なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


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北方城は揖斐川沿いにある小高い山の頂上にありました。
訪問日は2013年7月28日です。

揖斐北方城/①南からの遠景
▲南からの遠景

暑い盛りの夏休み。
テクテク登る山城は勿論パスですが・・・
山頂まで楽々登れる山城には行きました。
揖斐の北方城もそんな山城です。
当日は県道254号を南から北上。
揖斐川を渡る橋の手前から遠景を撮りました。
北方城はこの山のテッペンです。

揖斐北方城/②主郭入口にある城址碑
▲城址碑

麓には特に案内とかは無かった気がしますが・・・
地図見て「この辺だろ?」で曲がっていくと、うだうだ登る道に。
そのまま行ける所まで行くと、この城址碑がお出迎えしてくれます。

揖斐北方城/③主郭の様子
▲主郭の様子

車を停めてちょっとだけ歩くと、もうそこは主郭。
開けた山の上からは、大垣の町並みが見渡せました。
ここは古いお城のようなので、これといった遺構は無し。
敢えて言えば、平らに削った山頂が郭の跡という感じです。

揖斐北方城/④小さな城址碑
▲小さな城址碑

そんな主郭をウロウロしていたら見つけました!
小さな城址碑!
こっそりあったので、お宝発見(☆∀☆)な気分を味わえました!

揖斐北方城/⑤説明板
▲北側の登城路にある説明板

さて、あとは特に無いのでサッサと次へ、で山を下りましたが・・・
道を間違えたことが幸いして、写真の板を見つけました!
地図に登城路を線で入れましたが、登ったのが南側、下ったのは北側の道です。
道間違えてすらお土産見つけるこの運の強さ。
城キチなら備えておきたい資質かもwww


◆歴史(サッパリw)◆

建武・延元年間(1334~39年)、吉田休三により築かれました。

吉田休三は安八郡内(大垣市)にも北方城(吉田城)を築いたとされます。
それだけかと思いきや、本巣の北方城を戦国時代に築いた事になっており・・・
時代も場所もバラバラなので、おそらく大昔から「北方城」は混乱があったのでしょう。
調べたサイトの中には、「本巣市」なのに「揖斐川沿い」と書いてあった所もありました。
(本巣市には揖斐川は流れていません)

・・・と言う訳で、吉田休三でわかった事は、
①南北朝時代に南朝方として活動していた。
②3つの北方城を築いたと伝わっている。
ことぐらいです。
3つの「北方城」は地理的に近いので、時代さえ合っていれば有り得なくもないですが。

1542?~52年の間、土岐頼芸が篭ったかもしれません。

土岐頼芸をWikipediaで調べると、揖斐北方城に拠ったと書かれていました。
これは、斎藤利政(道三)との争いで一度尾張へ追放された後、ここに戻ったというものです。
ただ、揖斐も含めてと4つの「北方城」を調べましたが、土岐頼芸の事は全く出てこないのです。
たぶん誰も書かないから、コピペできないんだろうとは思いますがw

じゃあ、土岐頼芸はどの「北方城」に拠ったんだろう?と勝手に想像してみました。

斎藤利政(道三)が美濃守護・土岐頼芸を追放したのが1541年です。
土岐頼芸は追放された先の尾張・織田信秀と、越前・朝倉孝景に助けを乞いました。
要請に応じた両家が1542年に美濃に侵攻したため、土岐頼芸は美濃に居場所を確保しました。
それが「北方城」です。
この時に革手城には兄の子・土岐頼純が入りました。
革手城は岐阜市内にある平城です。

さて「北方城」ですが、候補は4つあります。

①揖斐北方城(ココ)
揖斐北方城は南北朝時代に吉田休三が築いたとされます。
その後の歴史は不明ですが、山頂を削平した簡素な造りに見えます。
戦国時代に誰かが居城したという記事が無いのが気になりますが・・・

②本巣北方城
本巣の北方城は、明応年間(1492~1501年の間)に、伊賀光就が築いたとされます。
伊賀氏は土岐氏に仕え、曾孫の安藤守就の代まで続きました。
安藤守就は土岐頼芸が追放されてから斎藤道三に仕えたので、有力候補と言えます。

③西保城 別名が「北方城」
西保城は不破氏の居城でした。
応仁の乱で活躍した不破小太郎の子・道広が西保城を築いて居城としました。
時代的には存在しており、当時の当主・不破光治は西美濃三人衆と行動を共にしていました。

④吉田城 別名が「北方城」
吉田城は『土岐斉藤軍記』に「安八郡三津屋北方城主、吉田久ぞう」の記載があります。
ただし、それは1567年の事だそうで、土岐頼芸が美濃を追放された後の記述です。

こうして見ると、揖斐北方城と本巣北方城が有力で、西保城もアリといった感じでしょうか。

1547年、事態が大きく動きました。
9月に尾張の織田信秀が斎藤利政の居城・稲葉山城を攻めました。
しかし、斎藤軍の返り討ちに遭って壊滅的な敗北を喫しました。

11月には革手城の土岐頼純が病死しました。
おそらく頼純の配下は頼芸方でなく斎藤方に流れたと思われます。

1548年、この情勢を受けてか、織田信秀が斎藤利政と和睦しました。
この時に織田信長に帰蝶が嫁ぎました。

この年、織田軍の支援が無くなり土岐方の重鎮・揖斐氏と長屋氏が斎藤軍に滅ぼされました。

1552年、土岐頼芸が再び尾張に追放されました。

これにより斎藤利政が美濃を完全に掌握しました。
そして、この2年後に隠居して家督を斎藤義龍に譲り、道三と号するようになりました。
斎藤道三の余生は余りに激し過ぎますが・・・
いずれまたw


所在地:岐阜県揖斐郡揖斐川町北方

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