なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
柏原城跡は清滝寺徳浄院となっています。
訪問日は2012年8月4日です。

柏原城/01石垣と櫓
▲清瀧寺の周囲

柏原の宿場からちょっと山に入った所に柏原城はありました。
ここは京極氏信の居館の跡で、その裏山が詰めの城でした。
・・・と知ったのはついさっきです(爆)
城跡に築かれたせいか、石垣といい塀といい櫓といい、何ともいい雰囲気です合格
石の積み方が戦国後期っぽいので、江戸時代の補修の際に築かれたものかもしれません。

柏原城/02城址碑
▲城址石柱

柏原城/03説明板
▲説明板

この石垣の手前の角に小さく見えるのが、城址の石柱です。
こんなちっぽけなのでも、城キチ的にはキタ━━(゚∀゚)━━>>と実感できて嬉しいです合格
そして、山門の前には立派な説明板があります。
もう少しお城についても書いて欲しい気もしますが・・・
お城だった頃の事ってあんまりわかってないので、仕方がないですね┐(´∀`)┌


◆歴史◆

柏原城は築城年代はわかっていません。
鎌倉時代初め頃は柏原為永が居城としていました。

1200年、後鳥羽上皇は佐々木定綱に柏原為永の追討を命じました。
1201年、佐々木定綱は柏原為永を滅ぼし、その功として柏原城が与えられました。

柏原為永は村上源氏の末裔です。
勅命を違えることが多かったという理由で討伐されました。
上皇に利用され、捨てられたという事でしょうか?
柏原為永は追討令が出された事を知ると逃亡しました。
しかし、約半年後には佐々木定綱に見つかり、滅ぼされました。

1221年、承久の乱により佐々木定綱が斬首されました。

承久の乱は、後鳥羽上皇が鎌倉幕府倒幕の挙兵をした乱です。
この時、京周辺の武士は半ば強引に上皇方に引き込まれました。
有名どころでは、京都守護だった大江親広も失脚しています。

家督は佐々木定綱の弟で、4男の佐々木信綱が継ぎました。
佐々木信綱は関東におり、承久の乱では鎌倉幕府方として戦いました。
本領・近江に戻った信綱は、幕府中枢で辣腕を奮いました。

1242年、近江佐々木家が分割されました。

佐々木信綱が権力を持ち過ぎるのを警戒したのが北条得宗家でした。
そこで、佐々木信綱没後の家督相続に介入し、3男の泰綱に家督を継がせました。
これは嫡男と次男の母が川崎氏出身なのに対し、3男と4男の母が北条氏出身だったのです。
これにより近江国は4分割されますが、3男と4男でほぼ半々とされました。
この3男が六角氏の祖・泰綱、4男が京極氏の祖・氏信です。
京極氏の初代となった京極氏信は、柏原城を居城としました。

1283年、柏原城を拡充して清瀧寺を創建しました。

この年に京極氏信は近江守に任命されました。
そのため近江屋形と呼ばれた太平寺城へ居城を移したと思われます。
太平寺城は伊吹山の西の中腹にあり、近江国を一望できる場所にありました。
京極氏信は柏原城のあった場所に、京極氏の菩提寺として清瀧寺を建立しました。
これが柏原城の一部なのか全部なのかはわかりませんが・・・
その後も京極氏は居城を転々と変えますが、近江を一望出来る場所を選んでいます。


所在地:滋賀県米原市清滝

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