なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


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吹上城・折戸城は日進市立南小学校のある台地の先端部にありました。
訪問日は2014年8月4日です。

まずは吹上城から。

吹上城①交差点から上がる坂
▲交差点から坂を上がります

吹上城のあった場所には八幡神社があります。
そのすぐ東を県道57号が通っており、折戸寺脇交差点から左に曲がったら行けそう。
ということで、その交差点から西を見るとこの坂があります。

吹上城②坂を上がった所
▲坂を上がった所

割と緩めの坂道を登り切った所がココです。
確かに神社に着きましたが、なんだかやっぱり裏ですねあせる
梅森に続き、またしても裏側からの登城となりましたw

吹上城③八幡神社
▲八幡神社

ぐるっと回り込むと、こちらが神社の正面ですね。
城跡に古風な建物があると、ついつい往時を思い浮かべてしまいます。
当時私は居ませんから追憶などではなく、世間的には妄想と呼ばれる類のものです。

吹上城④凄い傾斜
▲南側はすごい傾斜

東から登った時はそうでもありませんでしたが、神社の前を辿るとこんな坂が。
坂の下に鳥居がありますから、やっぱりこちらが正面です。
やっぱりお城はこういう地形に築かれるものなんですね。

吹上城⑤城址碑
▲城址碑

さっき上から見下ろした階段は、途中に踊り場的な感じの所が見えたと思います。
上から見て左手の小さな平場に、この城址碑があります。
社殿の脇とかもうちょっと分かりやすい場所にあってもいいかな、とは思いますがw

城址碑には「折戸古城」と彫られています。
「吹上城」だと思ってココに来ましたので、ちょっと面食らいました。
城の変遷としては先にココに城を構え、後に台地の上に移動しています。
その台地上のお城が「折戸城」なので、その前身ということなのでしょうね。

続いて折戸城へ。

折戸城①南小学校
▲折戸城は小学校の南側

今度はちょっと西に移動して、折戸城のあったとされる場所へ。
折戸城は吹上城から150m程西の、小学校の南側にあったとされます。
小学校自体もかなり広い平地が必要なので、そこが城跡じゃないのか?なんて思います。

折戸城②日進市南部福祉会館
▲日進市南部福祉会館

小学校の正面左手にちょっと盛り上がった所があり、そこに建物が建っています。
地形としては、だだっ広い平地にちょこんと盛り上がった感じになっています。
城主様の御屋敷を建てるならここじゃないかな~なんて思います。

折戸城③更地
▲福祉会館の真正面にある更地

城跡があったとされる小学校の南側です。
かなり広い平地です!
遺構は無いらしいのですが・・・手前に盛られた土は違いますよね?あせる


◆歴史◆

城主の丹羽氏は、足利一門の一色氏庶流とされます。
一色氏は三河国吉良荘一色を本貫地とし、室町幕府では四職筆頭でした。
1391年の明徳の乱では幕府方として戦い、その功により一色詮範が尾張守護となりました。
この頃に尾張国丹羽郡に入った一色氏明が、丹羽姓を名乗るようになりました。

1471年、丹羽氏従により吹上城が築かれました。

丹羽氏従は丹羽氏明から4代めの子孫だそうです。
経緯は不明ですが、丹羽郡から当地に移って吹上城を築きました。

当時は応仁の乱の真っ最中で、一色氏は西軍として各地で戦っていました。
尾張では斯波義敏・織田敏定が東軍、斯波義廉・織田敏広が西軍でした。
彼らと何かしら連携があったのはどうかはわかりませんが・・・
これまで両織田家の内紛を散々調べていて、一色氏の名前が全く出てきませんでした。
こちら方面では知多郡の分郡守護・一色義遠が、三河守護の細川成之と戦っていました。

応仁の乱は、具体的にどこで誰と誰が戦ったと特定できるものではないようです。
尾張では斯波氏と織田氏がそれぞれの利害関係で結びつき、二重の家督争いをしていました。
また、一色氏は本拠地・丹後の隣国・若狭の守護・武田氏との戦いがメインでした。
一色氏はかつて守護だった三河の奪回も狙っており、尾張の知多郡から侵攻していました。

こうして見ると、斯波・織田家と一色家とで、丹羽郡の地理的利害が一致しそうな感じです。
推測ですが、丹羽郡と岩崎郷とで領地を交換したのではないかと思います。

丹羽氏員が折戸城を築き移りました。

丹羽氏従の子・氏員が、吹上城から100m程西に折戸城を築き、居城を移しました。
とはいえ、すぐお隣という距離なので、城域を拡張したのではないかと思います。
時期は不明ですが、本郷城を築いて移る1503年までの間です。
八幡神社の縁起には、1472年に丹羽氏従が造営したと書かれています。
もし今の形で神社が出来たとすると、折戸城の築城は丹羽氏従によるものということですね。

折戸城や丹羽氏従・氏員の事跡がサッパリなので、周囲の出来事を列挙すると・・・

1471年、三河国岩津城主・松平信光が安祥城を攻略し、西三河で勢力を拡大。
1478年、応仁の乱で戦っていた一色義直が細川成之と和睦し、三河国と知多郡を放棄。
     ただし、細川成之も三河守護を解任され、新たな守護が置かれず群雄割拠状態に。
1494年、今川氏親が斯波義良(=義寛)の領国・遠江へ侵攻を開始。
1501年、三河安祥城主・松平長親が、今川軍の伊勢盛時(北条早雲)の大軍を撃退。

1503年、廃城となりました。

丹羽氏員が本郷城を築いて本拠を移したため、廃城となりました。
本拠移転の理由や経緯なども一切わからず・・・
本郷城は平城であり、篭城するような堅固な感じではありません。
丹羽氏の勢力拡大によるものと思われます。


所在地:愛知県日進市折戸

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