なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
足助城は中世城郭っぽさが復元されています。
訪問日は2007年6月30日ですあせる

足助城①
▲縄張図

まずは全体的な図から。
別名・真弓山城とも呼ばれ、真弓山全体を使った大規模な山城でした。
さすがは足助一帯を支配した鈴木氏のお城です。

足助城②
▲復元図

現在は中世城郭の様子が復元されており、城跡公園足助城となっています。
その整備範囲は主郭の周辺のみで、この図に描かれた範囲です。
それでも、雰囲気は十分に感じられて、個人的には大好きですラブラブ

足助城③
▲南の丸

南の丸を下から見上げた所です。
写真撮るの下手っぴですダウン
もうちょっと下まで入れれば絵になりました。
こんな事なら2014年8月にもう一度行き直せば、なんて思ってしまいました。
ただ、一度行った所ってなかなか行く気になれないんですよね・・・

足助城④
▲南の丸から見た物見台

お次は南の丸から物見台を見上げます。
中世城郭を復元した所では、こんな感じで見上げるアングルが大好きです。
お城を攻める兵士気分になれますからね!
ただ、リアリティを求めても、上から登城を邪魔する兵士は要りませんけどw

足助城⑤
▲主郭の高櫓

そして、一番高い所にある高櫓です。
近世城郭で言えば天守に該当するでしょうか。
お城の中核部分ですが、あんまり広くないというか、狭いです。
山間部なので、数千単位での戦闘を想定した造りではなかったのでしょうね。
それはそれでハートを鷲掴みにされますけど恋の矢


◆歴史◆

築城年は不明ですが、足助鈴木氏により築かれました。

足助は鎌倉時代から足助氏が支配していました。
そのため、足助氏により築かれたと考えられていたようです。
しかし、公園として整備するにあたって行われた発掘調査では、当時の遺物が見つからず。
そのため、その後当地を支配した鈴木氏により築かれたと考えられます。
足助氏が没落して鈴木氏が当地に入った時期は、15世紀末頃と考えられています。
足助の鈴木忠親は1502年、一族の鈴木親信に小原郷(市場城周辺)を与えています。

1525年、松平清康が足助を攻め、鈴木重政が降伏しました。

松平郷から安祥、岡崎へと勢力を拡大した松平氏が、足助にも攻め寄せました。
この時は2000の兵力で攻め寄せ、2代めの鈴木重政は降伏しました。
和睦の証として、松平清康の姉か妹の久が、鈴木重政の嫡男・重直に嫁ぎました。
松平清康はその後も勢力を拡大し、1529年の宇利城攻略により三河国統一を達成しました。

1535年、守山崩れで松平清康が没すると、鈴木氏は松平氏より独立しました。

20歳で三河一国を平定した松平清康ですが、尾張国守山城攻略中に陣中で家臣に斬られました。
享年26って若過ぎます。
ここで斬られずにいたら、きっと歴史は大きく変わったでしょうね!
ただ、強烈なカリスマが世を去ることで、松平家は求心力を失いました。
松平清康の嫡男・広忠は当時まだ9歳で、大叔父の松平信定が台頭しました。
松平家中が分裂したことで鈴木氏は自立の動きを見せ、久を離縁して岡崎へ帰しました。

1554年、三河併呑を進める今川義元に攻められ降伏しました。

混乱が続く松平家は、鳥居忠吉や阿部定吉ら家臣団が中心となって切り盛りしていました。
離反する松平一族と戦う内に勢力は弱まり、次第に今川義元への依存が強くなりました。
そんな中、1549年には岡崎城内で松平広忠が家臣に斬殺される事件が起こりました。
松平広忠の嫡男・竹千代は織田信秀の元にあったため、三河は無主状態となりました。
この時に素早く動いたのが今川義元でした。
三河の要所に自らの家臣を配置し、さらには織田信秀に奪われていた安祥城も奪還しました。
この戦で捕えた安祥城代で織田信秀の弟・信広を竹千代と交換。
その竹千代を駿府に置くことで、三河を実効支配しました。
今川軍は周辺の独立勢力を取り込む動きを見せ、1554年には足助城にも攻め寄せました。
3代めの鈴木重直は、嫡男・信重を人質に出し、今川の軍門に降りました。

1560年、桶狭間の戦で今川義元が討死。

今川家による三河支配が頓挫し、松平元康が岡崎城を奪って独立しました。

1564年、松平家康に足助城を攻められ、鈴木氏は再び降伏しました。

松平元康は1562年に織田信長と清洲同盟を結び、この頃に「家康」に改名しました。
徳川への改姓は1566年の事なので、それまでの間は「松平家康」だった時期があります。
さて、各地の鈴木家はまだ今川家に従い続けており、松平軍に抵抗を続けていました。
そのため、三河統一を目指す松平軍に攻められ、降伏しました。

1571年、武田信玄に攻められ、武田家臣・下条信氏が城代となりました。

織田信長と対立した将軍・足利義昭の檄文に応じ、武田信玄が上洛の兵を挙げました。
その通り道にあった足助城が攻め落とされ、城主・鈴木重直は徳川家康の元へ逃れました。
足助城は下伊那郡を本拠とする武田信玄の娘婿・下条信氏が城代となりました。

1573年、徳川家康が足助一帯を奪還し、鈴木重直に旧領を与えました。

武田信玄が没すると、徳川家康が反撃に転じて三河や遠江で武田領に攻め込みました。
足助城一帯を奪還した徳川家康は、鈴木重直にそっくりそのまま旧領を与えました。
これにより、足助鈴木氏は徳川家康の家臣の地位に固定されました。

1590年、廃城となりました。

豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼすと、徳川家康に関東へ移るよう命じました。
徳川家康はそれに従い、鈴木康重も関東へ移りました。
どこを所領として与えられたのかは?ですが・・・
処遇に不満を抱き、その年の内に出奔してしまいました。
その理由も、その後もいくらググっても出てきませんでした┐(´∀`)┌


所在地:愛知県豊田市足助町須沢

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