なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
内城の跡には小学校があります。
訪問日は2016年1月1日です。

【写1】内城

城跡の大龍小学校は、鹿児島の市街地にあります。
もともとが屋形造りの平城だったため、遺構はまったくありません。
交通量が多く道幅も狭いので、西側の広い道沿いにあるコインパーキングに停めました。

【写2】内城

内城に関するものは、上の交差点から20メートル程東へ進んだ所にあります。
石碑は、廃城後の城跡に開基された大龍寺跡を示すものです。
大龍寺についての説明板が2枚あり、その中に内城についての記述も多少あります。

【写3】内城

上の石碑の東隣には、風格タップリの石の門があります。
パッと見は地頭仮屋の門のように見えますが、小学校の古い門だと案内には書かれていました。
それでも石の構築物を見ると、ついつい撮ってしまいます。


◆歴史◆

1550年、島津貴久により築かれました。

それまで居城としていた伊集院の一宇治城から、一気に東へ移って来ました。
1526年から1539年までの間、島津氏の薩州家と伊作家が薩摩の支配権を巡り争っていました。
この争いが落ち着くと、伊作家の島津忠良は薩摩の南北の中心にある一宇治城に移りました。
それから11年後に、子の島津貴久が鹿児島に内城を築いて本拠を移しました。
薩州家の島津実久が1553年に没しているため、この頃から重い病に倒れていたのでしょうか。
鹿児島は宗家当主が本拠にする地なので、島津実久が健在の内は遠慮したのかもしれません。
それまでは争いが絶えなかったものの、内城は屋形造りの平城でした。
1539年以降は、本拠まで攻め込まれるような戦が無かったのかもしれません。

1601年、島津忠恒が鶴丸城を築き、内城は廃城となりました。

前年の関ケ原の戦で敗れた島津忠恒は、討伐に備えて新たに鶴丸城を築きました。
父の島津義弘は領民への負担が重過ぎるとして、既存の城の改修に留めるよう諫めていました。
鶴丸城が完成すると内城は廃城となり、城跡には名僧・南浦文之を招き大龍寺を建立しました。
「大」は島津貴久の号である「大中」、「龍」は島津義久の号である「龍伯」が由来です。
大龍寺は明治時代にあった廃仏毀釈により廃寺となり、跡地に小学校が建てられました。


所在地:鹿児島市大竜町(大龍小学校)

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