DM説法

法華経を用いて奇想天外な日本の暮らしを楽しもう!


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潜在能力とは、人間に内在する、従来の能力よりも質的や量的に高い能力のことをいうらしいです。
一般に潜在パワーというと、その人自身が以前から秘かに隠していた狙いある力、つまりある意味では能ある鷹は爪隠すというふうにおかしな勘違いをしてしまってはいないでしょうか?
 
そこで、本当の潜在パワーの出し方とは、はっきり言って、過去世を活用して未知なる未来世の力を引き出すということだと考えてよいと思います。
つまり自身の未来世にこそ潜在能力は秘められているのです。
 
素直な気持ちが潜在能力を高めるそうですが、その素直さとは未知なることへ挑む確信された意志だと思います。その反対に頑固さとは過去の知っていることだけにこだわりを持つということですね。
 
しかし、必ずしも頑固さが悪いということではありません。
逆に自分自身の良い面を他者へ最大にアピールできるのはすでによく知っている過去の自分だからです。
しかし、頑固さアピールの自力だけでは自分として前進していけないのです。
 
昨年11月、トランプ大統領は就任直後、先ず「アメリカファースト」を唱えたそうですが、これは未来に生きようということです。
その未知なるチャレンジ精神に賭ける未来の力を引き出すためには、過去に対する自身の頑固さを自他共に認め、それを変えていこうとする力であります。
つまり、これは当然自身にとって習慣のない苦手なことにこそチャレンジしようということを意味します。
 
それが無心になるということなのです。
 
その目的のためには、先ずは自分を知って過去の自分に自信を持つことであり、そして過去の自分の存在こそを最大アピールすることが良いことであるのです。
なぜならば、その半面パワーこそが未来パワーを見逃さず知る最大なチャンスづくりに相違ないからなのです。
 
(ぶっけん成安田)

 

ぶっけんの世間の風だより

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「言い訳」が万人の誰にもある罪であり、間違いが必ずしも万人の誰にもあるわけではない。
アダムとイブが禁断の果実を何であるか誤って知らずに食べてしまったわけではない。
  
たとえば、国の運営などは決して間違いがあってはならないのである。
したがって、国が罪な言い訳をするということはごく日常なのである。
  
それに対し、間違えることの失敗とは、日頃の言い訳が整わなくなって表れることを意味するのだ。
   
仏は古代から、言い訳とは上手く整えて使うことを覚えさせ、貴重な習慣としてきている。
だから、言い訳とは仏の方便であり、真実そのものとは違い、真実へ導く上等の手段なのである。
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法華経の中で使われている義と事の区分についてはとても重大な意味があるのです。
そこで、私流に区分整理してみますと、「義」については「大切」を意味し、それに対し「事」とは「大事」を意味しているように思えるのです。
                                        
この大切と大事とはその言葉の使い分けが実はあいまいで難しいものと思いますが、例えば、大切な友達とは日常的な世間話やジョークなどが中心となる便宜的な仲間の関係、それに対し、大事な恋人や結婚相手などは人生一生を共に生き抜く伴侶としての契約的な関係というふうに多少或いはだいぶ違った意味があると思います。
                                     
なお、簡単に考えますと、義は多少間違えても良い、事は決して間違えてはならない、という具合に区分しても良いのではないかと思います。
                                      
法華経の中で釈迦などが偈を宣べる際にはほぼ決まって、「此の義を宣べんと欲して」とあるように、偈とはそもそも便宜的で補足的な意味があって、前文との比較用に多少別な言葉表現に変えたスタイルに、わかり易く直して示しているものと思いますが、簡単に考えれば、同じ意味をそのように表現を多少変化させて示す話法がそもそも方便説法のスタイルなのでしょう。
                                          
そして釈迦などはその都度に重ねて此の義を宣べんと欲して偈を説くわけですが、その、重ねてということはとても重大であることを再三強調しているということですよね。
その重大なことこそ方便スタイルで説くのだと釈迦は教えているのだと思います。
そして、重ねて何度も言わせるということは、それだけ一度の表現だけでは覚えさせたり理解させ難い事だからということでしょうね。
                                       
ところで、自分の為だけに解くことと、他人の為に対しても説くこととは、比較すればどちらが難儀難入かはお解りでしょう。
釈迦が舍利弗へ方便説法は難しいと、あれほど厳しく忠告する意味は、説くことも聞くことも、やはり他人である相手の身になってあげることがまだまだ未熟すぎるということを指摘して、その重要な欠点を悟らせ、理解させたいからなのでしょうね。
  
本日のサイトブログへ ⇒ http://bit.ly/1JyUBqd
 
方便品第二
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