なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
日之出城は川沿いにある断崖絶壁の上にあったお城です。
訪問日は2014年11月15日です。

【写1】日之出城

南から見たよく紹介されるアングルです。
ここから見ると「どうやって攻める???」ってなりますよね。

【写2】日之出城

でも、上は真っ平らで畑がビッシリあります。
厳密にいえばそこら辺が城跡ですが・・・
案内があります。

【写3】日之出城

その案内の先にあるのが、このモニュメント群です。
モニュメントハンター様には、お宝の山に見えるかもしれません。

【写4】日之出城
拡大図

この中の1枚に図があるので、やっぱりパクリますラブラブ
正直に言うと、この図が無いとどこがどうだったのかわかりません。
見ながらでもなかなか想像つきませんが・・・

【写6】日之出城

例えばですが、ここが図で「土塁」と書かれているであろう場所です。
左側のが土塁・・・でしょうか?という感じです。
あまりにも拓け過ぎていて、面と向かって指さされても「本当?」という感じです。

【写5】日之出城

図にもハッキリ描かれていますが、城内のド真ん中を高速道路が横切っています。
もしかしたら、ここで削られてしまった所に、何か面白いモノがあったかもしれませんが・・・
もうこんな悲劇は繰り返さないで欲しいものです。


◆歴史◆

1433年、武田信長を支援した日一揆の拠点でした。

なんて書いてもピンと来ませんよね?
ちょっとザックリ書いてみます。

1417年に関東で上杉禅秀の乱がありました。
この乱もかなり複雑ですが、ザックリ書くと犬懸上杉家と鎌倉公方の権力闘争です。
関東地方を二分したこの超大乱は、甲斐もガッツリ巻き込んでいます。
当時甲斐の守護だった武田信満は、敗れた上杉氏憲(禅秀)に味方していました。
そのため鎌倉公方・足利持氏の追討を受け、天目山で自害しました。
武田信満の弟や子らは高野山へ逃れて出家したため、甲斐は守護不在となりました。

ここから混乱が始まり、誰を甲斐守護にするかで色んな勢力が主導権争いを始めます。
私もちょっと読んだだけでは、相関関係が複雑過ぎてしばらく呆然としました。
なので、大きく対立する幕府方と鎌倉方に色分けして、交互に出来事をまとめてみました。

禅秀の乱後、鎌倉公方・足利持氏は、武田一族の逸見有直を甲斐守護に推挙
1417年、幕府は武田信満の弟・信元を甲斐守護に任命
信濃守護・小笠原政康も支援し、小笠原一族の跡部氏を補佐役の守護代として派遣する
武田信満の子・信長も自らの子・伊豆千代丸を武田信元の猶子として支援する
1420年、逸見有直との戦で武田信元が戦死。
再び甲斐守護が不在となる。
守護代の跡部氏は武田伊豆千代丸を守護に推挙するものの、後に対立する。
跡部氏は武田伊豆千代丸とその父・武田信長を甲斐から追放しようとする。
1421年、幕府は武田信満の弟・武田信重を甲斐守護にしようとするも拒否される。
武田信長・伊豆千代丸父子と逸見氏・穴山氏が対立する。
1426年、鎌倉公方・足利持氏が甲斐に侵攻し、武田信長を鎌倉に出仕させる。
足利持氏は武田伊豆千代丸を甲斐守護にしようと奔走する。
将軍となった足利義教が武田信重を懐柔し、甲斐守護に就くよう説得を繰り返す。
1433年、跡部氏が輪宝一揆とともに武田伊豆千代丸を襲撃。
武田信長は鎌倉を出奔して日一揆を味方に付けて戦うも敗れ、伊豆千代丸が戦死。
武田信長は甲斐を出奔し相模に領地を与えられる。
後に古河公方より上総に広大な領地を与えられ、上総武田氏(=真里谷氏)の祖となる。
1434年、跡部氏が上洛し、京で武田信重と面会。甲斐守護就任を要請。
1438年、武田信重が甲斐守護に就任する。

青の欄に居た人が赤の欄に移動しちゃってたりもしますが・・・
甲斐守護に就きたがらない武田一門を、有力国人が守護にしようと争う不思議な展開です。
当時の甲斐守護は鎌倉公方の支配下にあり、鎌倉在住が義務付けられていたそうです。
しかし、禅秀の乱後に残った武田一族は、みんな足利持氏に命を狙われていたのでした。
そのため、こぞって高野山へ逃れ出家したのですが・・・
味方のハズの幕府に甲斐へ連れ戻され、命の危機に晒られるという矛盾した状態でした。

尚、武田信長に味方し、日之出城を拠点とした日一揆については何もわからず・・・
それは、跡部明海・景家父子を支援した輪宝一揆も同様でした。
利害の対立する国人衆同士が、有力国人の争いに加担した、という事でしょうか。

1582年、天正壬午の乱の際、徳川家康が整備しました。

北の信濃から南下した北条氏直軍に対し、徳川家康は南側の新府城を拠点としました。
日之出城は新府城の北東にあり、2つの河岸段丘が低地を挟むような格好になっています。
おそらくですが、北条軍が新府城を避けて南下するのを牽制するためだと思います。
両軍が和睦し兵を退いた事で、日之出城も役割を終えました。


所在地:山梨県韮崎穂坂町日之城

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