なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


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蒲生城は蒲生氏が本拠とした山城で、別名・龍ヶ城とも呼ばれています。
訪問日は2015年6月14日です。

【写1】蒲生城

梅雨時でしたが、法事ついでに鹿児島に立ち寄りました。
ということで、土砂降りです。
それでも山城を訪ねるあたり、ちょっと・・・w

【図1】蒲生城

蒲生城跡の図です。
駐車場が左にありますが、かなり広いのは曲輪の跡だからでしょうか?
その隣に二の丸があり、さらにその奥にかなり広い本丸があります。

【写2】蒲生城

二の丸へは、駐車場脇の階段を上がって行きます。

【写3】蒲生城

凹凸のある地形が、城跡らしくていいです。
ただ、土砂降りなので、どこがどうだったんだろう?的な探索をする気にならず・・・
とりあえず歩き回って、それらしい場所を撮ろうといった感じです。

【写4】蒲生城

二の丸にある展望台です。
木造で櫓を組んだのは合格だったのですが・・・
ツルンと一本の黄色い滑り台が、雰囲気をブチ壊してますあせる

【写5】蒲生城

二の丸の反対側から一旦下り、舗装道を進むと本丸に至ります。
道端には本丸の案内図がありました。
しかし、土砂降りで暗かったのでストロボを焚くと、雨の雰囲気だけがバッチリ撮れましたあせる

【図2】蒲生城

本丸にはいくつも区画があり、それぞれ道端から入って行く様子が見てとれます。
「本丸」といっても、図では曲輪が6つありますw

【写6】蒲生城

雨でなければ全部見て回る所なのですが・・・
とりあえずの土塁と、

【写7】蒲生城

とりあえずの堀切だけ撮って良しとしました。


◆歴史◆

蒲生氏のお城でした。

平安時代の1123年に蒲生舜清により築かれたとされます。
蒲生舜清は、豊前国宇佐八幡宮に下向した藤原教清の子です。
大隅国垂水に下向した後、さらに蒲生院に移り蒲生姓を名乗るようになりました。

蒲生氏は鎌倉時代には御家人となり、以後も蒲生院を支配し続けます。
島津氏とは争ったり従ったりを繰り返しながら、戦国時代を迎えました。

1459年、島津季久・忠廉父子に攻め落とされました。

この頃の蒲生氏は、島津奥州家の家老を務めていました。
当主は島津忠国でしたが、この年に嫡男・島津立久がクーデターを起こしました。
島津忠国は強権的な姿勢を取り、家臣団との対立が絶えなかったそうです。
当主の座を追われた島津忠国は、加世田へ退き隠居を強いられています。

島津季久は豊州家当主で、この時はまだ宗家に従っていました。
・・・ということは、蒲生氏は宗家寄りの立場を貫いたということですね。
蒲生宣清は蒲生の地を追われ、結黎(現在の鹿児島市喜入町)に移り住んだといいます。

1495年、蒲生宣清が蒲生の地に復帰しました。

蒲生宣清は島津宗家の島津忠昌に仕え、弓の達者として名を馳せたそうです。
島津忠昌の指宿攻めや日向攻めにも従い、武功を立てました。
蒲生の地は島津豊州家が支配していましたが、島津忠昌により蒲生宣清に与えられました。
島津豊州家はこの時は島津忠朝が当主で、日向国飫肥を中心に勢力を持っていました。
この年に島津忠昌の命令に従い、謀反を起こした平田兼宗を攻めて鎮圧しています。
この功で大隅国串良を与えられたので、この時に蒲生を返してもらったのかもしれません。

1527年、島津忠兼に攻められましたが、撃退しました。

この頃は島津家当主の若死にが続き、争いが続いていました。
兄の相次ぐ死により若い島津忠兼が家督を継ぎましたが、結構やんちゃだったそうで・・・
家臣が相次いで離れていくという状況でした。
この時の蒲生氏当主・蒲生茂清は、渋谷一族や菱刈氏とともに島津忠兼に反しました。
島津忠兼は蒲生城を攻めたものの大敗し、鹿児島へ逃げ帰りました。

蒲生茂清は前当主・蒲生充清の姉の子です。
蒲生充清には男子が無かったため、養子を迎えて家督を継がせていたのでした。
ただ、蒲生充清の没後、妊娠していた妻が男子を生みました。
この子には谷河の地が与えられ谷河姓を名乗らせたそうですが・・・
跡を継いだ養子にとって、直系の子って目障りですよね?
谷河清親は蒲生を去り、入来院氏を頼って島津貴久に仕えるようになりました。

1555年、蒲生範清が島津貴久に降伏しました。

蒲生範清は、菱刈重猛や祁答院良重と組んで島津貴久と争う姿勢を見せていました。
1554年に蒲生範清らは、島津貴久に味方する加治木の肝付兼演を攻めました。
この戦いで祁答院良重が居城の岩剣城を失い、蒲生城が島津氏との最前線になりました。

島津貴久は翌1555年に蒲生城を攻め、蒲生範清は守り切れずに降伏しました。
その際、城門の鍵を島津軍に渡しましたが、去り際に城を焼き払ってしまいましたメラメラ
・・・やりますねw
蒲生範清は祁答院氏、のち入来院氏を頼って隠棲しました。
蒲生氏の家督は、以前蒲生を追われて島津家を頼っていた谷河清親の子・清綱が継ぎました。

蒲生範清の家系は、その後も島津家とは仲違いしたままの状態が続きます。
蒲生範清の子・為清は、島津義久が豊臣秀吉に攻められた際に自害させられました。
まだ幼かった蒲生為清の子らは、加賀前田家や信濃永井家に仕えたそうです。


所在地:鹿児島県姶良市蒲生町久末(蒲生城山公園)

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