なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
舟ヶ谷城は堀切好きにはたまらないお城です。
訪問日は2015年1月15日です。

【写1】舟ヶ谷城

舟ヶ谷城への登城路はありません。
訪問前に拝見した登城記では、思い思いの場所から直登されていました。
ということで、東から順番に登りやすそうな所を探しました。
ここは2番目にチャレンジした所です。

※ココから下の地図の黒い線の一番上に入りました。

【写2】舟ヶ谷城

記憶が曖昧なのですが・・・
確かココを左側に上がったように思いますあせる

【写3】舟ヶ谷城

そのお茶畑の手前側から山側へ向かい、そこから更に一番奥へ進みました。

【写4】舟ヶ谷城

すると、足元にこんな物が!
これはココから山に入るためのものだと思いました。

【写5】舟ヶ谷城

そこから見上げた風景ですwww
行くと決めたら登るのみ。

【写6】舟ヶ谷城

草木が薄く、傾斜がなるべく緩い所を選んで這い上がります。
平たく書くと、直登しましたw
そうして登り切った所がココです。
地面を平らにならした形跡があります!
どうやら城内に上がれたようです^^

【写7】舟ヶ谷城

そこからお城の主要部があったであろう南へ進みました。
すると、いきなり小さな堀切が!

【写8】舟ヶ谷城

山上の道なき藪を掻き分けて進むと、また堀切が現れました。
今度のはさっきよりもかなり大物ですヾ(*´∀`*)ノ

【写9】舟ヶ谷城

その次に現れた堀切は、さらに大物でしたラブラブ

【写12】舟ヶ谷城

そこから見上げると、まだ高い所が・・・
もちろん登りましたw

【写11】舟ヶ谷城

登った所はちょっとした空間になっています。
さらに南へ進むと、細い土橋のような感じの稜線が続いていました。

【写13】舟ヶ谷城

西側の腰郭っぽい所に下りてさらにすすむと、尾根をぶった切る堀切がありました。

【写14】舟ヶ谷城

その向こう側から南側を見ると、更にもう1つ堀切が見えます。
見えます、よね?
ですが、もう沢山見たので見に行かず。
ここから先は堀切も無さそうなので、下りたくなって来ました。
ただ、元来た藪を掻き分けて戻る気にならず・・・

【写16】舟ヶ谷城

下りて下りられない傾斜ではなさそうなので、ここからまっすぐ下りました。

【写17】舟ヶ谷城

とりあえず西に向かえばいいか?と思っただけですが、道に出ましたヾ(*´∀`*)ノ

【写18】舟ヶ谷城

出て来たのはココです。
登る道は獣道すら無いので、ここから直登というのもアリだと思います。


◆歴史◆

新野氏のお城でした。

築城時期は不明ですが、今川氏系の新野氏のお城でした。
すぐ東にある八幡平の城が「新野古城」と呼ばれているので、その後と思われます。
ただ、八幡平の城も新野氏の歴史も殆どわかっていません。

新野氏は横地氏系の系統もあったようです。
こちらは鎌倉時代から室町時代にかけて名が見られるようです。
・・・自分で一次史料を見たりしないので、すべてが伝聞ですあせる

舟ヶ谷城主として有名なのが、新野親矩です。
新野親矩は今川氏の一族で、井伊一族の奥山氏から妻を迎えていました。
また、新野親矩の妹が井伊直盛に嫁いでおり、その娘が井伊直虎です。
今川氏真は井伊氏の家老・小野道好の讒言を信じ、井伊直親を殺してしまいました。
【図】井伊氏と新野氏の関係
と書き始めると長くなりそうなので、図を描きした。
井伊氏の歴代当主は、今川氏の戦に駆り出されて戦死したり、または殺された者ばかりです。
井伊直平の陣中での急死も、今川氏真による毒殺説がある程です。
・・・もうこの辺にしときますあせる

1563年に井伊直親が殺された時に、その子・寅松(後の井伊直政)を匿ったのが新野親矩です。
それでも今川氏真に従い続けましたが・・・
1565年、今川氏真を見限って謀反を起こした曳馬城の飯尾連竜を攻めた際に討死しました。


所在地:静岡県御前崎市新野

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