なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
岩剣城は周囲を断崖に囲まれた天然の要害です。
訪問日は2017年1月1日です。

【写1】岩剣城

麓にある平松城跡から撮ったものです。
写真で見た時から「この上にお城があったんだ!」と感動モノでした恋の矢

【写2】岩剣城

事前に諸兄のサイトをあれこれ拝見し、近くまで車で登れると推察。
情報が無かったので、当初は岩剣神社に車を停めて歩いて登る予定でした。
しかし、車停められたらラッキー!程度の期待でそのまま登ってみたらありました。
登山口の手前に、クルマ1台なら停められる路肩が^^
地面が柔らかい所なので、雨上がりはやめた方が無難です。

【写3】岩剣城

上の写真の奥に写っている登山口です。
「剣ノ岡」ではなく「岩剣城跡」と書かれており、ココにどんな人が来るのか見えて来ます。
地元の方に城跡への道を尋ねて登る方が、きっと多かったのでしょうね。

【写4】岩剣城

登城路の前半は、石ころゴロゴロの道です。
草を掻き分けるのとは別のツラサがあります。
靴底の厚いしっかりした靴でないと、足裏が刺激され過ぎて痛くなりそうです。

【写5】岩剣城

アノ山とは違う方向に登ってるような気が・・・
そんな不安に駆られ始める頃、周りに竹が多くなると道は左へ急旋回します。
方角がアノ山の方向になった!と、ちょっぴりテンションが上がり始めます。

【写6】岩剣城

そんな頃に道がボコっと盛り上がり、いかにも人工的に見える場所があります。
ここ門の跡かな~なんて遠くから思っていると、その脇には石積みが!
落ち着いて見ればお城のとは積み方が違いますが、城キチはそんな落ち着きとは無縁です。
石が積んであるだけで撮ってしまう「城キチアルアル」をついやってしまいますあせる

【写7】岩剣城

なぁんだ、ぬか喜びさせやがってと逆切れ気味に道を登ると、また道が盛り上がる場所が。
わざと通りにくくしているのは、攻めて来る兵士への備えに違いありません。
と、今度は踊らされ過ぎない程度になぜか静かにテンションを上げます。
登った左側に2段のボコボコがあり、そいつを撮ろうと下がるために右側へ進むと・・・!

【写8】岩剣城

右側の奥に石垣見えちゃいました!
今度の積み方は農民がやるものではない!!と思いますあせる
なぜか誰かに向かって慎重になりますが、やっぱり石垣見るとそっちに吸い寄せられますw
1メートル程の段差になった石垣の向こう側には、奥へ通じる道がありました。
これはきっと何かあるに違いない!と、まぁ誰でも思いますよね?

【写9】岩剣城

その先に今度は巨大な土の壁が!

【写10】岩剣城

しかも、その壁の一部には石垣が!!
もう遠慮なくテンション上げまくりますw
しかし、冷静な脳内小人様も居て、耳元でぼそっと囁きます。
「土塁の向こう側はアレあるよね?」
脳内小人様の囁きに「わかってるよラブラブ」と応えて進むと、やっぱりありました。

【写11】岩剣城

堀切様恋の矢恋の矢恋の矢

【写12】岩剣城

深さ3メートル程の堀切の先は、地面がボコボコにされて通りにくくしてあります。
これを「連続堀切」と呼ぶ人もいたような、いなかったような・・・
私はこいつのちゃんとした呼び名を知りません。

【写13】岩剣城

そして、そのちょっと先にも堀切様ラブラブが待っていました。
ココの堀切は、左側がそのまま竪堀になっていました。
この竪堀に沿って目印テープが付けてあったので、麓から登れる道なのかもしれません。
ということは、ここまであった堀切達は、ここから登ってくる敵を想定したものですね!

【写14】岩剣城

それじゃ、この先には敵を防ぐ防御施設は無いハズだと思いました。
案の定、この先はただの斜面を登る山道となっていました。
この先が気にはなりましたが、好奇心が満たされる頃にはローマに着いてるかも・・・
ということで、ここでUターンして元の道に戻りました。

【写15】岩剣城

先ほど石垣を見つけた地点から、2段ボコボコを撮りました。
大抵の人はこれを「虎口」って呼ぶと思いますケド。

【写16】岩剣城

その2段ボコボコを登り切ると、かなり広い空間に出ました。
ついに岩剣城の主郭に辿り着いたようです。

【写17】岩剣城

この先は4段の郭が、緩~い段で区切られていました。
普通にあるいて登れるくらいに緩い傾斜です。
往時はきっともっと鋭い切岸だったと思いますが。

【写18】岩剣城

2段ボコボコを登り切ってから直線距離でおよそ100メートル程で、一番高い所に着きます。
下の地図で測ると150メートル以上ありましたけどw
思っていたよりも岩剣城の主要部は広かったです。
しかも、守る箇所は2段ボコボコの1点のみ。
これは守りが堅い訳です。



↓おまけです
【写19】岩剣城

岩剣城ではない写真なので、少しだけ小さくしておきます。
岩剣城はかなり独特なお城ですが、私が回った中で1ヶ所だけ似てるお城がありました。
それが群馬県にある丸岩城です。
真田幸隆が攻略した吾妻郡にあり、麓の街道からとてもよく見えます。
この上にお城があると知った時にもかなり驚きましたが・・・
丸岩城も岩剣城と同じく、背後の尾根を伝って登ります。
興味がある方は、ぜひこちらも訪ねてみて下さい!


◆歴史◆

祁答院良重が築いたと考えらえています。

祁答院氏は、祁答院の虎居城を本拠としていました。
薩摩の北西部だと勝手にイメージしていましたが・・・
地図で見ると、姶良の北隣だったんですね!
蒲生氏とは同盟関係にあり、その領地を飛び越して城を築きました。
・・・蒲生さん平気だったんでしょうか?
祁答院良重が家督を継いだのが1538年なので、それから16年間のどこかという事になります。

1554年、島津義久・義弘・歳久の三兄弟に攻められました。

メンツ見ただけで凄いですが、三兄弟ともこの戦が初陣でした。
島津軍が岩剣城を攻めたのは、蒲生範清が肝付兼演の加治木城を包囲したためでした。

肝付兼演は、1549年に蒲生範清・祁答院良重と共に島津貴久と戦った事がありました。
戦いは島津貴久が勝利し、蒲生氏・祁答院氏は領地を安堵されました。
言い出しっぺは肝付兼演でしたが、戦後、領地を安堵されただけでなく加増されました。
領地を接していることもあり、感情的なモヤモヤが残ったものと思われます。
これも島津貴久の策だったのかもしれませんが。

岩剣城を攻めた三兄弟は、日本で初めて火縄銃を実戦で使用したとされます。
盟友の城が攻められているとなると、蒲生氏も加治木城攻めを諦めざるを得ません。
加治木城の包囲を解いて、島津貴久の狙い通り岩剣城の救援に向かいました。
島津貴久は岩剣城の北辺りで待ち伏せし、蒲生軍を撃破。
蒲生氏の援軍が絶望的となったため、祁答院良重は夜陰に紛れて岩剣城を脱出しました。
祁答院良重は平山城(=平安城)に籠り抵抗を続けましたが、翌年には祁答院へ退きました。

島津義弘の城となりました。

岩剣城の城代となった島津義弘でしたが、岩剣城があまりに不便なため、麓に城を築きました。
これが平松城で、1564年に飯野城(宮崎県えびの市)へ移るまで居城としました。
この時に廃城になったと思われます。

ただし、島津義弘は1600年の関ケ原の戦から帰還した後、しばらく平松城に滞在しました。
また、1605年にも帖佐館から加治木館へ移る間にも、平松城に滞在しました。
さらに江戸時代には、島津忠紀が重富郷の領主となり、平松城跡に館を築きました。
これらの事から、平松城は島津氏の施設として常に使用されていたかもしれません。


所在地:鹿児島県姶良市脇元

鹿児島県の城跡/なぽのホームページを表示


※GPSで見ると、登城口辺りの道がGoogle Mapでは随分ズレていました。
「麓からの道を登ると登山口がある」というイメージで地図をご覧下さい。
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