると6畳ほどのスペースにコタツが置かれていて、

おじさんは一日そこに座って、カウンター越しにタバコを売るのです。


ふと見ると、コタツの布団の際にウンチが落ちています。オシッコの臭いも強烈ですえっ

コタツの先に使われていない玄関があって、母猫はそこから縁の下へ潜り込み、子猫を育てていました。


いつものように、私は知力と体力を総動員して作業に取り掛かりました。

毎日タバコ屋さんへ通って、玄関の後ろの薄暗い階段に何時間も身を潜ませて、捕獲作業をしました。

助成枠の申請、複数の病院への搬送、引き取り、伝手を辿って預かり先を見つけトライアルに同行し…。


その一部始終を間近で見ていたおじさんは、奥さんは、エライね。家庭だってあるだろうに。頭が下がるよ」と言いました。

そして、「この7匹は、全部俺が責任を取るチョキ」とカッコ良く私に宣言して、

母猫の不妊手術代、里親募集する子猫の医療費や早期不妊手術代から、残った子猫の去勢手術代まで、

その都度、きっぱり出してくれました。


厄介な人だと散々聞かされていたおじさんなのに、私は、一度も困ることはありませんでした。

きっと、自分を批判せず、ぴったり寄り添って働いてくれる人がいたことが、嬉しかったのだと思います。



                 タバコ屋さんから保護した子猫3匹。全部メスだった。

                 3匹はなな猫ホーム さんに預かられ里親募集して頂き、

                 それぞれに優しい里親さんに迎えられた(→テーマ「タバコ屋さんの猫」)。

                 今も、幸せに暮らしている


保護した子猫が願っても無い良縁に恵まれてそれぞれ里子に出るたびに、私はタバコ屋さんへ知らせに行きました。

するとおじさんは、

「ああ、良かった。本当に良かった。こんなところで野良猫になるよりどんなに幸せか。奥さんのおかげだしょぼんと繰り返しました。

「そうですね。どんなに食べる物があっても、ここに居たら車に轢かれて死んでいたかもしれないですしね。

可愛がっていた子を清掃局に引き渡すなんて、おじさんだって本当はしたくないでしょう?

今いる数匹の猫は、きっとおじさんの最後の猫ですよ。

最後まで世話できるように、車に轢かれないように。おじさんが方法を改めて、ちゃんと守ってやらないとね」と言うと、

素直に、うん、うんと頷くのでした。


時に、おじさんが電話してくることがありました。飛んで行くと、

「今日保健所がやって来て、猫が車のタイヤで爪を研ぐと苦情があったとか。

そんなこと言われても野良猫のすることだ、俺にどうしろって言うんだプンプン怒っています。


「おじさん。野良猫と言ったって野生動物ではないんですよ。誰か人間が助けてやらなければいけない、愛護動物なんです。

おじさんは、あの子たちにちゃんと手術をしてやった。ならもうひと頑張り、してやって。

迷惑掛けてすみません、もう増えませんからどうか私に免じてご容赦を、って、

おじさんがご近所に頭を下げて回るだけで、猫は、ずっと生きやすくなるはずです。

おじさん。ご近所とは仲良く。おじさんならきっとできますよグッド!と励ましました。


やがて、私のアドバイスに従って、おじさんは店内に新品の猫トイレを置きました。

猫窓のそばに並べていた不潔な給餌皿はきれいに洗って部屋の奥へ並べ直し、叩きは元のタバコ置き場になりました。

おじさんが膝の手術で入院している間に、家の改造が行われました。両膝が痛むのに、コタツでの店番は辛かろうと心配していたのです。

家族が、ちゃんと考えてくれたのだと思いました。

オシッコ臭かったコタツは、新品のテーブルセットに取り換えられました。


少しずつ、少しずつ、おじさんから攻撃性が消え、柔らかくなって行った気がします。

家族に愛され、地域に居場所があるという余裕が、晩年のおじさんを変えて行ったのではと思います。



           おじさんの家のトタン屋根で爆睡する黒猫。

           カウンターから見えたのはこの猫だと思う。思えばおじさんと一番長い付き合いをして、

           ついに店の看板猫に昇格したわけだ。息子さんから「もうほとんど外には出ない」と聞いて安心した
                                         「だから東京が好き!街のねこたち」より転載


晴れ最後におじさんに会ったのは、去年の年明けでした。

美味しい土佐文旦を頂いたので、すぐに食べられるよう皮を剥いてタッパーに入れて差し入れると、おじさんは喜びました。

「タッパーはあげるから、使ってね」と言うと、「また取りに来てよ」と言われました。

そのタッパーを取りに行かないまま、おじさんは11月に亡くなったそうです。すでに手遅れの胃癌だったそうですしょぼん


携帯タバコ屋のおじさんはもういない、って言う人がいたんですが、もしかして亡くなった?」と教えてくれたのは、

保健所の職員さんでした。

慌てふためいて飛んで行くと、懐かしい店内で店番をしていたのは、おじさんではなく、息子さんでした。

「こんなに遅くなってすみません。お線香を上げさせて下さい」と言うと、喜んで迎え入れてくれました。


お仏壇に、映画スターのブロマイドみたいなおじさんの遺影が笑っていました。

おじさんは、なかなかハンサムな人でした。


気になっていた、自販機の後ろの猫窓をそっと確認すると、以前のままでした。

遺族は、おじさんのやっていたことを否定しなかったのです。塞がれなかった猫窓はその証だと、私は思いました。


見覚えのある給餌皿が、見覚えのある並び方で室内に置かれていて、おじさんがしていたと同じように、鰹節が掛けてありました。

そして、おじさんが可愛がっていた年老いた黒猫が、テーブルの上にちょこんと乗っていました。


息子さんが教えてくれました。

「あの母猫は、たまーにやって来ますよ。他にも餌場を見つけたらしく太っています。もう、この辺の猫も少なくなりました」

「そうでしたか。あの猫窓は、塞がないんですか?」

「ホントは寒いんですけどねにひひあせる

まあ、ボクは猫が居ても別にイイんです。おやじも猫を可愛がっていたし」と言いました。


「もし増えそうになったら、すぐ知らせて下さい。私で良ければ、すっ飛んで来てお手伝いしますから」と言うと、

「ぜひお願いします」と名刺を交換しました。名刺にはタバコをくゆらす猫が印刷されていて、笑いましたニコニコ


帰り際、どうしてもひと言言いたくなって、振り返りました。


「お父さまは、この7匹は俺が責任を持つと言って、きっぱりお金を出して、やれることは全部なさいました。

お父さまは、立派でした。

私たちは、結構仲が良かったんですよ。私もお父さまのことが好きでしたけど、

お父さまの方は、その何倍も私のことが好きだったんじゃないかな?」と、イタズラっぽく言うと、

息子さんは、困ったように笑いました。



おじさんのタバコ屋は、出入りする猫と一緒に、まるまる息子さんに引き継がれていたのです。


若い彼なら、この後、猫との関わりをどう終結するか?地域とどう付き合うか、困った時に誰を頼れば良いか?

自分で考えて行くでしょう。



私は五差路に止めてあった自転車を動かし、ここに初めて来た時のことを思い出しながら、

「おじさん、さよなら」 と、心の中で言いました。


カウンター越しに、黒猫が見えました。


まるで店番をしているようだなと思いながら、私は勢いよく自転車を漕ぎ出しました。







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