なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
後瀬山城は小浜を一望する山上にありました。
訪問日は2012年8月5日です。
後瀬山城/01登城口
▲登城口

後瀬山城への登城口は、国道27号のトンネル脇にあります。
何となく公民館のような所があり、その反対側に鳥居があります。
この鳥居をくぐって階段を登っていきます。

後瀬山城/02実測縄張図
▲登城口にある実測縄張図

登城口から見える所に立派な説明板があります。
そこには実測の縄張図がヽ(´∀`)ノ
立体的で、何だか山1つ征服した気分になります。
これを見てると、竪堀がかなりありますね!
・・・今はそう思うのですが、当時は (((´・ω・`)

後瀬山城/03主郭手前の石段
▲主郭手前の石段

登城路は、はじめは線路の枕木でできた階段が続き、その内普通の山道になります。
途中何箇所か曲輪跡の広場があり、主郭手前には石段があります。
・・・ということで、途中かなりはしょっていきなり主郭付近の写真ですあせる

後瀬山城/04武田氏城址碑

後瀬山城/05主郭跡にある神社
▲主郭の石垣

主郭はかなり広く、随所に石垣が残されています。
石垣を見に近寄ったら、小さな「武田氏城址」の碑がありました。
当時のおいらは石垣が無ければ登ることも無かったと思います。


◆歴史◆

1522年、武田元光により築かれました。

武田元光は1519年に家督を継ぎ、領国支配強化のため若狭に下向しました。
・・・ということで、それまで若狭守護の武田氏は京に居ました。
武田元光は幕府管領・細川氏の内紛に関与し、細川高国派として細川晴元派と戦いました。
1539年に子の武田信豊に家督を譲って、麓の居館で隠居しました。

1568年、朝倉義景が武田元明を一乗谷へ連れ去りました。

この頃の若狭では、東西で逸見昌経と粟屋勝久が乱を起こしていました。
朝倉義景は1563年から武田義統の要請を受けて援軍を送っていました。
武田義統が没してまだ幼い武田元明が家督を継いだことで、若狭の乗っ取りを図ったのです。
朝倉義景は武田義統の弟・武田信方に若狭統治を命じました。

1573年、丹羽長秀が城主となりました。

織田信長が越前の朝倉義景を滅ぼしました。
朝倉義景の後ろ盾で若狭を治めていた武田信方が逃げたため、丹羽長秀が領主となりました。
丹羽長秀は後瀬山城を石垣と天守を備えた城に大改修しました。

1585年、丹羽長重が城主となりました。

丹羽長秀は柴田勝家が滅亡後、越前と加賀2郡を与えられて123万石の大身となりました。
しかし、持病の胃癌により、2年後には壮絶な最期を遂げました。
丹羽氏の家督は、丹羽長重が継ぎました。
この時から豊臣秀吉による丹羽氏の勢力削減が開始されました。
この時は佐々成政討伐で丹羽軍中に佐々側に内応した者が居た、と難癖をつけられました。
これにより越前と加賀2郡が召し上げられ、若狭一国16万石にまで削減されました。

1587年、浅野長政が城主となりました。

丹羽長重は豊臣秀吉から難癖をつけられて、どんどん勢力を削られました。
この時は九州征伐の際に狼藉を働いた者が居たとされ、加賀小松4万石へ移されました。

浅野長政は豊臣秀吉の身内で、行政手腕に長け、太閤検地を実施しました。
また、九州征伐でも抜群の手柄を立てたため、若狭一国を与えられました。

1593年、木下勝俊が城主となりました。

浅野長政が朝鮮での活躍により、甲斐甲府21万石へ移りました。
木下勝俊は豊臣秀吉の正室・ねねの兄の子で、小早川秀秋の兄です。
軍人としてよりも、歌人としての才能に長けていました。
その作風は松尾芭蕉にも影響を与えたとされています。

1601年、京極高次が城主となりました。

木下勝俊が関が原の戦いで勝手に伏見城を退去したため、領地を召し上げられました。
代わって大津城で西軍を釘付けにして東軍の勝利に貢献した京極高次が城主となりました。
京極高次は小浜城の築城を開始しましたが、小浜城が完成するまで40年かかっています。
それまで若狭の領主は、後瀬山城を居城としました。

1634年、酒井忠勝が城主となりました。

京極忠高が出雲松江に移り、酒井忠勝が若狭小浜藩主となりました。
小浜城の工事はまだ続いており、この時に完成していたのは天守台と石垣まででした。
酒井忠勝は小浜城の縄張りを変更しつつ、築城を継続しました。
酒井忠勝は徳川家康の再従兄弟(はとこ)で、後北条氏討伐後に3千石を与えられました。
その後、トントン拍子に出世して、小浜12万3千石を領する大老にまで上り詰めました。

1641年、廃城となりました。

小浜城がある程度完成したため、藩主が小浜城に入りました。
そのため後瀬山城は役割を終えて廃城となりました。
しかし、城の縄張りや石垣等はそのまま残されていました。
酒井忠勝は有事の際の詰めの城に後瀬山城を使おうとしていたからだとされています。
・・・ということで、後瀬山城の保存状態はとても良いです。


所在地:福井県小浜市伏原

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