なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
桑原城は集落がそのまま城跡です。
訪問日は2015年12月30日です。

【写1】桑原城

桑原城は湿地帯に囲まれ、入口が1ヶ所しかない要害の地だったそうです。
その入口がここです。
橋を渡ると食い違い虎口のように曲がりくねった道を登って集落に入ります。

【写2】桑原城

その手前にあった湿地帯は、現在では田んぼになっています。
そこには何やら白い獣が・・・
つい最近、これの黒いヤツを山で見ましたw

【写3】桑原城

集落は普通に住宅街になっています。
ここがお城だったのか?なんていう位に、普通の住宅街です。
集落の真ん中に広い空き地があり、その一角にゴミ収集のカゴがあります。
・・・主役はその左脇ですあせる

【写4】桑原城

桑原城の城址碑です。
地形はお城っぽさが無いので、ここを紹介しようとすると外せません。
石碑には、お城についての説明が書かれています。

【写5】桑原城

そこに載っている図です。
・・・あまり雰囲気掴めませんねあせる
背後に見える小山が「物見山」です。
湿地帯に囲まれたその真ん中に山があるなんて、本当に天然の要害ですね!


◆歴史◆

ここもあまり情報が無いので、現地説明文をもとにモヤモヤしてみました。

鎌倉時代に、島津氏により築かれました。

島津氏が島津荘の下司職となり、山門院に守護所の木牟礼城を構えました。
この時、すぐ南の有力豪族・莫禰氏に備えるため、桑原城が築かれたとされます。
島津忠貞は下向していないので、薩摩に下向した本田貞親によるものと思われます。
莫禰氏は島津氏に従いましたが、要害堅固な城だったため、そのまま使われ続けました。

1411年、入来院氏の城となりました。

この頃は島津総州家(守久)が島津奥州家(元久)が争っていました。
この争いでは鶴田氏が総州家、それ以外の渋谷四氏が奥州家に味方していました。
戦況は奥州家が優勢でしたが、1411年に島津元久が陣中で病没しました。
島津元久には跡継ぎが無く、弟・島津久豊が葬儀中に位牌を奪い家督を継ぎました。
この時に、薩摩守護だった島津元久の領地が一気に空白地になっています。
島津久豊は兄同様、島津総州家と争いを続けています。
元々この辺りは、島津総州家の領地でした。
島津元久方の入来院氏が島津総州家から奪ったか、島津久豊から与えられたと思われます。

島津薩州家の祖・島津用久が取り戻したようです。

島津薩州家は、島津久豊の次男・用久から始まります。
島津久豊の没後は島津忠国が継ぎましたが、一時は滅びる一歩手前まで追い詰められました。
自信を無くした島津忠国は、弟の島津用久に家督と守護職を譲りました。
島津用久は反対勢力を平らげ、島津家の勢いを取り戻しました。
おそらく、この時に入来院氏から桑原一帯を取り返したと思われます。
この頃は諸勢力が入り乱れて大混乱だったので、詳細はサッパリわかりません。
その後、島津忠国が再び守護に返り咲こうとしたため兄弟は対立。
室町幕府の介入で和解し、出水一帯を与えられ島津用久が薩州家を立てたのが1458年でした。

島津但馬守が居城としました。

島津但馬守でググっても、桑原城に居た事以外はサッパリヒットせず。
もっとずっと後の時代の人物が出てきたりもします。
謎の人物で終わらせようかと諦め掛けた時、ちょっとだけ情報出て来ました。
お墓が大山祇神社にあり、そこに阿久根市の説明板があるそうです。

そこには「島津義虎が島津忠兼とともに、縁者の但馬も滅ぼした」旨が書かれています。
「島津忠兼の縁者」って誰だろう?と関係を探りますが、めぼしい情報なし。
子は娘(与里姫)が1人居るだけで、父が暗殺されたのを知り母とともに自害しています。
妻の実家は吉満氏ですが、吉満氏は島津久豊の兄・忠国の子孫です。

島津忠兼は島津義虎の叔父で、1565年に島津義虎に暗殺されました。
吉満久張は島津忠兼の家老でしたが、島津忠兼が暗殺される3か月前に戦死しています。
残っているのは、その子・吉満忠郎だけです。
吉満忠郎がどのような人物なのかは?ですが、島津一門なので可能性ゼロではないですよね?

あとは島津忠兼の兄弟ですが、残っているのは兄・島津忠辰だけ。
島津但馬守は、島津忠兼とともに1547年と1548年の渋谷一族との戦で活躍したそうです。
その約20年後に殺されたのですから、かなり年配だったと思われます。
この人物も全く謎ですが、島津義虎の嫡男も後に「忠辰」を名乗っています。
島津義虎は叔父を暗殺した後になってから過ちに気付き、若宮神社を建てて慰霊しています。
一緒に誅殺してしまった叔父の名を、子に名乗らせたのかもしれません。

宮原景晴が一時居城としました。

宮原景晴は島津義久の家老代です。
この辺りを島津義久が領有したのは、朝鮮出兵後の1599年になってからです。
宮原景晴は出水の地頭となり、高尾野城を築いています。
おそらくそれまでの間の仮住まいとして、桑原城に居たのかもしれません。

桑原城は宮原景晴が高尾野城へ移ってからも、廃城にはならずに存続したようです。
江戸時代になり一国一城令が出た後も、阿久根麓の有力な支城として残りました。


所在地:鹿児島県阿久根市鶴川内

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