なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
一色城は関東から来た一色時家のお城でした。
訪問日は2014年8月7日です。

一色城①

一色城は牛久保城のすぐ近くにありました。
という表現は間違いですネ・・・
牛久保城は、一色城の脇に新たな城として築かれました。
・・・表現は正しいけど、主語が逆ですなwww
まぁ、とにかくお隣さんレベルでご近所です。
ただ、地図を眺めていると、その間に今川義元のお墓があったりします。
通りすがりに寄ってみようとは思いましたが、気が付かなかったようですあせる

一色城②

会社の敷地内ではありますが、駐車場だからいいか?ということで。
木の標柱が立てられており、そこには「一色城保障外壁の跡」と記されています。
一色城の遺構はおそらくこれだけ。
牛久保城ですらほぼ消滅なので、よくぞ残してくれた!という感じがします。


◆歴史◆

1439年、一色時家が築きました。

一色時家は、鎌倉公方・足利持氏に仕えた一色持家と同一人物とされます。
永享の乱では叔父・一色直兼とともに兵を率い、関東管領・上杉憲実を攻めました。
この乱に敗れた足利持氏と一色直兼は永安寺に幽閉され、幕府方の討伐軍に囲まれ自害。
一色時家は関東から出奔し、同族・一色義貫が守護を務める三河へ逃れました。
1440年にその一色義貫が粛清されましたが、足利持氏残党を匿ったためとされます。
しかし、一色時家は特に攻められたりはしていないようです。

1477年、一色時家が家臣・波多野全慶に討たれました。

一色時家は応仁の乱では、本家に同調して西軍方として行動しました。
知多郡や渥美郡の同族とともに、東軍方の三河守護・細川成之と戦っています。
しかし、細川成之の家臣・東条国氏を自害に追い込んだ事が、後に災いとなります。
細川成之は、この事件を契機に幕府への出仕を停止。
幕府は事態を重く見て、一色義直に三河奪還を諦めることを命じました。
一色義直は三河放棄を書面で約束したため、細川氏と一色氏の三河を巡る争いは終わりました。

しかし、ここで一色時家に仕えていた波多野全慶が下剋上を起こしました。
波多野全慶は兵を起こして灰野塚で戦い、一色時家を敗死させました。
もともとが幕府に追われる身だったので、特にお咎めは無いと踏んだのでしょうか?
それとも、幕府から一色義直にそのような命令があったのでしょうか?
丹波守護代の波多野氏は、出自不明ながらこの頃から歴史に登場し始めます。
一色時家を討った波多野全慶が、そのまま一色城の城主となりました。

1493年、牧野古白が城主となりました。

牧野古白は法名で、実名は牧野成時です。
一色時家旧臣で、そのまま波多野全慶に仕えました。
仇討ちにしては時間が経ち過ぎている気がしますが・・・
灰野塚で波多野全慶を討ち、一色城に入りました。
ここでもすんなり城主が交代しています。
やはり、京での明応の政変(将軍交代のクーデター)が影響しているのでしょうか?

1505年、牧野成勝が城主となりました。

牧野古白は今川氏親の命により今橋城を築き、その城主となりました。
一色城は瀬木城主・牧野成勝が新たな城主となりました。
牧野成勝の代に城の名を「牛窪城」に改めたとされます。

1529年、廃城となりました。

吉田城主・牧野信成の命により、牧野成勝が牛窪城(一色城)近くに新たな城を築きました。
この年、松平清康が攻めて来ましたが、城の完成はその後のようです。
旧牛窪城と新牛久保城は一時併用されていたようですが、やがて旧の方が廃城となりました。


所在地:愛知県豊川市牛久保町

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