なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
羽黒城は堀や土塁などがあり、とても見応えがありました。
訪問日は2014年8月2日です。

羽黒城/①案内
▲案内が出ています

羽黒城はちょっと住宅街に入り込んだ所にあります。
近くまで行けばですが、こんな感じで案内が出ています。
アパートの奥にあるので、この案内が無かったら絶対辿り着きません。

羽黒城/②土塁
▲土塁

早速ですが、土塁ですw
案内のすぐ左脇にあります。
わざとこんな風に撮ってますが、バッチリ見えますのでご安心下さい。

羽黒城/③駐車場
▲駐車場

案内に従ってアパート脇から奥に進むと、こんな感じで駐車場があります。
結構広いです。
駐車場の真ん中には立派な説明板があります合格

羽黒城/④復元模型の写真
▲模型の写真

説明板には復元模型の写真が載っています。
きっとどこか近くの資料館なんかにあるのでしょう。
あっても見に行かない性分ですが、現地にあるとチャッカリ撮りますw

羽黒城/⑤説明板
▲説明板

さらに、城跡への入口にもこのように説明板があります。
城内を巡る道は輪っか状にぐるっと1周する感じになっています。
とりあえず、いつも通り反時計回りで歩いて来ました。
・・・天邪鬼なんですあせる

羽黒城/⑥城址碑
▲城址碑

上の写真だと藪掻き分けて進むの?って感じますが、ちゃんと歩ける道があります。
ただ、御覧のとおりとっても緑が豊かなので、真夏はちょっと避けた方がいいです。
写真には写っていませんが、小蠅ちゃんに超モテモテでしたハートブレイク

この小蠅はメマトイと言うそうで、夏場に山城行くと頭の周りを飛び回ってウザイ奴です。
今年の夏に試して効果があったのは、眠気覚ましのミンティアでした。
ハッカの匂いが嫌いだというので、はぁぁぁ~っと息を吐くと居なくなりました。
小蠅でお悩みの方は是非試してみて下さい。

羽黒城/⑦堀
▲堀跡

さて、大した遺構も見当たらないな~なんて反対側に下りたらありました!
これどう見ても堀跡だろって感じの溝が!

羽黒城/⑧堀と城塁
▲堀と城塁

さらに元の駐車場に近づくにつれて、遺構はよりはっきりわかるようになりました。
駐車場からも見えていたのですが、そこは敢えて反時計回りにこだわってみたのです。
3番目の写真の赤いバイクの奥がここですから。
つくづくおいらはひねくれていますあせる


◆歴史◆

建仁年間(1201~4年の間)に梶原景親により築かれました。

梶原景親は鎌倉幕府草創期に活躍した、梶原景時の孫です。
景時は源頼朝の右腕として辣腕を振るったのですが、御家人からはとても嫌われていました。
1200年の正月、2代将軍・源頼家に御家人66名の連判状が出され、梶原景時は失脚しました。
そして一族を引き連れて上洛する途中、駿河国清見関で在地武士の襲撃を受けました。
近くの狐ヶ崎で壮絶な戦闘が繰り広げられた後、一族の殆どが討たれました。
この時戦闘に加わっていた吉川氏は、梶原氏との死闘の際に振るった刀を家宝としました。
現在に伝わる国宝で、その名も「狐ヶ崎」です。
ググって画像見ましたが、かなりカッチョイイ刀です。

調べててビックリ。
むか~し狐ヶ崎に住んでました。
でも、こんな話聞きませんでしたね。
日本史の授業で話してくれたら、もうちょっと早く歴史好きに目覚めたのにw
・・・おっとっと、ここは梶原一族に肩入れせにゃぁあせる

この時、梶原景時の次男・景高も討死しましたが、その子・豊丸は無事でした。
乳母のお隅の方は豊丸を連れ、自ら縁のあった羽黒へ逃れました。
そしてこの地で成長した豊丸は梶原景親と名乗るようになり、お城を築いたのだそうです。

戦国時代まで梶原氏が代々の居城としました。

鎌倉時代初期から戦国時代までスッ飛びます。
間がサッパリわからないのであせる
後に土佐一国の主となった山内一豊の母親が、羽黒城の梶原氏の出とされます。
山内一豊の父・盛豊は岩倉城の織田伊勢守家で家老を務めていました。
・・・ということは、そういう事ですよね。

最後の城主は梶原景久です。
梶原景久は織田信長に仕え、数々の戦に参戦しています。
1569年の伊勢大河原城攻め、翌年の摂津攻めと志賀の陣、1574年の長島一向一揆討伐など。
多くの有力武将が散ったこれらの戦いを生き抜いて来ました。
織田信忠を総大将とした甲州征伐では、木曽義昌の援軍を率いて勝利に貢献しました。
そして、1582年の本能寺の変で、織田信忠が討たれるとに殉死したとされます。
・・・とまぁ、わかったのはこれくらいですあせる

1584年、小牧・長久手の戦で陣が置かれました。

羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康が対立したこの戦で、去就が注目された人物が居ました。
それが織田信長の古くからの重臣であった池田恒興です。
羽柴秀吉は成り上がり者であり、その反発から織田信雄に味方すると思われていました。
しかし、徳川家康が清州城に到着したその日に、羽柴秀吉に味方することが判明しました。
池田恒興は犬山城に陣取ったため、一気に尾張が最前線となりました。
さらには森可成の嫡男・森長可も羽柴方となりました。

森長可は池田恒興よりも前に出て、羽黒に陣を敷いたそうです。
これに対して徳川軍は迅速に行動し、その翌朝早くに森長可隊に奇襲を掛けました。
森隊は後退し、犬山城と小牧山城の間に陣や砦が沢山作られ膠着状態となりました。
羽柴秀吉はその間に犬山城から楽田城へと前進しました。
この時に羽黒城も陣地として再構築されたと思われます。
守将には山内一豊と堀尾吉晴が入りました。
その後、長久手や蟹江、竹ヶ鼻城などで戦いがありましたが・・・
羽黒での戦いは無く、戦が終わると廃城となりました。


所在地:愛知県犬山市羽黒

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