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2006年10月02日

■終わりに

テーマ:おばあちゃんちの楽しかった土間

■終わりに


 私達設計者は、いつもどんな考えで家を設計しているのか? また、いつもどんな家を設計したいと思っているのか? そのことについて述べてみたいと思います。
 まず、フランスの有名な服飾デザイナーであったココ・シャネルの言葉を、参考にしてみましょう。彼女の言葉のなかの「服」とか「デザイン」という言葉を、建築分野の「家」とか「設計」とかという言葉に置き換えてみました。服づくりも家づくりも、同じであることが分ると思います。

np13-5

 ・・・私の願いは、まず、住んでいる人の生活を窮屈に締め付けず、働きやすく実用的な「家」をつくるということです。生活のどの場面においても生き生きと優雅に見え、適度の緊張感がありながら、生活に負担がかからずリラックスできる「家」です。最終的には、住んでる人にエレガンスと威厳を与える「家」、住んでいる人の本物の美しさを引き出しそしてそれを輝かせる力が宿っている「家」、そういう「家」を作りたいのです・・・。


 ・・・また私の「設計」は、「流行」を生み出すのためのものではありません。現在の生活にふさわしいスタイルをつくり出すのが目的です。設計者にとって「建築設計」とは生業です。私達は素朴な出入りの職人なのです・・・。


 次は、アメリカの高名な建築家イーロ・サーリネンの言葉です。彼が何時も心がけていたと言われる、有名な「設計における三つのアプローチ」というものです。それは次のようなものでしたが、文中の「アイデンティティ-」とは、意訳しますと、「固有性」とか「価値」とか「課題」とか、といったらよいものでしょう。サーリネンは若死にしてしまいましたが、どのような設計の場合においても、この三つの課題を追求することを貫き通したということです。


 この発注者しか持っていない最も大切なアイデンティティーはなにか。この敷地しか持っていない固有のアイデンティティーはなにか。今日と言う時しか達成できない時代的アイデンティティーはなにか。

 私も自分流に、課題を設定しています。私の場合は、課題を人間対象に置き換え、それは次ぎに述べるような「三者が満足する設計」、というものです。


 第一は、建て主の人に満足してもらえる住まいづくりを行うこと。第二は、一般の人々に住まいづくりの希望を与えることが出来るような住まいづくりを行うこと。第三は、他の設計者の人々にとって参考となる住まいづくりを行うこと。


 問題は、「三者を同時に満足させる」、ということです。現実には、それがなかなか困難なのです。しかし、今回の「土間の家」におきましては、まさにそれが実現したと、自負しております。建て主御夫妻との幸運な出会いを、まことに有り難く感じております。
 この楽しい経験を、皆さんにもお伝えしたいと思い、今回の「土間の家」物語りを書きました。文章を書くことも、また楽しい作業でした。

 では最後に、「赤毛のアン」の物語の中にある、素敵な文章を引用して終わりにしたいと思います。


 「グリーン・ゲイブルズ(緑の屋根の家)を売っちゃいけないわとアンが、はっきり云った。・・・、グリーン・ゲイブルズを手離す以上におそろしいことはないわ。あたしにとってはそれが最悪よ。あたしたちはこの古い愛する家を守らなくてはならないわ。あたしの決心はかたいのよ、マリラ。・・・、あたしはこの愛するグリーン・ゲイブルズにいられると考えると、心の底からうれしいのよ。誰もマリラとあたしほどにここを愛するものはいないわ。だから二人で守らなければならないのよ」


根岸俊雄


「おばあちゃんちの楽しかった土間」の写真および図面

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2006年10月01日

■「土間の家」はどんな家だったのか?

テーマ:おばあちゃんちの楽しかった土間

■「土間の家」はどんな家だったのか?


○「土間の家」はどんな家だったのか?
 完成した「土間の家」とは、はたしてどんな家だったのでしょうか? 「土間の家」を、最後にもう一度、全体的に判断してみたいと思います


○記憶術の家
 記憶術の一分野に、「家」や「都市」を利用する方法があると聞いています、これは、「家」や「都市」の造りを利用して、そこに記憶すべき事柄を当てはめて行くのだそうです。
 「土間の家」は、この記憶術の方法に用いられますと、まことに効力を発揮しそうな「家」に思えます。「土間の家」の構成は非常に複雑ですので、記憶術においては、たいそう「使いでのある家」ではないかと思われるからです。


np13-4

○知っていること以上のことを知っている家
 化学哲学者ポランニーは、かつて、「我々は表現できる以上のことを知っている」といったことがあります。「暗黙知」の価値について語ったのです。
 直感、個人的経験、資質などに基づく知というものがあります。また、デジタル化され難い知が重要な価値を持つこともあります。
 「家」とは、まさに、そういうものの代表的存在ではないでしょうか。「土間の家」での生活体験も、当然、そういうものになるはずです。


○余分なものがある家
 「リダンダンシー」という言葉があります。ある人がこの言葉について、次のように解説しています。
 ・・・(リダンダンシーとは)余分な部分がたくさんあるということ。つまり、一つの問題に対する解釈の方法が数限りなく用意されていること。ある一つの動作を生み出すのに、いく通りものやり方があるということ。少々の故障や機能不全があっても、別のやり方や組み合わせを使うことにより、目的は達成できてしまうわけである・・・。
 「土間の家」は、「リダンダンシーな家」ではないでしょうか?


○誇らしい気分の家
 エリア・カザンの映画「ブルックリン横町」に、次のような言葉の場面があります。「・・・私はバカだけど分かるの。気分が悪い事は間違い。気分がいい事は正しい・・・」。「土間の家」は「気分がいい」家になりたいのです。 さらに、もう一つ印象的な言葉の場面があります。それは、姉が妹の夫を評して妹にいう言葉です。
 ・・・あなたはジョニーに夢中だった。うらやましいくらい。でしょう。(しかし)理想と違ったかも。酒は飲むし、生活力はまるでなし。でも何かある。彼のどこに惚れたか思い出してごらん。あの独特の笑い方。腕を組んで歩く時の、誇らしい気分。彼が話すと何でも輝いて、彼が挨拶すれば、みんな幸せな気分になる。今だってそのままよ。彼はかれのまま。変わろうとしても変われない。普通の人とは違うかも知れない。でも昔のまま。変わったのは、あんたじゃないの? 今もそんな彼が好き?・・・。
 「土間の家」は、「今もそんな彼が好き」です。


○生きる勇気を与えてくれる家
 アメイカの有名な建築家フランク・ロイド・ライトは、「一人でも孤独を感じないような建物」づくりを心がけたそうです。「土間の家」は、まさにそのような「家」になりたいと思っているのです。
 ・・・「住み手に生きていく勇気を与えることが出来る家」をつくりたい。ひろい世の中で自分は一人ぼっちだ、と苦しくなることがある。そんなときに、「自分は生きていていいんだ」という慰め、励ましをもらう。心が熱く燃えてくる。どうしようもないほどの孤独さえも、いつのまにか消えている・・・。(完)


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2006年09月30日

■一年検査

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■一年検査


○一年後のチェック
 「土間の家」が完成してから約一年が経ちました。「その後どうですか? なにか不都合はありませんか?」、と建て主に聞いてみました。
 建物の不都合な個所は、建ってからすぐ出るものや、建ってからしばらくしないと分からないものまで、様々です。一年位経ちますと、大体悪いところはひとまず出尽くすものです。


np13-3 (写真:敷地北側の茶庭)

○一年後の手直し
 建具の開け閉が重くなった場所があります。まず、DK棟と寝室棟との境の四枚のガラス建具です。ナイロン製の戸車が磨り減ってしまいましたので。金属製の戸車に換えました。次は、居間の二箇所の引き戸です。ここは戸車無しの形式でしたが、新たにレールを敷き戸車を建具に付けました。
 居間のロフトのコンセントに回路がおかしいところがありました。コンセントの回路が、居間の照明器具のスイッチと連動してしまうのです。コンセントの回路を単独な配線にやり換えました。
 勝手口のドアには、やはり網戸を付けることになりました。洗濯コーナー脇と茶庭への出入りの個所です。ここは、網戸が部屋側に付くようなつくりなので、使い勝手が悪くならないか心配な個所でした。網戸をしばらく付けないで使ってみて、不便でないか様子をみようということでしたが、やはり、網戸が無いと不便であるとのことでした。


○茶室に不気味な粉が降る
 茶室は「青燈庵」と名付けられました。墨で字が書かれた額が、天井の小壁のところに掛かっていました。
 ところで、建て主の奥さんの話によりますと、茶室に「不気味な粉」が降る、とのことです。木の粉みたいだそうです。奥さんは、虫が食ったカスか、または工事の時の大工さんのノコギリ屑か、といっています。さあ、なんでしょう。
 後でその粉を、施工者と設計者で見ました。よく見ても、なんだか分かりません。不気味な粉です。施工者は、木の「ダニ」か、または木に塗った「トノコ」の乾燥したしたのか・・・、しかしどうも分からない、と言っています。もうしばらく様子を見よう、というなんだか分かったような分からないような待ちの姿勢に入って、現在に至っています。
 茶室に関しましては、その他、水屋の竹クギの位置が低すぎたことが判明しました。後から人に聞いた話では、こういうことはよくあるそうです。その流派で使う現物を現場に持ってきて工事をしないとダメだそうです。茶室の「炉縁」のときはそうしたのですが、ここまでは気が回りませんでした。


○庭が完成
 中庭が完成しました。庭木の多くは、建て主が前に住んでいた家の庭木を持ってきたものです。小さな茶庭もきれいに完成しています。親子の庭師さんが精を尽くして仕上げたそうです。良い出来です。
 この「土間の家」の庭を仕上げた庭師さんに関しては、少々秘話があります。庭師さんは、「三越」の社長さんの自宅の庭を作ったことがあると言っている位ですから、たいへんプライドの高い職人さんです。建て主夫妻から、庭師さんが「設計士が口を出すんなら、仕事はしねえ」と言っている、と聞きました。建て主の前住んでいた家の庭もこの庭師さんがつくったそうです。設計者は、そういう関係では口を出さない方がよい、と判断しました。
 そんなわけで、庭作りは、設計者が庭師さんの顔も見ない内に終了しました。結果は上々です。心配していたことなど、まったく無用でした。


○屋上庭園は建て主がつくる
 屋上庭園に植物を入れたのは、建て主夫妻です。自分達で園芸店から芝のブロックを買って来て並べたら、それがいい按配に根付いたそうです。芝って強いんですね。
 今、芝の間には、赤や黄色の花のマリーゴールドが植わっています。素朴で可憐な花で、良いですね。見ていると、ほっとします。


○池の金魚が元気
 室内庭には、中庭から直接出入りできるように、隅に敷石が置いてありました。どうも、DK棟から中庭へは直接出入りしないようにしているらしいのです。確かにDK棟の中庭側は足元が「竜のヒゲ」でびっしりです。庭師さんがいうには、出入りでその上に乗っても大丈夫だそうですが、やっぱりチョット可愛そうということらしいのです。
 室内庭の雑種の金魚は元気です。家の内外にまたがる池の中を、仕切のガラス板の下を潜って、自由気ままに泳ぎ回っています。この池には、最初、出目金(でめきん)の品種も一緒に入っていたそうです。しかし、雑種の金魚の方が断然強く、弱い他の品種を突付いていじめてダメだそうです。そんなことで、いま池にいるのは赤い小さな雑種の金魚だけです。


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2006年09月29日

■新しい家での生活

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■新しい家での生活


○新しい家での生活
 新しい家での生活は、まず最初は、設計当初考えていた住まい方で使ってみるのが普通です。それからは、その家族の自由です。考えていたとおりに行かず、具合悪い場合も出てきます。住まいながら、新しい使い方も出てきます。
 家が完成した翌年の三月頃、「土間の家」の使われ方について、建て主夫妻に聞きました。すると、特に子供室の使われ方に、興味深いものが多くありました。子供は生活が固まっていませんから、面白いのです。


○子供達の部屋分けが決定
 子供室の部屋割りは引っ越し直前にようやっと決まりました。結果は、長男が一番奥の広い六畳の部屋、次男が階段近くの一番手前の四畳の部屋、三男は真中の四畳の部屋というようです。まさに年功序列型にになりました。面白いですね。
 子供室は、時々部屋の交換つまり住み替えを行う予定だそうです。子供室の部屋換えは一年毎位にやって欲しいですね。しかしうまく行くか心配です。とくに六畳の部屋が問題です。子供達のジェントルマンシップに期待しています。


np13-2 (写真:子供部屋 ロフトへ登る梯子)


○ロフトで寝る子、寝ない子
 吹き抜けを梯子で登るロフト・スペースは四畳の広さで、主に寝るための場所です。ここで「主に」といいましたのには、わけがあります。
 どうも三男の子供だけが、ここで寝ていないようなのです。下のスペースに布団を敷いて寝ているそうです。ロフトに毎回登るのが、面倒だからでしょうか? それとも、高いところの穴倉みたいで、寂しいのでしょうか? 理由はまだ聞いていないので、分かりません。


○子供室にはまだ暖房が入ってない
 子供室では、冬の時は、上の二人の子が電気ストーブを使用し、一番下の子は何も暖房器具を使わなかったそうです。子供室は、最初から、冷暖房無しで暮らしてみよう、ということになっていました。しかし、建物は、いつでも冷暖房用の空調機が設置出来るように、子供室の北側の外壁に、空調機置き場用の亜鉛溝付けメッキを施した鉄製の架台も取り付けてありました。しかし、それを利用して空調機を設置することはなかったようです。
 その後、夏も、子供達は冷房無しで生活したそうです。ただし、あまりにも蒸し暑い夜があった時、長男の子がスノコ廊下のところにフトンを出し、そこに一晩寝たそうです。
 建て主夫妻も子供達も、しばらく自然に生活してみよう、という決心なのです。


○子供室前のスノコ廊下に洗濯物を干す
 屋上庭園の物干し場は、雨の日は雨が降りかかってダメです。その時は、洗濯物を子供室前のスノコ廊下の天井にぶら下げるのだそうです。
 そこは便利でいいのですが、一つ欠点があります。子供に言わせると、そこに干すと周りの木の香りが洗濯物に移り、なんともの臭いになってイヤなのだそうです。真相はわかりませんが、子供は敏感です、そういうこともあるかも知れません。


○庭はまだ
 この時点では、庭がまだ出来ていませんでした。いろんなところが土のままで、少々殺風景です。設計者は、早く庭造りを開始して欲しい気持ちでいっぱいです。


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2006年09月28日

■竣工パーティー

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第13章 竣工だ、お祝いだ


■竣工パーティー


○竣工パーティー
 十一月の末が、「土間の家」の竣工パーティーです。建て主夫妻からお招きを頂きました。たいへんうれしい気持ちです。設計者は、お祝いに陶器の花瓶を持って、おじゃましました。
 出席者は、まず、建て主の親族の方達、計七名です。次に、建て主夫妻と息子さんの計五人。そして、工事関係者は、施工者の代表である工務店の社長さん、そして設計者側として私と現場担当の所員の、計三名です。全体で十五名でした。
 会場は食堂と居間で、間の建具を開け放して行われました。食堂と居間は段差がありますが、食堂の食卓と椅子の席は、居間の座卓と座布団の席と目線の高さが丁度良い具合です。両方のスペースがうまく一体化します。
 いろんな料理が、台所の方からこちらの方へ流れるように運ばれてきます。
みんな設計通りの使い方や物の流れになっています。安心です。


np13-1 (写真:居間から食堂を見る)

○食堂はお年を召した方達
 食堂の食卓と椅子には、主に建て主の御主人側の親族の方々が坐りました。みなさん比較的お年を召した方達なので、足が楽な椅子で、丁度良い具合でした。トイレに立つにも便利です。
 部屋は足元の床暖房と空調の暖房とで、心地良い暖かさです。御主人は台所のレンジフードの下でタバコをふかしながら、みなさんの話を立ったままで聞いています。食卓のお客さんたちは、話の合間に、ガラス屋根から空を眺めたりしています。


○居間は比較的若い者達
 居間の板の間の座卓と座布団には、主に奥さんの親族の方々、そして我々工事関係者が坐りました。ここは比較的年令が若いので、話も賑やかです。しかし天井が高いので、声が反響してうるさくなるようなことはありません。居る人数も多いのですが、大きな空間ですので空気が淀んで息苦しくなるようなこともありません。
 我々工事関係者は、いろんな人から何回も、家の出来栄えを誉めてもらいました。ありがたいことです。思わず顔がにっこりとしてしまいます。


○ロフトは子供達
 建て主一家の子供達は、自由にあちこち動き回っています。しかし、しだいに、ロフトに陣取るようになっていきます。やはり、ロフトは面白そうなところなのです。こういうパーティーではうってつけの場所です。
 彼らは、ロフトの端に腰を掛けて足を下に垂らし、肘を手摺についてあごを支え、面白そうに下を見下ろしています。上の彼氏たちが観客で、下の我々は見世物みたいなものです。それでいいのです。


○竣工ビデオを流す
 設計者達の席の目の前にテレビがあります。設計者達は先日撮影した竣工ビデオを持ってきていましたので、それを再生して流しました。
 ところが、だれも見てくれません。設計者達も、段々おしゃべりにいそがしくなってきます。ビデオは、もう、誰も見ていません。現物が目の前にあるので、ビデオをわざわざ見る必要がないのでしょう。まあ、いいでしょう。
 そのビデオは竣工祝いとして、建て主夫妻にプレゼントして帰りました。


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2006年09月27日

■追加工事の清算

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■追加工事の清算


○追加工事はどの現場でもある
 工事も、とうとう終わりました。工事中の追加・変更工事の精算をしなければなりません。追加・変更工事は、どの現場でも工事途中に、かならず発生するものです。


○追加工事の項目
 以前から途中途中で整理して置いた、追加・変更工事リストとその工事費用の内訳を、施工業者からまとめて提出してもらいました。これらは、建て主と施工者と設計者の三者が、基本的には既に了解済みの項目と金額です。
 追加・変更項目は、次のようです。木材で構造材や仕上げ材のグレード・アップ。木部塗装をオスモ・カラーに。キャット・ウオークの追加。水屋収納の追加。茶室材料の変更。台所食器戸棚の追加。池の鉄平石貼り。物置の追加。・・・。


np12-4 (写真:追加工事分の見積書)


○追加工事費を清算する
 以上の追加・変更工事費を合計すると、六百十三万円になりました。これを出精値引きしてもらい、最終的には、追加・変更工事費は五百五十万円に決定
しました。
 それでも、かなりの額になりました。最初の工事契約金額四千万円の約十四パーセント近くです。十パーセントを超えています。


○追加工事の処理について
 追加工事の清算では、よく問題が出ると聞いています。この原因はいくつか考えられます。
 まずは、追加・変更時における、建て主と施工者と設計者の三者間の意思疎通不足です。追加・変更は、その項目と金額について、現場でその都度三者の了解を取っておく必要があります。そうすれば、後から問題になるものではありません。
 次は。これも同じことなのですが、「負けてくれるだろう、サービスなんだろう」という、曖昧な期待感で、追加・変更をうやむやにしておく事です。


○引渡し
 十一月中旬が建物の引き渡しです。施工者は、下請け協力業者リストと各種取り扱い説明書を、建て主に渡します。そして、建て主は、現場で各業者から現物で取り扱いを説明をうけます。その項目は、次のようです。
 台所のガス・コンロやフード。床暖房のスイッチやボイラー。冷暖房のリモコン。電気のブレーカー。照明のスイッチ。浴槽のお湯張り。浴室乾燥機。給水やガスの元栓。排水の桝。・・・。


○建物保険
 契約工事費の残金と追加・変更工事費を合わせて、最終支払いをします。それと同時に、施工者から「建物引き渡し書」をもらいます。
 建物引渡し後は、建て主が建物保険に入らなければなりません。その時、施工者の保険期間と建て主の保険開始時期との間に、隙間が生じないように注意することが必要です。その間に、火災などの事故が起きたら、たいへんです。


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2006年09月26日

■「思い出」の埋め込み

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■「思い出」の埋め込み


○記念を残そう
 家を新築した記念に、なにか思い出に残る記念行事をしようということになりました。ビルなどの場合ですと、「定礎」の埋め込みという仰々しいものがあります。今回は住宅ですので、チョットしたことで良いと思います。
 それでは、思いでの品物をどこかに埋め込もうということになりました。丁度、駐車スペース脇に、五十センチ位の高さのコンクリートの擁壁があり、これからその上にモルタルを塗らなければなりません。そこに思いでの品を埋め込もう、ということになりました。


np12-3

○「思い出」の埋め込み
 まず左官屋さんがモルタルを塗ります。その側で、モルタルが乾かないうちに、さあ、埋め込みの開始です。
 子供達と奥さんが、いろんな物を埋め込みました。メダル、ペンダント、ビー玉、鎖、コイン、サザエの貝殻、・・・。プラスチックのピストルが道路に向けて埋め込まれたときは、ドキットしました。また子供達は、自分の手形も押しました。奥さんは、ビーズで模様を描き出して、「面白いわね」と言っています。


○ロッキーの手形
 犬のロッキーの手形(足形)も残すことになりました。子供の一人が、ロッキーを抱きかかえ、ロッキーの手を持ってモルタルへ押し付けます。ロッキーはしきりにイヤがっています。
 このロッキーのせっかくの手形は、すぐ後で不運に遭遇してしまいます。建て主の奥さんが誤って平らにしてしまったからです。奥さんは、こんなところに変な窪みがある、平らにしときましょう、と思ったのだそうです。ロッキーの手形は、かわいそうに、ボンヤリとしてなんだか分からないものになってしまいました。
 一段落したところで、脇に控えていた左官屋さんが、埋め込んだ物の周りのモルタルを均(なら)してくれます。みんなで後ろにさがり、全体を眺めてみました。なんともいえぬ面白い光景です。この家に来る人は誰もがきっと話題にすることでしょう。


○プロの写真家が竣工写真を撮影する
 プロの写真家に竣工写真を撮ってもらいました。プロの人の撮影は我々の場合とだいぶ違います。まず、大きなカメラを運び出しセットします。次に、撮影アングルを決めるのが大問題です。そして、写真写りが悪いと思われる物を整頓したり撤去したりして、画面を整えます。それから、陽射しを待ったり露出時間を決めたりします。このように一枚一枚慎重ですから、撮影にはたいへん時間が掛かります。今回の場合は、夜景も含め十八カット撮影してもらいましたから、本当に丸一日掛かりでした。
 設計者の所員も、自分のカメラで細かいところを説明写真的に撮影しました。「思い出」の埋め込み箇所も、撮影しました。所員は途中でプロの人に撮影の指導を受けていました。いい勉強になりました。


○竣工ビデオも撮る
 竣工ビデオも撮影しました。これは、設計者の所員が行いました。ビデオ撮影はカメラに比べ、特に事前の計画性がたいせつです、画面が連続してますので、場当たり的に「こっちだあっちだ」と撮影したら、いくら後で編集が出来るからといっても、分かりやすいビデオ製作は出来ません。所員は、前日に事務所で、図面上で撮影順序を綿密に計画しました。以前別の建物のビデオ撮影が事務所内で評判が良くなかったので、緊張でその夜は撮影のことを夢にまで見たそうです。
 結果は上々でした。竣工写真と竣工ビデオの撮影が済んだ日は、さすがに疲れました。帰りに、設計者は二人の所員一緒に慰労の飲み会をしました。


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2006年09月25日

■施主の下見

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■施主の下見


○建て主一家の下見
 建て主夫妻や子供達は、工事途中に時々現場に来て、建物の出来具合を見ています。しかし、家族全員揃ってチャント見るということはなかなかなかったようです。後から聞いたところによりますと、建て主一家は竣工間際にみんなで下見をしたということです。そしてその時、子供の一人ですんなり移り住んでくれるか心配していた子が、「気に入った、住んでもいいよ」、と言ったそうです。
 その言葉には、建て主夫妻もほっとしたでしょうが、設計者も大安心、大満足でした。本当によかったという気持ちでいっぱいでした。


np12-1

○ご主人のタバコを吸う場所が決まる
 家族で下見をしたときに、御主人がタバコを吸う場所も決まったそうです。タバコを吸う人は大変ですね。
 御主人がタバコを吸う場所は、まず、夫婦室の前の縁側です。室内庭の縁側に寝転がって、青空でも見上げながら「ぷか、ぷか」なんて、いいですね。次は、キッチンのレンジ・フードのところだそうです。換気扇を回しながら、コンロ回りの囲いにもたれて吸うのだそうです。排気が万全ですね。ここは周りに人気(ひとけ)のあるところだからでしょうか、御主人はこちらの方お気に入りだそうです。


○設計事務所の竣工検査
 建物を引き渡す前に、建て主に建物の竣工検査をしてもらわなければなりません。その前に、設計者が現場監理者としての立場から、竣工検査をしておきました。なを、もっと本格的になりますと、設計者の検査の前に、施工者の自主検査というのが行われます。
 検査の結果は、リストにしておきます。そこには、手直しを指摘した項目、手直し済みの箇所、まだ手直しが済んでいない箇所などが記入されています。このリストが後々重要な資料になるのです。
 設計者の竣工検査で指摘された事項は、全部で八十四項目にも上りました。これらは後日すべて手直しされました。


○建て主の竣工検査
 十一月の始めに、建て主の検査が行われました。建て主の竣工検査においては、まず、設計者が検査リストを元に現場でその箇所の説明をします。まだ手直しが済んでない箇所は、いついつまでに手直しするという手直しスケデュールを施工者が説明します。
 次に、建て主が現場を直接検査します。そして、建て主の目で見た手直し事項を指摘してもらうというのが段取りでです。ところでこの時、建て主は、何も専門的判断ばかりしようとしなくてもよいのです。素朴な疑問や不安箇所を述べて、それを解消するのも重要な検査項目なのです。建て主の竣工検査においては指摘された事項は、次の通りです。
 寝室棟のスノコ廊下の手すりが少しグラつく。ガラス建具の開け閉めが少々重たいい箇所がある。下足箱の引き戸に引き手が付いていない。駐車スペースの扉の止まりが悪い。屋上庭園の物干し場に吊り金具の追加を。・・・。
 これらも後日すべて手直しされました。


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2006年09月24日

■最後の仕上げ

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第12章 もうすぐ完成


■最後の仕上げ


○竣工直前の現場
 竣工間際の現場は、まるで戦場のようです。いろいろな工事が、重なって進行中です。そしてすべての工事が途中で、あたり一面が乱雑で、これで予定の工期までに完成するのだろうかと、心配になってしまいます。
 竣工間際は、いつもこうなのです。こんな風でも、いつの間にか片付いて完成してしまいますから、現場というのは不思議なものです。


np12-2

○完璧を目指して最後まで
 現場での最後の追い込み仕事は、すべて後から目に着くところばかりです。間違いは、そのままずっと残ってしまいます。
 建物の価値を最終的に決めてしまうのは、これからの仕事です。ここできちんとしておかないと、いままでの努力がふいになってしまいます。完璧を目指して、最後までがんばらなくてはいけません。建物に言い訳は貼っておけないのですから。


○焦(あせ)る施工者
 現場は大忙しです。しかし、設計者の納まり指摘事項は、たくさんあります。施工者もたいへんですが、設計者もたいへんなのです。現場が殺気立って来ます。設計者が指摘した納まり事項は、次のようなものでした。
 建具の作り方が間違っているところが二ヶ所ある。納戸の付長押の施工を。居間のロフトの床にクリアー・ラッカー塗りを。竪樋の位置をを直すこと。外部の露出配管に塗装を。駐車スペースの外部照明の位置を直すこと。池の水の中の仕切り板の両側固定を。・・・。


○胃痛が出た設計者
 最期まで残ったのが、洗面・脱衣室上部の三角形の小壁の色塗りです。施工者は最後の追い込みで手が回らないのです。設計者が何回頼んでも、塗ってありません。ここはどうしても白い壁にしないといけません。納まりに破綻がきてしまうのです。注意して覗き込まないと分からないようなところですが、しっかりとやらなければいけません。
 設計者の胃に、ここ数日痛みが出ています。心配のためです。設計者の我慢も、最後近くで切れかかっています。とうとう、「材料を寄越しなさい。自分で潜って塗ってくるからッ」、と言いました。設計者は本当にやるつもりでした。ところが、翌日現場にいってみましたところ、白く塗ってありました。本当にほっとしました。


○終わり良ければ全て良し
 こんな風に、現場は戦いです。事情が分からない人は、現場でたいへんな言い争いやケンカが起きていると、勘違いしてしまいます。
 でも、大丈夫です。われわれ技術者は、いつもそんな風なのです。お互い自分の仕事に責任持ってやっているからこその、せめぎ合いなのです。物造りの現場はそうでなければ、良い物は出来ません。


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2006年09月23日

■「短歌みたいな家」、「俳句みたいな家」

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■「短歌みたいな家」、「俳句みたいな家」


○新聞を読んでいたこんな記事が出ていた・・・
 ある日、新聞を読んでいましたら、次のような文章が出ていました。まさに、短歌と俳句の違いについてズバリと表現してくれています。
 「・・・短歌という定型に、身の回りのドラマを、ぎゅっと押し込めると、膨張して爆発しそうになる。それにスリルを感じた。俳句も始めた・・・。・・・短歌は、朗々と歌ったりぶつぶつとつぶやいたり、自分の気持ちを述べ、あなたはどう思う、と問いかける感じ。俳句だと、客観的に描写して、口論のとどめを刺すように、バーンと。短歌が映画なら俳句は写真的・・・。」


np11-5

(写真:居間棟

     居場所が与えられる家、居場所を自分でつくる家)


○短歌みたいな家、俳句みたいな家
 短歌では、最初の五七五の後の、七七の句がドラマチックで、すごい部分です。そこで、溜めていた感情が、一気にほとばしり出て来るのです。それこそ、身を投げ掛けて来るのです。
 俳句は、短歌の最初の五七五の句の部分で止まってしまった、という風です。後の七七の部分は言わないから、読者がそれぞれ感じなさいという具合です。
 戦争に持っていったのは、「万葉集」など短歌が圧倒的に多かったようです。設計者の父親もそうだったと聞いております。
 俳句が持っていかれた例は、設計者が聞いた範囲では、ありませんでした。俳句はそのような場合、どうも雰囲気が違うようです。
 住まいづくりにおいても、短歌的な家とか俳句的な家とかがある気がします。


○煎茶みたいな家、抹茶みたいな家
 明治維新を起こしたのは煎茶派であって、抹茶派には世の中を変革する力は無かった、という意見があります。そのことが本当かどうかは分かりません。その時期における煎茶の興隆と抹茶の没落を表した言葉なのかも知れません。
 煎茶は、気持ちを自由奔放に出すような気がします。煎茶の文人趣味の茶室の作り方も、勝手気ままというところがあります。抹茶は、気持を少し我慢する傾向があるようです。感情は、そこでは、内に秘めて溜めた力みたいなものとなるのです。
 煎茶みたいな家とか抹茶みたいな家とかいうのも、どうもあるような気がします。


○クラシックみたいな家、ジャズみたいな家
 葬式に流す音楽は、圧倒的にクラシック・ミュージックが多いのではないかと思います。日本人は、まだジャズでは死ねないのではないでしょうか。クラシックなら死ねるというのには、明治からの音楽教育の力を感じます。
 クラシックは、クールと思われがちですが、意外とホットです。系統立てて、最後には感情を本流のように発露します。ジャズは、何時も感情を吐露していると思われがちですが、その表現は意外とシャイです。出したり引っ込めたり躊躇(ちゅうちょ)して、間欠的な湧き水のようです。また、思いをほのめかす程度の表現も、結構多いのです。
 クラシックみたいな家とかジャズみたいな家とかいうのも、あるような気がします。


○叙情派の家、叙事派の家
 いままで述べてきました区分は、主に「感情を表す」か、それとも「事柄を表す」かの違いだと思います。この区分に従えば、叙情派の家とか叙事派の家とかいうものがあるのではないかと思います。
 叙情派の家とは、ひとまず、「自分の居場所が与えられているような家」のこと、としてみましょう。叙事派の家とは、「自分の居場所は自分でつくらなければいけないような家」のこと、としてみましょう。


○居場所が与えられる家、居場所を自分でつくる家
 どちらが良いとか正しいとかいうのではありません。両方が必要です。あまり片寄ってはいけないというだけです。
 居場所がたくさん与えられていて、それを自分で選択するのが楽しい家、というのがあるのです。あまり性格付けされていない空間があって、その中に自分で居場所を作り出していくのがうれしい家、というのもあるのです。
 ただ、見捨てられたような寂しさを感じさせない住まいづくりが、必要だと思います。「お前一人でやれ」と、突き放しすぎる空間は考えものです。居場所が分からなくて、途方に暮れてしまうのです。
 といって、あなたの居場所はここですよ、とあまりにも面倒見すぎというのも、鬱陶(うっとう)しいものです。「可愛すぎるし、手が込んでいる」というのは、ベタベタし過ぎで、やり切れない時もあるのです。
「土間の家」は、適度に「情けある家」になっていると思っています。


「おばあちゃんちの楽しかった土間」の写真および図面

http://www.negishi-arch.co.jp/houses/kosigaya-w2

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