なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
岩下城は国道の北側にありました。
訪問日は2014年4月12日です。


▲城域への入口

城跡へは、国道沿いの学校跡地(と思われる)脇から、林道北浦線に入ります。
航空写真で見るとグラウンドがありますが、地図には何も描かれていないので。
写真では道が二股に分かれていますが、右の道を進みます。
風景が変わると思うので、写真ではなくそこのGoogleMapストビューのリンクを貼っておきます。
・・・アメブロに貼れるじゃんw
(2、3箇所貼り直したい所アリあせる
→早速貼り直した所、地図がズレていた事に気付き、更に全チェックするハメにwww(独り言です)

岩下城①ココ
▲登城口の前

林道をズンズン登って行くと、こんな感じの場所に辿り着きます。
下から上へ登る方向で撮っています。
バイクはこっちに向いていますが、Uターンしたからです。
Google Mapで道が描かれているのもこの辺りまでです。(2017年1月17日現在デスヨw)
ここから先は未舗装になっているので、通り過ぎたらすぐに気付くと思います。

岩下城②登城口
▲登城口

山側を見ると、何となくですが人が歩いて登る感じがギュンギュンします。
ということでココから登りましたが、すぐにV字ターンする感じになっています。
道?があるのはココまでw

岩下城③登城、路?
▲登城路?

その先はただの斜面です。
踏み跡は何となくある、かも?なレベルなので、ひたすら高い方を目指して登ります。
迷う自信がある方は、目印にリボンリボンを結びながら登った方が良いかもしれません。
※山キチさん達は、そのリボンを山に残さないよう回収しながら下るのがマナーだそうです。

岩下城④踊り場みたいな所
▲踊り場みたいな感じ

途中、階段にある踊り場みたいな感じで、段になった所がちらほらあります。
城を守る側が迎撃用に付けたのか、城を攻める側がちょっとずつ付けたのか。
自然地形かもしれませんがw

岩下城⑤堀切
▲大堀切

そんなこんなでズンズン進んで行くと、わぁぁぁぁぁ!!という感じでコレが現われます。
ただの傾斜がずぅっと続くのも十分しんどいですが、これは戦意を削ぐ効果あるかもです。

岩下城⑥主郭
▲主郭

堀切を登り切った所が土塁になっており、主郭と思しき空間を見下ろします。
そこにある祠はしめ縄がかなり新しい感じでした。
日頃からお参りされる方がいらっしゃるんですね!
・・・もしかしたら道があるかもしれませんあせる


◆歴史◆

富沢氏の城でした。

築城年代は不明ですが、斎藤氏の一族である富沢氏の城でした。
1405年に吾妻郡に来た斎藤憲行が、吾妻郡を自分の子達に分け与えました。
岩下城は6男の富沢幸連に与えています。
この時に築かれたのか、それ以前から岩下城があったのかはわかりませんでしたあせる

大永年間(1521~28年の間)、岩下城主の斎藤憲次が吾妻郡の覇者となります。

はじめは斎藤氏が宗主で、他の5家が家臣的な立場だったと思われますが・・・
次第に稲荷城の大野氏が勢力を拡大し、いつしか岩櫃城を居城とするようになっていました。
ある時、大野義衡が植栗元吉と争いになり、家臣の斎藤憲次に植栗氏討伐を命じました。
しかし、斎藤憲次は植栗元吉と親しかったため、植栗城討伐に見せ掛けて岩櫃城を攻めました。
突然攻められた岩櫃城はひとたまりもなく落城し、大野氏は滅びました。
斎藤憲次は岩櫃城へ移り、空いた岩下城には富沢基光が入りました。

1563年、岩櫃城が真田幸隆に攻め落とされました。

鎌原氏と羽尾氏の境界争いが飛び火し、武田家臣・真田幸隆が吾妻郡に攻め込んで来ました。
先に手を出したのは羽尾氏・斎藤氏でしたけどw

順番は・・・
①羽尾氏・斎藤氏が鎌原城を奪う
②鎌原氏・真田氏が鎌原城奪還後、羽尾氏の羽根尾城と長野原城も奪う
③羽尾氏・斎藤氏が羽根尾城と長野原城を奪還した際、武田家臣が討死
④武田信玄の命令により、真田幸隆が羽尾氏、斎藤氏を滅ぼしに掛かる
・・・といった感じです。

斎藤氏の居城・岩櫃城は、吾妻郡きっての堅城でした。
そのため、さすがの真田幸隆もはじめは和議を結びました。
しかし、その時に斎藤家中に調略を仕掛け、内応者を確保した所で再度城を包囲。
城の中から火の手が上がって門まで開けられては、さすがの堅城もひとたまりもありません。
この時に内応したのは、羽尾氏の舎弟だった海野兄弟、斎藤弥三郎等です。
岩下城主の富沢行連も、この内応に加わったため、戦後は所領を安堵されました。

廃城時期はわかりません。

岩下城を安堵された富沢氏は、真田家に仕えて活躍しました。
一族は吾妻郡内で岩井堂城、横尾八幡城、柏原城の城主となっています。
時代の荒波は多々ありましたが、富沢一族はそのまま沼田藩の藩士になっています。
そのため、1615年の一国一城令まではお城があったのではないかと思います。


参考サイト:『岩櫃城興亡史』


所在地:群馬県吾妻郡東吾妻町岩下

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