第三百五十四話 チョコレイトの季節
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がちゃ、がちゃ、がちゃがちゃがちゃ
ごりごりごりごりごり
ごとんどたん
「えっ…と…そいで、湯煎にかけて…ゆ、湯煎ってどうすんだっけ」
朝から台所が騒がしい。
姉ちゃんが、珍しく早起きして、むつかしい顔でごりごりと何か作っている。
ゆっくり朝寝が出来ると思ってスルーしていたが、おいらの朝ごはんが忘れられちゃあ、黙ってられない。
「うみゃあうー」
ごはんまだだぞー。おい早くしてくれー。
おいらは姉ちゃんの足下で、いつもより大きな声で、抗議した。
「なに? どうしたのショコちゃん」
「うみゃあうー」
「ちょっと待ってよー。大丈夫大丈夫忘れてないって。これ終わったらあげるから」
って、そんな調子でいっつも後回しになるんじゃねえか。
エプロンにぶら下がってでも、おいらは食い下がる。
「うみゃあうー」
「うわったっ、やめなさいってば! ほらーまたエプロンに穴が…」
どうせもう穴だらけなんだからいいじゃんか。ほら、ごはん、ごはん。
「うみゃあうー」
「わかったわよもう…ったく、たまにがんばろうって思うと、これなんだから…」
たまにしかがんばらないのが問題なんじゃないか。
おいらはそう言おうとしたが、いつものごはんがすんなり出てきたので、頬張ったごはんごと、その言葉を飲み込んだ。
「はぐはぐ、はぐはぐ」
「あんたはいいわねえ。缶詰ごはんでご機嫌になれるんだからさ…はあ…」
姉ちゃんはおいらの背中をつっつきながら言う。
そういえば、去年もこんなことを言われたような。
っていうか、この寒い時期に限って、毎年こんなことを言われているような。
「はぐはぐ、はぐはぐ」
「さて、続き続き…と」
姉ちゃんは、よっこらせ、なんて、おっさんみたいな掛け声で立ち上がり、また台所で何かごりごりと始めた。
ああ、なんだか思い出してきたぞ。
いつだったか、ゴリラとかなんとかいう立派な包みのチョコレイトを買って来てたな。
「やっぱり、本命にはこれくらいしなきゃね…」
よくわからんけど、決意に燃えてたなあ、そういえば。
それから、重そうなお酒の瓶を抱えて来たこともあったな。
「がっつり調べたかいがあったわ。あの人の好きなウイスキー…うし、これで完璧」
握りこぶしでやる気満々だったな。何をやるつもりだったのかは知らんけど。
そうそう、去年はふつうの板チョコにリボンかけたやつを、ひらひら持って帰ってきたんだっけ。
「金かけりゃいいってもんじゃないわよ。さりげなさが大事よね~」
なあんて、達観したふりして、余裕のドヤ顔をかましてたな。
そうして、おいらを見て、こう言うんだ。
「あんたはいいわねえ、缶詰ごはんでご機嫌になれるんだからさ…」
大きなお世話だい。
それにしても、毎年まいとし、姉ちゃん、何やってんだろうなあ。
相当意気込んでるのはわかるんだけど。
そのあと、どうなったんだっけ。
がたがたんっ
「あちちっ!」
台所はしばらく静かになりそうにない。
おいらはごはんを平らげて、いつもの十倍くらい騒がしい台所を、あとにした。
* * * * *
「できた! かんせーい!」
日がとっぷりと暮れた頃、姉ちゃんの高らかな声が、台所に響いた。
「ちょっと大きめだけど、うん、大丈夫よね。愛嬌愛嬌」
やけにうれしそうだけど、何がそんなにうれしいのか。
おいらが大きなあくびをしたところへ、
「ほらショコちゃん! 見て見て! トリュフチョコだよーん」
おいらの両手よりも大きな、黒光りした塊があらわれた。
「すごいでしょ~」
うん。すごいなこの荒々しい形。
で、これはいったい何なんだ。
おいらが匂いを嗅ごうとすると、
「あっ、だめよ~、猫にチョコは毒なのよ~」
なんて言ってさっさと隠しちまう。なんだよー、見てほしいんじゃないのかよー。
「ふふふっ、なんだかんだいっても、やっぱ手作りよね。うん」
何かに勝手に納得している。
「それにしても、道具にけっこう金かかったな…。ゴディバなんかメじゃないわ…」
そう言って脱力しかけて、
「ううん、いいのよ! また来年も使えるもん! ふんふふ~ん」
と、急に足取り軽やかに台所へ戻ろうとするから、
「うみゃあーう」
おいらのごはんくれっ、もう夜だぞ、と訴えてみる。
「え? あ、はいはい、ごはんね…」
姉ちゃんったら、どうしてそこで面倒くさそうな顔するかな。
「うみゃあーうん」
「ほら、お食べ」
「はぐはぐ、はぐはぐ」
「…あんたはいいわねえ、缶詰ごはんでご機嫌になれるんだからさ…」
また言われたよ。今日二度目だよ。
どうも嫌な予感がする。
「あああっ! そうか後片付け…」
ふと見ると、台所はドロボーに遭ったみたいに、荒れ放題だ。
いったい何をしたんだ姉ちゃん。
「はあ…脱力」
がっくりと、姉ちゃんはその場に崩れ落ちた。
きっと慣れないことするからだよ。
そう言いかけたけど、ちょっとかわいそうだったので、頬張ったごはんごと、おいらはその言葉を飲み込んだ。
* * * * *
「行ってきまーす!」
あの黒い塊を大事そうに包んで、鞄の中に入れ、姉ちゃんはやけに張り切って出かけていった。
ものすごく早起きだったし、化粧も妙に念入りだった。
毎日あのくらい準備がよければいいのに。いつも遅刻寸前で飛び出していくくせに。
…だからおいらは、いやーな予感がしてるんだ。
「ふわぁ…」
大きなあくびをして、おいらはお気に入りのベッドに潜り込んだ。
濃い茶色のふかふかベッド。濃茶のシマシマな毛並みのおいらにぴったりだ。
ふと壁のカレンダーを見る。今日は…二月十四日。もう二月も半ばか。早いもんだ。
…なんだろうこの胸騒ぎ。
去年もその前の年も、そのまた前の年も。
何か大変な思いをしたような気がするんだが…。
…思い出せない。
…まあいいか、とにかく寝てしまえ。
おいらはもひとつ、大きなあくびをして、ベッドでくるりと丸くなった。
* * * * *
「ショコちゃーん!」
「うわっ、姉ちゃんどうしたんだ」
「ひどいのよう、あのひと、こんな高いチョコは受け取れないって!」
「は?」
「ソウムのナッちゃんのは受け取ってたくせに! うわーん、ばかばかばかばか」
「ちょっと落ち着けって」
「もう食ってやる! ばりばり、ぼりぼり」
「うわあ…」
「ほらっ! あんたも食いなさいよ!」
「いやっおいらはいらない」
「何よう! あたしのチョコが食えないっての!」
「そうじゃねえって。チョコはダメなんだって」
「そうか猫はダメなのか…んもう! なんであんた猫なのよ!」
「そういうキレ方すんのかよ」
「うわーん! ショコちゃんのいじわるー!」
「ぎゃわっ! ちょっとつかみかかるなってっ、うわああああああ」
「ぜえ、ぜえ、ぜええええ…ようやく逃げ出したぜ…」
「ショコちゃーん!』
「んなっ」
「あのひとの好きなのはブランデーとチョコなんだって! ウイスキーは大嫌いなんだって! キカクのタシロの大バカやろー! あとて覚えてろっ! うわーん!」
「あああああ…」
「でも、でも、だからって機嫌悪くして帰っちゃうことないじゃない? ねえあんたもそう思うでしょ?」
「いやおいらにはよくわからない」
「くっそう、もう飲んでやる! ぐびぐびぐびぐびぐび」
「おいちょっと姉ちゃんラッパ飲みはいかんっ」
「ぶはー。ほら、あんたも飲みなさいよっ」
「無理無理」
「何よう! あたしの酒が」
「無理っていってんだろっ」
「うわーん! ショコちゃんのばかー!」
「ひょええええええええええええ」
「ひ、ひい、ひいひい、もうだめ…」
「…ショコちゃん…」
「うわあっでたっ」
「…全然ダメよう…さりげなさなんて何の役にも立たないじゃない…両手で持ちきれないほどチョコもらう人だったなんてええええ」
「いやそれは不覚としかいいようが…」
「うええええええええ」
「…んでまたヤケ食いか…」
「もう、食ってやるっ! がぶーーー」
「うわああってっおいらを食うのかああ」
「なにようあんたの本名はショコラでしょうがっ」
「姉ちゃんが勝手につけたんだろうっ」
「うるさいっ、がぶがぶがぶがぶがぶ」
「ぎゃわあああああああああああああああ」
* * * * *
「ふぎゃっ!」
身体ふたつ分くらいは跳ね飛んだ。
はっと我に返ってあたりを見回す。
真っ暗だ。もう夜か。
「ふ、ふいいいいいぃ」
夢か。
なんて酷い夢だ。
おかげでお尻の毛が少し抜けちゃったじゃないか。
おいらは念入りに、お尻のあたりをべろべろとなめた。
本当に、なんであんな酷い夢…。
うう寒い。姉ちゃん遅いな。早く帰ってこないかな。暖房がつかないとこの季節は…。
…まて。
…この季節。
…チョコレイトにまつわるこの季節。
あれは。
夢なんかじゃない。
がちゃり
ぎいいいいい
「ひいいっ」
おいらは思わず身構えた。
「…ただいまあ…」
ゆらりゆらりと揺れる人影。
「…ショコちゃあ~ん…」
おいらは思わずキンチョーのポオズをつくった。
「ひどいのよう…彼ったら、チョコアレルギーなんだって…来週結婚するんだって…あは、あはははは」
壊れている。
なんてこった。
「もうチョコなんて…チョコなんて…」
いやっチョコレイトに罪はないと思うよ。
姉ちゃんの下調べが甘いせいだと思うよ。
そう言いかけたけど。
「うわあああん、ショコちゃああああん」
姉ちゃんがおいらに覆い被さって、おいらはその言葉を飲み込んじまった。
「ふぎゃっ」
「あたしにはもう、あんたしかいないのおおおおおおおおおお」
「ふぎゃわっ、ふぎゃわっ」
「にげちゃいやああああああああ」
酒臭い重い痛いくるしいいいっ。
おいらにとって最悪の季節。
チョコレイトの季節。
来年こそは、逃げてやるからなっ。
おしまい
いつも読んでくだすって、ありがとうございます
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