なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
三嶽城は三岳城とも表記される、井伊氏の山城でした。
訪問日は2015年1月10日です。

【写】三嶽城①

三嶽城へは井伊谷交差点を東へ進み、あとは道なりに進めば辿り着けます。
その道の所々に、こんな感じで案内が出ています。
迷子レベルの高めな私には、とても有り難い代物です合格

【写】三嶽城②

ひたすら道なりですが、1回だけ左折します。
そこにはこの案内。

【写】三嶽城③

上の案内の所で左折すると、すぐにこの説明板が道端に現れます。
すぐ脇に山の中へと続いてそうな道?がありますが・・・
ここから山へ入ってはイケマセン。
更に綺麗な道を進みます。

【写】三嶽城④

すると、広い駐車場に辿り着きます。

【写】三嶽城⑤

右側には立派な石垣のある三岳神社があります。

【写】三嶽城⑥

ここからは徒歩で登ります。

【写】三嶽城⑦

はじめの内は、軽で走れそうな感じの広い道です。

【写】三嶽城⑧

しかし、T字路っぽい所で案内に従って左へ進むと、道幅は一気に狭くなります。

【写】三嶽城⑨

そして、またさらに登ると、コンクリ柱が。
「三岳城址」と「二の城址」って、もう城域に入ってますね!
そんな所なので、きっと何か防御施設でもあった筈と思いましたが・・・

【写】三嶽城⑩

分岐の所から「三岳城址」方向を見た所です。
手前にちょっとした段差があり、道はグネっと曲がってから上に向かいます。

【写】三嶽城⑪

ここが枡形門の跡だそうです。
南北朝時代のお城なので、あんまり派手な遺構はありません。
ただ、こうやって何となく何かあるっぽい!っていうのも悪くありませんね!

【写】三嶽城⑫

せっかく城域に入ったので、図を先に載せちゃいます。
この図は、二の城の所にあります。
麓から登ってくると、さっきの枡形門の所で分岐しています。
往時は山を駆け登り息を切らせた寄手を、左右両側から迎え撃ったのでしょうか。
ちなみに、図には載っていませんが三の城もありました。
それが最初にあった神社で、宗良親王の居館がここにあったそうです。

【写】三嶽城⑬

さて、まずはメインの一の城へ。
ここならきっと何かあるはず、と足取りも軽くなります。
城攻めの兵も足取りが軽くなると、守る側としては困りますねあせる

【写】三嶽城⑭

程なく、草木が刈られた空間へ。
石碑に説明板に色々と賑やかな主郭です。
削平がかなり甘いような気もしますが・・・
南北朝時代のお城ですから。

【写】三嶽城⑮

お約束の城址碑ですラブラブ
ここは「三嶽城」と「三岳城」の表記が半々くらい。
なんでだろう?って思って調べてみました。
すると、「嶽」と「岳」は読みも意味も同じなのだそうです。
知らなかった・・・
きっとどこかで自慢出来る日が来る、とイイですね!

【写】三嶽城⑯

なぜここにお城を?の答えは多分コレ。
とっても眺めがイイんです!
遠州灘まで、バッチリです。
麓で戦ってる味方に、ココから指示を出してたかもしれませんね。

【写】三嶽城⑰

さて、一の城を見たから二の城も、というのが人情だと思います。
自分にも人並みな人情ってものがあれば、ですがあせる
二の城に来た収穫は、多分コレです。

【写】三嶽城⑱

だって、周りはこんなですからwww


◆歴史◆

南北朝時代に南朝方の井伊氏が宗良親王を迎えて籠城しました。

築城年は不明です。

1338年、後醍醐天皇の皇子・宗良親王が伊勢から移って来ました。
この頃、南朝方として井伊道政(または井伊行直)が駿河の今川範国と戦っていました。
後醍醐天皇はさらに大寺院・鴨江寺にも蜂起するよう、綸旨を下していました。
遠江での南朝方の動きを受け、足方尊氏は高師泰・仁木義長ら主力に討伐を命じました。

1339年、北朝軍は鴨江寺を5日で降すと、千頭峯城も3か月で攻略。
各地で井伊氏の支城を降し、宗良親王が籠る三嶽城の戦況も日々険しさを増しました。
そして1340年2月に三嶽城も落城し、宗良親王は最後の砦・大平城へと移りました。

大平城は井伊氏の城の中では最も堅固でしたが・・・
1340年8月、仁木義長の夜襲により陥落。
宗良親王は大平城を脱出しました。
どこへ向かったのかは諸説ありますが、最終的に信濃国大河原に落ち着きました。

1513年、今川氏親に攻められ落城しました。

斯波氏が守護を務めた遠江は、元々は今川氏が守護でした。
ということで、今川氏と斯波氏は遠江を巡って度々戦っていました。
そして1510年頃、京での政変を機に今川氏が再び遠江守護となりました。
今度は立場を逆にして、斯波氏が遠江奪還を狙って出兵するようになります。

遠江に出陣した斯波義達は、井伊氏や大河内氏を味方にします。
斯波義達は三嶽城を拠点に攻勢に出ますが・・・
大河内貞綱は曳馬城を攻略したものの、今川軍の朝比奈泰煕に敗れて降伏。
今川軍は三嶽城に総攻撃を掛けたため、ついに落城しました。
今川氏親は三嶽城に奥三河の奥平貞昌が城番を務めました。
しかし、以後三嶽城は歴史に登場しなくなります。

今川氏親は1526年に没し、今川家は嫡男の氏輝が継ぎました。
まだ14歳だったため、実際の指揮は母・寿桂尼が執りました。

一方、三河では1529年に松平清康が東三河の宇利城を降して、三河統一を達成。
奥平貞昌は今川家を離れ、松平清康に従うようになりました。
・・・ということで、奥平貞昌は遅くとも1529年までには三嶽城を離れたと思われます。


所在地:静岡県浜松市北区引佐町三岳

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