ココロかるく スピリチュアルカウンセラーmizuhoの日記

スピリチュアル、心理、くっだらないような日々の事をだらだら、独り言のように書いてます。
ゆるっと好きに自由に一人一人が自分勝手に生きれるのが楽しいだろうな~と日々妄想しております。
独自の観点、解釈で色々と書いてますので自己責任で読んでください~


テーマ:


統合していくには


分離の状態を知ること。


分離を望まないまま統合することは出来ない。


と言うか、統合したいと感じる時点で


分離していることに気づけるか。

ってこと。


ジャッジをしないと確認出来ないし


比較をしないと自分がわからない


脳の当たり前の機能に


○も×もない。


人間が当たり前に生きていて


沸いてくる感情、本能に


×をつけてジャッジしてるから


窮屈で苦しむ。


歪みが生じて真ん中からずれていく。



それが『悪い』わけじゃなく、


ただ、『そう』なだけ。


言葉で理解するんでなく


腑に落とす。


矛盾があって、グレーであって、曖昧なものが


あるカオスだと


知っていても


0か100かしかない自分がいると言うこと。



で、それでいいし、


『そうじゃいかん!』とグレーを見つめてもいい。


性質に沿わなければならないわけじゃなく、


ただ、性質通りに生きることが


楽しいと感じることなわけではない。


『足るを知る』ことが正しい事ではなくて


『足るを知る』ことを理解してみようかと


腑に落としてみようかと


決めた心が『今の自分にとって正しい』だけなんだと思う。



人の物差しで自分をはかるから見えるものがあって


自分のものさしは自分にはなかなか見えなくて


自覚が難しかったりする。


だから、人の物差しを使って『ジャッジ』する。


テーマ:


エネルギー奪うとか奪われるの話。


そう感じる人って、


『傷つき』がある人なんですよね。


痛い部分があるというか、


見えてるけど、痛くてどうしていいかわからないような傷を

触られたくなくて、ふれられたくなくて

なにか改善策とかも要らなくて、


ましてや『正論』なんかいらなくてね。


例えばその人から


心地悪いエネルギーを送られ続けたとして、


傷に対して塩を塗るような状態で


ずっと痛いとしたら

もう『心地よい愛情のエネルギー』を送ってきたとしても


気持ち悪くて受け入れたくもない


その人からくるすべての意識が『嫌』という以外なにものでもなくて、


すべてが嫌で

全てが反応して痛くてしかたない。


その人が贈るどんなエネルギーでさえ


受け入れたくもない。



全て。


心地よいものがあったとしても


全てが受け入れたくもない。



それくらい『痛い』部分が刺激されて


とことん嫌で嫌でしょうがなくなった。


でね、

本当はね


嫌われたとしても


罵倒されたとしても

殴られたとしても


それでも繋がっていたい。


ぶちギレて罵られてぶっころすぞ!ってくらい


怒り狂おうが


繋がっていたい。


受け入れて欲しいと言うエネルギー。


愛情を送っても


怒りや呪いを送っても


ただ、受け入れてくれるだけでいい。と言う


念がくる。



で、


その怒りを感じたくなくて


その呪いをおくりたくなくて、


排除しようとしたけど、


呪いをおくろうが怒り狂おうが


地のそこみたいなどん底に落ちようが


受け入れてほしい。

で、


奪われると感じるのは、


そこに生まれる『抵抗のエネルギー』なんですよね。



どんなに痛くて


受け入れがたくて


出来るなら排除して二度と目の前に現れてほしくないと願っても


それは、自分の潜在意識がうつした


ダミーたちでしかない。


痛くても


ぶちギレて


わめき散らしたとしても


受け入れてほしい。と


願ってるのは



だれでもなくて



心の奥底にいる自分なんですよね。




自分がダミーに向かって


『やめて!!』ってすればするほど


抵抗すればするほど


疲弊する。


傷に気づいて癒すしかないのです。



傷は


攻撃された!と思った


誰かの言った正論が

自分の中でリピートされて、


ずっと責めつづける。


それが痛みの原因になってるくだらない『正論』だと


さっさと気づく。


で、その『正論』に対して


フラットな気持ちになるまで


抵抗したり、罵倒したり、否定したり、

また、肯定してみたりして


自分の落とし所を見つける。



フラットな気持ちになるには、


『正論』なんかじゃなく、


自分の落とし所を見つけれるかどうか。でしかない。



そうなると、


誰かの主張する正論とか、正しい事は


誰かのものでしかなくて、


自分の中の『自分論』が自分のおおもとからできて、


やっと自分軸とかがしっかりするんじゃないかな?








(ここから下は私の昔のはなし。)

そうでなければならないと無意識に思ってるのは


見つけるの難しいけど、


『正論』をぶつけられて痛みとして反応した所は


見たくないけど、わかりやすい。




むかつくあいつに言われたくそみたいな正論を書き出して


論破してやる。


本当はどうしたかったとか


本音を書いてあげる。




強がって、いきがってやる!って決めて走ってみたけど、


本音はめっちゃ怖くて恐ろしくて泣きたくてしょうがなかった。


だから、強がって頑張ってきたけど、


怖いって認めてあげていい。


そんなことを最近気づいた私です。


あー。あのとき、めっちゃ強がってたけど、

男の人に甘えたら『負けた』ような気がして

『てめー女だからって甘やかさねぇぞ』って

また言われる気がして、

頑張って強がって戦ってた。

守ろうと、助けようと手をさしのべた人の


手を払って

戦ってた。

で、惨敗でくやしくて、

そして、本当は怖くてたまらなかったけど、

その時は戦かいたかった。

一人で寸胴抱えれるくらい筋肉つけたいし

どんな男にも甘えずに対等に戦いたい。


『泣いたら許してもらえると思ってんだろ』って言われたから


絶対泣かない。

泣いてもあんたには負けない。

ずっと何を言われても笑顔でいてやるよ!


って強く強く決めていた。



戦いを止めるのは、


『泣いたら許してもらえると思ってんだろ』とか

『てめー女だからって甘やかさねぇぞ』とか

『給料いっぱいもらってるんだからもっと働けよな』とか


言われて


くやしくて、


何も言えなかった


自分の弱さを『ゆるす』こと。



相手に言われたことをゆるすんじゃなくて


自分にいい続けて


頑張らせてきた自分も

それに応えれなくてダメだった自分をゆるすこと。


痛くてかばって

同じように傷ついた誰かに八つ当たりしたことも


色々言ってきてたやつらみたいな事を言ってる自分を


ゆるすこと。



戦わない。


痛いから守るために戦うのはやめる。


痛いから癒す。

自分の土俵で

楽しめる戦いを

自分の道を切り開くためにする。




はじめて見た黄桜。


テーマ:
こんこんと涌き出るエネルギーは

どこと繋がれば出るのか。と


自分と繋がって


自分は地と天との間にいると気づくこと。

自然の一部で


流れの一部で


大きなエネルギーの源と繋がっていると


知ること。


空気を吸うかのように


エネルギーも循環している。


源からくるエネルギーに波長を合わせて


流れてくるものに抵抗せず


ただただ


そこにいるだけ。


その流れの一部だと気づくこと。


地に足がつき、


暮らしていること。

地からもらった養分で育った食べ物を体に入れて

排出する。


そしてまた循環する。


天からくる光や水で


命は育ち



大きな宇宙のひとつの星の地球で


少しずつ回りながら


他の星との『流れ』の一部に居る。


その中のひとつ。


その中の自然の流れの


一部の自分。


その大きな流れを知る。


その源から


限りなく循環するエネルギーがある。


そのエネルギーを信じて


流れの一部だと知る。


体と心が自然に戻れば戻るほど


源のエネルギーがよく分かる。


こんこんと涌き出るエネルギー。


誰かが盗ったり


誰かが奪ったり


したとしても


こんこんと涌き出ることを思い出して。


不足なんかはなくて


全てがすでに満たされていると

気づくだけ。


満たされていないと


思わなければならないと

思い込んでいただけ。


でもそれすらも


自然の一部で


流れの一部。



それを思い出す。





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