なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
湯村山城は、武田信玄の館からも見えた烽火台でした。
訪問日は2015年4月26日です。

【写1】湯村山城

躑躅ヶ崎から西へ2kmの所にある小高い山に、湯村山城がありました。
この山が躑躅ヶ崎の真西にあったので、視界を遮っていたんでしょうね。
それならココにも烽火台造ればいいじゃん?という事だったのかもしれません。
写真は真南から撮影していますが、この写真の奥の道を登ります。
地図では道が行き止まりですが・・・

【写2】湯村山城

その行き止まりがココです。
そんなに人が来る場所でもなく、民家とも距離があります。
なので、安心して車を停められます。

【写3】湯村山城

ここから山中に入って行く道があります。
地図ですぐ右に描かれている道は遊歩道で、麓から歩いて登らなければなりません。
山の中腹辺りまで登れるこっちの道の方が、登山大嫌いな城キチにはピッタリですラブラブ

【写4】湯村山城

しばらく遊歩道を歩いていると、右から登って来る道が真正面に現れます。
こんな高さなら登っちゃえ!ということで、ちょっとだけ直登します。

【写5】湯村山城

しかし、せっかく綺麗な舗装道に出たのも束の間。
ちょっと頑張れそうな高さで、山上に出られそうな光景が現れます。
遠回りするの面倒クサイ!という事で、やはりというか岩ゴツゴツの斜面を登りました。
登ってみると足場が見た目以上に悪く苦戦しましたが、城キチに「撤退」はありませんあせる

【写6】湯村山城

頂上だと思っていた所は、実は腰曲輪でした。
ここに遊歩道は来ていないので、大人しく道を歩いていたら見る事は出来ませんでした。
・・・と、ちょっと強がってみます(`・ω・´)

【写7】湯村山城

ゴールだと思っていたら、ゴールはもっとずっと先だった、という心境です。
一旦はガックリ来ましたが、落ち込んでいるヒマがあったら一歩一歩登るだけです。
チラっとですが上に四阿が見えたので、今度こそ!と再び直登するのでした。

【写8】湯村山城

登り切った所がココです。
ここからは、ちゃんとヒト様が歩く道が整っています合格

【写9】湯村山城

山上の平地の端には、こんな感じで低く土塁が巡らされていました。

【写10】湯村山城

遊歩道は山上の平地の端にあり、内側の城域は自然の王国となっています。
その中に、所々ではありますが土塁や堀が見られます。

【写11】湯村山城

遊歩道沿いは、こんな感じで岩ゴツゴツです。
パッと見石垣?なんて思いましたが、人の手が加わっていなさそうです。
私は見つけられませんでしたが、ちゃんとした石垣もどこかにあるそうですあせる

【写12】湯村山城

雑木林に埋もれた土塁と

【写13】湯村山城

その裏側の堀です。
ただ、途切れ途切れなので、曲輪の形が想像できませんでした。

【写14】湯村山城

大人しく遊歩道を進むと、城跡の案内がありました。
その城跡の方から歩いて来たのですがw

【写15】湯村山城

遊歩道を麓側に曲がらず直進すると、その先に烽火台の跡があります。
説明板には、かつてここに復元されていた烽火台の写真が載っています。
形は若神子城跡にあったのと同じ、つるべ式のヤツです。
せっかく復元したものの、老朽化により解体されたのだとか・・・

【写16】湯村山城

すぐ近くには、甲斐国内の烽火台ネットワークの図がありました。
あちこち見て来た後なので、見覚えのある名前ばかりで親近感が沸きますラブラブ
往時は、ここから煙が上がると色めき立ったんでしょうね。


◆歴史◆

1523年、武田信虎により築かれました。

それ以前からあった、という説もありますが・・・
1519年に躑躅ヶ崎館に本拠を移した武田信虎が、甲府盆地を見下ろすココにも城を築きました。
この当時は各地で有力国人と戦っており、見晴らしの良い拠点が必要だったようです。

武田信直(のち信虎)が家督を継いでからあった争いは以下の通りです。

・1505年、父・武田信縄が没し家督を継ぐ
・1507年、父・武田信縄と家督を争った叔父・油川信恵が多くの国人の支持を集め挙兵
・1508年、坊峰合戦で武田信直が油川信恵を討つ、小山田弥太郎が府中(=甲府)に侵攻
・1509年、武田信虎が小山田弥太郎の本拠・都留郡を攻める、諏訪頼満が浦今井氏を攻める
・1510年、小山田弥太郎が降伏
・1513年、親武田派の穴山信懸が殺され、反武田派の穴山信風が家督を継ぎ今川家に属する
・1515年、今川軍が甲斐へ侵攻、大井氏も今川家に従う
・1516年、今川軍が甲斐に侵攻、武田信虎は本拠・川田館付近で敗れる
・1517年、都留郡で今川軍が郡内衆に敗れ、遠江防衛のため武田信虎と和睦
・1519年、浦今井信是が武田信虎に降伏、躑躅ヶ崎館が完成し、家臣団を集住させる
・1520年、要害山城が完成

戦いの連続ですねあせる
今川軍には甲府盆地まで攻め込まれており、甲府市内の勝山城を占拠されています。
躑躅ヶ崎への本拠移転と要害山城築城は、そんな苦い経験から生まれた決断のようです。
しかし、湯村山城が完成したのはそれよりも後の事です。
続きを書くと・・・

・1520年、栗原氏、浦今井氏、大井氏が甲府を退去し挙兵→鎮圧
・1521年、今川軍が侵攻、甲府盆地南端の富田城を奪われたものの、年内に撃退

まだまだ甲府盆地内で戦が続いている状況でした。
しかし、今川軍を撃退した事で穴山氏を再度屈服させ、ここでひと段落します。

武田信玄も湯村山城を利用したと思われます。

1530年代にも有力国人による内乱が続きますが、武田信虎は凌ぎました。
しかし、1541年、嫡男・武田信晴により武田信虎は駿河へ追放されました。
クーデターで家督を継いだ武田信晴は、諏訪→佐久郡→信濃国府中と勢力拡大を開始します。
その際に活躍したのが烽火台ネットワークで、一番端から甲府まで2時間で情報が伝わりました。
ただ、躑躅ヶ崎館は南側しか視界が開けておらず、西の視界を遮っていたのが湯村山城でした。
そのため、躑躅ヶ崎館から見えない烽火を、ここで見張って中継したものと思われます。


所在地:山梨県甲府市湯村町

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