なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
葛山城は新旧東名道に挟まれた丘陵上にあります。
訪問日は2014年9月20日です。

【写1】葛山城

登城路はいくつかありますが、私は大手口から訪ねました。
いつもいつも「ここだ!」と思ったのが搦手口だったりするのであせる
たまには正攻法で攻めることもあるんですよw

【写2】葛山城

上の写真の矢印の所から見た入口です。
案内が道に張り出していないので、見落として通り過ぎそうになりました。
パッと見が大きな家の入口っぽく見えないこともない、ですよね?
手前の土盛りが馬出になって、虎口が曲がって中が見えませんし・・・
って、発想がすでにだいぶ病んでますあせる

【写3】葛山城

入口からズンズン進んで行くと、立派な案内図が現れました。
ここからは徒歩での登城となります。

【写4】葛山城

せっかくなのでパクリます。
案内図が設置されたのが平成13年なので、既に10年以上経ちますがこんなに綺麗です。
普段からかなり念入りにお手入れがされている証拠ですね!

【写5】葛山城

最初の坂を登り切った所が大手曲輪です。

【写6】葛山城

その先にあるのが東曲輪で、いよいよお城の主要部に近づきました。

【写7】葛山城

東曲輪を抜けた所はこんな感じです。
もう、城キチとしては心臓バクバクもんです。
だって、二重の堀切が見えてます!、よね?

【写8】葛山城

真横から見た一号堀です。
案内図では堀切も竪堀も通し番号が付けられています。

【写9】葛山城

一号堀のすぐ脇にある竪堀です。

【写10】葛山城

すぐ後ろには二号堀があり、こちらの竪堀は麓の仙年寺までつながっています。

【写11】葛山城

二号堀からは外側の帯曲輪へ進みました。
だって私素直な性格ですからw
斜面に付けられたただの道に見えますが、図では曲輪と書かれています。

【写12】葛山城

【写13】葛山城

帯曲輪の外側には三号堀、四号堀と竪堀が続きます。
帯曲輪の幅を所々狭くすることで、敵の侵入スピードを抑えようというものでしょうか?
上にもう1本帯曲輪があり横矢が掛かっているので、そんな事考えてみました。

【写14】葛山城

奥まで進むと上に上がる虎口があります。
ここは坂虎口ですが、まっすぐではありません。
敵の侵入に備えていくつもの工夫が重ねられています。

【写15】葛山城

その虎口に登りながら見た五号堀です。
下から見るV字形もラブラブですが、斜め上から見る堀切も恋の矢です。
要するに、どこから見てもドキドキということですw
この先にもう1本堀切があり、主要部の両側を二重の堀切で挟んだ構造となっています。

【写16】葛山城

虎口から上がった所にある二郭です。
かなり広いです。
二郭は主郭を包むようになっており、下の帯曲輪に対して横矢が掛かっています。
こうして見ると、輪郭式の山城なんですね!

【写18】葛山城

二郭よりも一段高い所が主郭です。
今は東屋があるだけの山上の広場ですが、往時はどうだったのでしょう?
脳内で妄想がグルグルとフル回転します。


◆歴史◆

葛山氏の詰城でした。

葛山氏は平安時代末にはすでに当地に居たようですが、築城年代は不明です。
一説には本家の大森氏が小田原に移った頃(1416年上杉禅秀の乱の後)とされています。
なので、ここから下は葛山館の歴史の室町時代以降をコピペします。

室町時代に入ると、葛山氏は足利将軍家に直接仕える奉公衆となりました。
初期はまだ今川家臣ではなく、幕府の命令で今川軍とともに行動することがありました。
伊勢盛時とは特に関係が深く、娘を嫁がせたり養子に迎えて家督を継いだりしています。
葛山氏に入った養子は葛山氏広で、北条早雲と葛山氏出身の娘の子とする説が有力です。
通字である「氏」はこの時からなんでしょうね。
また、北条氏滅亡の直前まで生きていた北条幻庵は、葛山氏から嫁いだ娘の子です。

伊豆や相模での伊勢軍の活動に、葛山氏は協力しています。
これは幕府の命令ではなかったでしょうねw
しかし葛山氏はその後、次第に今川家の家臣と化していきました。

1568年、葛山氏が領地を失いました。

武田信玄が駿河へ攻め込んだ際、葛山氏は今川家を離れ武田方に寝返っています。
そして、武田軍の穴山梅雪とともに、今川軍を助けた富士郡にある北条軍の城を攻めました。
そのため、逆襲に転じた北条軍により領地を追われ、武田方の富士郡へ逃れました。

1571年、武田軍が反撃に転じて領地を取り戻しました。

一時は駿河から撤退した武田軍でしたが、1569年から再び駿河へ侵攻しました。
武田軍は北条軍と戦って駿河東部の拠点・深澤城を攻略し、葛山領もこの時に奪い返しました。

1573年、葛山氏元が武田信玄により処刑されました。

葛山氏元は、北条氏政への内通を疑われて信濃国諏訪で処刑されました。
これが「天正元年の2月」とWikipediaには書かれていますが・・・
天正元年は1573年の8月からなんですよねw
こういう事もあるので、Wikipediaは鵜呑みには出来ません。
かなり参考にはなりますけど。
この1573年2月というのは、武田信玄が三河へ侵攻して野田城を攻め落とした頃です。
北条氏への内通を疑われて処刑されたのは、武田信玄の病状を密告したのでしょうか?

武田信玄は葛山氏元の娘を六男・信貞に嫁がせ、葛山氏の家督を継がせています。
しかし、葛山信貞は10代前半のため甲府に住み続け、葛山は御宿友綱が代わりに治めました。
御宿友綱は葛山氏元の甥ですが、若い頃から武田信玄に仕えていました。
武田信玄の信頼も厚く、その侍医を務めたとされている人物です。

1582年、葛山氏が滅びました。

武田勝頼が織田信長により滅ぼされ、葛山信貞も甲府善光寺で自害しました。
葛山信貞は甲府に居たので、葛山館には御宿氏が住んでいたかもしれませんが・・・
御宿氏はその後、北条氏政、徳川家康に仕え、旗本として存続しています。


所在地:静岡県裾野市葛山

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