なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
能見城は穴山駅の真横にある山城です。
訪問日は2014年11月16日です。

【写1】能見城

城跡の真下の道端に、ガッツリあります。
わかりやすくていいですね合格

【写2】能見城

ということで、その山に入る道を探しました。
車なら登れるのでしょうが、私は舗装道用のバイクなので歩いて登りました。

【写3】能見城

一歩城跡に入れば、常に遺構は無いかと気を張ります。
こんな段差を見つけては、「あ!城塁!土塁かな?」とはしゃぎます。

【写4】能見城

草木が茂っているので近くには行きませんでしたが、土塁でしょうか?
城塁かもしれませんし、後世の改変かも・・・
諸兄のココに対する評価は「何も無い」なので、意地でも何か見つけようと躍起です。

【写5】能見城

そうこうする内に登り切り、噂の建物が現れました。
麓からここまで、約20分で登れました。
見渡す限り、ただの平らな雑木林で城跡らしさゼロ。
一応、城の名前が書かれたものがあるといった感じです。

なんて書きながら、事前のイメージは「穴山氏の本拠?」でした。
ちゃんとググればそうでない事はわかりますが・・・
そして、実はココは凄い遺構がある?らしいです。
という事で、今回は何も知らずに訪ねた1回目の様子を紹介しました。
大昔に本丸の標柱だけ撮って来た新府城のリベンジもあります。
新府城と能見城は実は、とてもつながりの深い本城と支城だったらしいのです。
そこら辺を、次回訪問の際にヤブを掻き分けながら探ってみたいと思います。


◆歴史◆

新府城の支城として築かれました。

歴史上、新府城を使用したのは武田勝頼と徳川家康だけです。
能見城はそのすぐ北にある支城のため、築城者はこの2人のどちらかという事になります。

1581年、武田勝頼が新たな本拠として新府城を築きました。
この時にすぐ近くの山上に支城として能見城を築いた、という説が有力です。

一方、1582年にあった天正壬午の乱の際に、徳川家康が築いたとする説もあります。
徳川家康は、甲斐と信濃を巡って北条氏直と争っていました。
しかし、北条軍は4万超の大軍であるのに対し、徳川軍の兵力はおおよそ1万でした。
その北条軍がすぐ北の若神子城に布陣し、徳川軍は新府城に入って睨み合いが始まりました。

若神子城から新府城を攻めようとすると、その丁度手前に能見城が位置しています。
兵力差で劣る徳川軍は、七里岩上に陣取る事で大軍に包囲されるのを防いでいたのです。
そのため、新府城の手前の山中に防塁を築き、ゲリラ戦で応戦するのは理に叶っています。

1582年、徳川家康と北条氏直が和睦しました。

本能寺の変から織田家が立ち直り始め、織田信雄と織田信孝が和睦を持ち掛けました。
内容は、甲斐・信濃が徳川家康領、上野は北条軍が切り取りというものでした。
両者はこれに同意し、天正壬午の乱は終わりました。
徳川軍、北条軍ともに撤退し、若神子城や新府城、能見城は役割を終え廃城となりました。


所在地:山梨県韮崎市穴山町(長靖寺)

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