2005年07月27日

故郷:別天地

テーマ:太郎に語る建築家人生

太郎よ、君は理想郷を見たことがありますか。
私には経験があるのです。


ある日自転車に乗り遠出をしました。
もしかしたら後ろに弟を乗せていたかも知れません。
夕刻、地名は判然としませんが、蓑山のふもとの場所に来ました。

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古い池があります。
古い庭があります。
古い門があります。
古い家があります。


里山的場所に遺跡のように組み合わさって存在しています。
みんな夕日を浴びて静まり返っています。
ぼやあっとしてしまいました。


池はよく見ると土を盛り上げて造ってあります。
庭は石組みが乱れながら山や池のほうに広がっています。
門は小さくぽつんと立っています。
家は元から塀が無かったのか・・・・。


近くには古墳があります。
当時は石室が開いていて中に入って遊べました。
この地域は古くからの場所なのです。

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後で聞いた話です。
この家は相当古い家で、以前は武士でそれから名主とか・・・。


理想郷はかならず発見できるものです。
設計者とは理想郷を夢みる人間のことなのです。

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2005年07月05日

故郷:隣近所

テーマ:太郎に語る建築家人生

太郎よ、田舎に行くと前はよく一緒に隣近所を歩き廻りましたね。
最近はそういうことがなく、家の中にいるだけになりました。


私の生家の斜め向かいには、たいへん変わった間取りの家がありました。
私はそこの家の人に可愛がられ、いつも遊びに行っていました。
家の中は隅々までよく記憶しています。


その家は往還と分かれ道に挟まれた三角形の敷地にありました。
家の中にはなんと半間(1m弱)巾の細長い土間がありました。
往還と分かれ道両方の出入り口をつないでいるのです。


家の人は細長い土間を下足で行き来して通路的に便利に使っています。
座敷の生活ではこの土間を飛び越えて行き来しています。
子供は時々踏み外して痛い思いをするそうです。

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土間の片側は箱火鉢の置いてある居間です。
小太りのおばさんが茶箪笥を背にいつも座っていました。
おやつをよくもらいました。


土間の反対側は一間(2m弱)巾の畳敷きがずっと続いています。
不思議なスペースで、かつては商品など並べていたのかも知れません。
この家の屋号はたしか「都家(みやこや)」だったと思います。


このスペースの奥に三角の小さな部屋がありました。
庭に張り出した気持ちのよい場所です、
おじさんがきちんと正座して食事していたのを覚えています。


この家にはこの他、渡り廊下でむすばれた離れ座敷があました。
この部屋はそとから直接出入りできるようになっていました。
近所の子供たちが集まり勉強したりしたことがあります。


「三角敷地の家」は今でも私に設計のヒントを与え続けてくれます。
設計者は誰もがこんな家の思い出をもっているのではないでしょうか。

生家の近くで印象に残るものには、二つの共同井戸の風景があります。

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一つは分かれ道の裏にあったポンプ「汲み上げ井戸」です。
石積みの三角広場、大きな木陰の下、おばさんたちが集まります。
隠れ井戸コミュニケーションとでもいうべき雰囲気です。

もう一つは沢の近くの三叉路にある「跳ね上げ井戸」です。
大きな木の跳ね上げ構造が、地域のシンボルとなっていました。
象徴コミュニケーション的井戸とでも表現しましょうか。


私は記憶の中にコミュニケーションの現場体験を所有しています。
いつでもすぐにこの井戸コミュニケーションの例を語れるのです。

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2005年06月28日

故郷:家の周り

テーマ:太郎に語る建築家人生

太郎よ、君は大きな納屋は見てますよね。
その建物だけが唯一の古い建物です。


納屋は祖父が生前に建て替えたものです。
蔵は建てられなかったが納屋は建て替えた、というのが誇りでした。
祖父は、放蕩した跡取りの代わりに、娘婿にきた人間です。
借金を返すので精一杯だったのです。

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納屋への穀物搬入、中での脱穀作業、またいつもは子供は遊び場です。
敷地の中には他にもいろんなものがありました。
まず便所が別棟、鳥小屋や豚小屋、それに氏神様もありました。


井戸もありました。
隣近所の人たちがもらい水に来ました。
井戸端コミュニケーションで、一種の社交場でした。
そこでの会話を聞くことはたいへん楽しいことでした。


正月準備の年末には祖父を手伝いました。
松の枝に切り紙を付けたものを、屋敷のいろんなところに供えるのです。
そういえば、クリスマス飾りをしたことも思い出しました。
同居の叔母の命令で蓑山にモミの木を探しに兄弟で行きました。


家のすぐ周りは土の庭で、作業する庭です。
穀物を干したりした時は、雨がたいへんで、大急ぎで取り込みました。、
また何年かにいっぺんの醤油づくりや薪づくりは一大イベントでした。

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その先は緑の庭でした。
年末に松の葉の手入れを手伝うとミカンがごほうびだった気がします。
小さな四角の池では金魚が数匹泳ぎ、ホテイアオイも浮いていました。
庭はだんだんと畑になって続いて行きます。
その境にある小道を他人が通って行くこともありました。


小道の脇には茶の木が植えられていて、自家用の茶を作っていました。
茶の木の根元は陽だまりでそこに栗の実を埋めました。
今では大きな栗の木に成長しましたが、味はどうもよくないようです。


私は心地よい場所をたくさん体験しました。
いわば、幼くして「場所性に目覚めた」のです。
これは環境デザインするに当たってたいへん重要な資質だと思います。

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2005年06月20日

故郷:生家

テーマ:太郎に語る建築家人生

太郎よ、君は私の生家を見たことはありませんね。
それは君が生まれる前に壊されてしまったからです。


根岸の家は祖父の代まで専業農家でした。
父は教員になり、母が祖父と農業を続けました。
学校が農繁休業のときは、私たち子供もみんな手伝いました。


私が生まれ育った家は大きな総二階の家でした。
二階は養蚕部屋でトタン葺きの屋根には二つの換気窓がありました。
どのくらい古い家だったか、定かではありません。
祖父が婿養子にきた時すでにこの家は建っていたはずです。

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通り抜け土間がありました。
近所の子供たちが鬼ごっこで駆け抜けて行きました。
そこで餅をついたこともあったような記憶があります。


囲炉裏が土間の脇の板の間にありました。
中に足を踏み入れることができる大きさだった気がします。
鍋の中の「おっ切り込み(ほうとう)」、灰の中の焼きリンゴ・・・。


縁側もありました。
目の前の庭、その先の蓑山(みのやま)、空の上の満月・・・・。
ススキ、まんじゅう、ふかし芋を供え、祖父とお月見をしました。


縁の下が家全体に広がっていて、子供は中に入り遊びました。
乾いた土、そこにはあり地獄などがありました。


生家のことは大切な思い出です。
そこでの生活と家の様子は、私の記憶から一生消えることはありません。
私が住まいを設計するときの原点です。

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2005年06月13日

故郷:往還

テーマ:太郎に語る建築家人生

太郎よ、君は「往還」という言葉が分かりますか?
「おうかん」と読み、町と町をむすびつける道路のことです。


町の真ん中に国道が走っていました。
鉄道と並行で互いに見え隠れしていました。
その通りを私達は「往還(おうかん)」と呼んでいたのです。


道路はまだ舗装されていない砂利道でした。
窪みに雨水が溜まり、油が虹色に浮いていました。
車が来ると見るのを止め、あわてて脇に避けました。


時々道路の表面を平らに削る車がやって来ました。
大きなシャベルとものすごい音が私たちを驚かします。
遠くまで付いて行って、親にしかられたことがあります。


いろんなことが起こる場所でした。
学校の帰りは、おしゃべりの場、追いかけっこの場でした。
夏祭りでは山車や神輿と一緒に歩き回りました。
旧盆には秩父音頭の踊りが繰り出します。

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いろんな人たちが登場する場所でした。
玄関でずっと通りを眺めているお婆さん・・・。
癲癇(てんかん)の発作の旦那さんを追いかける奥さん・・・。
女装して自転車で行き来するおじさん・・・。


道路に沿って町並みが続いていました。
竹かご屋さん、鍛冶屋さん、建具屋さん、下駄屋さん、・・・。
私の生まれた家はその真ん中あたりにありました。
小さな別れ道を少し入ったところでした。


私は秩父往還で町の本当の姿を知ることができました。
「通り」への興味は今でも尽きることはありません。
「魅惑的な通りづくり・建物づくり」は私の研究テーマの一つです。

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2005年06月06日

故郷:電車

テーマ:太郎に語る建築家人生

太郎よ、君と故郷の町に行く時はいつも電車でしたね。
羽生からJR熊谷そしてその先へと、秩父鉄道です。
途中の寄居ではJR八高線や東武鉄道が他の町と連絡しています。
そのあたりから山が線路に迫り、長瀞で荒川の鉄橋を渡ると私の町でした。


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故郷の皆野町には駅が二つありました。
どちらの駅も家から歩いて7~8分です。
私は親鼻の駅、古い小さな駅舎を好みました。


冬にはその駅から奥の町へと電車を乗り進みました。
あの有名な秩父夜祭がある町、困民党が攻め入った町。
そこは盆地が一番広がったところで、札所34ヶ所も点在しています。
また西武鉄道が盆地を池袋方面へと連絡しています。


幼い時の移動手段はすべてあの小さな電車でした。
ちょっとガタガタしながら私をいろんなところに運んでくれました。


電車によって私は多くの風景を見ました。
電車によって私は他の町を知りました。
電車によって私はいろんな人に出会いました。


残念ですが、小豆色の三両編成の私の電車は、今は元気がありません。
私は「ローカル鉄道活性化計画」を考えました。
いつか、街づくり入門のコーナーで、発表することにします。

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2005年05月30日

故郷:町

テーマ:太郎に語る建築家人生

太郎よ、君は私の一人息子です。
これから私の建築人生を語ります。
君の大学での専攻は建築ではありませんが、
何にかの役に立てば嬉しいと思います。


君が生まれたのは台東区根岸です。
都会の真っ只中です。
私の故郷とはだいぶ違います。
何回も行ったことがあるから分かりますね。


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埼玉の秩父谷、その入り口の皆野町が、私の生まれたところです。
人口は今でも変わらず1万人ちょっとです。
今住んでいる越谷市はなんと30万人です!


山と川とわずかな平地の町です。
夏は荒川で毎日泳ぎ、時々キャンプもしました。
秋は美の山を歩き廻り、途中で栗など拾いました。
冬は坂道のソリすべりで、しまいには冷たく濡れてしまいました。
春は道端で草摘みをしたり、小川に笹舟を流したりしました。


私は自然に囲まれて育った人間です。
環境を考える原点はここにあります。
いま住んでいる町には少々不満を感じています。
チャンとした山や川、身近な自然などが不足しているからです。


 

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