なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
竜ヶ谷城(毛呂山)は、鶴ヶ島ゴルフ倶楽部の中にあります。
訪問日は2013年11月30日です。

埼玉には私が知る限り、3つの「龍(竜)ヶ谷城」があります。
今回はその3発め、「毛呂山」です。

竜ヶ谷城(毛呂山)/雷電神社案内
▲道沿いにある雷電神社の案内

竜ヶ谷城(毛呂山)/雷電神社への入口
▲雷電神社への入口

竜ヶ谷城へは城跡への案内が全く無いので、雷電神社を目指します。
雷電神社は竜ヶ谷城の主郭跡にあります。
ここから先はゴルフ場の敷地だよな~なんてバイクをここに置いて行きましたが・・・
乗ったまま進んでも良かったみたいです。
先に書いちゃうと、雷電神社の社務所に駐車場があったので。

竜ヶ谷城(毛呂山)/ゴルフ場の警告文
▲道の真正面にある警告看板

竜ヶ谷城(毛呂山)/ゴルフ場のゲート
▲道を遮る鉄のゲート

でも、小心者の私を十分ビビらせたのが上の2つ。
1つは、道の途中にあった看板。
不法侵入って・・・確かにゴルフ場の中を通るしなぁ~
そして、敷地入口にある鉄のゲート。
錠こそ掛かっていませんが、ただ手で押しただけでは開かないようになっています。
・・・だったらこんな所にゴルフ場造るなよ~w
と心の中で呟きながら、雷電神社に行くんだ文句あっか~!ってな感じでゲートを開けます。
目の前でプレーしてる人居たので「すみませ~ん」みたいな感じで入りましたけどあせる

竜ヶ谷城(毛呂山)/ゴルフ場を横切る
▲ゲート左側には雷電神社への案内があります

ゲートを空けて左側を見ると、雷電神社への案内矢印がすぐに右を指していました。
でも、車の方はまっすぐ進んで、右へ行ける所は右へ曲がって下さい。
ゴルフ場の敷地内ではありますが、これれっきとした県道なんです^-^;

竜ヶ谷城(毛呂山)/雷電神社鳥居
▲雷電神社社務所のすぐ下にある鳥居

麓にバイクを置いて徒歩だった私は、矢印の指し示すがままに進みました。
最初は緩かった坂道でしたが、次第にキツクなって階段に。
山でも階段登るのはしんどいもので・・・
大した高さではありませんでしたが、結構息上がってました。
そこで現れた写真の鳥居。
おし!着いた!と喜んだのも束の間。
建物はどう見ても社殿ではなく、しかもその脇に更に上に続く階段が。
HPあとちょっとしか無いよ・・・w

竜ヶ谷城(毛呂山)/雷電神社社殿
▲雷電神社社殿

しかし、トドメの階段は短くて、すぐに社殿が見えてきました。
ついに主郭に到着です。
今まで見てきた山城と同じように、主郭の中でも段差がありました。
社殿のある所が一段高くなっています。

ただ、この城全体に言えることですが、他の山城で見られるような堀切や土塁がありません。
あるのは、明確に削平されて区画された郭だけです。
何も無いよりはいいんですけどね。

竜ヶ谷城(毛呂山)/主郭からの眺め
▲主郭からの眺め

そして、山城での楽しみの一つはこの眺めです。
木が生い茂っていて全く眺望が利かない山城もありますが・・・
遠くまで見渡していると、使い果たしたHPが一気に満タンに回復しますヽ(´ー`)ノ


◆歴史◆

竜ヶ谷山城も築城年代はわかっていません。
しかも史料にはそれとハッキリ記されたものも無いそうで・・・

竜ヶ谷城は「毛呂山城」とも呼ばれ、在地領主・毛呂氏の城でした。
毛呂氏は平安時代に藤原季清が毛呂郷に移り、毛呂姓を称したのが始まりだそうです。
毛呂季清の子・太郎季光は源頼朝に仕え、奥州合戦などで大活躍。
『吾妻鏡』では「心操尤穏便也、相叶賢慮歟」と賞賛され、頼朝側近として仕えました。
頼朝没後は表立った事蹟は無く、うまく北条執権家による粛清をかわしたようです。

室町時代になると、毛呂顕繁は山内上杉家に仕えていました。
山内上杉家と扇谷上杉家が争った長享の乱では、立河原の戦い等で活躍しました。

1524年、北条氏綱が扇谷上杉家の江戸城を攻め落としました。
この時、毛呂顕繁はかなり早い時期から後北条氏に味方をしたようです。
北条氏綱の調略が良かったのか、扇谷上杉朝興と対立していたのか、それはわかりません。

これに対し扇谷上杉朝興は、山内上杉憲房や武田信虎を誘い毛呂氏に報復攻撃を仕掛けました。
上杉連合軍は毛呂氏の「要害」を包囲し、北条氏綱は毛呂氏救援の兵を出しました。
結局この戦いは決着がつかず、和議により終結しました。

・・・色々調べたのですが、この和議の条件がイマイチよくわかりませんでした。
毛呂氏が何かを手放すことがその条件だったようですが・・・
所領だったのか、この「要害」だったのか。

その後の歴史から想像すると、上杉連合軍が手を焼いたこの「要害」放棄のような気がします。
城を包囲しながら落城していないので、上杉側はそれ程強い事は言えなかった筈です。
だとすれば、まずは外堀を埋めて、日を改めて攻め滅ぼそうという事になったと想像します。

竜ヶ谷城で防御遺構が見つからなかったのが、この和議によるものであったとしたら・・・
上杉連合軍が和議の後、城としての機能を徹底的に破壊したのかもしれませんね。


所在地:埼玉県入間郡毛呂山町阿諏訪

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