なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


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#比志島城は、これからの季節に訪ねるにはちょっとキツイ藪城です。
訪問日は2016年12月29日です。

【写1】比志島城

登城口です。
下の地図に赤い線で登城ルートを書き込みましたが、その一番上がココです。
Googleさんの地図では車が走れそうな道が描かれていますが・・・
すぐにそんなことない!という道になります。
なので反対側から車が来ることはまず無く、ココに駐車しても問題ないと思われます。
私は登るのが嫌で上の方に停めましたが、入口がわからずここまで歩いて下って来ましたあせる

【写2】比志島城

それでも何となく道っぽい所を辿って行くと、こんな感じの風景がいくつも現れます。
城キチなら、薩摩特有のシラスザックリ堀だと気づきますよね?w

【写3】比志島城

そんなに年月が経ってないのに、どこをどう歩いたか記憶が・・・

【写4】比志島城

ここを通ったのか、脇に見えたのか・・・?
訪問当時の資料(某大聖典の図)では、二の丸の西側に沿って堀底を進んでいます。
・・・ということで、ここ歩けるの?という竹藪をザクザク進んだみたいですw

【写17】比志島城

そして、道端にこんな感じの石積みが現れます。
苔むし具合がいい感じですが、お城のものかと言われるとちょっと?な感じです。
ただ、某大聖典の図には「石塁」と書かれているので、まぁそういう事にしておきます。
これが目印で、ここから先が本丸です。

【写5】比志島城

本丸だけあって、さすがに平らです。
・・・感想でも何でもないですねあせる
細い木が並んでいるのは、果樹園だった名残でしょうか?
果樹園だったのかなんて知りませんけど。

【写6】比志島城

しかし、ただ真っ平らなだけではありません。
城キチの目は、こういう所にかなり直感的に反応します。
奥の方が怪しいですよね?
・・・写真だとなかなか感じられませんけどあせる

【写7】比志島城

もうちょっと近づいて撮ったのがこの写真です。
高さ3メートル程の立派な高土塁です。
薩摩でこれだけ高い土塁は、あまり見た記憶がありません。

【写8】比志島城

そして、城キチという種族は、見えないものまで感知するチカラがあるようです。
土塁の裏にはアレがある筈!と高土塁の端から回り込んでみたら、やっぱりありました。
幅10メートルほどの立派な堀です恋の矢

【写9】比志島城

堀を見つけたら、堀底を歩いてみたくなるもの。
皆様もきっとそうですよね?
・・・そう思わない方も、中にはいらっしゃるかもしれませんあせる
まぁ、とりあえず飛び込んでみると、こんな光景に出会えるかもしれません!

【写10】比志島城

行ける所まで行ってみよう!
でも、割とすぐに進めなくなりますけどあせる
さすがに、私でもこの中へ飛び込もうとは思いませんよ・・・

【写11】比志島城

そんなこんなで堀を堪能して、奥の曲輪に上陸しました。

【写12】比志島城

なぜ堀を渡ったかというと、曲輪の奥にこれが見えたからです。
堀に対して手前に土塁があるので、かつては奥の方からお城に入って来たようです。
あちこち城跡を見て回ると、お城の色々が見えて来て、それはそれで楽しいもんです。
妄想癖がだんだんとヒドくなってきただけかもしれませんけど・・・

土塁の上がちょっと窪んでおり、何となく虎口っぽく見えました。
往時は窪みは無く、廃城後にここを通る人がみんな横着してもこうなりますけど。
ただ、ここはそんな横着者がゾロゾロ通る感じでもないので、往時からの形と思われます。

【写13】比志島城

上の土塁上の窪みを越えた所が土橋になっていました。
ということは、やや不自然な感じはありましたが、やっぱり虎口だったようです。

【写14】比志島城

土橋の両脇には、立派な堀がありました。
しかし、かなり藪に埋もれてしまって、ちょっと眺めが残念ですハートブレイク

【写15】比志島城

土橋の奥には、わりとはっきりとした踏み跡が続いています。
これは、頻繁に人がここを通っているということですね!
今更もと来た藪を引き返す気も失せていたので、楽をしたい気持ちでまっすぐ進みました。

【写16】比志島城

すると、何だか工事現場っぽい所に出ました。
先ほどの堀からは10メートルほどしか進んでいません。
遺構が破壊されないことを祈るばかりです。


◆歴史◆

鎌倉時代はじめ頃、満家重賢により築かれました。

満家重賢は信濃守護・志田頼重の子です。
信濃守護の子がなぜ薩摩に?と、一瞬戸惑いますが・・・
源平合戦の折、志田頼重が木曽義仲に味方したためだそうです。
木曽義仲は壮絶な最期を遂げましたが、志田頼重はどこかで降伏したのでしょうか。
源頼朝とは従兄弟だったので命までは取られず、とりあえず遠くへ流されて来ました。

薩摩では島津忠久の庇護の下、比志島の地で満家院郡司孫大夫永平の娘を娶りました。
志田頼重は後に許され国元へ帰りましたが、子の重賢が比志島に留まりました。
そして、祖父の跡を継ぎ、領地から満家姓を名乗るようになりました。
満家重賢は子らに領地を分け与え、その長男の家系が比志島姓を名乗るようになります。

比志島氏は代々島津家に仕えました。
南北朝時代には島津軍の一員として、高師泰の越前国金ケ崎城攻めにも加わったそうです。
・・・随分遠くまで駆り出されましたねあせる

島津氏どうしで争った時に、どこの家に味方したのかは?ですが・・・
戦国時代には島津義久のもとで、一族の川田氏とともに家老を務めていました。
そして、100年来の宿敵・伊東氏に勝利した時、比志島義知が日向国・曽井城へ移りました。

その後の比志島城がどうなったのか?ですが・・・
曽井城は豊臣秀吉の九州征伐後に没収され、同じ年の内に比志島義知は城を失っています。
しかし、比志島氏は島津氏の家老であり続けました。
・・・ということは、比志島城に帰って来たのでしょうか?


所在地:鹿児島市皆与志町比志島

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