なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
勝山城跡には現在、勝山市役所と市民会館があります。
そちらは見に行ってませんが・・・あせる
訪問日は2008年3月23日です。

勝山城/01博物館

勝山城/02博物館
▲勝山城博物館

福井の「勝山城」というと、圧倒的にこちらが注目されますね。
とっても立派な「建物」ですが、城キチ的にはちと不自然。
だって、田んぼのド真ん中にいきなり天守がwww

・・・などと言いつつ、ヤラレちゃったおいらです。
この「建物」は勝山城博物館で、高さ57.8mは「城郭建築」としては日本一です。
姫路城と名古屋城を足して2で割った感じがしますね。

本来の勝山城跡には現在、市役所と市民会館があります。
ほんの40年前までは天守台などが残っていたそうですが・・・
今は市民会館に城址碑があるだけです。
この城址碑は天守台のあった場所にあるそうです。
また北陸旅をする機会があったら、ぜひとも立ち寄りたい所です。


◆歴史(一部推測もあります)◆

1580年、柴田勝安により勝山城が築かれました。

柴田勝安は柴田勝家の養子で、佐久間信盛の弟です。
柴田勝家は母の兄か弟なので、甥っ子に当たるんですね。
とても武勇に優れていたそうで、越前平定で大活躍しました。
しかし、1583年の賤ヶ岳の戦で討死しました。
以後、越前は丹羽長秀の領国となりました。

1585年、丹羽長秀の没後、越前は3分割されました。

丹羽長秀の後を丹羽長重が継ぎましたが・・・豊臣秀吉により削られました。
丹羽長秀は織田家中では四天王の1人にも数えられ、晩年の所領は123万石に及びました。
それだけに、豊臣秀吉は警戒したのですね。

堀秀政に北ノ庄、木村重茲に越前府中、長谷川秀一には越前東郷が与えられました。
勝山は誰が支配したのか明記した物が見つからなかったのですが・・・
堀秀政の与力として加賀小松の村上義明と大聖寺の溝口秀勝が付けられています。
勝山は北ノ庄と加賀の間にあるので、堀秀政の勢力圏になったのかもしれません。

1598年、堀秀治が越後へ移り、青木一矩が北ノ庄城主となりました。

青木一矩は出自がわかりませんが・・・どうなんでしょう?
豊臣秀吉に仕えてトントン拍子に出世したようです。
豊臣秀吉は晩年に側近達に所領を沢山与えています。
関が原の戦いでも西軍に味方しているので、城持ちの大名ではなかったのかもしれません。

1601年、結城秀康の勢力圏となりました。

ここからは割と歴史がはっきりしてきます。
結城秀康は・・・有名だからいいですよねあせる

1624年、松平直基が勝山藩の藩主になりました。

この直前、福井藩主・松平忠直が改易されました。
松平忠基は結城秀康の嫡男でしたが・・・
参勤交代をサボったり、家臣を討ったりとご乱行が続いたためだそうです。
それでも切腹ではなく、豊後への流罪となりました。

この後は結城秀康の次男・忠昌が福井藩を継ぎ、5つの支藩が出来ました。
その1つが勝山藩で、結城秀康の5男・結城直基が藩主となりました。
この頃はまだ結城姓を名乗っていましたが、3年後に松平姓に復姓しました。

1644年、松平直良が移封となり、廃城となりました。

松平直基が大野藩へ加増移封の後、弟の松平直良が藩主を務めていました。
しかし、その松平直良が大野藩へ加増移封となり、勝山藩は福井藩預かりとなりました。
そのため政庁が不要となり、勝山城は一度廃城となりました。
その後、勝山の地は幕府の天領になりました。

1691年、小笠原貞信が勝山藩主となりました。

小笠原貞信は移封と大坂在番で出費がかさみ・・・
年貢を吊り上げて賄いましたが、農民の逃散や江戸越訴を招きました。
そのため、年貢減免要求を呑まざるを得なくなり、藩の財政は苦しいままでした。
さらに・・・隠居後も実権を握ったため藩政は大混乱。
史家からは「暗君」と評価されているそうです。

1708年、勝山城の再建許可が下り、7代藩主・小笠原長貴の代に完成しました。

小笠原長貴が藩主になったのが1799年ですから・・・1世紀近くかかってますね。
勝山藩は相変わらず財政が厳しいままで、天保の頃は飢饉もありました。
この頃には勝山城下や江戸藩邸も火事で焼けるなど多難続き。
更に、1822年には勝山城自体が火災で焼失し、4年後に再建されています。
きっと何か憑いてますねw

明治時代、廃城となり、城の建物は取り壊されました。

廃城になった後、建物などは競売に掛けられたそうです。
そして、城跡は本丸の堀と天守台を除いて平地にされました。
まさに、売れるものは何でも売ったという感じですね。
財政事情を考えれば仕方の無いことでしたが。

1954年、市役所建設の際に堀が埋め立てられました。
1967年、市民会館建設の際に天守台が破壊されました。


この頃はまた、日本全国で貴重な遺構が沢山消えた時代ですね。
さも懐かしそうに語りますが、おいらはまだ生まれていませんw

1992年、勝山城博物館が建てられました。

もちろん、往時の勝山城とは位置も形も異なります。
もしこんな立派な天守があったら、勝山藩はあっさり破綻したでしょうねw
この立派な城郭風建築物は、勝山出身のタクシー会社の社長さんが建てたそうです。
この社長さんは勝山城博物館の他にも清大寺も建てています。
こちらには奈良の大仏よりもデカイ越前大仏、東寺よりも高い五重塔があります。
スケールだけなら日本一がゾロゾロあるのですが・・・
このお寺は税金が払えず、競売に掛けられているんだそうですあせる


所在地:福井県勝山市元町1丁目(勝山城博物館は平泉寺町平泉寺)

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