なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
三塚城跡は住宅街となっており、まこと幼稚園に城址碑があります。
訪問日は2013年7月27日です。

三塚城/①まこと幼稚園
▲まこと幼稚園

三塚城の城址碑がまこと幼稚園前にあります。
住宅街のど真ん中なので場所がわかりづらいと思いきや・・・
この道は一方通行なので、それが目印となり、意外にもすんなり到着しました。

三塚城/②城址碑
▲城址碑

ただし、市街地の平城の宿命か、住宅街に呑み込まれ、遺構はまったくありません。
遺構どころか、地形にも「ここにお城があった!」なんて面影も無し。
それでも、城址碑があればおいらはお腹いっぱいです!


さてここからは完全に個人的な脱線ですが、私はココをたぶん一生忘れません。
それは、2013年夏休みの初日、ココでバイクが動かなくなりました。
原因は発電機故障によるバッテリー上がり・・・
これから一週間の夏休みがパーになるのかと途方に暮れたものでした。

でも、ピンチになるとワクワクするのが悪い癖。
JAF呼んで充電を繰り返しながら、近くにあった某大手バイクチェーン店に駆け込みました。
それから修理に丸一週間掛かると言われ、これまた近所でレンタカーを借りました。
この間のタイムロスが1時間半。
バイク修理とレンタカーで出費増となりましたが、一週間の城巡りを続行したのでした。


◆歴史◆

築城年は不明ですが、氏家直元(卜全)の家臣・種田兼久が城主でした。

西美濃三人衆の1人・氏家直元が大垣城主となったのが1559年です。
なので勝手な想像をすると、1559年以前からあったか、この時築城されたかだと思います。
種田兼久は信濃守を名乗っていました。

ちなみに種田兼久は1561年に加賀野城を攻略しています。
城主様の「種田」は「おいだ」と読み、大垣周辺では一般的なのだそうです。

1571年、氏家直元と種田兼久が討死しました。

織田信長による第一次長島攻めで、退却中に一揆勢の奇襲を受けました。
氏家直元は柴田勝家隊に属していましたが、しんがりの柴田勝家が負傷したため交代しました。
一揆勢の追撃は激しさを増し、石津郡太田郷安江村(海津市貝津町安江)で討死しました。
このため、氏家直元の嫡男・直昌が家督を継ぎました。

1583年、氏家直昌の弟・氏家行広が三塚城主となりました。

前年の本能寺の変後、氏家直昌は岐阜城主・織田信孝に仕えていました。
しかし、織田信孝が羽柴秀吉と対立するようになると、羽柴側に味方しました。
賤ヶ岳の戦いでの動向がわかりませんが・・・
岐阜城の織田信孝に備えたのか、当主・氏家直昌が危篤だったのか。
氏家直昌の命日がわからないので、前後関係がわかりません。

賤ヶ岳の戦いの後、大垣城は池田恒興が13万石で城主となりました。
氏家直昌が病没した後、氏家行広が家督を継ぎ、1万5千石で三塚城主となりました。

1590年、氏家行広が桑名へ移りました。

豊臣秀吉による小田原征伐で功を挙げ、氏家行広は桑名2万2千石へ加増移封しました。
その後の三塚城についてはサッパリわからず。
この時に廃城になったものと思われます。


所在地:岐阜県大垣市三塚町城田

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