なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
西高木家陣屋は関ヶ原ICから南に下った所にあります。
訪問日は2013年7月27日です。

ここは2013年の夏休みで最初に訪問した城跡です!
明け方に雷雨があり、近くの神社で雨宿りしたのをよく覚えています。
さて、大垣市言うともっと東のイメージがありますが、ここは関ヶ原のすぐ隣町です。
Wikipediaによると養老郡上石津町が大垣市と合併したそうで、飛び地となっています

西高木家陣屋/②石垣
▲石垣

関ヶ原ICから国道365号を南下し、上原交差点を右折します。
そして橋を渡って河岸の断崖を登った先に西高木陣屋があります。

最初に道の正面に見えるのがこの石垣です。
現代モノとは違う、昔ながらの石垣はやっぱり違いますね!
丁度カーブの真正面にあるので、壁のように見えて圧倒されます。

西高木家陣屋/③門跡
▲埋み門の石垣

そのカーブの右側(北側)にも石垣があります。
これが埋み門跡の石垣で、旧状をよく留めています。

西高木家陣屋/①陣屋門
▲陣屋門

坂を登り切った所には資料館があり、その奥まった所にこの門があります。
位置的には最初の写真の石垣の真上にあります。
西高木陣屋の建物としては唯一現存する建物ですが、元々は別の場所にあったそうです。
門の裏側は入れなさそうだったので、見ていません。


上石津郷土資料館
・所在地 :岐阜県大垣市上石津町宮237-1
・開館時間:9:30~17:00
・休館日 :毎週火曜日。火曜日が祝日の場合はその翌日。
       祝日の翌日(詳しくはリンク先参照)。
       年末年始(12月29日~1月3日)
・入館料 :100円


◆歴史◆

1600年、関一政により多羅城が築かれました。

関一政は関盛信の次男です。
関ヶ原の戦いではじめは西軍でしたが、東軍に寝返って多羅の地を与えられました。
この時に築いたのが多羅城で、西高木陣屋の前身となります。

素朴な疑問ですが、その前の領主は誰だったのでしょう?
西高木陣屋でググると、大抵高木氏の事がメインで書かれています。
その高木氏は1590年の織田信雄改易でとばっちりを喰らい、甲斐で蟄居となりました。

高木氏が本拠としていた駒野城は、関ヶ原の戦いまで高木盛兼が城主のままで居ます。
高木氏には幾通りかの家系があり、織田信雄派だけが改易されたのかもしれませんね。

1601年、高木貞利が城主となります。

関一政が関氏の故地・伊勢亀山へ移り、高木貞利ら兄弟に石津郡3000石が与えられました。
関ヶ原の戦いでは駒野城の高木盛兼は西軍に味方しましたが、高木貞利は東軍でした。
やはり同族の別系統と考えるのが自然ですね。

高木氏は同地で三家に別れてそれぞれ陣屋を構えました。
その配置により北高木家、西高木家、東高木家として区別されます。
西高木家はその後加増を受け、大名格として三家交代での参勤交代を行うようになりました。
(交代寄合と呼ぶのだそうです)

じゃあ、北と東の高木家はどこに陣屋を構えたの?と気になりました。
当時は「多羅城跡」という認識で訪ね、見てきたのが西高木家の陣屋だけだったのです。
北高木家は主に埋め門の北、東高木家は坂を下った東側に陣屋を構えました。
それぞれ残っている遺構は、北高木家が石垣、その隣に東高木家の土蔵があります。
・・・これらは見てないので、正確な位置等は別のサイトを参照下さいあせる


所在地:岐阜県大垣市上石津町

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