「第2回」と言うものも、実質「第1回」です・・・(笑)

「羽部清(はべきよし)」さん・・・、愛知県出身で、僕より4歳年上でした・・・。

まず最初に、羽部さんってどういう人だったのかを知ってもらうために、とりあえず

写真を載せておきます・・・。

 ← 羽部さんと僕

このブログで初公開の写真です・・・。

左が僕で、右の薄めのスーツが羽部さん・・・。婦人部総会のお手伝い・・・。

僕が、26歳位で、羽部さんが30歳位の時の写真です・・・。

羽部さんって、僕がお手本にしている「おもしろ真面目」な人なんです・・・。

通常は面白くて楽しい人なんだけれど、信仰に対してはとても真面目です・・・。

最近の幹部にありがちな「笑いがなければ良い指導ではない・・・」みたいな、

聞く人に媚(こ)びる様なことはせず、真剣に真実を伝えることに終始・・・。

玄人好みの幹部???でした・・・(笑)

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僕が退転状態で、外資系カミソリメーカーに勤務していた時に、

それまでは、訪ねて来てくれる男子部の幹部はほとんどいませんでした・・・。

それは、おふくろへの遠慮があったのではないでしょうか・・・?

「支部指導長の息子」という見えない障害があったのかもしれないですね・・・。

横から口を出すまでもなく、親から言われているだろうとの気遣いも・・・?

そんな中、羽部さんは何回も訪ねて来てくれました・・・。

今の秋田での僕は、退転しているわけでもないのに、新聞配達以外には・・・、

本部長・支部長・地区部長さえも訪ねて来ません・・・、それだけ嫌われてます・・・(笑)

羽部さんは妻と会っているにもかかわらず、僕がいないとメモを残して帰ります・・・。

それが何回か続いた時に、僕と会うことが出来て、こんな提案を・・・。

「奥さんと一緒に、僕が『四信五品抄』を講義するので聞いてほしい」と言われて、

ほぼ半強制的に講義を聞かされました・・・(笑)

僕は中学生の時に「任用試験」に合格し、その後順調に、講師、助教授補と

合格して、中学卒業時には「助教授補」でした・・・。

さらに、高校時代にも試験を受けて合格、「助教授」になっていました・・・。

註:当時教学試験は中学生から受験可能で、毎年のように実施されていました・・・。

部員カードでそれを知り、教学が好きな人なのだろうと思って、退転状態からの脱出には

教学から入るのが一番だと考えたのでしょう・・・。

確かに僕は、国語の中でも漢文と古文が好きで、成績も良い方だったのですが、

そんなことは羽部さんが知る由もないのに、色々と考えた末の最善の方法が、

教学・・・、それもちょっと難しく、あまり聞かない御書で、研究対象の御書か・・・?

とても難しく、いまだにその時のことは良く覚えていないし、今も頭にありません・・・(笑)

ですがその講義のおかげで、男子部の会合に出るきっかけが出来て、すんなりと

退転状態を脱出することが出来ました・・・。

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最初の写真の婦人部総会は、こんな感じだったみたいです・・・。

 ←第12回桜台支部婦人部総会

前列中央が中楯支部婦人部長、前列右から3人目が僕のおふくろ(支部指導長)、

最後列右から2人目が当時の嫁の美喜子(ブロック担当員)・・・。

「婦人部総会」と打ち込もうとすると・・・、「婦人武装会」となってしまう・・・。

確かに、婦人部にとっては「化粧」が「武装」なのかも・・・(大笑)

そして当時の男女青年部は、和気藹々(わきあいあい)・・・\(^-^)/

 ← 登山会での桜台支部男女青年部

ある時の登山会の、「大化城」前での記念撮影・・・。

羽部さんは一番後ろで右手を上げ、僕はその右側二人目。

こんな感じで男女青年部が仲良かったのも、羽部さんの実直さがみんなを

明るくさせていたのかもしれないです・・・。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

羽部さんは男子部員の家庭訪問にも、僕を一緒に連れて行ってくれて、

基本を1から教えてくれました・・・。

特に大事なことだと思ったのは、訪問して留守だった場合に、ただ帰るのではなく

面倒くさくても、必ず何時頃に誰が誰と来たのかを、メモで残すことを厳しく言われました・・・。

何度も来たんだよって言っても、証拠がなければ相手に対する影響力が弱い・・・。

でもメモを書けば、無駄な動きにはならないことを叩き込まれました・・・。

こんな地道な行動があったから、皆が信頼するんだろうなぁと痛感しました・・・。

さらに信心の基本も叩き込まれました・・・、思いやりと共に・・・。

良く一緒に、行き付けのあかちょうちんに飲みにも行きました・・・。

強制的ではなく、よく飲みに行きましたねぇ~~・・・。ワリカンで・・・(笑)

これは、戸田先生譲りの「一升ビンの団結」だったのでしょうか・・・(笑)

こちら秋田に来てからは、記憶を無くすぐらい酔うこともありますが、

羽部さんと飲んだ時にはそういう記憶はなく、気持ち良いほろよい気分でした・・・。

羽部さんの趣味は、僕が全く興味のないオペラ・・・(笑)

いまだに、「オペラ」と「オペレッタ」と「ミュージカル」の違いもわかりません・・・。

それなのに、熱く「ラマンチャの男」や「屋根の上のバイオリン弾き」を語り、

民音でその類の公演があると、強力に推進する人だったのです・・・。

当時の男子部員には、その手の芸術に興味のある人は皆無だったみたいです・・・。

そんな時に、桜台支部だったか桜台本部だったか主催で、僕の出身校の開進第三小学校で

運動会が行われました・・・。

そこで羽部さんは、フォークダンスをやっていた僕たち夫婦を主役にすることを

画策したのです・・・。

すなわち、当時は昼休みの恒例行事のフォークダンスを朝礼台の上で教えて、

皆が踊りやすいように企画したのです・・・。

現在は、フォークダンスを学校で踊らなくなったために、「オクラホマミキサー」「マイムマイム」

「コロブチカ」の三大フォークダンスさえ知らない人が多いってこと知ってましたか・・・?

20代の女の子に「『オクラホマミキサー』って知ってる・・・?」って聞いたら、

「それなんですか・・・?」だって・・・、世の中変わったよね・・・。

運動会・体育祭の時に、男子が心を躍らせたフォークダンスが今はないなんて、

欲求不満の男子も増えるんじゃないのかな・・・?

そんなフォークダンス全盛の頃だったので(今から約35年前)・・・、

大成功の昼休みになったみたいで、退転復帰のお披露目になりました・・・。

 ← 区男と羽部さんと嫁さんと藤原君

そんな時に撮ったのがこの写真・・・。

上の写真は、左から羽部さん、分部(わけべ)練馬区男子部長、僕、嫁・美喜子、菊地副部長。

下の写真は、左から羽部さん、分部練馬区男子部長、僕、藤原君、菊地副部長。

分部練馬区男子部長は、練馬区長・埼玉県長を経て現在は副会長で関東長・・・。

この頃分部さんは、35~40歳ぐらいだと思いますが、すっかり「ハゲ部」さんでした・・・。

辛うじて分け目の出来る分部さんでした・・・(笑)

註:御本人もこの頃自虐ネタで、「ハゲ部」を連発してました・・・。素敵な大先輩です・・・。

この写真で、替わって写っているのが、嫁の美喜子と藤原君・・・。

この藤原君は、桜台部(男子部は、桜台支部じゃなくて桜台部と言います)の

若手のエースだった・・・。そんなに若くはないけれど・・・(笑)

 ← 嫁・美喜子と明美ちゃんと広宣君

若い嫁さん明美ちゃん(写真右)と息子・広宣君のいる、頑張り屋・・・。

中卒で学力はあまりないけれど、教学の暗唱運動等では、人一倍努力して覚えていた・・・。

羽部さんも、相当期待していた男子部員だったのは、間違いないことでした・・・。

嫁の明美ちゃんは、天然なヤンキーで、ホットパンツ姿での座談会参加は当たり前、

授乳なんかも人目をはばからず、自分は20歳なのに高校生に対しても「今の若い子は」

なんて言っちゃう子なんだよね・・・、嫁・美喜子とは仲良し・・・、写真を見ると懐かしい・・・。

でもやっぱり悩みもあったんだろうね・・・、僕達が秋田に来てから、アルコール依存症になって

ご主人の実家の高知で暮らしていると聞いたけど、今はどうしているのだろうか・・・?

皆色々とありますよね・・・、ご本尊様を抱きしめてさえいれば、大丈夫だと思いますが・・・。

今回は、懐かしい写真をたくさん入れてみました・・・。

『僕の・忘れ得ぬ同志』は、次回が最終回になると思いますのでお楽しみに・・・。


今日は、この辺で・・・、出羽股之介・・・。

 
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何を今頃・・・?って思うかもしれませんが、時間がなくてアップできなかった記事を、

下書きしておいたのでもったいなくて、今回アップしました・・・(笑)

前回、「探偵・前川ネギ之介 その2」で推理していた「餃子の王将」の

社長の殺人事件は、徐々に犯人に近付きつつあり、僕の推理通り

福岡県に関係のある暴力団の組員の関与が調べられています・・・。

ただ僕の推理の根拠とは多少ずれてしまいましたが、暴力団の活動が

とても活発な福岡に原因があったのは間違いないみたいです・・・。

ただ、捜査はスムーズに行かないようで、証拠が少ないことや、暴力団の

裁判にからむ京都府警と福岡県警の綱引き、部落開放同盟がからんだり、

迂回融資の焦げ付きやら色々と難しい状況が山積しているみたいで、

そんなに単純に解決できる事件ではないようです・・・。

早く真相が明らかになって、解決することを願っています・・・。

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加古川で遺体が発見された20歳の声優志望の女性殺害事件は

何かひとつ納得の行かない結末になってしまいましたが、犯人が

つかまったということで一安心ですね・・・。

後は事件の経緯(いきさつ)が、早くわかるといいですね・・・。

でも最近の若者は、なぜ後先考えずに、人を殺(あや)めるのでしょうか・・・?

幼少期の育てられ方に、何か問題でもあったのでしょうか・・・?

それとも、親の持っていた潜在的な凶暴性が、遺伝したのでしょうか・・・?

しっかりと研究して、この負のスパイラルを解消して、昔の日本人の

やさしさあふれる姿を取り戻してほしいですね・・・。

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さてもう一つの、「中野区・女性劇団員殺人事件」も難題みたいでしたが、

女性の爪に残った肉片のDNAから男が逮捕されました・・・。

=====ここからは犯人逮捕前に書いた下書き=====

防犯カメラの映像も公開され、比較的早く解決されるものと思ってましたが、

まだ警察が情報を求めているということは、犯人の決め手となるような

情報が手に入っていないのではないでしょうか・・・?

その中で不思議なのは、被害者の爪に残っていた肉片と犯人の唾液

から検出されたDNAが、そのマンションの居住者のDNAと照合しても、

友人知人と照合しても一致する人がいないこと・・・。

もっとも身近な友人関係と、同じマンションの住人に一致する者がいない

ということは、捜査の厳しさが予想されます・・・。

被害者の加賀谷理沙さんは、芸能関係の仕事をしているとあって、照合した

DNAは1,000人を超えたらしい・・・。

そんな人数を調査したにもかかわらず犯人に突き当たらないというのは、

まったく面識のない人なのでしょうか・・・?

最近はちょっとした変質者が色々なところに、本性を隠して生活していて、

普通の人と変わらない生活をしていることも多いものです・・・。

探偵・前川ネギ之介が考える犯人像を、これから書いていきます・・・。

まず、この事件の犯行現場近くで同時期に起きた事件を見ると、

住居不法侵入で、リモコンを盗んで入り口ドアの内側に落書き・・・、

なんか不思議な事件があるんですよね・・・。

こちらの犯人は、「潔癖、と言うかきれい好き」「自己主張の強い人」

「一度心に思ったことを発表しないと済まない人」「オタク?」・・・。

この事件も同じ犯人なら、推理は簡単なんだけれど・・・。

ただ、僕の推理する結果に結びつくためには、もうひとつの前提がないと

ダメなんです・・・。

加賀谷理沙さんの住んでいたマンションは、オートロックだったみたいですが、

この窃盗事件のマンションもオートロックなら、同一犯人の可能性も

とても強くなってきます・・・。

===== ここまでが以前に書いた下書き分 =====

逮捕された男は、やはり面識のない男性でした・・・。

犯人は以前に不動産業者として、近隣を担当していたみたいです・・・。

不動産会社の社員も、鍵をいちいち借りに行く手間を防ぐために、依頼している不動産会社が

1社だけの場合は、空いている部屋の鍵だけ借りっぱなしという事もあるでしょう・・・。

犯人逮捕前に僕は、「犯人は、電気工事業者・家電販売会社社員・・・?」または、

「犯人は、それぞれのマンションと契約していた鍵工事会社の社員・・・?」と

予想していたのです・・・、不動産会社の社員だったとは・・・。

僕の考えと同じ方向性だったのではないでしょうか・・・?鍵が自由になる・・・。

電気工事会社も鍵工事会社も、合鍵で自由にそのマンションに入れる可能性があり、

オートロックのマンションというのは、安全性の面から、入居者が転居した場合には、

鍵を必ず替えると思うのです・・・。

そういう形で手に入れた鍵の合鍵なら、容易に作れます・・・。

また、工事の時点では新しく借りる人とは直接会わないし、どんな人かもわからないし、

人が変わっても室内の備品の中で変わらないのはエアコンとそのリモコン・・・。

そのリモコンを持ち出せば、盗聴器の埋め込みも出来ます・・・。

もうひとつの不可解な事件と、同一犯だと推理する根拠がここにあります・・・。

その理由は、エアコンのリモコンが持ち去られていることで、そういう電気工事に詳しく、

鍵を使って部屋への出入りが自由となる人で・・・、他人の秘密を覗きたいという人で、

リモコン持ち去りは、そのリモコンに「盗聴器」を仕込んでいたのでしょう・・・。

それを知られると逮捕が限りなく近くなるので、持ち去ったのでしょう・・・。

それと、もうひとつの近隣で起きたリモコン盗難事件が、この犯人と関連が

あるように思えてならなかったのです・・・。

「部屋の中が想像していたものより汚くてガッカリ・・・」というようなことが、

貼ってあったらしいが、想像していたのは・・・、リモコンに仕込んだ盗聴器からの

音声からだけの情報だったのじゃないかと推理しました・・・。

この加賀谷さん殺害に関しても、不可解な証言が発表されている・・・。

「街で出会い、後を追いかけてチャイムを鳴らした・・・。」・・・???

そういう場合、家の中の人が全裸で玄関に出てくるのか・・・?

あまりにも信憑性の薄い自供証言・・・、犯人の稚拙さの表れなのか・・・?

それとも平然とウソをつけるような、自分中心の男なのだろうか・・・?

合鍵を持っていて、盗聴器で入浴を確認して、合鍵を使って入ったものだから、

おかしな物音に全裸で浴室から出てきたところを、襲われたものと思います・・・。

これなら、何の矛盾も生じません・・・。

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ここのところイヤな事件が続きますね・・・、世の中どうなってしまったんだろう・・・。

碑文谷公園バラバラ殺人事件、浜名湖バラバラ殺人事件、京浜運河スーツケース殺人事件、

血を見るだけで、気が動転してしまう僕には、想像もできません・・・。

またまた悲惨な事件が起きてしまいました・・・。相模原の障害者施設の殺人事件・・・。

1人の犯人が深夜の約1時間で、45名の入所者を殺傷するという異常さ・・・。

イスラム国のテロリストの攻撃だって、こんなに人を殺したり傷つけたり出来ないよ・・・。

イスラム国もそうだけど、間違った思想による思い込みっていうのは、とても

恐ろしいものですね・・・。

この犯人は、ヒトラーに感化されていたようですが、怖いですよね・・・。

以前にも、地下鉄サリン事件のような誤った思想で、重大事件が起きてますが、

今こそ誤った思想や思い込みを、平和思想に転換しないと世界が危ない・・・。

オリンピックのように、みんながスポーツの勝敗を競うさわやかな戦いだけで、

人間を殺しあうような変な方向へは行ってほしくないですから・・・。

オリンピックの話題でにぎわっているので、変な事件の情報が耳に入ってこないのは、

とても嬉しいことですね・・・。

このまま感動的な日々が続いてほしいと願うばかりです・・・。


今日はこの辺で・・・、出羽股之介・・・。

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池田先生の著書をマネて、「僕の・忘れ得ぬ同志」の題にしました・・・(笑)

今はもう既に亡くなっている、先輩の「羽部清」さんのことを書きます・・・。

本題に行く前に、僕の生い立ちから書かないと理解してもらえないと思うので、

以前のブログとダブるところもあるかと思いますが、書いていきます・・・。

僕の入信記念日は、おふくろに連れられて昭和35年2月28日・・・。

時は池田先生が戸田先生からバトンを受け指揮を取られて2回目の2月・・・、

それも最終日・・・、向かいの家の木田さんが、頑張った成果でしょうか・・・?

こういう学会員の頑張りを見て、この年の5月3日池田先生は会長に就任されます・・・。

その御授戒の日・・・、反逆児の本性を現した僕は、池袋常在寺の本堂の

大きな柱にしがみつき、頭の上にワラの棒みたいな物を載せる儀式(御授戒)を嫌がり、

駄々をこねたみたいです・・・、御歳6歳、幼稚園中退後・・・(笑)

おふくろの強盛な信心のおかげで、留守番させておくと何をするかわからない

僕たち三兄弟は、おふくろに連れられて、学会の会合へ・・・。

会場は、豊島公会堂・中野公会堂など・・・、出席幹部は、辻先生、和泉先生、

柏原先生、北条先生など草創の大幹部の人々・・・。

その頃は、池田会長先生をはじめ、幹部には皆先生という敬語が付いていました・・・。

さらに今のように会館もなかったので、公共の施設利用が大半・・・。

そんな大きな会場内を、僕6歳、弟4歳・2歳の3人は、会合の意味など知らずに

走り回るのですが、草創の幹部から怒られた記憶がないんです・・・。

それは、池田先生の後継者、特に未来部を育成される真剣な姿を近くで見られた

幹部だからこそ、未来部が大切だとの配慮ではなかったのだろうか・・・。

その頃は「信心は毛穴から入る」と言われていて、新来者や子供をとにかく

会合に参加させようという思いで連れ出す人がたくさんいました・・・。

自分には説明できるだけの教学もないけれど、「何とか信心の道を歩かせたい」

と思う愚直な人が多かったのも、この昭和の時代だったんでしょうね・・・。

そんな僕なんですが、熱心なおふくろの押し出しもあって、大石寺で開催された

夏季講習会や、初登山会にも代表として参加させてもらいました・・・。

そんな中、池田先生のご配慮により、「五年会」のメンバーにもなりました・・・。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

その後、高校・大学受験を経験するのですが、勉強嫌い・本嫌いの僕が、塾にも

行かずに受験して合格なんて、無理のように考えられました・・・。

習い事と言えば、小学校4・5年頃に基本の筆の使い方「トン・スー・トン」を習っただけの

習字教室だけでした・・・。

そんな僕ですが、何とか学校だけは卒業したいと、必死に唱題だけはしました・・・。

しかし高校受験は、都立と創価高校と私立城北高校の3校を受験したのですが、

すべて不合格となり、中学の担任の先生に相談したら・・・、

「前川君は、不良と付き合っていたけれど感化されずに、しっかり勉強したので

受験では落ちたけれど、城北高校に入学できるように話してあげる」との話・・・。

当時僕の通う公立中学の開進第三中学校には、城北高校から非常勤講師が

赴任していたので、話をしてくれたみたいで、補欠で入学できました・・・。

大学受験も唱題だけで臨み、本命・拓殖大学、滑り止め・亜細亜大学でした・・・。

最初に受験を向かえたのが亜細亜大学、受けた結果は補欠合格・・・。

その権利を確定するには学費納入が必要で、その日は拓殖大学受験日の前日まで・・・。

「補欠でも入れないよりは・・・」と思い、亜細亜大学への入学を決意しました・・・。

受験料を払い込んだんだからというのんびりとした気分で、受けた拓殖大学は、

高倍率の貿易学科に正規合格・・・。そんなものだよね・・・(笑)

これから受験する人は、早い時期に捨て受験(受験の経験をするだけの入試)が

あった方が落ち着いて受験できるかもしれませんよ・・・。

その頃貯めた題目貯金が、底をついてしまったのが今の僕の現状かも・・・(笑)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

そんな経緯(いきさつ)で入った高校では、クラス分けでは準優秀クラスのJ組・・・。

最初の中間試験では、クラス52人中16位、受験に受かってもいないのに

こんな成績ならと、勉強もあまりせずに、クラブ活動ばかりの毎日・・・。

そんなことしていれば必然的に成績は下がりますよね・・・。

でも、学会員としてはそこそこ頑張っていました・・・。

高等部に入ってからは、「第73部部長」の命を受け、当時タテ線だったので、

部員は埼玉県から東京都にわたる広い地域に住んでいました・・・。

まだ携帯電話のない時代、電話連絡や直接の家庭訪問で会合への参加を訴える・・・。

その高等部の時には、ほぼ毎年のように夏季講習会と初登山会には参加してました・・・。

そうしている中、組織はタテ線からヨコ線に・・・。


※※※※※ 語 句 の 解 説 ※※※※※

創価学会の草創期は、紹介者から新入信者という「親から子へ、子から孫へと」いう、
つながりだけで組織を広げて行ったのです・・・。
組織が大きくなると、連絡するにも、会合に出るにも、遠くて大変な人も出ます・・・。
そこで組織を変更したのですね・・・。
この切り替えの時期が、僕の高校生の時期だったみたいです・・・。

タテ線==紹介者から新入信者へと、綿々と続く折伏ライン・・・。弘教の繋がり・・・。

ヨコ線==居住地域をエリア別に区切った地域重視の組織・・・。

タテ線は、友人関係での繋がりが多く、組織としては強固だが、活動は

困難を極めることが多い・・・、特に距離的な時間と資金の問題・・・。

ヨコ線は、地域に協調の輪を築くという意味では理想的ですが、繋がりが

やや薄いというマイナス面もあります・・・。

タテ線からヨコ線になってから56年、地域の繋がりをもっともっと強固なものに

していかないと、地域の理解も進まないし広宣流布も進みません・・・。

そのためのヨコ線なんですから・・・。

※※※※※ こ こ ま で ※※※※※


高等部では、今までの拠点となっていた中野区の「東京第五本部」「中野会館」が、

練馬区の「練馬文化会館」「桜台会館」「華王寺」へと変わり、地元になりました・・・。

この時期僕は、地区の「少年少女部責任者」も兼任していました・・・。

その時の少女部員が、のちに聖教新聞社の受付になり、全国少女部書記長にもなったのです・・・。

僕は高等部部長として、そのまま地元で活躍することになりましたが、その中で

同じ高等部部長として活躍していたのが、現・練馬区総合長の有田修さんです・・・。

信心の姿勢は、その頃からしっかりしていてぶれていなかったように感じています・・・。

高校生の頃から彼の信心はずば抜けていたように思います・・・。

彼はのちに、潮出版社に勤務し学会の中枢で仕事をすることで、身近に池田先生の

指導を聞く機会が多かったみたいで、信心の基本を色々と教えてくれました・・・。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

その頃は高校3年になると、「受験部」と言う組織があり、受験に専念するため

学生部の担当者が、受験に至るまでの色々をフォローしてくれるのです・・・。

僕はこの受験部で知り合った学生部のいい加減さに、反逆児の本性が

頭をもたげ、退転の道をひた走り・・・。

大学では全てが新たな付き合いの始まりで、ウキウキしていました・・・。

さらに、入部した「FDC」にのめり込み、勤行もしない完全退転状態・・・。

「FDC」==フォークダンスサークルの略称。日本語では、民族舞踊研究会・・。

大学に入学後も、学生部のいい加減さをさらに痛感して、退転続く・・・。

だって、学術文化連合会というクラブの取りまとめ組織の大掃除の時に、

創価学会・学生部の「第三文明研究会」は、誰一人も参加せず、協力体制なし・・・。

FDCは、いやいやながらも学文連の一員としての責任を全うしたのに・・・。

こういういい加減なクラブでは、池田先生もさぞガッカリするだろうとさらに批判的に・・・。

それ以来学生部出身の幹部は信頼していない・・・。未来部出身幹部は尊敬・・・。

学生部担当出身の幹部とは、原田会長、西口浩さん、谷川佳樹さんなど・・・。

未来部担当出身の幹部とは、正木正明元理事長、松本正さん、上田雅一さんなど・・・。

大学では、FDCの活動が全てでしたね・・・。

亜細亜大学は、男子中心であまり女子はいなかったため、パートナー校として

近くにあった武蔵野女子学院と一緒に活動していました・・・。

註:武蔵野女子学院==略称:武女・女学(年配者)、現・武蔵野大学(現在は共学)

練習は、武蔵野女子学院の林の中のプレハブの物置小屋風の建物。

すぐ向かいには、お化けでも出そうな全和式の水路式水洗トイレ・・・(笑)

註:全和式の水路式水洗トイレ==女子校なので、全部和式の個室で、
下には、常に水が流れているので、排泄物が流れる仕組み・・・。
林の中のトイレなので、夕方から夜間は電気が点いていてもちょっと寂しい・・・。

FDC男子会員は、みな顔写真付の入門証を発行してもらい、警備員に提示して

入校することになっている・・・。女子校のため、警備は厳重・・・。

僕は、両校で4~50人いるクラブ員の中で、約10人ぐらいの指導部員に選ばれた・・・。

指導部員は、週2回の練習会で、輪の中心に出て新練習曲を指導する花形・・・。

男女5人ずついたので、カップル曲は順番にカップルを決めて前に出て指導します・・・。

シングルサークルやソロダンスは、みんなが中央に出て指導します・・・。

日曜日には、どこかの大学が公共や大学の体育館で、パーティーを開いているので、

みんなで参加するのが恒例でしたが、女子の持ってくる昼食も楽しみの一つです・・・。

僕が一番心に残っているのが、同級生の女子指導部長が作って来た「肉味噌にぎり」・・・。

その子は、とてもいい奥さんになってます・・・。たまに、OB・OG会で会いますが・・・。

こんな楽しいことをしていると、常識のない「第三文明研究会」には、足が向きません・・・。

さらに、活動の資金にと、アルバイトを頑張っていました・・・。

そのアルバイトは、観光バスの車掌・・・\(^-^)/

ガイドは出来ないので、車掌です・・・、バスの誘導と掃除とアナウンスの・・・。

1回出ると4,000円と、当時のアルバイトでは高額の方・・・。

夜行日帰りだと、2日分になるので8,000円・・・(◎ー◎;)ビックリ

クラブとアルバイトの楽しい4年間は、アッという間でした・・・。

このクラブで知り合ったミニスカートの似合う背高い後輩が、後に妻となりました・・・。

卒業後すぐに結婚したのですが、卒業前から彼女の実家のケーキ屋を継ぐ予定だったので、

卒論も書かずに卒業して、ケーキ屋修行に頑張ったのですが、チーフとぶつかってしまい

修行は止めて、妻の実家の秋田へ直接乗り込む・・・。

お姉さんのご主人が既に工場で仕事をしていたので、「家に二の主あれば其の家必ずやぶる」

(報恩抄 294ページ)とあることから、僕は身を引いて東京に戻り、営業の仕事に就く・・・。

最初は、アロエの化粧品の会社だったがそこの女性社員から「営業学ぶなら大きな会社が良いわよ」

と言われ、外資系のカミソリメーカーの「ジレット」で営業社員として色々と学ぶ・・・。

そんな時に、地元組織の男子部部長の「羽部清」さんと出会うのです・・・。

このブログでは、もう少し「羽部清」さんに触れられると思ったのですが、

僕の自己紹介で終始してしまいました・・・。

本題は、「第2回」に書くことにしますので、ご期待下さい・・・。


今日はこの辺で・・・、出羽股之介・・・。
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