森友学園の話題で思い出したことなのですが、小学校や幼稚園、中学校や高校、大学さらにはNPOや福祉法人等が有名人の名前を借りる事って結構あります。

 

ある福祉関係の団体では、松本零士の名や作品を大々的に宣伝に使っていたりします

他にも、政治家や芸能人、有名人、著名人を使う人は多いのですよね。

 

今回の様に、名誉理事だか校長だかを引き受けてもらったからって総理の名前を付けた小学校を作ろうとする、なんていうのは本人の意図なんて全然関係ないんですね。

少なくとも、現役の内につけさせるなんて普通しません。

それに学校側、施設側もつける事はしないんですよね。

どんな問題がその後でるかわかりません。

宗教が関わっていなければ存命の方の名前を付ける事はそうそうなかったりします。

 

勿論、学校側、団体側、法人側の問題だけではありません。

そういうことを望む政治家や芸能人や著名人や有名人等々が多いのも事実ですし逆に、それほど名が売れていない人が売名の為に等もあります。

 

それらに加えて、NPO法人や福祉団体などの職員や運営、理事、役員等々が問題を起こす事だってあります。

 

実際、当Ntural Rebornでも過去そういう事がありました。

長く支援や応援をしてくださっている方々や、協力してくださっている人々には記憶にある方もいらっしゃるかもしれません。

 

当時理事であった飯嶋秀行氏による沢田泰司氏を利用したいろんな問題です。

 

詳しいことは、2010年の8月に当ブログでも報告しています。

諸々のご報告1

諸々のご報告2

◎諸々のご報告」~

 

重複にもなりますし過去の関係者の話を持ち出すのは、あまり良いとは言えないことかもしれません。

しかし、現在の様々な状況を考えますと言っておかないとならないのかもしれません。

そもそも、飯嶋氏は自称プロデューサーを名乗っていました。
実際、映画の製作の手伝いでのプロデューサー名目はいただいていた事実はありますが、あくまでアシスタントなのですね。
ただ、多くの人が助けてくれたことやもともとバンドをしていた事などから助力を得られなんとかかろうじて仕事をこなせたというのが事実だそうです。

ただ、これを否定するものではありません。
誰でも最初は初心者ですから、ここから成長できれば彼はもしかしたら傑出した人物になっていたかもしれません。
ですが、プロデューサーということばに踊らされてしまったのですね。
プロデューサーである自分とバンド経験のある自分が合わさって、さらに大御所にも可愛がられて、彼は自分を見失いました。

だから、沢田泰司をプロデュースするという事を言い出しNPOのイベントに出したいという事を言ったのですね。
沢田氏サイドも時間があり、目的が合致すればという話はしていたそうですが、がっつりNPOのイベントを組むという事は聞いていなかった訳です。

結果、報告書にあるようにNPOに寄付をするという事を公言してライブを行ったりオークションをしたりしたんですが、実際にはそれはなく飯嶋がやったのだから、受け取った事にしろと騒いだ面はあります。

ところが、NPOはオークション等のチャリティから寄付を受け取ったらやっぱりいくら受け取り何に使ったを行政に報告する必要はあるんですよね。
課税はされない事もありますが、しかし寄付した側は課税されるんです。
受け取ってない金銭を受け取って使った事にしても、監査が入らない限りはバレないという思惑もあったでしょうし、なんといっても小さいNPOですから行政も見落とすと飯嶋氏が考えた可能性はあるのです。
それらしい発言をしていましたし、それらしい写真をとってブログに載せれば解決すると思っていたりもしました。

お金を受け取った写真が出たら収支に記載しないとダメなんですが(笑)。

実際、行政に報告を出す事になっても基本的に福祉NPOは赤字になります。
これは仕方ないことで正業をもって事を行う人もいる訳ですから当然なのですが、飯嶋の夢というか目的がNPOを利用して沢田泰司を盛り上げ、自分の勇名を馳せさせたい、自分も沢田泰司と舞台(ステージ)に立つという個人の欲望が主体となって問題を起こしたという事にはなります。


こういう事例は、実はなにも当NPOだけではないのですね。

多くのNPO等では、音楽やダンスなど様々な専門の人を呼んでイベント的なことを行います。
ところが、利用者へのサービスとしてあるいは通っている児童や障碍者などへの情操教育の一環として行う事で知名度や評価の増す人も増えていくのが現実です。

だから、それを行う事で自身のまたは自分とアーティストの関係を強化して加えて有名になり文化人としての地位を欲する欲望だけで動く人もいないわけではないのですね。

そして悲しいことに、これらの考えに陥る人は大体が音楽関係に多いと言えます。

実際に聞いた話や相談を受けた話等では、例えばその福祉施設の役員が知り合いのバンドやミュージシャンを呼んでコンサートやライブを開く事をします。
これはどこでもやっていると思いますが、その時に自分が知り合いなので特別にバンドを組みましたとかゲストで演奏します、みたいな感じで自分がスポットライトを浴びたがる人も少なくありません。

過去にバンド経験やライブ等ステージに立った事のある人間で、仲間内に一応はプロもしくはセミプロと呼べる人がいる場合には特にそうなってしまいます。

自分の若いころの夢よもう一度、とでも言うようにはっちゃけるのですね。
そして、自分たちの施設ですから皆盛り上がってくれます。

そこで勘違いして、福祉施設巡りのツアーをしてしまったりするのですね。
受け入れる施設も、メンバーに福祉関係者がいれば安心して任せられると思う事から受け入れる事になりますが、実際には福祉施設関係者でも今や名誉欲の塊といえる状態です。

精神の主軸が福祉から若いころの夢に戻っているので、問題を起こしてしまうそうです。

例えば、激しいというか楽しい感じの音楽をやって皆で踊らせようとします。
楽しければ踊るのが当たり前の様に思っている場合には楽しくてもじっとしてる子は疎ましいようで
「さあ!踊りましょう!!」
といった感じで強制してしまう事も多々ある、という事ですし同時に楽しいときに叫び声や雄たけびのような合いの手などを入れる発作を持っている子等は歌詞の合間や演奏中にそういう行為に走ります。
ただ、邪魔する訳でもないし楽しいという精神状態で行っている訳ですから普通に福祉関係者の視点で行けば大成功のステージという事になるんですよね。

ところが、静かにしろという感じで注意をしてしまう。
そのような事をされた子は、当然だまりますがその子どもは二度と音楽が楽しいとか音楽を楽しもうとする可能性は極端に減ってしまいます。
適正なフォローもなく、自分たちの演奏を聴く障碍者とそれをした自分たちによっている、元バンド少年たちの夢の残滓の為に。

そういう人たちは福祉=やってると有名になれる!評価されるというだけでやってるとしか言えません。
もしくは金になる。

名前を貸す著名人や有名人なんていうのも、所詮は本気で事に当たるつもりはないと言えます。
同時に、著名度を上げたいがために著名人や有名人を利用する団体や職員、法人幹部の数も多くなっている現実があります。


今回の森友学園の件は安倍晋三という歴代まれにみるマスコミだけが憎悪する総理大臣だから問題にされていると言っても過言ではないでしょう。
でも、今回の件は安倍総理は名前を勝手に使われた被害者の一面もあります。

マスコミや野党は、安倍総理だからという事で執拗に森友学園や大塚幼稚園を引き合いに出しますが、この件だけではなく多くの似たような問題、さらに大きな問題が存在してるのはあるのですから、マスコミや野党が信用できない、という結論が強くなっても仕方ないのですね。

勿論、この問題をすべてにおいて追求すれば野党サイドやテレビの文化人の方々もひっかかる人は相当数いると言えます。
でも、それを追及しない、安倍総理の件がなんの問題もないように見えてしまう事例を放置して騒ぐこと、それこそが教育や福祉に対する大問題なのではないか?
なんて言う事を実体験を基に感じてしまうのですね。

もしかしたらテレビや新聞、野党や雑誌等は自分たちの問題もあるから安倍総理だけを責めるのかもしれません。
ひょっとすると、野党の方により大きな問題を持ってる人がいるかもしれません。

だからと言って、いわば業界ゴロ、福祉詐欺なんて感じのことを放置しつづける、見てみないフリをするというのはメディアがジャーナリズムを自称したいのであればやってはいけない事だと感じる状況だったりします。

AD

あっという間に12月。

テーマ:

常日頃と、気にしてくださっている方々が多く、当NPOの存続の事もどうするの?なんて聞かれたりします。

 

勿論、活動してないのに存続は難しいのではないか?と言う人もいますしそれはごもっとも。

 

なのですが、別に活動していない訳でもないです。

毎月恒例のお母さん教室は戸塚でやっております。

 

お母さん教室9月24日

お母さん教室924

 

お母さん教室10月26日

お母さん教室1026

 

今までは、これくらいしか定期的にやる人的体力がなかったのですけれども、今後は若い理事長に変わった事や、それに伴い参加する人もさらに増えたことで色々活動の場を増やしていきたいと思います。

 

 

今後とも皆様ご支援のほど、よろしくお願いいたします。

 

 

AD

危険を教えない

テーマ:

今回、東京デザインウィークでの痛ましい事故を聞いて思ったことは多々ありますが、その中で一番思ったことは「危険を教えない」と言う事でしょうか。

 

タイトルにもした、この危険を教えないと言うのは言い換えれば「恐怖を教えない」だと思います。

 

子供のころに知る「怖い」と言う感情は、成長する段階で危険を嗅ぎ分ける能力の萌芽とも言えるでしょう。

また、この危険を知る怖いという感情は怖いことを克服するための努力や方法を知るためのスタートラインだと思うのですね。

 

例えば車、バイクでも良いです。

憧れから乗るとしても、このエンジンという自分の持つ力を数百倍にするような乗り物を操る事は、最初は怖いと思う事があったりします。

怖いモノだと言う事を知らないで使えば、その力の暴走に負けます。

 

また、ルールを守らない事で発生する危険性や、そのものの本質を理解しないで行う事の危険性をどう理解するか、の架け橋でもあるんですね。

 

 

でも、今はどうでしょう?

子供に怖い思いをさせたくない、とナマハゲですらマイルドにしてしまっています。

ナマハゲは悪いことをする子にお仕置きをする存在ですよね。

つまり、ルールを守らない、人や社会に悪事を働かないのならナマハゲは怖い存在じゃないです。

そこを教えないで、怖がらせるなと言うのは本質や本分と言うものを理解しなで単に面倒から避ける大人の都合でしかないのじゃないでしょうか?

 

怖いは危険をしる手がかりです。

 

もし、危険を知る事を子供のころから知っていたら白熱灯の問題などに気付いたのではないでしょうか?

 

なのですけれども、ゆとり教育と言うものが出てきて以降の子供を取り巻く環境は、怖いから遠ざけるとか、危険を教えないになっている感じがします。

 

世の中には危険も怖い事もあります。

それを教えるのが社会や親の役目だったりすると思いますし、大人の責任だと思います。

 

でも、教育ですら楽な金儲けに転じさせてしまった企業の都合もあるでしょう。

楽な金儲けができる、とそれは子供の教育業界や福祉産業に入り込んで問題を起こしている、そんな企業の責任を追及し、大人が子育てに責任を果たさなくなった現実を、今回は見せつけたのではないでしょうか?

 

幸い、と言いますかそういう被害にあって大人になったまたは青年になった人たちの数は、言われるほど多くはない、と言う話もあります。

 

ただ、今後も楽な金儲けの手段として子育て支援や障害児支援と言ったものが企業の毒牙にかかるかもしれません。

 

前に書いたエントリのNPOの企業による乗っ取りもそれらを加速させているかもしれません。

 

子育て、障害児問題に限らず楽な金儲けという意識で乗り込んでくる人を、責任ある大人は糾弾しないといけないのではないか?

なんて思うのです。

AD