なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
せっかく迷子委員会を立ち上げたので、最近迷子になった所をアップします。
まだおととしの夏休みに行った所を書き切ってませんが・・・あせる
まぁ、その内に書きますw

まず1発目は、最近行った群馬の横尾八幡城です。
訪問日は2014年4月13日です。
行く前に色々参考にさせて頂いたのですが・・・
横尾交差点から県道に入る所までは皆さん共通しています。

問題は「どこから山に入るか」の1点。
辿りついた諸兄は一生懸命文章で説明して下さるのですが・・・

私もご他聞に漏れず、あっちでもない、こっちでもないで迷子にあせる
挙句の果てに、迷い込んだ山中で「横尾八幡跡」なる石碑を発見!
すっかりそこを城跡では?なんて変なこじつけで次へ行きそうになりました。
ぜんぜん様子が違ったので思い留まって、また探し直しましたが。


まずは国道145号上り方向から横尾交差点を左折し、県道に入ります。
ハイ、ここはすんなりクリア。

次に、左へ入っていく道ですが・・・
ここって左斜めに入っていく道が沢山あるんです。
それが文章では伝わらない最大の要因ですが・・・

横尾八幡城01/県道からの入口

ココから左斜めに入ります^^

横尾八幡城02/登城口?

さらに混乱に拍車を掛けているのが「未舗装の道」
今は白いセメントで城跡の前までは舗装されています。
写真では見えにくいのですが、家の手前に左に入る道があります。
この道を車で上がれなくはないのですが・・・
ボコボコな上にかなりの傾斜なので、県道に路駐することをオススメします。

横尾八幡城03/途中には墓地が数箇所

さて、この「元」未舗装の急坂を登っていると、脇に墓地があります。
こんな感じのが数箇所あるのですが・・・
なんだか曲輪に見えませんか?
曲輪に見える方は青いボタンを押して下さい!www
(独り言なのでスルーして下さい)

横尾八幡城04/入口

結構急な坂道を息を切らしながら登りました。
あちこち迷い込んだ後で、ココが当たりだという保証も無かったのですが。

横尾八幡城/城址入口

でも!
ココに辿り着いたらそれまでのトホホもぶっ飛びました。
はっきり「←横尾八幡城址」って書いてありますヽ(´∀`)ノ

横尾八幡城05/主郭

念願叶って辿り着いた城跡でしたが・・・
主郭は草が刈られて、辛うじて主郭を囲む土塁は見えてますヽ(´∀`)ノ
あとは・・・全体的に藪に覆われていてよくわかりませんでしたあせる

※地図が表示されなくなっていたため、再度upし直しましたm(_ _)m
横尾八幡城_map
大きな地図を表示

他の方が載せられている説明板ですが、おいらは見つけられませんでしたT_T
後からよくよく読むと、県道を更に進んだ所にあるそうな。
さらに、説明板の所から山側に入り、途中で道が分かれて左へ進むそうで。
・・・ということは、おいらの登った道は、その北にある破線の道とつながってそうですね!


◆歴史◆

大永年間(1521~28年の間)に尻高三河守により築かれました。

この頃、斎藤一族で内紛がありました。
当時は斎藤氏庶流・大野義衡が吾妻郡一帯を支配していました。
大野義衡は植栗河内守と対立し、斎藤氏嫡流で家臣の斎藤憲次に植栗討伐を命じました。
しかし、斎藤憲次は植栗河内守とともに大野氏の居城・岩櫃城を攻め落としたのです。
尻高氏も斎藤一族であり、この時に斎藤憲次に従いました。

地理的に見ると植栗城は岩櫃城の東にあり、横尾八幡城はそのすぐ北にあります。
おそらくですが、大野義衡が尻高三河守に命じて築かせたものと思われます。

1561年、真田幸隆が西上野に侵攻を開始しました。
1563年、真田幸隆が斎藤憲広の本拠・岩櫃城を攻め落としました。
1565年、真田幸隆が嵩山城を攻め落とし、斎藤氏は滅びました。
1567年、真田幸隆が白井城を攻め落としました。

この年、厩橋城の北条高広が上杉方から後北条方に寝返りました。
真田幸隆の動きはそれと連動したものと思われます。
この時は上杉輝虎がすぐに関東に出兵し、白井城・厩橋城ともに奪回しています。
尻高氏は斎藤氏滅亡後も白井長尾氏に従って真田氏に抵抗を続けていました。

1574年、真田幸隆が死去。
同年、真田昌幸が尻高城を攻め落としました。

この頃までには真田氏の城になったものと思われます。

1580年、真田昌幸配下の富沢豊前守が配置されました。

富沢豊前守はとても勇猛な武将だったそうです。
斎藤氏の一族であり、岩櫃城攻略の際に真田氏に従いました。
以後の真田氏による吾妻郡侵攻では中心的役割を果たしたそうです。

1582年3月、武田勝頼が天目山で自刃し滅亡。
1582年6月、本能寺の変で織田信長が自刃。

武田勝頼を滅ぼしてその領地を得た織田信長が、そのわずか3ヵ月後に横死しました。
そのため、織田氏による支配の日が浅い武田氏遺領が無主状態となりました。
この混乱に乗じて切り取り放題を演じたのが周囲の北条氏、徳川氏、上杉氏でした。
(天正壬午の乱と呼ばれています)
真田昌幸はこの機に武田旧臣を取り込み、吾妻郡でもしっかり地固めをしました。

自領をしっかり固めた上で、真田昌幸はすごい事をやってのけました。
上杉→北条→徳川→上杉→徳川→上杉と主を換えました。
沼田の地を巡って、大大名三家を手玉にとったのでした。

1585年、徳川家康が真田昌幸の上田城を攻めましたが、撃退されました。

世に言う第一次上田合戦です。
この戦での勝利を機に、真田昌幸は独立しました。

1589年、横尾八幡城で北条軍を撃退しました。

猪俣邦憲が名胡桃城を攻め落とした後、北条氏邦は岩櫃城も攻めました。
この時に北条方の富永助重率いる300騎が横尾八幡城に攻め寄せました。
城方は富沢豊前守を中心に守り、北条軍を撃退しました。

1590年、後北条氏が豊臣秀吉により滅ぼされました。

後北条氏の遺領には徳川家康が移されました。
真田信幸は徳川家康の配下となっており、この頃役割を終えて廃城になったと思われます。


所在地:群馬県吾妻郡中之条町横尾

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