覚せい剤,危険ドラッグ,止められない君に贈ります

厚労省のいう「依存症は絶対治らないという」エビデンスは何処にあるのか?覚醒剤や危険ドラッグに一度はまった青少年を救う道はないのか?覚醒剤依存症本人の視点から一般社会に対して何を訴える事ができるのか模索していきたい。

覚醒剤,危険ドラッグ,止められない君に贈ります



俺のこのブログ「覚せい剤、危険ドラッグ止められない君に贈ります」は一個人である俺がバカげているかもしれないが覚醒剤防止啓蒙という社会に向けたブログだ。俺のこのブログの訴えているのは個人が訴えるのは非論理的な啓蒙かも知れない。でも俺に何をすべきかはわからない。でも俺が何ができるかは分かる。社会には何をすべきかが分かるものが必要だ。それは俺じゃない君たち社会人達だ。今後予想される世界的蔓延の危険ドラッグや覚せい剤から青少年を守ることは君たちがきめることなんだよ


ネットおよびネット以外での俺の行動指針を定める




1.自分自身がに覚せい剤の自己使用、及び所持、譲渡は一切しない事をここで閲覧者全員の前で誓う そして自己使用をした時点ですべてネット上の俺が自分で発信した情報を消し、今後ネット上に俺は一切登場しない事もここで誓う。 (これで、俺がもう言い訳もできないということで俺自身を最終的に追い込む必要と、きれいごとを書いていないという俺自身の頭と行動の矛盾が解消される)




2.覚せい剤、危険ドラッグの販売等に携わる者との関係をここで一切絶つことを誓う、また、自分自身がそれに携わる事も一切しない事を誓う (これで、この俺が近づいていくときも、相手から近づいてきても、違法薬物を欲っして来る、また欲しくていく事に対しての相互警戒というバリアを張らないでいいし、相手にも無用な心配をかけなくていい)




3.犯罪を教唆するような記事は一切書かない事を誓う。また、今後は個人を特定したような批判記事は書かない事も併せて誓う。 (これも、俺が上から目線で今後も記事を書く上で絶対的に必要な事でね)




上記3を本日平成25年10月8日にこのブログ「覚せい剤、危険ドラッグ止められない君に贈ります」を書いている私の行動指針としてここに誓います


さらに覚醒剤使用は間違いなく違法である事も併せて宣言しよう


ではなぜ再犯が減らないのかと言う疑問からこれは書き始めたのである


2年前にこのブログを書き始めたが、おかげさまで延べ200万人の方が違法薬物防止問題に関心を少しでも私の声に耳を傾けていただき改めて感謝をいいたい。


ポン中の戯言と2年前には誹謗中傷もあったがそれは仕方がない事だ。





下記が現時点season12再起動ジェネシスで私自身の知識と経験と今迄思考した俺のメッセージだ




「覚せい剤を何故やっていけないのか?その解はいつも「違法」だからだ。本年の6月から施行される刑の一部執行猶予という法改正により、薬物依存症患者に対してその解はこう変わるべきだろう。つまり前頭前野で発生する「自己実現欲」という人間の一番大事な欲を満たすことができなくなるからだ。自分の未来を自分で切り開いてほしい。俺の様にはなるな」

「覚せい剤や麻薬をやってしまった事は確かに違法であり、犯罪ではあるけれども、悪いのは覚せい剤でありその人自身の「意志」さえも混乱させてしまう人類の最大の試練を乗り越えるには、社会がそれを認めたうえで更生しようとする人間たちを少しで良いから、ちょっと声をかけるだけでもいい。助けようなんて考えなくても、人間は一人でも這い上がる力がある。でも、その人間たちを差別的排他的感情だけで蔑む自分たちの心にこそ闇はないのか?社会は共同体である以上、そういった薬物使用経験者であっても必ず人として生きる権利こそ我が国の憲法に合致しているのではないか?それを今社会が考えなければ全世界的同時多発流行の危険ドラッグの波に飲み込まれてえしまうのではないのか?今の青少年達をどうか許してあげてほしい。それが60年と言う長きに我が国の薬物防止政策の大転換期に今がその時であり、今を逃すと10年後20年後の我が国の未来はないと断言できる。治療法や治療薬が出来ても社会が変わらなければ結局同じことのこの無限ループは無くならないという事をどうか皆さんご理解いただきたい」



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昨年から覚醒剤の密輸量が激増している。これは主に暴力団のシノギ(金儲け)が暴対法等でかなり限定され、更には暴力団構成員の人数の減少により、主なシノギが覚醒剤とオレオレ詐欺等に集中してしまった事を意味する。

つまり、この2つの事件は相関関係に当然ある。

 

しかし、問題は覚醒剤の押収量の約100倍が市場に流通しているという過去の事例から判断すると1.5トンと言う数量は覚醒剤再犯者だけでは到底消費できない量になる。

とすると、余った覚せい剤は何処に行ったのか?

 

倉庫に眠っている?

 

そんな事は絶対にない、覚醒剤をもし密輸元が押収されたら無期懲役は免れない事からそういった倉庫などに隠して置くという事はしないで、その下のネタ元や売人に売りさばくのが俺の経験上知っているからだ。さらに言えば覚醒剤を仕入れた金を早く利益を上げなければ更に買い入れる事は当然、銀行は資金提供などしてくれない事から、早く現金化するために売りさばかねばならないからだ。

 

そうするとその大量に仕入れた覚せい剤は何処に行くのかと言うと

 

一般社会に広く浅く、あるいは広く深くでもいいが、この記事を読んでいる君たちの側に既に覚せい剤が近づいている事を意味するのだ。

 

第4次覚せい剤ブームの到来を予兆する。

 

 

覚醒剤押収1・5トン 過去2番目の多さ 再び暴力団が資金源化

全国の警察が押収した昨年の覚醒剤は約1495・4キロに上り、統計を取り始めた昭和31年以降、過去2番目の押収量となったことが16日、警察庁のまとめで分かった。

 

暴力団排除が進み資金が逼迫した暴力団が再び密売などに本格的に乗り出しているとみられ、大量密輸の摘発が相次いだ。警察庁幹部は「密売組織の活発化が懸念される」と危惧している。

 覚醒剤の押収量はこれまで平成11年の約2トンが過去最高で、続いて12年の約1トンとなっていた。

 警察庁によると、28年2月に福岡県警などが鹿児島県内で覚せい剤取締法違反容疑で指定暴力団神戸山口組系幹部を逮捕、覚醒剤約100キロを押収。5月には沖縄県警が同県内で約600キロを押収するなど、昨年は大量押収が相次いだ。

 覚醒剤1グラム当たりの末端価格は21年は9万2千円だったが年々下落し、22年は8万3千円、23年には7万8千円と推移、25年以降は6万円台となり28年は6万4千円と値崩れしている。価格の下落は「供給過多が危惧される」(警察庁幹部)という。

 

 大量押収が相次いだ理由について、暴力団幹部は「仕入れは100キロ単位で行うため」と指摘。その上で「とにかく確実なシノギ(資金源)だ」と明かす。暴力団関係者らの仕入れ値は1キロ当たり700万~900万円という。末端価格の6万4千円前後で全て売りさばけば6千万~7千万円となり「利益は莫大(ばくだい)」(暴力団幹部)という。

 

 覚醒剤密輸事件の摘発人数は97人(1.0%増)で、内訳は日本人が前年と同じ24人、外国人が73人(1.4%増)。暴力団関係者は全体のうち11人(42.1%減)だった。

 国籍・地域別の特徴では、台湾が23人(228.6%増)と大幅に増加した。台湾の薬物犯罪組織による関与が疑われる密輸事件での覚醒剤の押収量は1028.5キロで、密輸事件による押収量の約7割を占めた。

 所持や使用なども含めた覚醒剤事件の全体の摘発は1万457人(5.1%減)。覚醒剤の末端価格は1グラム当たり6万4千円で、9万2千円だった09年から下落傾向が続く。

 大麻事件の摘発は2536人(20.7%増)で、30代以下の若年層を中心に引き続き増加傾向。危険ドラッグは920人(23.1%減)で、5年ぶりに減少した。〔共同〕

 

暴力団、初の2万人割れ 覚醒剤回帰、手口巧妙化

全国の暴力団構成員は昨年末現在で約1万8100人となり、統計が残る1958年以降で初めて2万人を下回ったことが16日、警察庁がまとめた「組織犯罪情勢」で分かった。前年より約2千人の減少で、要因を「暴力団対策法による締め付けや、民間で広がる反社会的勢力の排除で資金確保が厳しくなったため」と分析している。準構成員らは約2万900人。

 警察庁はこれまで、暴力団活動や薬物・銃器犯罪、来日外国人犯罪を個別に集計していたが、初めて組織犯罪の観点から包括的に分析。暴力団活動で「しのぎ」と呼ばれる資金確保で覚醒剤への回帰など変化が見られたほか、来日外国人犯罪グループが日本を拠点に他国を狙うなど手口の巧妙化が明らかになった。

 覚醒剤事件の暴力団構成員千人当たりの摘発人数は2007年の34・9人から、16年に47・6人と約1・4倍に増加。飲食店などへ不法に金銭を要求する「あいさつ料」など従来の資金源が先細り、利益が多い覚醒剤密売に流れたとみられる。

 さらに、昨年5月に17都府県の現金自動預払機(ATM)から18億円超が不正に引き出された事件のように、違う暴力団の構成員同士が連携したケースもあった。

 覚醒剤事件以外も含めた暴力団構成員や準構成員らの摘発人数は07年から減少傾向にあり、16年は前年より1593人少ない2万50人。内訳は覚せい剤取締法違反5003人、傷害2514人、詐欺2072人など。【共同】

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さて本題に入る。昭和29年とうとう覚醒剤使用者による殺人事件が起きた。これがきっかけとなり世論は一斉に覚せい剤撲滅を警察に求めた

この図を見ても分かる様に事件後一気に逮捕者の激減、覚せい剤取締法は相次いで改正が行われ、1954(昭和29)年に罰則が引き上げられ、翌年には、密造対策として覚せい剤原料を規制する規定が加えられました。
 

また、法改正と並行して、警察による取り締まりも大幅に強化されました。

 

1954(昭和29)年10月、警察庁は覚せい剤事犯の取締強化に関する通達を全国各公安委員会に対し発し、対策の強化を推し進めることになりますが、ここで重点とされたのが、「覚せい剤事犯の根源となっている覚せい剤及び覚せい剤原末材料の密造、密売、密輸入事犯並びに営利の目的叉は常習として敢行せられる覚せい剤事犯等悪質事犯」で、集中的な取り締まりが行われた結果、1954(昭和29)年10月から12月の3か月間に、密造事犯として400件・697人が検挙されています。
 

警察の徹底的な摘発によって、密売市場に出回る覚せい剤は目に見えて減少し始め、1958(昭和33)年には、

覚せい剤取締法違反の検挙者はわずかに271人と、ピーク時の実に0.5%にまで減少

し、蔓延していたヒロポン禍もようやく鎮静化をみることとなりました。

 

このもとになったのが先述の鏡子ちゃん事件と言う事を皆さんに知ってもらいたい。確かに覚せい剤事犯の殆どは他の刑法犯を犯していない単純使用所持が多いが、こういったセンセーショナルな事件が起きた時の世論の警察への非難は半端じゃない。

 

俺はこの事件を否定しないし当時の警察は本当にある意味良くやったといえるが、昭和44年以降急激に暴力団が覚せい剤を何故シノギにするようになったのかと言う疑問が俺にはある。ここまで使用者が減っていたのに、シノギにもならない覚せい剤を暴力団が何故扱う必要性があったのか?他にもっと儲かる仕事はあったはずだ。だって271人しか検挙されていないんだよ?どう考えてもおかしくないか?儲からないのをわかって何故覚せい剤をその資金源にする必要があったのか?

 

この覚せい剤が沈静化していた期間警察はあえて、覚醒剤事犯を逮捕していなかったという様な事は本当になかったのかと言う疑問を俺はもっているが、まあ、俺の思い過ごしであってほしい。


つかさ、こんな普通激減するか?

客もいないのに、何でヤクザが手を出す?

 

非常に悲惨な事件であるので動画や画像は一切UP出来ない

 

鏡子ちゃん殺人事件

【事件概要】

 1954年4月19日、東京文京区本郷の元町小学校の正面玄関右側のトイレ内で、授業時間中に2年生の細田鏡子ちゃん(7歳)が殺されているのが発見された。
 5月5日になって別件で逮捕されていた坂巻脩吉(当時20歳)が鏡子ちゃん殺しを自供。1956年10月、死刑が確定した。

坂巻脩吉

【消えた鏡子ちゃん】

 1954年4月19日昼頃、東京文京区本郷の区立元町小学校2年A組では2時間目に国語の授業が行なわれていた。絵日記を早々と書き上げたこのクラスの細田鏡子ちゃん(7歳)は、他の児童らよりも早く校庭に出ていたが、まもなく遊び時間になり、友達に「お便所に行ってくるわ」とトイレに行った。
 3時間目の理科の授業が始まったが、鏡子ちゃんはいつまでたっても教室に帰ってこない。当初、担任の女性教師(当時40歳)はさほど気に留めていなかった。鏡子ちゃんの家は学校のすぐ前にあったので、「忘れ物でも家に取りに行ったのだろう」と思っていた。だが2時間が経ち、あまりに遅いことから教職員と級友らが校内を探す。偶然学校の前を通りかかった母親も騒ぎを知り、捜索に加わっていた。するとまもなく正面ホールの横にあるトイレ内で、閉まりきっている個室があり、すりガラスごしに鏡子ちゃんが着ていたカーディガンの色が映っていた。いくら呼びかけても返事はない。鍵も内側からかけられていた。なんとか鍵を壊してドアは開いたが、母親らが見たのは鏡子ちゃんが強姦されたうえ首を絞められ殺されている姿だった。

 その後の捜査で、掘り起こした便所の土管からイニシャル入りのがハンカチを発見。
 また、小学校の近くに住む男性から情報があった。なんでも友人の坂巻脩吉(当時20歳)という男が事件のあった日に家に訪ねてきたらしいのだが、たまたま不在だったため帰っていった。坂巻は別の友人宅を訪れたが、様子がおかしく、手洗いでしきりに手を洗っていたという。


【学校の対応】

 小学校で授業中、児童が殺された。しかも、犯人はトイレを使いに来た外来者だった。このことは衝撃を与えた。当時、学校のトイレが公衆便所の代用になっているところもあり、部外者がいきなり現れることがよくあった。

 5月6日、東京都教育庁は都内の小・中・高の校長宛てに「新管理方針」を通達する旨を公表した。

・学校長は男女のトイレは別にすること
・トイレに入った時は必ず戸をしめるように学童に注意する。
・来賓と学童のトイレは別にすること。
・授業のない教職員は小使とともに校内を巡視すること。
・外来者の出入りは必ず教職員、小使が見られる通路を通るようにすること。
・学校の垣根や柵を厳重にし、無闇に外来者が出入りできないようにすること。


【裁判】

 1955年4月15日、東京地裁で死刑判決。裁判所から戻ってきた坂巻は「先生、俺死刑になっちゃったよ」と他人事のように刑務官に話した。

 1956年10月25日、最高裁、上告棄却。公判が始まってわずか1年半の死刑確定だった。

 1957年6月22日、宮城刑務所で死刑執行。坂巻、享年22。

 

 

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死刑まで視野に入れた我が国の薬物政策が一昨年から霞が関はいきなり方向転換をした事実を君たちは知っているか?

 

今時「ポン中なんて社会のクズだ」な~んて言ったりすると「あんたそんなこと言ってるから麻薬はなくならないのよ」と世論から総攻撃に合う事は必須になる

 

ような、

 

社会を実は我が国は世界の薬物政策に合わせて大方向転換をしようとしているのだ。

 

まあ、今日あたりなら

「このクソポン中野郎」

と俺に行っても許してやるが、そのうち俺が許しても

天下の副将軍水戸光圀は許してはくれまい。

「それを知っての戯言か、お主!」となるだろう。

 

と言いたいところだが政府も60年も「人間やめますか?」啓蒙をやってきた手前、世論に向けて政府広報で大きな声で「刑罰より治療」とは中々言えないのも理解してやらないとね。そりゃそうでしょう~警察だって覚醒剤撲滅と言いながらこの20年毎年1万5千人も逮捕しちゃって全然減るどころかず~っと横ばいだ。これは、警察がある時期から検挙数を挙げないと世論に麻薬撲滅をやっていませんよと言う証を見せる事が必要だと考えたからに他ならない。

 

いい例が交通事故死数の千葉県警の割引報告だ。

 

「意図的に除外」千葉県警、交通事故死を10年間で166人分過小計上 

千葉県警は30日、毎年公表している交通死亡事故の件数について、平成25年までの10年間で、本来交通事故死に数えられるべき166人が計上されていなかったと発表した。県警は「交通事故死件数を少なくみせようと意図的に除外していた」ことが一因と分析。統計を担当した警視6人と、監督する立場にあった警視正の計7人を本部長訓戒などとする処分を行った。

交通事故死数を減らして交通事故対策をやっています。

そこで一時停止しても意味ね~だろうてきな所での無用の取り締まり、更にはスピード出しても平気で署的なところでのネズミ捕りしかり、皆さんの身近な交通違反にしても

その検挙数で成績を誇示する警察の体質の変化は

 

直ぐに麻薬を「刑罰から治療」なんてことを言えるはずがない。

 

しかし、あの超厳罰化のアメリカもドラッグコートと言ういう末端麻薬使用者を犯罪者としては刑罰を与えない方向に進み、更にはヨーロッパでは非罰化、確かに麻薬使用は違法ではあるが逮捕しても起訴しないという方向に向かっている昨今だ。

 

我が国が手本としたアメリカの近年の政策を紹介しておこう

 

薬物依存に対する寛容性を極端に持たなかった1950年代を経て、アメリカ社会の流れが再び変わり始めたのは、1960年代初頭のことです。折から、アメリカの薬物規制のトップであったアンスリンガーが職を離れた時期と重なっています。彼がトップであった30年間が、ちょうどアメリカ社会が薬物依存に対して厳罰で臨む傾向を強めた時代であったことから、厳罰主義の薬物政策をアンスリンガーという人物の個性と結びつける傾向がありますが、これは1個人の思想というより、むしろ時代の世論であったというのが、「ドラッグ・コート」の主張です。

さて、1960年代を迎えて、転換点になったのが、ロビンソン判決で、薬物依存者を身体拘束するカリフォルニア州法が憲法に違反するかどうか、連邦最高裁が判断を示したものです。ロビンソン判決は、薬物依存者に対して刑罰を科すことを否定しましたが、しかし、治療を目的に身体を拘束すること、つまり強制入院治療を容認しました。

やがて、この流れが、刑罰に代替する措置として、裁判所が命令する治療プログラムという新しい仕組みを生み出すことにつながるのですが、まず最初の一歩は、「刑罰」から「治療」へ、名目が変わっただけの強制入院という制度がスタートしました。

 

 

法務省、厚労省、警察庁も、

「刑の一部執行猶予」

特別版 6月より実施 刑の一部執行猶予 前半

「再犯防止推進法」

再犯防止推進法を考察する その1

更には麻薬治療認可スマープ

麻薬治療法 第一弾スマープ その23

 

等の方向転換を実は世論にはあんまし大きな声では言っていないが

 

つか、できね~だろう

 

でも、仕方なく世界の波に乗ることが我が国のお得意分野でもあるので、麻薬対策も実は先ほど言ったように大転換「刑罰から治療」と言う道を今すすめているのだ。上の俺の過去記事のリンクも併せて読んでもらいたい

 

歴史を振り返ると確かに我が国は覚醒剤の乱用に対し逮捕拘禁隔離政策をやらざる得なかった事も理解できる。だって経験がなかったんだから仕方がないもんね。それは俺でも理解できるし、しょうがないと思っている。だって、誰でも経験が無ければ戸惑ってしまうのは仕方ないし、政府だって国民を守るためにはそれが最善の方法だとアメリカから聞いていたからね、でもそのアメリカが自分達の政策を転換させたんだよ。

 

 

俺は取り調べの時にいつも疑問があった

刑事「気持ちいいからやったんだろ」

 

俺「別に俺は止めたいといつも思っていたんですよ」

 

刑事「またまた、覚醒剤は止められない薬なんだよ」

 

俺「じゃ~どうやってやめたらいいんですか?」

 

刑事「そりゃ意志の問題だよ。お前は意志が弱いんだよ」

 

と言うことの繰り返しだったが、じゃ~30年も覚せい剤をやっていた俺が覚せい剤をやらなくなった今

 

俺は世界で一番意志が強い人間だといえるだろう

ってことは、俺の言う事にテメーラ誰も文句言うんじゃね~ぞ????

 

となるが、謙虚な俺はそんなことは勿論言わないからw

 

こうやって我が国の薬物取締の歴史を振り返ると色々なその時その時の国として社会としての状況が分かるがこの記事を読んでいる諸君に言いたい。

 

未来を創るのは、変えられるのは君たちだ。

 

ベストとは言わないがベターな道を社会全体で考えてもらいたいと思う

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ここまでで我が国の大まかな麻薬の歴史が分かったであろう。麻薬には色々あるけれど全国的に逮捕者数を見ても覚せい剤とシンナーがずば抜けている。

 

と言う事は、我が国の歴史はガキはシンナー、大人は覚醒剤という主に二つの薬物流行しか近年まで歴史的経験が無かったのである。

 

確かに、脱法ドラッグや大麻の蔓延はあったが、脱法ドラッグは麻薬指定して終息をみせ、大麻は、麻薬に分類するのは若干その精神作用から見るとシンナー、覚醒剤の比ではないことから依存性薬物とは分類しずらい。

 

ここで現代社会に生きる皆さんに問いかけたいが、この60年という覚醒愛取締法ができ、規制し、逮捕、懲役と報道では非難と酷評、社会は差別と蔑視と嫌悪で覚せい剤を忌み嫌ってきたが、その結果覚せい剤蔓延は防げたのか?

再使用は防げたのか?という歴史をもう一度検証してみてもらいたいのだ。

 

「このポンチュ野郎、あっち行っとけ」「ポン中は頭おかしいから塀の中にずっといろ」

 

と、俺も8万7千回は言われたが、推定50万人現在もいる依存症の人達にその声は「覚醒剤を止めるきっかけに、あるいは励み」になったのであろうか?

 

歴史と言う物は面白い、過去日本は島国であったため鎖国をしいて海外との交流は殆どなかった。明治になっていきなり西洋と言う文明を見てぶったまげたろう。ちょんまげが世界じゃ奇天烈なものだと初めて知ったショック、戦争と言う大殺戮はエイエイオーという「いくさ」とは全く違うものだったという事を焦土と化した自国をみて、これが戦争と言う行為なんだと初めて我が国の歴史上初めて知ったのだから。

 

戻す

 

我が国は欧州やアメリカでは既に大麻、コカイン、タバコ、ヘロイン、阿片と言う様な戦前からある程度の免疫があった訳なので、国際連盟当時世界は麻薬と言う物に対して社会はどうあるべきか?

 

厳罰化を選んだ国もあれば、寛容さで依存症者を社会に復帰させようという国と、各国ともそりゃ悩んだ事だろう。自国民が麻薬によって苦しむ姿を厳罰化で徹底的に排除する政策を選んだのはアメリカその先陣を切ったが、ヨーロッパは魔女裁判や今の精神病院の前身の施設等から、厳罰化よりもできる事なら寛容さと理解をもって社会復帰させる方がいいのではと言う思想ができた。

 

そりゃ各国とも第一次世界大戦を経験し、そこで戦争から帰ってきた人たちがPTSDやら異常な状態で帰って来たものだから、更には苦しさから麻薬使用を強制的に、あるいは自発的にやって依存症病態を表したからそりゃもう

 

異様な物

 

をあからさまに見る事で当然、政府はビックらこいたのは簡単に想像つくでしょ。

 

ところが我が国は日独伊三国同盟を作り国際連盟脱退してしまったため、麻薬の製造販売、軍需産業への利用を止めなかった。戦争に勝つなら何でもありって所だろうね

 

そして第二次世界大戦後GHQつまり「厳罰化」の尖峰でであるアメリカに我が国は占領されてて、改正を重ねてはいるが各種麻薬取締法が一気に出来たというのが我が国の歴史に刻まれたわけだ。

 

 

そして昭和38年の各種麻薬取締法はとうとう「大厳罰化」を国民に知らしめたのだ

 

薬物の輸入事犯に対する罰則強化の歴史について、いろいろと調べ始めました。予備罪を適用することの是非について、コメントも寄せられていますが、ここでは、薬物輸入に対する罰則強化の流れについて、もう少しマクロな視点から眺めておきたいと思います。

大麻取締法は、第24条で大麻の栽培、輸入、輸出に対する罰則を定め、また、第24条の4で、これらの予備に対しする罰則を定めています。予備罪に関する規定は、営利目的加重規定などとともに平成2年の改正で付け加えられたもので、この改正によって大麻取締法が定める罰則が他の薬物規正法とほぼ同様のものとなりました。つまり、他の法律と足並みを揃えるために、いちばん最後に大麻取締法が改正されたのです。
 

わが国で乱用薬物を規制している主な法律は、あへん法、麻薬及び向精神薬取締法、覚せい剤取締法、大麻取締法ですが、そのいずれにも、輸入や製造について予備罪の規定があります。これらの規定は、乱用の拡大に対応する法改正が行われた際に、罰則の引き上げとともに導入されたものです。

予備罪の規定を含む罰則の引き上げが最初に行われたのは、まず、麻薬取締法でした。昭和30年代、暴力団が関与する麻薬(主にヘロイン)の密輸、密売事件が増加し、麻薬犯罪が暴力団の資金源となっていることが問題視されるようになったのです。

 

これに対処して、昭和38年6月21日、

 

①麻薬の取り締まり及び罰則の強化、

 

②麻薬中毒者に対する入院措置等を講ずること等を主な内容として、麻薬取締法が改正されました(法律第108号)。
 

国会本会議に先立って開催された社会労働委員会では、法案の趣旨説明で次のような発言がありました。「改正の第三点は、麻薬犯罪に対する罰則を強化することであります。すなわち、現行麻薬取締法違反の罪に対する最高刑である『1年以上10年以下の懲役及び50万円以下の罰金』を『無期又は3年以上の懲役及び500万円以下の罰金』に改めるほか、以下それぞれの違反行為の段階に応じ罰則を強化するとともに『麻薬の密輸出入及び密造』についてはその予備を罰し、また『麻薬の密輸出入及び密造に要する資金、建物等の提供』及び「不正取引の周旋」は独立罪として罰することとしようとするものであります。」(昭和38年2月27日 衆議院 社会労働委員会 ) 

実は、この法案をめぐる委員会審議では、

 

麻薬輸入事犯に対して、死刑を最高刑

 

 

とすることの是非についても、とても興味深い議論が交わされています


ところで、昭和38年の改正が行われた背景や、改正の方向については、この年の犯罪白書が詳細な記事を掲載しており、この改正が、単なる調整ではなく、わが国の麻薬対策の根幹に関わるものであったことをうかがわせます。昭和38年版の『犯罪白書』から、引用します。

「問題点の第三は、麻薬犯罪が、ばくと、テキヤ、ぐれん隊などのいわゆる反社会的暴力集団の一部と密接な関係を持ち、その重要な資金獲得の手段となっているということである。これら暴力的集団が、麻薬犯罪に介入してきたのは、さほど古いことではないが、暴力事犯に対する取締りにより資金源が苦しくなってきたこと、その反社会的な強固な組織が、そのまま麻薬密売の組織に置き換えやすいこと、従来、みずから小売密売までを行なっていた外国人が、検挙の危険から身を守るために、暴力団に密売段階の仕事を任せるにいたったこと、などの諸般の事情によって、麻薬密売に対する暴力団の介入は、最近とみに顕著となってきており、密売段階のほとんどが、これら暴力団関係者によって占められるにいたっている。」(昭和38年版 犯罪白書 第四編/第一章/一/2 )

 

そう現行法は最高刑を無期懲役としているが、昭和38年当時は「死刑まで視野に入れた」政策を行おうとしていたのだ

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この記事で重要な点は政府は色々と麻薬政策を打ち出したが国民からは全く、それが果たして正しいのか悪いのかと言う様な議論が全くされていなかったというのが今日の記事の要点でもある

 

優しいだろ~ブログの要点まで説明してくれて~俺のこの乱文にじゃ要点が分かりにくい?

うるせ~んだよ、俺は理系なの!要点を普通は誰かがまとめてくれるのだが俺の場合は俺が優しいから要点まで書いてやってるんだよ~ 

 

文才なくてすみません

 

 

 

今日は母の具合が悪く入院してしまって、ブログ記事が上手くまとめることができなかったので(毎回だが)次回を最終巻としてまとめたい

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