三千院に行く前に道の分岐点で直進
来迎院に先に行くことにしました
来迎院は、平安初期、円仁開創の天台声明の根源地だそうです
その後、藤原時代に良忍上人が天台声明魚山流としてまとめた「魚山声明」発祥の地なんですって
声明についての知識がありませんが、いろいろな派があって違いがあるのでしょうね
花粉症なのに、杉林を上り、白壁が見えてきたけど、これは別の建物
思ったより遠いかも
まだかいな?
この辺り、京都の匂いがする…
あと20メートルだ
頑張れ
ようやく着いた
本堂
ここは常行三昧堂=修行道場だったそうです
(↑絵はがきの写真です)
藤原時代
寄木・漆箔の3つの坐像
中央が薬師如来、左に阿弥陀、右に釈迦
重要文化財
比較的小さなお像
内陣の天井には二体のふくよかな天女、その周りの長押には天女や楽器の絵が描かれ、日野の法界寺を思い出しました
ところで「来迎院」という名前なのに中尊と思しき仏像が「薬師如来」で、脇侍的位置に「阿弥陀」と「釈迦」というのが不思議で、お寺の方に聞いてみました
(私は、来迎と聞けば、阿弥陀が主役=真ん中、観音・勢至菩薩=脇侍と思ってしまっていたので…(^▽^;))
お寺の方のお話では
このお寺には、もともとたくさんの伽藍があり、それぞれに仏像が置かれていた…焼失等でお堂が失われ、現在は仏像を一箇所にまとめたそう…なので、現在はこういう仏像の配置になったのだそう…(このお堂も比較的新しいらしいです)
さらに、この仏像の配置には、「過去・現在・未来」という意味もあるそう
ふーん、「三世仏」ってやつか…と一旦納得したのですが
過去・現在・未来を表す三世仏って、「阿弥陀、釈迦、弥勒」だったんじゃない?
京都の泉涌寺や、鎌倉の浄光明寺、浄智寺なんかにも、三世仏があるけど、阿弥陀、釈迦、弥勒の順番ではなかったのかなー⁇
そしたら、ちょっとメンバーが違うけど…
わからなくなってしまった
だいたい、来迎三尊はどうなった?
三世仏にもいろんな組み合わせがあるのかしら?
三世仏なら大きさは同じなんじゃない?
時代はあってる?
お堂に集められたいきさつからして、三世仏は後から考えついたのかな?もし集められたのが昭和だったらキャンディーズでもよかったのかな?(キャー、急にたのしー)←おいコラ
馬鹿なこと言ってないで、ちゃんと調べたほうがいいね
このお寺は、ひっそりとしていて、素朴で良い感じのお寺でした
このあと、三千院に辟易することになるなんて…(^▽^;)
iPhoneからの投稿